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97 2000年12月号(H.12)
○・・・背後の山に三回ほど冠雪があり、どうやら根雪になりそう。そんなに寒くはないけれど、周期的な風雨の日が来て、海上も時化となり、例年にない欠航がある。月初めに、珍しくブリの大漁があった。
○・・・冬支度はだいたい終わりました。干し柿は例年よりよけいに作って、乾くのを待っています。柿に堆肥を配り、田んぼには米ぬかとぼかしを撒いて、水を張っています。四号舎も下見を打ち付け、柿の苗木も補植しました。
ただ今、餅を毎日一臼ずつついています。古代米の袋詰め、大豆などの選別、それから選定作業はこれからです。日本・中国・韓国合同の、有機農業稲作研究会が米沢に開かれ、出席してきた。内外の研究機関の技術者と農家150人ばかり、熱心は報告と討議があり、たまたま保護鳥の朱鷺の養殖・野生化を巡り、 会場の関心を買い、佐渡の有機農業の現状を問われた。
日本の有機市場をねらう!
私の関心は、韓国の有機農業の広まり方。まだ化学汚染の少ない中国、趙漢珪氏が指導する韓国が、それぞれどのような状況にあるか?気になっていた。
報告によれば、日本の有機農業は、いまだに民間(農家)主導で薦められているのに対し、両国では、政府・農協の支援・補助によって行われている模様。モデル地区を選定し、集中的な助成政策を採っており、毎年3億以上の取り組み・成長を示している。並のやり方ではない。都市部の購買力も付いたとはいえ、有機産物は、まだまだ国内用とは言いにくい。特に中国では。両国は、これから自動車などの輸入需要があり、見返りに外貨稼ぎが必要となり、農産物の中でも、単価の高い有機農産物の輸出を考えている。そのターゲットは日本の市場。そのための『ガイドライン』もちゃんと出来上がっている。
夜の部の情報では、すでに日本の商社が買い入れと指導に熱心だという。かなり重要で深刻な状況である。日本の有機農業は、まだ10%前後だという。ガイドライン問題で足踏みとも言われている。このときに、輸入攻勢ではどうなるか?単なる産物攻勢ではない。有機農業の振興は、環境保全運動なのである。韓国では、「親環境」政策、中国では「緑色食品」政策と呼んでいるが、両国とも国土保全を政府自自らが認識しているのであり、一大産業を目指しているのである。
いまだに、民間運動に過ぎない日本側の研究者から、日程の後半になって用意されたアピール提案がなされた。「環境の時給」〔宇根豊ー福岡〕と「朱鷺の野生復帰」(佐藤準ー新潟)の二つ。特に宇根氏は「オタマジャクシや赤とんぼも、もう一つの産物だ!」と訴えた。これまで有機農業の評価の一つにも二つにもコメという産物そのものに限られていた。また、朱鷺問題も環境保全のバロメーターとしての扱いは、ほとんどなかった。
会場から盛んな反応があった。支援があった。しかし、この声が日本の政府指導者の耳に達するのは何時のことだろうか?輸入攻勢に間に合うのだろうか?赤とんぼは毎年育つのだろうか?
新潟でビジョン
米沢から帰って程なくして、新潟県がこれから10年間の農業政策を発表した。それがなんと、「環境保全型農業ビジョン」なのだそうだ。新潟はコシヒカリに安住して、有機農業運動は遅れに遅れていた。珍しいこともあったものだ、と出先の職員に
聞いてみると「中身は何にも決まっていない」のだそうだ。
害虫退治に農薬200リッターのドラム缶で1200本の原液を空中散布する新潟県です。このビジョンの元で半分でも3分の一でも減らすことが出来れば・・・・・・・・と願うものです。ダム裁判その無利益な実態。
前号のダム問題についてご意見が寄せられました。特にダムの寿命については一様に驚きがあったようです。(反対に原発の寿命もあったんですな、私も気がつかなかった)
私たちのダム裁判の争点は3つ。
一つは、公明正大に同意を取り付けたかどうか?二つ目は、ダムの必要性、そして最後は効果です。川辺川ダム(熊本)のように、ろくに同意を取らずに着工することもあるらしく、脅迫ごまかしはざら、印鑑の偽造さえあるのですが、その同意書の公開は、一度も行われていず。その判例も捕れていない。非情報公開ブリです。この世の中にこんな事があってもよいものでしょうか?
ダムの必要性は、いつもすれ違い論議にあります。20年一回の降雨、洪水(川辺川ダムの場合は百年に一回)のために押し切られるのです。ここで、もっとも力説して報告したいことは、「裁判は計画時のデータで判断される」と言う点です。私たちの判決は、計画年次から9年経っていました。農場事情も物価も大きな変化があり、経済効果に大いに疑問、いや効果はマイナスという状況下にあったのです。私たちの事業の経済効果は、わずかに1.005に過ぎなかったのです。ダムの効率は経費の2倍から3倍でないと行けないと専門家はいうのに、まったく、すれすれの効果。わずかの物価上昇で逆転してしまう。また、計画年次(平成2年)よりも減反政策が強化され、その分だけダムの必要性は薄れていても、あくまでも『計画は正しい』と言う判決が出てくるーこれがダム裁判の実態なのです。
無益な裁判のために私たちは、弁護士費用300万、7年間の27回の公判、原告9人分の日当、交通費は必要でした。それでも、農民として、抵抗しておきたかったのです。私個人は佐渡の自然に傷を付けたくなかったのです。
今では、一つのダムが着工され、佐渡中心部の田んぼは、強制排水による乾田化事業が続けられています。朱鷺をはじめとする野鳥のためには冬でも水をたたえる水田が必要とされているのに、それとは逆行する田んぼ作りが実際に薦められているんです。(ちなみに我が家の田んぼの大半は水を蓄えています。)
ここから、どうして環境保全型で、朱鷺の野生化の農業を薦めるのだろうか?
