年ごとに表示してありますので、古い新聞はこちらで↓


NO.85(H11.12)

島は根雪になりました。
特有の吹雪はなく、あわ雪ですが30pは庭に積もりました。暮れはずっと雨降りだったので、外仕事をまだかなり残しています。

外が白くなると小鳥たちは餌が見つからないので、作業場脇の下屋に降りてきて、にぎやかになり、ツゲや南天の実もおそわれます。あの大群のカラスたちはどうしているのだろうか?

正月が無事迎えられるでしょうか?
コンピュータの誤作動対策はOK!−のニュースも流れます。何か予想外の所から異変が?何事も起きないよう祈ります。

いきなり、皆さんからのお便りを特集で紹介させていただいた。断りもなく・・
紙上をもって、ご了解を請う次第。たくさん頂いた中から、私に好都合な便りだけを・・・・お便り歓迎中!

いつも美味しいお米ありがとうございます。出張で昨日帰国しました。お世話になった友人宅にも矢田さんのお米を持参。とても好評でした。今日から毎日このお米を食べられると思うだけでホッとします。
                             杉並区 Yさん

東京に春一番。先日は美味しいお米とおまけをありがとうございます。定期的に届けていただけるとのこと、ありがたいです。一緒に届く「風邪と土の詩」楽しく読ませていただいています。毎回勉強になります。今回の優里香ちゃんの絵、心からほのぼのしてきました。
                             八王子 Kさん

先日は、ご多忙のところ多勢でおじゃましまして、申し訳ありませんでした。わずかの時間ではありましたが、農場を案内していただき、矢田さんの農産物がただ穫れればいいと言う訳ではなく、体に吸収された後にも体に害のない様に作られていること、無農薬やイオン効果などに日々の努力が実績に現れているお話を聞き、頭が下がる思いです。職業の違いこそあれ、私などまだまだ努力が足りないと痛感しました。
                            世田谷 Tさん

猛暑に大雨の夏でした。天気予報を見るたびに東京の左斜め上に目がいきます。矢田さんの「60年」興味深く読ませていただいております。私もこれまでの自分を見つめる機会が出来、それだけに感じることも多く、続きが楽しみです。
                            新宿 Kさん

先日は、お忙しい時期に矢田さんの柿やお米の農園を見せていただき、本当にこだわって生産している熱意を感じました。二日間にわたり案内していただきとても楽しい旅でした。
                            新潟 Tさん

柿の実が落ちてしまうとのこと大変ですね。今度のお米、甘みがあってとってもとっても美味しいです。
                            練馬 Nさん

この度は美味しい柿をありがとうございました。当地のスーパーにもおけさ柿がありますが、それらと比較して格段に美味しく、また良質で感激しました。
                            浦和 Iさん

矢田さんちのコメが食べられることがうれしいです。天に感謝!姉が「矢田さんのコメを食べると喘息の発作が起きない」と言っています。「矢田さんのお米が食べられそうだよ」と知らせると、とても喜んでいました。
「風と土の詩」をありがとうございました。本だと難しく感じるのに、矢田さんの通信だと頭にスーッと入っていきます。今まで送っていただいたのは全部とってあるんです。常日頃ぼんやりと抱えていた疑問点がこれで解決したり、裏付けが取れたりで助かります。
かき餅注文します。かき餅は大大大好物でこれさえあれば、煎餅も甘いものも簡単に我慢できます。
                            富山 Kさん

 

園主の駆け足60年【7】
「賢く農業を」と名付けられた私の名前は、名付け親の願いとは遠く離れたものになってしまい、父は失意のまま逝ってしまった事は前号にも書いた。時代の流れを父はまだ感じ取っていなかった。
その父は、三代目が大事と口癖で、事あるごとに孫を説得していた。孫の徹夫は、年が明けると32になるが、ご案内のように私とやっている。
就農はもう10年になるので、孫のことは満足して父が逝ったと想う。子供の名付けに関して3回とも悩んだ。悩んだ末に徹夫としたが、農にはこだわらなかったものの、何事にも徹して生きて欲しいと言う願いを親意識から命名したが。
が、私の願いは残念ながら満たされていない。
私自身そうであったように、無機化学農業を学んだものに、我が家の農法は大いに勝手が違う。いまでは、有機農業は多分に労力に頼らざるを得ない。私が倒れても息子が倒れても継続できない。苦労はあってもホームページなどを通じて彼は彼なりにこの道を探ってゆくだろうと想っている。
何しろ、食べ物は土と水からしか得られないことぐらいあの子もわかっているはずだから。

 

子宝
「君はいいなあ!息子と百姓が出来て、孫と一緒に住んで」と、農業高校時代の級友にうらやましがられている。確かに私のような例は少ない。何か、どこか欠けている友人たちの家族。そして、自分でも満足している。
私は凡人だから、 上から見ればきりがないのだが、凡人でも出来ることは子供作りだ。私どもは三男子をもうけ(まったく、私自身は苦労しなかったが)育てた。平凡な子供たちである。
昔、親友が「俺の芸術作品を見てくれ!」と言って子供たちを連れてきた事を思い出す。凡人の私どもの最大の業績は子供たちなのだと思い至った。人並みに私も、この60年何をしてきたのだろうと自問していた。
この道を40年、飽きもせず、やってきたもののほとんど成果は無く、未だに極めていない。道はんばである。何ものこっていない。だが、気が付いて見ると、傍らに3人の人間を作っていた。
その人間がまた人間を作っている。至極当然で当たり前で、ありふれた現象が、実は大事業だったのだ。

