平成17年の新聞このページで
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NO148 2005年3月号
○・・・三月もまた不機嫌な天気が続く。気温はともかくも雨、みぞれ、雪の日が多い。二十日になっても柿園の積雪がやっと無くなった。柿の剪定作業が三分の一残っている。合間を縫って稲の種籾の準備をして浸水を始めた。米の発送日頃はまた低温の予報が出ている。厳しい春の始まりだ。
○・・・近年になく山の麓まで白で埋めた雪も日々に衰退して見える。柿園の雪どけあとにフキノトウが発見された。中には花房は見えるものもある。雪きえを待っていたのだ。雪割草は開花のほとんどを終えた。
○・・・彼岸の朝、また野犬が鶏小屋をおそった。鶏4羽ミニウサギ3羽が犠牲になった。孫娘が悲しみました。

隠居の農的発言第二回
東京生まれの28歳の青年が尋ねてきた。O君という。
「父は工場を自営しているが、北海道で農業をやりたい」と言う。生態系農業を目指すというので、食べ物の共同購入仲間が紹介してよこしたのだ。あってみたら、私並みの細身の優しそうな彼であった。一瞬とまどった。なぜ北海道で?ホントにできるの?おかしな話だが、ほかの仕事は意欲さえあれば誰でもできるが農業は簡単にはできない。「妻も私も富良野が大好きになってしまって」と言う。富良野と聞いて私もグット来た。北の国からを想ったからだ。
「それで農地は買えるの?」
「2年の農業研修があれば買えるそうです」
「そればかりでは難しいのではないかい?」
村では新規就農は歓迎するものの農地取得には深重である。農地が農外に流れたり、切り売り、分散されないように点検している。農業委員会という機関で。
「北海道では離農者は多いそうです。」
「そうかもしれない」と私。普通では就農が本気だという証拠が必要だ。研修履歴だけでは充分とは言えない。
「有機農家を見つけて、この春からお世話になるんです。今は研修所でシュナイダー農法を学んでいます」
「ほう!それはいい」
「二歳の子どもがアトピー、私は花粉症で食べ物が原因とわかったのです。」
ぐずぐずやって鼻をかんでいる。花粉のない北海道を選んだのかな〜明日朝、帰るという。島は今花粉が一杯だ。

農業をやりたい東京の青年 遊んでいる農地と空きや・・・
 以前、妻の実家が私の隣村だ、と言うと職員の青年から手紙を貰った。
「佐渡で農業をやりたい」とあった。だが、その妻と妻の母親の反対にあって、実現していないはずだ。実家には度ほどの田畑はあり、柿を作っている。父親は他界したが、私と同じ柿部会でよく知れていた。
 昔は百姓の子は百姓になった。それでも農地は守られ、農家は耐えずに来た。私の場合もそうだ。村から外へはいるものもいなかった。百姓に産まれても商人になりたいものもあって良いし、反対に農業をやりたい東京生まれがあっても不思議ではない。子どもあって離婚をためらった夫婦のように、農地があって転職がままならない事情が村にはある。
 わが家の隣組に空き家がある。昔の旧家だ。先年、母親が他界したままで荒れた田と広大な山林を残している。80歳になる長男は元官史であるが、ついに就農はしなかった。それでもオレの代には屋敷はてばなさないと行っている。医者であった長男60歳が他界してしまった今も尚。
 ひと頃、あるお宅の田を私が柿園にと考えたことがあったが、思い直した。残り時間を考えてのことだ。
似たような関係で知っているあるお宅もあきやで田畑付きだ。80歳の家主は東京で幼稚園を経営している。同じようにオレの代には手放さないと行っている。
 そこで、青年O君に帰り際に、「富良野でなく、長江の里でも良いんじゃないの?」と言ってみた。東隣の町は、彼の母親の実家でもある。その返事はまだ無いが、とりあえず知り無いの、富良野の「北の国から」の自称モデルだという農家を紹介して分かれた。生体農業はその農家にも教えて貰ったらよいので、私はただドラマ北の国からを見るようにすすめた。
村から「就農情報」を
私はここで、江戸時代の世界的な思想家、安藤昌益を引き合いに出したい。昌益は、「国民皆農」を説いている。できる人、心ある人は皆、農業をしなさい。余裕があったら商売をしなさい。と言うのだ。儲けがあると行って皆商売に走ったら、たちまち国はつぶれると。
北海道はともなく、現在佐渡では意欲が充分になり一度に5反歩以上の田畑を買う人でなければ、新規就農は認めない、事になっている。意欲の証明は、作業場や農機具などの投資、と見込みがなければならない。かなりの投資であり、あまり例がない。
 旧両津の区域で現在14戸の空き家がある。ここにA 家やB家は含まれていない。新規住所用だからだ。農地付き空き家は、おそらく現在佐渡に300戸は下るまい。前述の農業委員会の仲介管理で、O君のような新規就農希望者の受け入れを考えてみたらどうだろうか?単なる「空きや情報」から「とりあえず就農情報」へ。このために研修施設も必要なのかも知れない。
 O訓の来訪は、私に再びA家の再考や有効利用を考えさせてくれた。いままででは、A 家は荒れるに任せ、放置された農地がいろんな問題をもたらし始めている。兼ねて、私の知友人(自分も含めて)為に『友愛の家』構想を持っていたが、O君のような青年を迎えて『長江の里』プランはどうだろうか、と着想し始めたところです。皆さまの周りに、農業を希望する若者たちやA家B家を知りませんか?