古代米
古代米のご注文は増えています。健康づくりに役立つから、らしい。今年の収量は黒米35kg赤米15kg青米8kg香り米10kgです。来年はもっとたくさん作ろうと思います。植物ホルモン
我が家の柿栽培で、『植物ホルモン使用』とチラシしたところ、二名の方からご注意を受けました。正確には、植物の生長点を黒砂糖で発酵させた『天恵緑汁』だったのです。けっして悪いものではありません。温熱療法
身近の方にガンや難病に苦しんでいる方おられますか?今、注目の療法です。紹介します。
手術や薬をやめてこの方法で病気を治してみてください、と体験者の弁。△宇宙飛行士の秋山さんの講演を米沢で聴いた。「どんなすばらしいという化学の技術も私は信じない。自分と家族のための農業以外は・・」と言うものだった。公演中いっぺんの微笑みもなかった。
△皆さま一年間いろいろありがとうございました。毎月毎月私たち家族の健康を気遣い声援を送っていただきました。ニュースもエールを届けて頂きました。多少遅れはあっても、欠かさず発行し届けられました。2月号は百号となります。
記念号を皆さまと一緒に作れるといいなあって思っています。
96 2000年11月号(H.12)
○・・・寒くなりましたね。やっぱり冬はやって来るんだという感じ。なぜか今年は紅葉がすばらしい。風が少なかったせいかな!
○・・・柿が平年より少なく、昨年より10日も近く、切りあがりました。皆さんからもご注文沢山頂いてありがとうございました。1日も早くお届けしたいと、9月10日頃から1ヶ月間、1日10〜12時間労働、休みなしで頑張りました。割合い温かで大助かりでした。家族全員元気ですので、ご安心下さい。ご声援ありがとうございます。
○・・・いまは、干し柿づくりと豆類の収穫、古代米のかたづけ、田んぼにボカシ肥料の散布などをしております。それが終わると、もち作りになります。今年は3年目、もっと上手になりたいと思っています。
長野県知事選
[公共事業を見直す」と公約した長野県知事が誕生して、早くも松本市の大仏ダムの中止を発表している。内部でもそれ相当のもめごともあるだろうけれども、いさぎよい政策の断行であり、私は長野県民の良識をたたえたいと
思う。
重大な政策の転換は、過去と利権のしがらみの中にある”政治家”ではなく、田中知事のような良識のある自由人でなければ出来ないのではないかと思えてきた。
今、佐渡でもダム建設をめぐって大ゆれにゆれているので、今回、まとめて考えてみることにする。
佐渡の場合、裁判にまで訴える住民はいまい-という見かぎった判断で始まったものの、反対訴訟や用地での大地すべり事故があって、10年目にして、振り出しにもどるという状況になっている。
特集 生態系を狂わすダム建設
利水(水利用)ダムを三つも作ろう、とする佐渡の国営事業は、大幅な計画変更にせまられている。ひょっとすると米余りの情況下で、中止に追い込まれるかも。すでに着工中の一つのダムと排水事業は県営に格下げにならざる
を得ないが、財政的に苦しい県も大弱り。計画変更には受益農家の同意を2/3が必要になるが、国営にとどめるために、同意の偽造がありうると、ささやかれてもいる。重大な局面にきている。
私の部落は、水元でもあり、もともと水不足はなく、関心が薄かったのだが、時の為政者の悪意にとり込まれ、以来7年にわたって苦闘が続いた。事業から逃れるためには、事業を中止して貰わねばならないとわかって、行政
訴訟へと発展、建設予定地の2地区の代表者らと計画の不当性や不正を訴えることになり、私も原告に加わったのだ。私自身は、むしろ自然のサイクルを狂わす巨大プロジェクトの阻止を考えていたが、現在では、まだ一般への
説得力に欠けていたため、争点にはなり得なかった。
国営事業ともなると、何千人、何万人という受益農家があり、その2/3の同意がなければ実施できないが、その同意取得は、きわめてズサンに行われ、むずかしいとなれば偽造さえある。虚偽の説明、脅迫はざらにある。そ
の不正を指摘して、同意書の公開を訴えても、いまだかつて公開されたためしがない。公開を認める判例がないのだ。
つまり、事業計画が農林省が認可したが最後、くつがえすことが出来ない。行政訴訟も常に国側勝訴の構図になっているのだ。案の定、私たちの訴えも却下された。
いま80ヶ所で
私が調べたところでは、全国で、右のような手口で90年代に、ダム建設が行われているのは、丁度80カ所ある。もっとあるのかも知れない。いま佐渡で着工中のダムが入っていないから。今年の8月に、政府側から中止勧告
のあったダムが35ヶ所だが、ここに松本の大仏ダムも入っている。
しかし、勧告に対して、地元から反発、知事を先頭に実施に向けて巻き直しに出た県が多い中(新潟県など)で、長野県民が田中知事を選んだことが注目される。
佐渡の場合もそうだが、ダム建設は地元農家から要望して計画されたものではなく、地元代議士の私腹の都合と建設業界の要求からたきつけられたものが多い。大蔵省の許可をとれば、あとは命令一下、あらゆる行政手段を活
用して、引きずり込んでゆくのだ。国営事業では、その殆ど大半が国で金を出し、建設のための農家負担はない。だから「一銭もいらない」という説明に農家はだまされて、印をおす。だが、ダムが完成してからのち何十年か
(40〜50年間)維持していくには、何百人かの職員を雇い、管理して行かなくてはいけないのだ。その支払のつけは子供たちになる。だまされたことにあとで気がついても、どうしようもない。「だまされたほうが悪い」のだ。
支払能力は?