この一大事業では、多分に家内雅子の力を借りた。至極立派なことを・・威張ってみても、男たちは所詮妻の力には脱帽なのでは。私も例外ではない。
ありふれた母胎。神秘な母そして偉大な夫婦。
その家内は、家族知人の反対の中私の求めに応じてやってきて35年に近い。失意逝った彼女の両親に塵ほどの不安も与えなかった自信がある。反対もまた真なり。

 

 


NO.84(H11.11)

 朝起きてみると庭が濡れていることが多くなった。
だが、昼過ぎには庭は乾いている。陽は薄いのに太陽のおかげは大きい。
当たり前になっている陽のありがたさを考えるこのごろだ。
背後の山に最初の冠雪があった。三度目頃には毎年根雪になっている。
紅葉が冠雪に追われるように麓まで降りてきた。今年の紅葉はとりわけ美しい
ように思う。ことに、コナラの紅葉がにぎわって見える。

白い紙に紅葉を置くとそのすばらしい色合いがよくわかる。なぜに赤く染まるのか?見ている前にひらひらと紅い葉が落ちてきた・・・・・

柿に神の救い!
今年の柿づくりでは、訳の分からないことだらけである。10月の初旬に収穫をはじめ、樹上で一斉に軟化をはじめ、100キロ位を捨てた。私たちは青くなった。無農薬と減農薬の柿が二つの園で。。。
原因は何か?見当もつかない。脱渋した後も軟化してしまう。固いものだけを穫ってゆく・・・・収量は昨年の30%だった。心配なので顔見知りの方にプレゼントしてみると「甘い」と好評。ほっとする。

中旬ー降雨が続き着色がよくない。収穫をのろのろしているうちに10月も下旬
になって、なんとか樹上軟化がピタリと止まったではないか!
信じられないことだ!!なぜそうなったか〜〜〜わからない。。

相変わらず、玉肥りしないままで、柿もぎは続き11月10日頃になって急に
肥大が始まった。
そのせいか低農薬の柿にアルコールの汚染果が目立ちはじめ、無農薬の柿と区別が付かないような有様。
これには参ったね。そして20日頃には、どの園の柿も大玉で外観もよくガンガンと堅い柿になったのである。「無農薬の柿です。」といっても信じて貰えそうもないので、『綺麗すぎますが間違いなく無農薬の柿です』と添え書きしたほどです。
25日現在、干し柿作りを始めているのですが、未だに脱渋に耐え得る柿が樹上にあるほど、神の救いを受けた年でした。

園主の駆け足60年(6)
私の有機農業は、農薬を徐々に減らすのではなく、一挙にゼロから始めた。
安易に考えていたともいえるが、間違いではないと思う。
『やる気』で始めるべきだといいたい。
はじめの2年は問題はなかった。
水田には、雑草の種はなかったのだろうし、害虫も少なかった。
柿園にも落葉病菌はなかったようだ。苦労した覚えがなかったことから産物もそれなりに販売したようだ。もう20年近くも昔のことだから・・・・・
幸いなことにすでに私は日本有機農業研究会にも入会して、消費者会員も
知り始めていたし、新潟のK氏の指導で電子農法を取り入れていたことが無農薬の柿作りに失敗がなかったのだ。

時間をおかずして、同士から東京の『大地を守る会』を紹介して貰った代わりに
『わかば生協』への協力を願ったり、生産販売ともに順調な滑り出しだったと思う。   その代わり忙しかった。
 勿論、まだ農協への共同出荷もしていたので、経営規模も大きかったし、
農協運動を始め生協、両津健康村、有機農研学習会や個人的な視察見学など
ずいぶんと出歩いたものだった。この間、この多くの人に出会った。
そして、やがてそれらの人々は人間味あふれた心根の美しい人たちであると気づき始めたのだ。
三年目あたりから水田に雑草が増え始めたが、村の女の人たちに除草をして
貰ってしのいだ。彼女たちが老い、来てくれなかった頃息子が農業大学校から
帰ってきて、除草機を押してくれた。
 
無農薬の米作りで、最大の難題はイネミズゾウムシで、三年前に被害のピークを迎えた。どうしょうもなく周囲に大恥をかいた。柿作りでは、かの19号台風の
あと毛虫、カイガラ虫、ミノムシの異常発生が続いている。
その都度、絶望し意気消滅しながら、また春にはその苦労も忘れて耕し続けてきた。夢中でやっている内に早20年近くを数え、いつか『有機農業の矢田』と言われるようになり、見学者が来るようになった。まだ一年も安全な年はなく、技術的に安定したものはないのに・・・・・

遅れた出発を取り戻したいとの思いで急いだこの道ー私を追い立てたものは、
食は何よりも安全でなければ、と言う悟りの上に、誤った近代化農業の駆遂だった。
その目標には、これからのテーマであって、これまでは内なる戦いに挑んできた思いもある。
父は、私を「変人」と呼び続けて三年前に他界した。多分、量産を善とする父を
理解させることは最後まで出来なかったし、私もまた父に従うことは出来なかった。家長として責任を果たせ、と父は言いたかったのであろう。
その父を安心させて葬ることは出来なかった。仮に父が生きていても経済的に
納得しても私の農業を認めることはなかろう。私にとって悲しいことだった。