今月のお便り
○大地で知り合った山形の農家に栄周農法を訪ねてみたら知らないと言ってました。なんだか誇らしかったです     静岡 市岡様
○玄米のスープ作りに励んでいます。煎った玄米と昆布を入れてコトコト煮るだけですが、とっても美味しいです。矢田さんのお米は無農薬なので、安心して頂けるがうれしいです。               新潟 山谷さん
○でも今まで通り農業を目指しているんですよね?HPを見せて頂きました。とっても素晴らしい好青年を頼もしくうれしく思っております  新潟小出さん

▼彼岸の陽に味噌を仕込んだ。昨年の大豆の出来が悪くて一斗しか作れなかった。秋から冬にかけてわが家は忙しいので大豆の収穫、選別は思うようにはできないだ。味噌の希望があるでしょうか?
▼全体に仕事が遅れているため、米の臼スリが半分しかできていないのです。極端に悪い不作ではない感じです。最終的にキャンセル分で顧客順に復活の連絡を致します。一方、これからatのキャンセルは、できるだけ無いことを祈っています。夏はすぐに埋め合わせがしずらいのでご協力ください。
▼野犬に襲われた鶏ー2羽の雄鳥が私が駆けつけた間、勇敢に戦っていたのでした。感動しました。私も世のため人のため戦わなくてと思ったものでした。ホントに見直しました。

NO147 2005年2月号

○・・・昨年とは反対に十日頃から荒天のために剪定の仕事が出来ない。柿園の積雪は20〜30センチくらい、気温も昨年より10度も低い日がある。ちょっと心配になってきた。
○・・・息子が大地を守る会の東京集会に行ってきた。はじめて「オヤジからよろしく」と挨拶させてそれなりにバトンタッチが出来たらしい。飲み会だけは全部こなしてきたと威張っている。
○・・・京都議定書が実働したことにより新聞も動き始めた。私も動き始めている。このニュースが届く頃、栄養周期説稲作の研究会を開催する。昨年に引き続き50名の会員で50町歩の田圃に普及させる目的だ。1万町部の島の水田に普及させるには遙か彼方の物語だが、確か中国に親子二代に掛けて山を動かす、と言う話があったかな。2〜3日前、市長に直訴状を書き送った。

村からの告発その18
対処療法の施策 いもち病に強いコシヒカリ

今村に何が起きているかー今月はまたもやの品種改良問題。作物は人間の都合(美味さ、耐病性、多収とか)で品種改良が進めたれる。それなりに目的は達成されてはいる。だが、改良は進めらっるほどに失われるものがあるようで、米の場合が波動とナトリウム・カルシウム比と言われている。波動は、米が持つパワーであり、Na:K比は栄養バランスの崩れを言い、二つは米の命を左右するらしい。人の味覚を満足させても肝心の人の健康作りに役立たない米に改良されたのでは困ってしまう。そんな品種改良が新潟で大々的に行われたのだ。
 