コメが余る時代だから、3割を超える減反が行われている。現状ですら農家の暮らしは楽ではない。減反が多いから用水もいらない。いらない水のために維持費を払うのはごめんだ−と賢い農家なら気がつくのだが・・・。で
も、いま農家には印を押す人はいても、将来、維持費を払う人はいないのだから、肩が軽い話だ。つまり、ダムの水は国に売り、町に売り、国民皆が支払うことになるのだ。そのほかに、前述のように、自然の生態系を狂わし
て、魚も獲れなくなるだろう。海の魚も川の魚も。予測はつかないが、ダム周辺河川のまわりで、さまざまな変化が起きるにちがいない。
私がもっと心配するのは、ダムの村に、廃墟が残ることだ。ダムの寿命は、40〜50年。そのあとは無能なコンクリートの固まり、土の固まりが残る。その時に金がなければ、つくろうことも崩すことも出来ない。老朽すれば、穴があき、決壊することにもなろう。それらのツケも子供たちにまわり、国民の負担になる。
まさに巨大!
佐渡に着工中のダムは、貯水量は400万トンで、ダムの高さは80メートル。
現場に行けば、気が遠くなるような深さと遠さに足腰がふるえる。幸い人家も少なく、棚田と原野だが、いま、話題になるようなダムは、まさにまさに巨大である。
例えば、熊本の川辺川ダムは、貯水量が1億3千万トン以上。かの五木村など2か村の平坦中心部400町歩が水没するそうだ。その経費は5千億円。計画から34年も経ってもまだ本体工事は着工できず、見直しもないとのことだ。おとろくじゃあありませんか?
私どもの体験から言って、現地の人々は、大変な苦労をしていると思われる。私どもの訴訟を7年間続けるために、9人中、一人は死亡、一人が廃人のようになった原告がいる。報道によれば、ここでも裁判は継続中で、原告
団長は「水はいらん。水は足りている」と言っている。つまり、地元農業のためではなく、建設業者はのためにダムが建設されようとしていると思われる。政治力と金の力に対抗して、農家がどれだけ頑張れるか、心配している。
目先の金儲けのために、150年に1回の洪水のために、水止めをするのではなく、その洪水を防ぐ植林などの手立てを考えたほうが安上がりで利があるのではないか−というのが、田中知事のしなやかな政策。良識かつ常識
ともなったソフトな政策を、実行しなければと思う。
訴訟中に、ダム予定地に大地すべり事故が起きた。ダムは造れるとされた地点にである。「調査は信頼できない」と私は弁論したが、無視された。あの地すべり事故が、天の裁きではなかったか・・・。
▼かたい話になってしまったが、一度は皆さんに話しておきたかった。書き始めてから、栃木県知事選で、やはりまた「公共事業を見直しする」と公約した知事が誕生した。中止勧告を受けたダムの完成を陳情した新潟県知事、
県民とはちがう。新潟は、まだ、どこかおかしい。
▼わが家の冬の産物案内をお届けします。ご支援いただければありがたいです。助言などもおねがいします。
▽来月は、コクゾウ虫に関するアンケートなどもおねがいしようかなと考えています。ご協力下さい。
皆さま、お風邪などひかれませんように。
95 2000年10月号(H.12)
○・・・秋も丁度中ば、寒くなりはじめました。冷え症の私は、少々不自由となりつつあります。そろそろ風呂に炭を入れようと思います。備長炭を入れますと、奇妙に良く効きますヨ。冷え症の方ためしてみて下さい。
○・・・それでも、日中の晴れ間は、とてもすがすがしく、マイナスイオンもいっぱいなのだと思います。雨のあと(相変わらず小雨ですが)柿がよみがえり、着色がかなり遅れました。無農薬や減農薬栽培を除けば。
○・・・秋はさすがにすばらしい季節。あの夏の暑さからは想像も出来ない。
特集 コクゾウ虫
コクゾウの生態を調べてみた。このところ騒ぎ出したのには理由があった。コクゾウの活動適温は27〜30°で、多いので年間5回も世代交替して繁殖活動を行うことがわかった。成虫の寿命も3〜5月で、世代が競合して繁殖活動をするため個体数が累増する。
成虫は、穀粒に穴をあけ、その中に卵を1個産みつけ、穴の口をゼラチン状のものでふさぐ。春3〜4月ごろ、外気温が15℃を越えるころである。その前は、成虫はコメ倉庫周辺のやや湿り気のある木材や石の下、コンクリート床の切り目などのすき間に潜伏している。
卵は4〜5日で孵化し、幼虫は内部からコメ粒などを食害しながら1〜3ミリまで成長し、それを食いつぶすとそのまま蛹化する。サナギを私はみたことがないが、皆さんも一様におどろかれるように、食害されてパチンとつぶれる空になったコメ粒はよく見る。よそから貰う餌用のクズ米に多い。
サナギは、5〜6日で羽化して成虫になり、穴をあけて米粒から脱出し、いきなり繁殖活動を始める。見たことはないが飛ぶ力もあるそうで行動範囲はかなり広いという。
仮にすぐ産卵を開始したとすると、半月間に、卵から成虫の次の産卵も可能だということになる。ころを等比級数的というそうだ。
従って、夏の終わり頃には、そっとしておけば、相当数のコクゾウを増やすことができるわけだ。
たかが一匹だけだからと安心してる間に、手遅れになってしまう。そう言えばネズミ算というふえ方もあったね。
コメ粒の中に育つのだから、食物に困らず、外的からも守られるため、成虫になれる確率が高く、確実にふえていくわけだ。
春から始まる
相手がコメの中にいるだけに、これを防除することは、なかなかむつかしい。忌避剤などで出て行って頂くのを待つしかない。
昔は、秋に1年分玄米にして(今でもそうだが)貯蔵したため、コクゾウには苦労したようで、クロールピクリンのガスで倉の中を消毒したが、今は有毒で禁止されている。
最近の暑さで、全国的に問題になってるようで、スーパーなどでも色々とコクゾウのグッズが売られている。忌避剤とか脱酸素剤とか。
前から話題になってる冷蔵庫は一番確実だが、たしかに無理がある。気温が20℃くらいで保管できれば良いのだが、都会ではむつかしい。25℃以上の夏日がふえて長期化すると、繁殖はとめられない。
スーパーにある忌避剤は、効果があるといわれているが安全性のことはわからない。米粒に直接ふれないものだから、かなり安全ではないか?