H組合長とは、対立の後逢ってはいないが、二年くらい前に側近を通じて有機農業で農協に戻らないかと誘われたのを思い出す。私は笑っておいたが、農協
を拒否するところに維持が働いて今日の私を作り上げたと思う。
父を乗り越え、農協を越えようとして、走り続けた結果である。二つの鞭はなくなったが、やはりこのままこの道を行くのだろう。強いて言えば、息子たちに対する償いの農業がこれからの鞭に当たるかもしれない。ささやかな仕事だったが、
いつも鞭を持っていたように思う。 

 

 


NO.81(H11.8)

残暑お見舞い申し上げます。

 『新潟も燃えています』と暑中はがきを書きました。平年ですと熱帯夜は2〜3日だけのはずですのに、今年は20日以上続いたのでは。最高は、19日の36℃です。畑の雑草さえ生気を失い、地をはうように伸びています。しかし、小さいながらも種を付けるたくましさがある。

 

 困ったことは、雨がさっぱり少ないことです。春から非常に少ない年で、雨がないと作物の生気は今ひとつー雨には、天然のミネラルがあるのでしょうか、あるいは、マイナスイオンがあるのかしらん。「雨アメ降れふれ」というところです。

 

 柿の支持者である東京のTさん御一家が我が家を訪ねてくれた。1行13人。柿を作る現場を是非見てみたいというのである。参加しない柿作りをご理解され、満足された。本人以外は、初めてお会いするのにとても親しみ深く、お別れが苦しかった。

 

 マイナスイオン効果あり

  8月も下旬になると、一年の米や柿の作況がおよそ見えてくる。佐渡地方は、両方とも平年作といえよう。我が家の作物も総じて平年作。低農薬の米は、近年にないほどの出来映えで、多収が見込まれる。無農薬の米は、出来過ぎてモンガレ病が発生、倒伏の心配もあるものと、イネムズゾウムシの被害で不出来のところと二分させる。モンガレ病は稲の根本に近い部分の茎が刈れてしまう病気で、実入りを悪くするもので、減農薬にも多い。

  柿も低農薬のものは、風害以外は順調、無農薬と減農薬は樹勢の衰えが原因で、小玉(干ばつもあり)、減収の予想です。カイガラ虫な発生が少なかった分、新種のアザミウマの食害が多く、黒い斑点のある柿が出来ます。もう一つの被害は、日焼け柿の実が焦げてしまうのです。日焼け果は食べられません。

  【米は豊作型ですが、生産調整がうまくいったかのか、農協からの支払いは昨年より1000円も高い(一般農家への)から米の値段跳ね上がるのではないか?柿も新潟産は裏年なので高値の予想です。】

 

  特記すべきは、マイナスイオンの発生装置。どうやら米ではこの効果が確認できそうです。効果がありすぎて、稲が大きくなり120pの倒伏危険ラインに入ったので、装置を撤去したほど。ただ、モンガレ病が発生したところを見ると、「健全」とはいかないかな?

 


 NO.80(H11.7)

皆さん、暑中お見舞い申し上げます。

島も非常にうっとうしい天気が続いています。もう半月もです。雨は少ないです。

気温は25〜27度くらいです。30℃を超えるいる皆さんのところではさぞかし…。

救いは、なぜか害虫や病気が少ないことです。米は、かなり豊作が予想されます。でも、豊作物は獲ってみないと判りません。

我が家の米も良く出来ています。柿は5月の強風と新種の害虫の被害をかなり受けているほか樹体が非常に弱っています。

 

栄養周期と電子農法

 我が家の栽培は、はからずとも明治時代の日本の2人の科学者は立てた学説の基いて展開されることになりました。

一つは、『栄養周期説』

作物の生理から考えられた肥料管理の方法。栄養成長期と生殖成長期を区分し、それぞれの期間にふさわしい施肥を行う。特にその切り替え時期が大切で、カルシウムと燐酸の施用によって、効率的な生殖(実り)への転換を導く、というものです。

この説から現行の稲作技術(V字理論)を眺めると、多分に企業的副産物利用型"贅沢農法"と言う感がする。農業が企業の成長に協力させられていることがわかり、この国の経済構造の徹底ぶりに恐ろしさを覚える。

農業の主体性がそこにはほとんど無いのである。

 この方法だと、春の植えつけはゆっくり、少ない肥料・少ない農薬で良い。だが、水管理に今一つ不明確不安な所があります。

肥倍管理は、現行のまったく逆の事を行う。稲の持つ力を100%生かす方法だ。ものすごい力を持っていることに驚かされる。それゆえにか、病気にもかからない。

 

 もう一つは、『電子農法』

作物・生物はイオンによって成長が左右されると言うもの。

プラスイオンは、成長抑制し、マイナスイオンは作物の成長を促す。地中にマイナスイオン物質を埋没し、空中にマイナスイオン発生装置を設置することにより、健全ですみやかな成長を促す。

 目に見えないものが相手で、百姓の私達には、いささか手に余る代物ではあるが、理論的にも実際にも、手応えはある。我が家の水田は、気付いてみると、高圧電気の電線の直下に、かなりの面積があり、なぜか秋になると稲の出来映えが悪かった。どうやら、プラスイオンの害を受けていたのではないか?その可能性が高いのである。その高圧電線の直下にも、避雷針版のマイナスイオン発生棒を立てている。

 柿園に高圧電線は無いが、ここにもかなりの数の発生装置を立てている。この効果は、確認できないが埋設した物質(炭素)の効果は、早くからわかっており、我が家の農業は、これによって支えられていると言ってもいい。

 

 生態系農業

 化学物質は、常にプラスいおんを発生させています。化学肥料も農薬もそうである。

こういう環境下では、微生物も住めないわけだ。化学物質がいけない理由はここにもある。化学物質が投入されたのは、ほとんど昭和30年代からで、その歴史はまだ40年あまり。それ以前は健全な生態系が存在したわけだ。

人体もそうだが、私たちは微生物によって生かされています。人の体も土の中も全く同じ。健全な生体系ピラミットのもとで、はじめて健康に生きられる。

『正しい農業』への道は遥か彼方だ!