果たしてメリットはあるのか?
そもそもコシヒカリは、昭和31年に誕生した品種で粘りが強く食味が優れ、全国43府県、34%の水田で作付けされている。これほど長い年月作られているというもの大変大変珍しい。
しかし、残念なことにいもち病に非常に弱くかつ秋には倒れやすという欠点があります。倒伏防止には先の号で紹介したように成長ホルモンをコントロールする農薬を使うことで達成?し、今度はいもち病を対策となったのです。

どうして病気に強い品種を作ったかというと「交配」です。最初にいもち病に絶対かからない、と言うほど強い品種(公開されてない)に交配して抵抗性品種を作る。この品種は耐病性ではあるが、コシヒカリとは大違いの食味が悪かったりするため、翌年から普通のコシヒカリと掛け合わせること5〜6回にして食味などの特性をよみがえらせる。問ややこしい非常に手間を掛けた方法(連続戻し交配)で作ったものです。少しでも元のコシヒカリと違うものになってしまったのでは元も子もないんです。
 新潟県では、「絶対自信がある」と言っていますがどうでしょうか?これまでも自信作だと言って普及してのち、評判の良くなかった品種がいくつかありました。そういうものでなければよいのですが・・・・
いもち病
稲熱病熱病と書き高温多湿時に病菌によって 葉・茎の筋穂などに発病する。農薬はあるが完治するのが難しく被害は大きい。特に穂が出てからの発病が恐ろしい


県当局は、普及によって
@環境保全型農業がすすめられる。                      

A生産費が安くできる                                                
B新潟県産の評判が良くなる。
と宣伝している。だが、これは狸の皮算よではあるまいか−と考える。なぜならば、
T この品種の作付けに当たって〈平年並みにの発生量であれば〉と但し書きがあって、平年を超える降雨に見舞われれば消毒も必要になる。また、本当に自信がつくまで農家は密かに消毒をするに違いない。誰にも保障する人がいないのだから。環境汚染の原因は、圧倒的に化学肥料と除草剤・殺虫剤の航空散布などが大きいのであって、さして喜べない段階だと思うのです。
U 仮にいもち病の消毒をカットできるにしてもこの品種の種籾を毎年買い入れなければならないので、農薬代は種子代で相殺されています。
V 消毒一回しないからと言って、果たして新潟米がどれだけ高く売れるか−消費者の皆さんにお聞きしたい。かなりの宣伝費を掛けても、効果がでるまで相当な時間が要ることは間違いないだろう。こういう品種の種子は、儲けが非常に大きいので、評判によっては他県でもやりはじめるだろうし、特性を維持し続けるにはかなりの工費も必要だろう。私にはどうも苦労のようにしか思えないのだ。

栄周稲作ならば
 ここまで私が推薦する「栄養周期説」と言う稲作技術を紹介する。戦後直後に大井上という人が発表した技術です。優れた技術なのに未だに陽の目を見ていないのです。
 多肥で始まる現行の技術に対して、この技術はゼロ肥料で出発します。肥料を施すのはわかりやすく言うと成人になり結婚し妊娠した頃から。ところが、現行の稲作りは、子ども頃から飽食させて生活習慣病にさせてしまい、肝心の妊婦時にいったん絶食し栄養失調にさせるのです。おかしな技術でしょ?
現行の稲は元々、不健康な体なのだから秋になって病気になるのも当たり前ですよね。その点、栄周農法は肥料が少ないですから害虫も寄ってこないのです。不思議のようだけどいもち病もカメムシも発生しないのです。ホントです
倒伏にも強いので倒伏防止の薬も不要だし、品種改良することも要りません。ドロナワの対処療法ばかりをしていて栽培方法を見直すという根本治療に気が付かないか、黙殺するのです。 
いささか感傷的な話ですが、幼児肥満のように不健康な稲を育てて、さぞかし人間を恨んでいることでしょうね。その上農薬を頭から浴びせかけられてはね。