薬局に白元から売られている「米びつ用の虫よけ」(1回半年用で四百円)は、ワサビとカラシが原料だと書いてある。すでに虫がついている場合でも逃げ出すとも。どういう加工がしてあるのかわからないが、これだとニンニクやトウガラシの使い方で、効果が期待できるかもしれない。(大宮の加藤さんは、桐の米びつが効果的と知って、買いそなえたそうですし、横浜の大津さんは「米びつ先生」を使ってるそうです。その後の様子と安全性についてのお話を期待しています。)
もみ貯蔵ダメ?
しかし、以上は成虫がはい出した場合のことで、すでに米粒の中に産卵してある時はどうしようもない。多分に、わが家から発送の段階で侵入していることになる。これまで籾(もみ)貯蔵では大丈夫と考えていたが、今年、籾に成虫がいるのを発見してしまったのだ。
籾貯蔵の例は、少なくて、米屋さんでも「初めて聞いた」との話だった。籾すりや精米の段階で、虫は吸引されてしまうし、産卵粒は粉になってしまうのだが、玄米になったあと、納屋においてある段階に、成虫が2〜3日の間に、紙袋を破って侵入する危険度がかなり高い。
この辺の危険度は、今ひとつだが、籾貯蔵を4、5月で切り上げて、玄米にし冷蔵するのが一番ということになる。さらに、発送直前の管理がミソということにも。生態を知らなかったとは言え、わが家における管理責任も大きかった点をおわびしたい。
米を管理する食糧庁の指導によれば、春3〜4月頃、倉庫床面にu当りPGPという薬を3グラム撒き、倉庫のカベに虫除けのパナプレートを100立方メートル当りほんの2〜3枚吊るせば良い、とある。
味を保つための低温貯蔵がコクゾウ対策にもなるわけで、冷蔵化を考えるが、来夏、間に合わなかった場合、これらの忌避対策も考慮します。
不幸にして一匹が進入、混入して届いた場合のため、皆様におかれましては、安全な方法での対策を研究して下さい。トウガラシなら、提供いたします。ビニール袋で真空にする場合や、脱酸素剤を使う方には大きめですが袋をお届けします。
来夏も暑い夏になるでしょうか? コクゾウは、温暖化時代に人間を悩ます一つの現象になるのでしょうか? 積極的に殺虫が困難となると、絶対数はふえる一方−ということになります。
コメからコクゾウを避けるために電気を使う(現にそうなのだが)のではなく、やはり手近な忌避物がないものでしょうか? 昔の人は、どうしていたのであろうか?
究極の特選米
このところ、魚沼の米よりも美味い、頼りになる米だと評価してくれる方がふえました。もっとも魚沼米にもいろいろあるわけですが・・・。気をよくしたわけではないが、来年から心して、日本一の味じまんのコシヒカリ作りに挑戦したいという気になりました。良い材料をふんだんに使い、天日乾燥で作ったらどうなるか? エネルギーあり、ミネラルあり、抗酸化で甘
く、うまいコシヒカリ−地価にして10K一万円の値打ちのある究極のコメづくりを。
▼予想したとおり、柿に落葉病がまんえんしました。干害と着果過多による樹体の弱りからだろうと思われる。病果は選別しておりますが、味の良くないものが混入しているかもしれません。どうぞ、遠慮なく情報を下さい。
▼無農薬の柿づくりは、わが家の自慢で、生命線だったが、どうも今度こそ、きびしくなった。新しい園地が期待できるまで1〜2年の間、休止か、大小の混合でしのぐか、むつかしくなった。さらなる勉強が急がれる。
▽無農薬のコシヒカリに余裕がございます。年間契約の方を求めますのでご紹介下さい。先着申し込みで。不耕起栽培で面積がふえ、収量も落ちませんでした。減農薬米は余裕はございません。
94 2000年9月号(H.12)
○・・・9月24日。この秋2度目の雨天だが、殆ど小雨でたよりない。とにかく雨不足。おかげで稲刈りは順調。よく進んで、まわりは大方終了。わが家も今月中には終えられそう。昨年は10月10日までかかった。しかし、干害で不作。
○・・・大変なのは、柿の肥大と病気だ。干ばつで樹勢が弱り、病気に負けそう。雨は少なくとも雑草の成長ははげしく、そしてタネを急いで付けた。その草を刈り取ったあとは、急に伸びをやめて1年の終わりを感じさせる。
その雑草たちを刈りつづけたツミを思い乍ら。
18年目の秋
「百姓殺すに刃物はいらぬ・・・」干害が一番いい−と言われている。予報は的中して、全く照り通しだった。秋野茶の播種も10日以上遅れた。それでも、上旬の降雨で、生気を取りもどし、植物の強さをみた。不耕起のイネも小株だが、まずまずの実りをしてくれた。特に、地力(耕土が深い)のある田んぼは良くできて、統計事務所(農林省の分局)から収量調査を頼んできた。雑草も秋まで少なく、視察して帰った自然農業協会(横浜)がその機関紙に私を紹介してくれた。
わが家の無農薬の柿づくりは、いよいよ日本で唯一であることが分かってきた。毎年大なり小なり、トラブルはあるが、18年目の今年も無農薬の柿は実を取って、沖縄まで送り届けることができるだろう。
特集 お便りに応えて
□「風と土の詩」を拝読し、矢田さんの農業に対する考え、常に新しい試みに挑んでいられる姿が伝わって来ました。不耕起のイネはいまごろどんな様子でしょうか?市岡さんのお便りにまったく同感です。産直ならやっぱり認証制度はいらないですよね。生産者の手間、コストを考えれば、その分、身体を休ませたり、作物にかける時間を増やして貰ったほうがいいと思います。
東京・吉野さん