 


NO.79(H11.6)

 6月は、作物の緑もにぎわう。春の害虫が意外と少なく、園主のストレスも軽く、ありがたい。イネミズゾウムシの一斉被害は無く、昨年よりは生育は良い。苗の時期に害虫にあうと、なぜか後々まで育ちが悪い。

 ドロオイ虫は、梅雨になると発生する。どろカゴで掬い取りをしようと早朝田んぼに入ったらものすごい数のヤゴがいっせいに羽化し、とんぼが育っていたので「これぞ共生」とばかり、すくい取りを中止した。

空中では、これまたたくさんのツバメが無農薬田で待っていた。これまた生態系!

 

米作り白書を発表していきます。(矢田農園ページ上部記載)今後は、一般の農家との比較も紹介します。

この所、我が家へ島外からの視察が増えています。また、県庁からの調査訪問もあります。東京では、自然食のレストランが急増しているとか?期待の時代到来でしょうか?

 

 

園主の駆け足60年〔一〕

 もう40年も農業をやっている。父の手伝いを含めると、50年。貧しい時代、華やかな時代、疑いの時代、そして現代有機農業へ。周囲から見れば、大きく様変わりした我が家の農業だった。わたしの人生でもある。

 

 昭和14年に長男として生まれた私は、殆ど生業の農業への道を運命付けられていたようだ。祖父は、17年に他界したが、顔は知らない。日雇い人夫をしながらの水呑み百姓で貧しかった。その貧しさを見て育った父は、人一倍働き何枚かの水田を買い、村一番のこめ作りに熱心だった。ニシン粕や下肥に頼っていた頃は失敗もしなかったようだが、戦後 化学肥料の硫安が出まわった後は、よく米を獲った。村一番と、よく自慢していた。

 我が家は分家で、ほとんど田畑を持っていなかった。記録も貧しく、曽祖父より先は判明しない。父は、負けん気も合って、【一家を成す】ことが目標で、私に『賢く作る』と言う命名談を繰り返した。そして、長男で家を継ぐように、とも。

 父の権力は相当なもので、母への暴力もひどかった。母は助産婦もしており慣れぬ農業の仕事とで、苦しんだ分私への愛情は深かった。

私たち子供は、父を恐れていたが、家の手伝いをした時はやさしく、したがって幼い頃から、私たちは働いていた。田植えなどでは、中学生で早乙女のおばさんたちと一緒に進むことが出来た。

 高校進学では、ひと波瀾あった。周囲は一様に、進学校をとやかましたったが、父はガンとして応じ無かった。私もあきらめていた。農業高校の入学式の日、図書館に入って、そこではじめて自分を納得させた。

 中学時代に呼んだ石坂洋次郎が、私の文学への目を覚ましてくれたらしい。絵の趣味はあったが、スポーツに無縁の私は、毎日図書館に入り浸っていた。小説類を片っ端から読み、社会科学系もむさぼった。読書に関して師はいなかったが、のちの太宰治への傾倒、社会主義思想への感心はこのころの読書のせいかもしれない。

 柔道部は三日坊主、絵画部も入っていたが、『器用過ぎる』と、師に言われ嫌気が差していた。学業は苦労はしなかった。

 しかし、父が期待した農業科への興味はさっぱりだった。自習もまじめさだけで身につかなかった。小一時間の自転車通学のせいもあって、家の手伝いもし無くなっていたが、父は何も言わなかった。

 私の関心は、生徒会活動にむきだし、新聞部や文学部の文集編集のあたりをうろついていた。読むに絶えないような小説を毎号載せてもらったりした。3年のときには生徒会長を受け、「校風刷新」をスローガンに、いわゆる改革をいくつかやった。農業高校にありがちな、バンカラ風が嫌いだったのです。反発もかなり出ました。

 学校も「伝統」を重んじたそうだったが、これにも反発師新聞に書いたり、弁論大会で弁じたり「試験廃止論」なんてぶつけたこともある。今でいう教育改革と言うことになる。

 そんなこんなで、勉強嫌いと言うか、意味を持ち得ずじまいで、卒業時期を迎えた。丁度、農業新聞の記者の求人があって、進学との間でまた迷った。志望の前に、また父の力が立ちふさがった。体験の名の大学入試と地元新聞社へのアルバイト記者を条件に就農させられたのである。昭和33年の春のことである。

 

 入試の帰路、信州を一人旅して、ある女性に逢った。中学時代からはじめた海外文通(当時盛んだった)をきっかけに知り合った女性で、高校後半は、彼女との国内文通が続いた。ジイドを読んでいた頃である。4年後、この恋は災難をきっかけに破局を迎えるが、このときの後遺症が、およそ10年私を安定させなかった。