□・・・待っていた玄米が届きました。無農薬は来年まで待ちますが、低農薬でも矢田さんの米は安心です。体調も悪かったので今日からまたやたさんのお米が食べられると思うとご機嫌。お餅と干し柿最高でした。父や兄嫁は苦手なのですが、矢田さんの干し柿だけは食べまして5パックを二日で食べきりました。   大田区 なかがわさん
□・・・今年のお餅はどれも美味しいですね。毎日少しずつ頂いていますが少なくなると寂しい。玄米と黒米餅栄養の固まりみたい     おおのさん

▼・・・こんな風に言われたらうれしいですね。今年もがんばらなくてはと。皆さんに支えられてまた一年。希望は叶えられませんで申し訳ありません。秋前になりましたら翌年分の予約申し込みをお願いします。契約は一年きりです。必ず声を掛けてください
▼・・・3月にも籾蔵分を臼スリをおこない、玄米量がわかりますので最終調整をします。お分けできる分があるかもしれません。矢田農園ものでなければ!と言ってくださる方、本当にありがとうございます。
▼・・・インフルエンザ流行っているのでしょう。花粉症はこれまた玄米エキスで体質改善を図ってください!


NO146 2005年1月号

○・・・新しい年になりました皆さまの新年の出足はいかがでしょうか?良い一年でありますようお祈り致します。またお世話になります。
○・・・暖冬の予感がしたのに暮れに最初の寒波が来て庭にも積雪があり、そのあと二度ばかり寒波が。雪のあとに気温がゆるみぬかるんで消えた。それでも妙に寒さが身にしみるのは年のせいでしょうか?
○・・・お年賀をありがとうございました。今年の私の年賀は「断根」。毎年さわやかな決意と目標を書くことにしている。最近の私の関心は一にも二にも温暖化問題であり、人類(?)の一人としてところかまわず口に出して訴え、かつ実行しなければ、と決意したのです.


これからも生態系農業を続けます。

頂戴した賀状やメールの中にこのあとの矢田農園の行方を案じたもの、そして引退する私のあり方を問うものがありました。わが家はこのあとも変わらず、こだわった生態系農業を続けていくはずです。経営者の責任をバトンタッチするだけで、私自身も最後まで手伝いをしていきます。私がオヤジから経営を任されたのは、確か42の時でした。ガラリと変わった農法をする私を見て不安だったのでしょう。早い交代ではありませんでした。

これでも予定より数年遅れての引退です。昨年5月の65歳の誕生日の日に申し渡しをしました。皆さまを主人公にするこの農法には誤りはないし、20年来の皆さまとの信頼か関係をないがしろにするわけにはいきません。そして個人的には、自分の人生はあといいところ10年しかないことに気づきました。三たび人生を問い返そうと思ったのです。
 私は百姓です。これからも止めるつもりはありません。いつも農業のあり方を問いつめてきたように、あとも姿勢を崩すつもりはありません。急ぎやりたいことは「稲作改革」のために、栄養周期説稲作の普及運動で、そのテキスト本を著作すること。次にわたしなりの農業論をまとめてみたいこと。三番目に若い頃から考えてきた、村を舞台とした物語(その当時はラブストーリーで「村のソナタ」ってとこかな?)を書くこと。それから温暖化防止の運動、級友ら10年の共同活動村の実現・・・・など。
 矢田農園はこれからも消費者皆さんとの協同組合を考えてみたいなあ、など考えています。ヒントはラビ・バトラの「世界大恐慌」です。それでなくても私の頭の中には産物の直売所や会員制のこだわりスナック、コシヒカリ無農薬パン工房などの構想もあり、土地が入手できれば500羽の鶏ランドもおもしろいが、息子たちの意欲による。