▽不耕起のイネは有望です。多分ね。30分ほどヒエ刈りをしただけで、除草はせずに終わりました。もともと、有機農業は顔が見える間柄で行うのが好ましいのだから、不特定多数に売る仕組みは無理があるのでは。生産者を思ってくださる考え方は、とてもとてもうれしいです。
□おかげ様で家族全員元気です。孫も矢田さんのお米のオカユを離乳食にして育っています。大きな胡瓜やナスにびっくりしました。ありがとうございました。
横浜・眞野さん
▽離乳食のオカユとは、うれしいですね。品種にもよりますが、取り遅れるとすぐ大きくなってしまいます。これが好きという人もいます。
□お忙しい中、本当にお便り情熱的に書いて下さっていて、私だけでなく皆様も楽しみにしていることと思います。毎年収穫し終わらないと結果がわからない農業ってすごく大変ですよね。途中まで良くても天候や害虫などに、最後までハラハラ・・・頑張って下さい。
東京・工藤さん
▽皆さんから期待されると、一生懸命になります。でも時間がなくて、一夜づけになってしまいます。申しわけありません。内容の重い紙面を狙っていますが、畑だより、田んぼ便りになってしまって・・・
□美味しいお米ありがとうございます。おかげ様で、今年の猛暑も何とか乗り切れそうです。ベランダのハーブの虫退治だけでもため息が出てしまいます。これが田や畑になったら、本当に大変なのだろうと思っております。まだ暑い日が続きますがお体大切に頑張ってください。
東京・三好さん
▽虫と共存しなきゃならないのでしょう、ほんとは。でも、彼らは、徹底的に食害して来るのです。特に柿の害虫は、ひどいです。だから一過性のものが多い。一年は、がまんしなきゃ。
イネのイネミズゾウ虫は、幼い苗を食害するから、たまらない。
93 2000年8月号(H.12)
○・・・残暑きびしい下旬、皆さまにはお変わりございませんか? 私共は元気ですが、暑さで仕事の量はかなり落ちています。めし前に2時間、午前中3時間、午後は3時間の実働です。
○・・・寝苦しい熱帯夜が3〜4回、家の中でも30℃を越える日が3日あって、いよいよわが家でもクーラーを導入しなければならぬかなと思うほど−。雨はまったく降っていません。畑はカラカラで土けむりがたつほどになりました。
干害
予報に反して、この秋も小雨だとのこと(最近の予報)。農家はみな。排水対策を一生けんめいしていたところでした。お盆のあとの
残暑がひどく、2〜3日で、あっという間に田んぼに大ヒビが入ってしまいました。こうなると、潅水しても追いつかず、焼け石に水です。一転して、干害が心配になってきました。
ことに、わが家は実りが遅めですので、この時期の潅水不能は痛手です。例えば古代コメの黒米や赤米、青米などはまだ穂も出ていない、といった具合に。
平均寿命順位 都市は急落
「医療機関が整備されている都市部の住民は長生きする」という「常識」を覆す研究結果がまとまった。1980年まで平均寿命全国一位だった東京都が、95年には男性が20位、女性が33位にまで下がるなど大都市圏の順位が低下した。一方で長野県など地方の順位が上昇し、その差は広がる傾向にある。研究者らは、きれいな水や空気、ストレスの強弱、生活習慣などが
影響していると推測している。
都道府県別平均寿命順位
(1965年→1995年)
●男性(低下)
東 京 1位→20位
京 都 2位→10位
神奈川 3位→ 6位
愛 知 4位→21位
大 阪 12位→45位
右の報道をご覧になりましたか? 心配していた現象が具体的に現れた例で~~上?はないでしょうか? 汚染国日本の将来を予測するに足る研究結果では?人間の健康・寿命が医学だけでは支え切れなくなった−ことを意味するのではないか? 環境のすぐれない所に住んでいる場合、唯一の活路は食べ物(水)。わが家では、富山から自然水を取り寄せたりもしている。注目の記事
だし、おそろしい記事でもある。
お便りから
▽安心して食べられるものは信頼できる所からのものが一番ですね。先月の有機栽培の記事を読んでいろいろ考えさせられました。今スーパーなどでも有機とか減農薬の表示がありますが、どこまで信じていいのか、分かりません。これから忙しい時期を迎えられることと思いますが、頑張ってください。
東京・土屋さん
・近くの農家か、有名産地の知り合いの農家(口コミなどで)の産物なら大丈夫。時々顔が見える農家なら申し分ない。表示義務を逆用して、スーパーなどは設けることを考えていると思います。
▽矢田さんのお米は決して高くないと思います。あれだけ美味しいお餅であれば、お米の美味しさは想像がつきます。名古屋にいる息子にはぜひ送ってやってください。私にチラシを10枚ほど送っておいてください。私は近くの農家のものを買って今すが、東京などの心当たりの知人にあたってみます。無農薬のコメ作りは大変ですもの。米作り、少しかじりましたけど、身
を削る苦労だと思いました。お尋ねですので申しますと、クレヨンハウス(落合恵子オーナー)5キロ玄米で4800円・MOR(救世教)30キロで2万5千円だそうです。
静岡・市岡さん
・小売店では結構高いでしょうね。直売ルートの相場はどうでしょうか? 味にも寄りますが。
▽じゃがいも届きました。私の好みでは「北あかり」がとても甘味があり、火の通りも早く、バターをつけて美味しく頂けました。南瓜、スイカが美味しい、とのことでしたが、案内のパンフありますか?