 地元新聞社は、日刊紙で父の友人が重役をしていた。農繁期に休暇を貰う他は数年間、おもに記者をしていた。役所のご用記者から始まったが、私の感心は農村改革や文化運動で、むしろ新聞を利用した啓蒙記者書きだった。事象を報道することより、事に寄せてシンポを企画してその全体を書く−事を好んでいた。この時代の最たるものは右の手法によってつくった「労音」である。

私自身、実現するとは思っていなかった。先輩たちが、東京紙に去り私にも県紙から求められたのだが、残念ながら、この話は父たちの間でもみ消されたことを知った時、私は父の執念を感じた。それから、一年半ほど編集を担当したが、記者不足で私の負担が大きく、ヘトヘトに疲れてやめた。

 

 改革を夢見て、中央講師による講演会活動を企画しつづけていた中に、むのたけじ氏があり、私もミニコミ紙「新しい村」を発行していた。新聞を通じての世直しをこの頃は固く信じて、OB有氏達と良心的は新聞発行をずっと模索していたが、ついに実現せず、私の新聞時代は26歳で終わった。「新しい村」は、その後、地域の青年たちの機関紙となり、私が2年後に市議選出馬まで発展するが、次号へ…・・

 


NO.78(H11.5)

新緑の美しい五月。柿園に至る山道の緑の壁は、すがすがしい香りがする。 夏のむせ返る緑の熱気と違いいくらでも、吸いたいという欲望がわく。 柿の葉の緑も、少し濃さを増した。

  四月も五月も、島はめっきり少なく用水に引かれて川は、どこもカラカラに干し上がっている。今日は、何十日ぶりの雨。だが、降水量は期待できそうに無い。

  我が家の農作業は、遅れています。3月から休み無しに、頑張っていますが、なかなか追いつきません。天候が良くなってきている分、成長も進むのかもしれません。

 

田植え

 予定より3日遅れて、18日に田植えが終わりました。それと言うのも、今年もイネミズゾウムシの大発生が予想されたので、遅らせて無農薬栽培の植付けをしました。あまり効果は期待できないのですが・・・

  機械は、旧式の4条植えの歩行型、もう10年以上使っている代物です。乗用式のなら、150〜300万円はします。

  我が家の最大の悩みのタネである。イネミズゾウムシの発生の状況である。一週間もすると、幼い苗に鈴なりに成虫が取り付きます。3mくらいの黒い虫が、不思議と等間隔に50匹近くも付くときがある。

こうなったら、たまらない。3日くらいで苗の姿は消えて無くなってしまう。アメリカ産は害虫でも、すごいものだ。

 

柿園では

4月には、裸木であった柿は、今では雑草も含めてにぎやかになりました。雑草も生えない畑では、いけませんが、性の悪い雑草がはびこると全く世話がやけます。

 春先の雑草は、一般にしぶとく、そこでトラクターで耕しておくのですが、田植えを済ませて行ってみると、もう一尺以上もの雑草が生えているのです。

  樹上では、新しい芽が成長して、もう10〜20センチもの新しい枝になっていて、節ぶしから葉が付いていて、その葉のわきに一つずつ、実になる蕾があります。

 この着蕾数で、作柄の予想を立てるのですが、今年は平年作になりそうです。 昨年は、大豊作だったので、今年は不作になるのではないか― と考えられていました。

  この蕾は、一枚に3〜8個くらい付いているのですが、1〜2個まで取って減らすのです。これが敵蕾作業です。早い程良いわけですが、我が家はいつも遅れ気味、収穫直前まで続けられます。(そのころは摘果作業と言いますが・・・)

 

畑では

 自給8割を目指す我が家では、畑作業も忙しいわけですが、これも今ひとつ。
・ジャガイモは今年は少な目 「きたあかり」に加えて「レッド」も
・エンドウは、近年になく豊作。エンドウご飯を考えている。
・無農薬の梅はいかが? すこしはお分けできそう。
・ハウスでは、野菜を。かなりの種を蒔きました。
・カボチャは、毎年好評なのですが、今年はよくできるかどうか?
・食用のひまわりも作るつもりです。ゴマも黒白を。

 

5月で、園主も還暦になりました。

先日、中学校時代の同級会・還暦仲間35人が集まりました。
諸兄は、定年を迎えて、一区切りという印象でしたが、私は現役ー 未だこの道を究めていない状況では『一区切り』と言うわけには行かない。 と言う自覚がありました。

 


 NO.77(H11.4)

春の日の過ぎて行くのが早い。

もう、4月も終わりです。後一ヶ月休み無しの農家の春です。

島の桜は、10日ごろから咲き始め、18日ごろが満開。平年並みでした。我が家でも、今年しだれ桜を一本植え加えました。おま、山桜がポチポチ遠望できます。梅もそうですが、葉よりも先に花を咲かせる桜の特性はすごいものですね。不思議です。

 極まれにうぐいすの声、そして数日前、蛙の一声を聞きました。白菜の花に小蟻が群がっています。4月はの後半は晴天に恵まれました。孫たちも、保育園に通い、帰ってくると畑で遊び、ブヨに刺されてかゆがって騒ぎます。

 

免疫力とアレルギー

 免疫力が弱いと人は病気(抗原)に負けてしまいますが、ほどほどに免疫力はあっても、病気にかかってしまう事もあります。それが、アレルギー性の病気だったりします。

 

 アレルギー性の病気(アトピー・花粉症・喘息・鼻炎など)は、免疫力の反応が強すぎて、乱れることから起こるもの。免疫力を高く安定的に整えることが大事です。

 アレルギー性の病気にかかった人は、食べ物に対する拒否反応が次第に強くなって、食べるものが無くなってしまうと言い、我が家に、黒米や赤米などの古代米を求めてくる方があります。古代米だけでなく、総合的に生活習慣全般から正してゆくことが指摘されています。

 

 原因の最大要因は、食事の欧米化ではないか、と言われています。タンパク質を過剰に摂取していると、ポリペプチドという物質を腸管内に溜め込むことになり、血液中に吸収されます。これは異種タンパクなので、免疫力がかいしょうするために費やされるわけです。心当たりはありませんか?