隠居の農的発言 第一回
帰農のすすめ・村は瀕死です

 「村からの告発」に見るように、また私のネットワークで知る限りではあるが、この国の村の状態は、はなはだ心許ない。辛口で言えば、瀕死の状態と言っていいかもしれない。農民が老化して後継者がいないのだ。耕作できなくて荒れ地化する畑や田圃が増えている。農地はさていいてもいい老人所帯の生活不安がある。村の介護負担も大きい。あと数年もすれば村の個数は激減するにちがいない。自然災害が頻発すれば残った農家の耕作意欲も落ち込むだろう。さて、どう対策したらよいのか?
 この際、農業がなぜ必要で、村がなぜ盛んでなければならないかは問わないことにする。村の中では、こんな状態を良しとはしない。しないが、なぜこういう事になったのか、誰がし向けたのかは、問わない。ただ嘆くばかりである。
 今さら私が解説するまでもないが、昭和30年代以降の高度成長政策の中の「農業基本法」にすべての原因があると思う。あの中の借金主義思想に国民は洗脳させられ、「稼ぐことが善」と思いこみ、稼ぎの悪い農業を棄て、村を捨てて都会に出て行ったのだった。ひと頃までは私自身もそうだった。金というものは、単に物々交換に変わる手段だったのに、あたかも究極の宝のように錯覚したのだ。若者本人はもとより親たちも疑いもなく、都会へ送り出したわけだ。それから40年50年−双方とも加齢して今日に至った。
 流石時代が保障したように彼らの多くは都会で成功(?)し定住し続ける。今日に限ったことではないが。悪い事とも思わない。だが仮にそのうち何割かの人が田舎にUターンしたいと思った時、田舎には仕事はなくて帰れないとおっしゃる。当たり前のことである。仕事というものは過疎には不要なのだ。

至近距離の人々
 ま、そんなわけで我が愛する里・佐渡もひと頃の人口が12万が半減して6万人台になりましてね。税収不足からいろいろとその筋が思案しているようですが、一番困る人当人が努力しなければどうにもなりません。一番利益する人ですね。それは年老いた親本人です。
命令しようと泣き落としを掛けようとUターンを誘うしかないでしょう。一人二人と彼らが帰農してくれれば、仕事も一つづつ増えてきます。最初に帰島してくる人は人材センターや農家でも応援を求めています。やがて若い孫たちも迎えられることになるでしょう。いっぺんに何百人もUターンを迎える手なんてありません。一軒一軒地道に熱心に説得するしか無いんです。
そして、最も大事なこといつもアンテナを高く掲げて物事の正しい判断をすることだ。農家はこの点に特に弱い。だまされ、乗せられる。その昔、所得倍増という近代農業ビジョンに見事に乗せられ踊ってしまった苦い跌、そのため伝来の田畑を荒らし、親にも孫をだかせることもせず、親の死にも遭えないかもしれないという跌を繰り返してはならんのだ。
 農業は所得ではなく、件こんな命を養うものだったのだ。
ひとときの豊かさの陰で錯覚してしまったが、台風や環境汚染そして温暖化が到来していずれははっきりわかることになるだろう。村に田畑を残している皆さんが村の再建の至近距離にあるのです。
 消費者の皆さん−皆さんの周りに至近距離の方がおられたら村に帰って農業をするようにすすめてください。いや、かなり多数の農村出身者がいるはずです。なぜなら村のどの家もどの家も老人だけなのですから。とりあえず彼らに帰村帰農して貰うのが得策なのです。

皆さんの声
▼・・・明るいご家族のお心に支えられた佐渡の数々の品届きました。押し花の見事な色が美しく帰省した長男夫婦一家と舌鼓。      丹波 イジリさん
▼・・・黒米のお餅とってもとっても美味しかったです。  横濱 いちはしさん
▼・・・年末に頂いたお餅美味しかったです。今年は矢田さんのにしようかと思っています。 横濱 ささきさん
▼・・・ご苦労様でした。これからすこしのんびりかしら? 大宮 かとうさん
▼・・・頼もしい息子さんがおられて良いですね。次の人生は何をなされるんですか?
                    横濱 さくらいさん
▼・・・干し柿が届きました。ほっぺが落ちるという表現が久しぶりに使ってしまいました。東京の恩師にも感激のメールをくださいました。 来年も是非予約したいです。       静岡 かつやさん

□・・・冬季ギフトの干し柿では不自由をおかけしました。丁度良い具合でした。黒米餅はやはり原料が残りました。これからも注文があれば作ります。どうやら餅はクール便でなくても良いようでした。
□・・・古代米の黒米と赤米それに香り米が残っています。特に黒米はかなりの量。昨年はアイスクリーム工場から声が掛かりました。
□・・・三月初旬には米の量がほぼわかります。残りの臼スリをするからです。低農薬米は余裕がある見込みです。
□・・・柿の葉茶はいっぱいあります。

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