東京・宮坂さん
・あいにく。かぼちゃなら沢山あります。北あかり、トヨシロは品不足、男しゃくなら。スイカは大人気ですが・・・
***
8月初旬、実りと食味を良くするための施肥をしています。カルシュームは貝化石の製品、リン酸は骨粉です。背後の主峰は、金比山(1071m)。わが家は、左端の切れたあたりの高台にあります。
◎・・・7月号を読ませて頂きました。お米も柿も順調とのこと、ご苦労が報われ、うれしく思います。このまま順調に育って欲しいと神頼み(?)するのみです。
コクゾウ虫ですが、広げておくと勝手に出ていってくれるのですか。都会では広げる場所がないのです。ベランダに干すと虫が部屋に入ってきてしまうし。結局追いかけながら何とかするのですが、保管に適する所もなく、食べきるまで何回となく(追い出しを)繰り返すことになります。農家の方は、場所は広くても、管理するのが大変なのでしょうね。ネズミもいるでしょう
し・・・
東京 加藤木さん
◎コクゾウ虫で皆さんがこんなにご苦労されているとは、思いませんでした。さにあらん−と思います。うっかりしていました。(大宮の加藤さんからも同じような悩みありました)お送りした玄米の中に何匹かの虫が入っていたのでしょう。発送前に、精米機をオープンにして、虫を吸引(除去)してみます。精米する方は除去できるのではないかと思いますが、玄米食の方は、とぐ時に浮かせて除いて下さい。問題は保管ですね。すごい繁殖力ですので。冷蔵庫、クーラーボックス−など低音管理が食味も落ちなくて良いの
ですが(小袋詰めにして)・・・
矢田農園より
▽先月も沢山の方から、短い励ましのお便りを頂きました。ほんの1行でも、うれしいのです。何も書いてないと、「怒っているのかな!」「何か不満があるのかな!」とか、私も不安になってきます。コクゾウ虫のようにお
困りのことを知らせて下さると、それなりに対策が立てられます。どうぞ、遠慮なく、何でもお知らせ下さい。
お便り、本当にありがとうございました。これを励みに、この秋も頑張ります。早生は9月10日、コシヒカリは17、8日ごろから稲刈りになると思います。
園主
92 2000年7月号(H.12)
◎・・・皆さま、暑中お見舞い申し上げます。島の最高気温は31℃でした。熱帯夜もいまのところ一夜もありませんが(平年ですと一夏に3〜4日)、東京などは相当に暑い由、お変わりございませんか? どうぞ、お気をつけくださいませ。
◎・・・島は意外と気温は高くはありませんが、雨天少なく、平均してあたたかくて、イネの出穂が3〜5日くらい早くなりそうで、いきおい、仕事が早まり、忙しい夏です。
7月のイネは、田植から70日たって、栄養成長から生殖成長に移りはじめ、草丈も茎数もはげしく伸び、ふえています。出穂予定より20日前にせまり、穂になる芽が出来ています。1週間もすると、茎の根元部分が丸くふくらんで来ます。この時期一般栽培では、チッソとカリの肥料を施しますが、栄養周期農法を行っているわが家は、リン酸とカルシュームを主体に施し、生殖成長を
助けます。
一方、柿は、ツボミがついてから60日目、少しづつ大きくなり、7/20現在、直径4センチ近い実となっています。果実の肥大は、これからゆるやかな加速で進んでいきます。今後の肥料は、一般栽培ではカリだけですが、わが家では、同じくリン酸とカルシュームを主体に、来年のために(着果をよくするため)堆肥も併用します。
イネ品質不良、柿着果不良、一般栽培
近年、新潟のコシヒカリは、コメ粒が白くにごる(=乳白米)不良米が多く評判を悪くしています。まだ、気温の高い初秋に実ってしまうせいで、田植時期を遅くするよう指導されています。
わが家は、まわりが植え終わったあとに植えはじめ、初期成育主義のまわりに対し、初期成育をゆっくりさせる方法で、しかも実り重点主義をしますので、乳白米が少なく、コロコロした米粒ができます。しかし、残念ながら、大半が除草剤を使用しない作り方なため、茎数が確保できず、収穫は、大幅に落ちてしまいます。
今年の新潟の柿は、着果不足に加えて、少雨なのに生理落果も多くて、かなりの不作になるもようです。
これに対し、わが家の柿は、バラつき(園によって)はありますが、全体的に着果は良好です。とりわけ、低農薬の柿は、とてもよく着果していて、肥大も悪くありません。無農薬の柿も、心配していましたが、かなりの収穫が見込めます。ただ、昨年のような原因不明の軟化がなければ、また、台風の被害がなければ、です。
8月からは、マイナス要因が次々とふえてきます。病気・・・害虫・・・。そして、9月は、イネの登熟、柿の糖度共に、強い影響を受ける月です。雨が多いそうで(予報)とても心配しています。周りの農家も、田んぼの排水対策に頭を痛めているようです。神頼みしない私も、秋空は気になります。
皆さんからのお便り
私のストレス解消法でした!
▼忘れていました。私のストレスは、皆さんからのお便り、お電話、メールなどで、いやされることも多いのでした。このことを気付かせて呉れるように、前号のあとの、皆さんからのお便りがいっぱい。殆どの方が通信欄に書いてくれてありました。仕事の苦労、心配からの疲れもふっとんでしまいます。
▼びっしり書いてくれた東京の吉田さんは「不在がちでお米が受けとれず、入金が遅くなりすみませんでした。『風と土の詩』楽しみに読んでます。前号の田んぼの写真はとてもきれいな緑色ですね。見ているだけでなごみました。さて、以前、ゾウ虫の退治方法を知らなかった時、ゾウ虫パラダイスになってしまい、何度も研いだのですが、ほんのりカビ臭さが残って困りました
(勿論食べました)。この場合、精米機を使えばよいのでしょうか?」と。
▼精米機で精米すれば、虫も匂いもかなり取れますヨ。精白度にもよりますが・・・。お便り、ありがとうございました。
どっちを作ってる?