 肉食の摂り過ぎをやめて、魚や大豆を中心の和食をすると、ポリペプチドを体内で作られなくなります。この根本を正さないで、古代米をいくら食べてもなかなかアレルギー症状は改善されません。

 

 自然治癒力を増しあらゆる病気を防ぐためには、毎日約50種類の必須栄養要素(そのうちビタミンやミネラルは約40種)が必要とか。これらは、緑黄色野菜・根菜類・魚介類に多く含まれています。

 

 子供などに多いアトピー性皮膚炎の人は、その人の皮膚に免疫力が弱いこともわかってきました。調べて見ると、分泌型免疫グロブリンAと言う物質が少なく、皮膚の表面に細菌が住みつき、皮膚が本来持っている保護機能を破壊してしまうのです。

 現在では、皮膚表面のグロブリンAを増やすことは困難でなので、風呂上りに保湿作用のあるワセリンやオリーブ油・クリームやローションを塗るように言われています。

 

マイナスイオン説?

 食生態学の菅原先生によると、アトピー患者の皮膚表面はマイナスイオンが少ない、言います。(これは前の号で書きました) 身体全体が酸化しているため、と思われますので、肉食など食生活に悪い習慣がありそうですね。

そして、マイナスイオンを吹き付けてやると、アトピーのかゆみは消えてなくなる、と。

 

マイナス波動説?

波動学の江本先生によれば、アトピーの原因は、公害による重金属波動との共鳴関係だと言います。波動のことは前76号に書きましたが、家畜の肉類は、マイナス波動(飼育中のストレスや死に際のマイナス波動など)が入っている可能性があり、肉食過剰の人はアレルギー反応を起こしやすい=と、共通性が見られます。

 家畜をと殺するとき、瞬時に強烈なストレスを与えるらしい。農家の話によると、と殺に失敗した動物の肉は、ボロボロになってしまい食べられないそうです。その意味でも大動物の肉は、人にマイナスの波動を与えてしまう様です。

 肉の代わりに魚を増やす様にして、特に感謝をして食べることが大事だとの事。マイナス波動を中和する最高のプラス波動は『感謝の心』だ、と先生は言っています。

 


NO.76(H11.3)

 3月22日、暴風雪警報。

背後の山はもちろん庭までうっすら雪が積もった。おととい種籾を熱湯消毒して浸水した所(農薬は使わない・普通は農薬消毒)、今年も不順な天候かな!! 中旬に寒さがあり、梅の花もやっと咲いたばかりの島です。

 柿の剪定作業は、まだ小一週間残っています。カイガラムシが昨年大発生したためその消毒を優先しました。マシン老いると言う油で、虫を窒息させるものです。この虫のために出荷販売できなかった柿が1トン以上、樹体を枯死させる直前というのもあります。

 

 この所、『免疫力』についての話題が多い。最近、このことについての研究が進んでいるらしい。前号で派、免疫力のある食べ物について書いたので、人の身体の側の『免疫力』について、私なりにまとめて見ると。

 

 免疫力を高める生活習慣を!

『免疫系』は、神経系や内分泌系に比べて新しい研究分野であって、自己防御機能=自然治癒力のことです。生物には本来この機能が備わっていたのですが、特に戦後の、いわゆる現代医学によって、否定され忘れ去られようとしているわけです。いま、話題になっているのは、この本来の機能を日常の中で、取り戻すにはどうしたら良いか?−と言う話なのだ。そのために、最低限の基礎知識が必要である。

 自分の体内に異物(抗源)が入ってくると血液中の白血球がそれを取りこんで戦う―とは子供のころに学んだが、詳しくは白血球の中のリンパ球に対抗する物質(抗体)を作る。

一度出来た抗体は記憶され、再度進入してきた時はすばやく排除しようとする。これを一般に「免疫ができた」と言う。どういう動物にも、赤血球はなくとも白血球は備わっている。大事な白血球だが、そのうちでもその構成バランスが大事なのだ。

 三者三様の働きをするわけだが、中でもリンパ球は、安定して生産されていなければならない。20才を頂点に(女性は25才)リンパ球は生産されるがそれを過ぎると減り、逆に顆粒球が少しずつ増えるようになっている。この微妙な変化は、自律神経に白血球が支配されているためなのです。自律神経が失調すると、下記の成人男女の一定バランスを崩してしまうわけです。〔女性にリンパ球が多いのは、妊娠・出産のためで、長生きもする。〕  

      男    女
 リンパ球    35%    40%
 顆粒球    60%    55%
 大食細胞    5%    5%
 


 