イネ or コナギ
・これはイネの株間にびっしり生えた雑草・コナギ。
・3回もキカイ除草したのに、かまわず空間をうめつくしてしまった。不耕起栽培ではない、従来の方法。
・イネミズゾウ虫の被害を受けたため雑草に負けてしまった。こんな田が約3反歩、この調子では、収量は反当り5俵半
・茎は切れ易く、残った株から、またまた増殖してしまう。農家泣かせの雑草のひとつだ。
△新潟へ来られた徳永教授(大阪経済大)の話を聴いた。江戸農書の最後の研究者。農業についても、古い時代には、すぐれた先人がやはりいたようだ。安藤昌益の話も出たりして、久しぶりにうまい酒を呑んだ。
△山形で不耕起栽培をしている門脇さんの話をマタ聴きした。『不耕起栽培のコメの食味は断然よかった!』わが家の不耕起栽培は、その後もまあまあ順調です。ご期待下さい。
△近く、横浜の小島さんが渋柿を取りに来られます。柿渋で染物をするそうです。
△本日(25日)うすすり、一日遅れで明日発送致します。暑くて仕事が出来ませんでした。本日は雨。モミにもコクゾウ虫が付着。十分ご注意下さいますように。
91 2000年6月号(H.12)
○・・・近年、島は梅雨らしさがない。5月から殆ど雨は降ってない。空梅雨だとイネにドロオイムシがつかなくて助かるが、やはり、ほどほどに降って貰いたい。作物になんとなく生気が感じられない。
○・・・こんな天候と株の弱りから、今年の柿の葉茶は品不足になりそう。有機肥料はどうしても栄養不足になります。それに無農薬による発病によって、栄養の貯えが不足、柿茶用の葉が穫れないのです。ひところの半分といったところ。
注目と期待の不耕起栽培は、相当に良い調子で進んでいます。田植えから40日、殆ど雑草が発生していません。春取り残したイグサと手ごわい雑草のクログワイを除けば。
稲の生育も一部を除けば良好です(有機肥料が少なくとも)。同じ量なのに、米ぬかなどの発酵の害で、障害が出たところがあります。光合成細菌を使ってもガス害から、現在のところ立ち直れません。耕すことは、かくも悪影響があるとは驚きです。
手間がかからない方法だと、いま村の中では評判、来年はマネをしたい、という人が出ています。
一方、同じ資材を使いながら、猛烈に雑草が発生した田んぼがあります。草の量は、これまで20年近くで一番多いほど。コナギの幼い芽がびっしり生えた様子に圧倒され、ギリギリのところで、減農薬栽培に切り替え、除草剤を散布した田んぼが4反歩。覚悟を決めて、無農薬栽培として、これから草刈りに頑張る田んぼが2反歩。
有機酸による柳草(除草)の効果は、今年は一挙に地に落ち、当惑もしているところ。
これは、浅く耕す半耕起栽培でも同じ結果で(一部に効果あり、とされている)、失敗だった。
今年も泣いたのは、イネミズゾウムシの害。
いまだに後遺症が続いていて、生育が思わしくありません。葉をかじり、いまはその幼虫が根を加害しているから。
はじめ、食用油の廃油をアゼ際から流してまわったら、黒くなって死んだ−と思われたのだが、その効果は長くは続かなかった。
出没頭数は少なかったものの被害は大きく、食用油による苗枯れとあわせ2〜3面もアゼ際の苗を植え替えた。最後の苗がまだ根付いていない。
わずか2ミリの虫だ。幼い苗を食害する。このときの気持ちはたまらない。この虫と雑草の多さから1反歩ほど低農薬栽培に切り替えた田んぼが1.5反ほどある。
誕生
ヤゴが羽化して、トンボが生まれました。早朝の稲の葉に、きらめく羽根があちこちでゆれます。
株元の丸いものは、巻貝。おびただしい貝が発生しました。これらの命は、これまで何処に待機していたのでしょう。
ストレス解消
◎ お忙しい時期に入って毎日大変ですね。矢田さんは、いつもどうやってストレスを解消しているのでしょうか? 息子さんはパソコンがストレス解消? 汗をかくのと息をはずませるのが一番いいそうですが、私はお酒かな!?
中野区・Kさん
ストレスは病気のもとだそうですから、早めに解消するのがいいらしい。若い頃は、問題をすぐに解決するようにしていたが、年取ってからは、よくしたもので、すぐに忘れてしまう。それに諦めるのも早い。若い時ほど外聞も気にしない。
積極的解決が困難なる、身近な人間(夫婦や家族)との円満・仲良しが大事。私は満点ではないが気をつけている。孫の存在も大きい。孫は苦労も忘れる−というが、ホント。あの尻上りに呼ぶ「じいちゃん!」のひびきはたまらない。人を尻上りに呼べばケンカもおきそうにない。とにかく、ストレスの原因、話題から一時的にでも離れて、忘れることカナ? 皆さんは?
香り米って?
▲香り米ありがとうございました。勉強不足で香り米のことがわかりません。どういうものか教えてください。
群馬県・Yさん
▲古代米の一種です。
古代米は中国でみつかった?大昔のコメらしい。中国は大きくて広いですね。調べてみると、予想通りすぐれたコメのようです。
▲ごはんに炊くとほのかな香りがするというもの。玄米食の方は、ひとにぎり一緒に入れて炊いてください。二度炊きすれば、白米食でも可能でしょう。
▲わが家では、このほか黒米、赤米、青米の三種を作っていますが一番人気は黒米です。
コクゾウムシ君
・コメの管理がむつかしい季節になりました。コクゾウ虫がとても多いのです。到着したらすぐに他の容器に移してください。紙の袋はもちろん、ビニール袋でも破って侵入します。
・発見したときは、陽の下に30分くらい薄くひろげて逃がして下さい。陽が大嫌いです。ちょくちょく、いないか見て下さい。
・容器を動かすと登ってきますので、ガムテープでつかまえます。ニンニクやトウガラシを入れる方法もありますが、その効果は100%ではありません。
90 2000年5月号(H.12)
○・・・「じいちゃんの誕生日はトキの優々と同じだね」と孫娘。その翌日の22日、わが家では大事件がおきた。順調に育っていたニワトリのヒナ28羽中27羽が、何ものかに殺されたのだ。
○・・・早朝、痛々しいヒナの死がいが小屋中に散乱しているではないか!どうやら、イタチかテンらしい。10羽ほど死がいがないのが不思議。首にケガをしている。心中おだやかではない。進入のアトがないのだ。