 免疫の仕組みは、ちょっとした心の変化やその日の体調・また性格や体質などによっても微妙に、また著しく変動します。したがって、毎日の生活習慣の点検が必要なようです。

一般に言われている悪い生活習慣(運動不足・ストレス・暴飲暴食・過労・不眠・便秘・肉食などなど)は、免疫細胞のアンバランスを誘発することがわかります。

 悪い生活習慣は、リンパ球を減らし顆粒球を増やして免疫力を低下させることになり、

No74.75で紹介したような活性酸素が暴れることになって、癌をはじめとする病気にかかるのです。

 つまり、活性酸素の生みの親が顆粒球であり、バランス内であれば活性酸素は細胞や病原菌を抑えてくれるのです。バランス以上の過剰になると、正常な細胞まで攻撃し、突然変異が起こりガン細胞が発生するわけです。

 活性酸素は、その名の通り、酸素を与えて細胞膜を酸化させるわけですがこのとき、ビタミンC・E、ベータカロチンなどの抗酸化物質としての食品が有効であることはNo74で書きました。

 

 人の消化管(食道から肛門まで)は、副交感神経に支配されていますが、そのために消化吸収に時間がかかる食べ物を取った時は、リンパ球は安定した働きをするそうです。

とりわけ、玄米が免疫力の点で優れているのがわかります。最近では、ガンなどの免疫療法の薬(BRM)に、玄米から作った粉末が使われ始め、成果をおさめているとの事です。

 

 顆粒球が増えすぎると、逆に病気になるのですが、リンパ球も過剰になると良くありません。運動嫌いで身体を動かさずにいたり、排気ガスを沢山吸ったりする生活をしていると副交感神経が刺激されてリンパ球が急激に増え、過剰反応を起こしてアレルギーの病気や関節リュウマチなどを引き起こす恐れがあります。  

 要するに、リンパ球と顆粒球のバランスが大事だと言うことです。(次号ではアレルギーについて)

 免疫力は、気持ちのあり方に敏感に反応すると言われます。そこで積極的に「笑い」の効果を研究した医師がいます。柴田病院(岡山)の伊丹先生です。

 笑いの前後のNK細胞の測定から、免疫力を高めることを実証したのです。笑顔を作るだけでも効果が確認できたと言います。

 

不思議な力ですね。

 


NO.75(H11.2)

皆さん、寒中お見舞いします。

島も雪は消えましたが、さすがに寒で、ゾクゾクするような日もあります。風邪は心配したほどではなく、我が家では孫が2〜3日、保育園を休んだ程度で治まっています。

 保護鳥トキのニュースで、佐渡が放映されました。この所佐渡観光が落ち込むばかりなので、トキにあやかって一儲けしたい人たちが騒いでいるようです。化石を思わせるようなあの鳥はきっと公害にも敏感なのに違いありません。

 国産のトキは最後の一羽きり。佐渡とて、もうすでにトキの住める環境ではなくなってきていることを知らなければ・・・ 中国産トキには申し訳がない、日本人・佐渡人の身勝手さ、ですね。

  埼玉のダイオキシン騒動―農家のそんがいは大きかったが、しかし時間の問題でいつかは起こり得たに違いない。ニュースの中で『産廃銀座』と言うのがあった。人口密集都市郡でのゴミは、海か山に捨てられるのだが、我が町のゴミ捨て場の比ではあるまい。見に行ってきた。

ダイオキシン騒動―公害元年

 谷ひとつを埋め尽くしたゴミの山は、もう満杯で次の谷を探しているのだと言う。壮大な眺めだった。まだ使える農機具と塩ビのパイプ、鉄くずを持ってきた。かなりの産廃もあった。埼玉では大半を焼いていたのだろう。産廃ではないが、皆さんに届けている米の箱や袋が、そちらでゴミになっているかと思うと胸が痛かった。どうしたら良いか?

 明日はわが身―放射能汚染の様にダイオキシン汚染も大気から大地から、農業をだめにし、人を犯し始めたことをこの騒動が教えている。一人一人が『良心』に基づいた生き方をしなければならない。

 

   黒米さすが

 前号で紹介した、我が家の米の免疫力測定の続きとして、無農薬の黒米 (古代米)と無農薬のコシヒカリ玄米を測定してもらった所、さすがに黒米は最高値を出しました。まとめて見ますと・・

  免疫力 ミネラル 周波数
無農薬コシ(玄米) 19 19 8.6
無農薬コシ(白米) 18 22 8.4
減農薬コシ(白米) 18 20 8.5
黒米 22 21 8.3

    免疫力とは・・・

免疫に対する抵抗力で、マックスという機械で測定する。数字が高いほど良く、病気になりにくい。

 

マイナスイオンをとり入れる!

 プラスイオンの中では、人は健康になれない。マイナスイオンをとり入れる暮らしをするには、どうしたらいいのか?

@ 早寝早起きを心がけ、休日は川や海のそば、緑の多い所でマイナスイオン   を吸収する。滝のそばがベスト

A 背筋を伸ばし姿勢を正しくして、深呼吸をいつも心がけて、腕立て伏せや腹   筋運動も行なう。

B 朝6次〜9時の間はマイナスイオンが沸いているので、朝窓をよく開ける。布   団もよく干す。

C 室内の湿度を50〜60%に保つ様に、加湿器や除湿機を上手に使う。そこに   外から風を入れると、室内にマイナスイオンが発生する。

D 電気製品は出来るだけ使わない暮らしをする。また。寝る時に は、すべてコ   ンセントからはずして寝るようにするとプラスイオンを減らせる。

E 炭入りの枕や炭シートを利用し、室内に炭を多めに置いておく。

F 室内に植物を絶やさない様にする。植物が枯れることはプラスイオンが多い   ことでもある。

G 化学繊維の下着は摩擦でプラスイオンが体に入ってしまうので、なるべく天   然繊維でゆったりとした下着を身につける。

H 煙草やアルコール、チョコレートやケーキなど甘いものは、なるべく控える。

I ジュース・コーラの代わりに牛乳・トマトジュース・にんじんジュースのペットボ   トル、もしくはお茶やウーロン茶を飲む。

J フライドチキンやフライドポテトなどの揚げ物は酸化しており、抗酸化酵素を   消耗してしまうので、食べないようにする。

K 残留農薬のない野菜や海藻、ドライフルーツ、ナッツ類、レバーなどビタミ   ン、ミネラルを摂り、抗酸化力をつける。

L 安易なストレス解消法は、多分に危険である。空気の良い場所での解消法   を心がける。酒は楽しく呑んだ所でやめる。

M 本物のイオン発生器を求めて、室内で利用する。

N 高架線直下では暮らさないこと。携帯電話は、痴呆症になる恐れがある。

O ほこりの多い所、雨が多い地方、車の交通量の多い所はマイナスイオンが   少ないので,そうした所を出来るだけ避けて,積極的にマイナスイオンを発生   させる工夫が大事である。

     〜等などです。 

 


NO.74(H11.1)

この正月中に、理学博士の川田薫先生(筑波研究コンツーシアム)から朗報が入りました。預けていた我が家のコシヒカリが分析の結果、免疫力の高い、食べ続けると病気にならない米である―と言うお話を貰い、この道およそ20年近く、ひとつの成果を得た思いがした。

米作りに今勲章が・・・

残留農薬もなく、ミネラルも多いとのこと。川田先生はミネラルの権威で、研究所で開発した「眞珠水」は有機農業の分野で成果を上げているようです。人間も稲も同じで、ミネラルが生育に重要な働きをしているようです。そして後述するように、ミネラルを含んだ米を食べると、活性酸素を撃退してくれるわけだ。

日本の生活環境は特に悪化しており、人の健康も危機的状況だといいます。(知人の話だと、最近東京で60歳前後の死亡が目立つ、とか―本当ですか?)このことは前号で西丸震哉氏の近著を例に取り上げたがこうした現象を『イオン』を通して証明する―極新しい学説がある。

マイナスイオンってなに

電気にプラスとマイナスがあるように、大気中にプラスイオンとマイナスイオンがあってほどよいバランス(中性)の中で地球上の生物、人間は、健康が保ててきたと言います。所が、今昔のデータから、この百年の間に完全にバランスは逆転してしまった―ことがわかった。悪い空気(プラスイオン)が増え、良いマイナスイオンが減ってしまったのだ。これが地球末期説の証明だ。

プラスイオンはなぜ増えるのか?それは近代文明による破壊から―産業廃棄物から始まってダイオキシン・農薬や添加物・酸性雨・放射線・紫外線そして電気製品から発せられる各種の電磁波まで―人間を取り巻く文明の利器から発せられるのです。

プラスイオンいっぱいのところに住んでいる人はどうなるか?プラスイオンが皮膚についても、呼吸して体内に入っても、体内のマイナス電子を一個奪ってしまい身体は抗酸化力をなくし、血液を酸性にして行きます。この酸性化がガンや成人病を、また自律神経の失調を引き起こすのです。

一方、マイナスイオンは、『元気イオン』または『生体イオン』とも言われ、自律神経を活性化させる力があります。つまり、プラスイオンに奪われたマイナスイオンを再び与えて(還元)安定させることになるのです。こうして二つのイオンは中性的安定を求めて、さまよい運動をして、物質を変化させて行くと言うわけです。

活性酸素を抑える

さて、前号で述べた活性酸素はプラスイオンを余分持っていて、身体の中で増築されると、マイナスイオンを強力に求めます。このとき、マイナスイオンを消耗して保持していないと大変なことになります。

老化や病気の元になる活性酸素を迎え撃つものに「抗酸化食品」と体内で作られる三つの「酵素」がありますが、前者にはマイナスイオンはが一個、後者には数個以上の沢山の数を持っているわけです。

二つが健全豊富であれば人は元気で生きられるのです。抗酸化食品と言えども、名前だけの野菜果物ではいけないのであって、酸化していないつまりマイナスイオンを必ず持ったものでないとだめなのです。また、酵素も40歳をすぎたころから合成能力が落ち、さらにたんぱく質やミネラルが不足するとできなくなるのです。また、マイナスイオンの少ない空気ばかりを吸っていれば活性化されません。

生活環境が悪ければ,悪いだけ良い空気を吸い,マイナスイオンを持った食べ物を食べ,ミネラルいっぱいの自然塩や海藻などの海のもの・豆類・乾物・味噌やチーズなどの発酵食品などを食べることです。

少なくとも、プラスイオンを発生させる農薬や化学肥料にまみれた野菜や米は良くない―と言うわけですが、抗酸化の野菜を作るにはどうしたら良いか?

それが電子農法!

イオン測定器を側においてまた、免疫測定器を傍らにおいて農業をしなければならないようです。

単に美味しいからそれで良い―というのではなく、真に価値のある食べ物作りが望まれる時代になったようです。今回の朗報に慢心することなく、更なる道に向かって追求していきたいと思います。

かねて、ナトリウム・カリウム比の問題からも「病気を治すコメだ」と、言われたのと重ねて、支援していただいた皆様への最初の恩返しができるかと喜んでいます。ありがとうございました。補足しますと、免疫力は減農薬のコメも無農薬と同じ18という数値でした。

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