○・・・残った一羽がおびえている。孫のショックも大変なもの。一羽を抱いて、保育園へ行き、「ばあちゃん!わたしが帰るでピー子を守ってね」とあづけたとか。
有機栽培の認定制度
有機栽培が、国県などの認定を受けなければならない−ことになった。主な理由は、農産物市場に、「有機」という宣伝文がやたらに多くなったため、と言われている。まぎらわしい「有機」を不特定多数(つまり一般消費者)に販売してはならない、というわけ。消費者保護のために。
わが家はどうするのか?皆さんはどうお考えですか?認定を求めますか?誰からもどこからも干渉されず、束縛されずに農業したい−という思いのわが家としては、殆どこれまで関心を持ってきませんでした。あくまでも、皆さんとの親しい関係の中で、わが家の「信頼の産物」を届けてゆこうと考えてきました。「日本有機農業研究会」の考え方でもあります。『顔の見える関係』を
考えています。
仮りに認定を受けたとしても、その産物が安心できるでしょうか?薬物検査を義務付けるならいざしらず、その信用度には不安があります。四六時中、認定員の監視があるわけではないので。
また、産物の価格も高くなるのではないだろうか?「認定マーク」を産物にてんぷしなければならない、となると、やっかいな制度である。ある意味では、農家泣かせな制度である。
皆さんとの距離が遠いため、わが家との「顔のみえる関係」は、まだ充分とは言えませんが、信頼の上にたったおつきあいをお願いするものです。かねて申し上げてきたように、わが家は、<まごころ=誠>を商い(強いて言えば)する考えです。そのために、今年を最大ピークに生産規模を縮小し、より良心に添った、良品を作る考えです。
不耕起栽培その後
春2月スタートの取組みで、不耕起による無農薬栽培は可能かどうか−現時点では、かなり有望といえそうだ。合計5ヶ所で試みているが、1ヶ所を除き、稲株(切り株)が沈むほどの土の盛り上がりが見られ、微生物の盛んな発酵が確認できる。
畠は5月上旬まで、かなりの低温で、発酵が遅れていたと思うが、それでも1ヶ所は、硫化水素害(ガス害)で、苗の活着(根付き)が悪かったので、さっそく光合成細菌を流入させた。全般に苗の育ちはよくないが、雑草の発生は少ないもよう。
しかし、喜べない現象もいくつかある。
一つは、田んぼからの水もれである。深いポリマルチを行ったが、まぜか水がもれてしまう。とりはずしてアゼを塗った例もある。
二つ目は、秋草である。前号でも書いたが、アゼ際わの草が多いために一枚を除き、まわりだけ程度により1〜3メートルを耕した。
三つ目は、予想どおり、前年に除草剤を使ったところは、微生物の働きが低調のきらいがあること、二回にわたって、ボカシ(菌のかたまり)を投入して、様子をみている。
四つ目は、秋草の根張りが強いこと。セリ、イグサ、スズメノテッポウなどの残り草を取ってまわったが、なんと、これらの草の根が深く張っていて、除草に手間取ったこと。不耕起のイネの根張りを思わせるほどだった。
しかし、一番の苦労は、なんと言っても、イネミズゾウムシの発生だ。これを退治するために薬剤を散布すれば、微生物も死滅してしまい、不耕起の意味がなくなってしまう。
いま、密かに、妙案が浮かんで、退治もしくは追い払い策をはじめた。どうやら効果ありそう。それは次号で。
60年−小さな実行
私の半生、60年をふりかえっての「生活と意見」を昨秋から前号まで読んで頂いた。知ったかぶりの自慢話もあったりして、不愉快な思いをしたことだろう。
多分に自分自身の勝手で書いたが、いつかは、今日ある自分を報告しなければという義務感もあった。
年上の友達がいたわけでもないのに、私は総じて早熟な少年に育ったようだ。貧しい村に育って、ことごとを新しく改革することが好きだった。政治運動も、新聞に関心をもったことも、その現れだったと思う。読んだ本も尊敬した人物も、実際に師事した方も、そういう類の方々だった。
やがて、私の生業が農業に定まると、改革の焦点は農業と健康問題に限られ、かなり遅れたが、父親の不満をおして、有機農業を探るようになったわけだ。
私はいま、次の世の幸せを念じている。孫や子たちが、安心して生きて行けるように。少しでも長生きできるように。そして、私が知り合った親しい、愛する知友人たちの幸せも。
そのために何をしなければならないか、何をしてならないか?関心はこのことばかり。そして、それは大それたことではなく、自分のまわりの極く小さな事ではないのか?
ゴミを出さないこと、悪いものは買わないこと、農薬は使わないこと−まだ明日あることを信じて、自分の小さな務めを実行して行くこと。
60才は、「考えたい」年齢だった。が、この年齢では遅いのでもあった。61才の年を、いま惰性で生きている。延長こそが私にとって、最大効果の道でもあるからだ。半生を振り返って気づいた収穫だ。
私は実行力のある方だと思う。評論家ではありたくない。これは有機農業をはじめるときに学んだ。継続ではなく、気づいたことを実践しつづければ、現象は、確かに変わってくる。結局、私はモラビアの哲学を知って終わることになりそうだ。
この間、声援ありがとうございました。次号から少し、わが家の「小物語」でも書いてみるかなぁ!
▽春早くから田んぼに水をためると、沢山の生物が寄ってくる。筆頭がオタマジャクシで、ものすごい量。騒ぐ音がすざまじい。みんなカエルになったら、害虫も食べてくれるかな! ところが困ったことに、カモとタヌキが
寄ってくる。タヌキはアゼ際でオタマジャクシを狙うので、アゼがこわれる!
▽柿の葉茶が残っています。お茶類の賞味期限は2年とか。だから期限内です。ビタミンCとEを補給なさりたいときは、柿の葉茶に限ります、とか。
わが家では、オカユも柿茶で作ってます。
▽なぜかコクゾウ虫が多いです。袋の中に居ましたら、ひろげて追い出してください。もっとも、とぐときに浮きますけれども。
▽青米、香り米が少し残っています。
89 2000年4月号(H.12)
○・・・島の春は寒い。やっと、桜が満開になった(20日)。梅の開花もかなり遅れた。昨年より、2〜3度低温で、雨も多い。
○・・・それでも、生き物は確実に春の営みを始めている。朝は4時半になると、わが家のオンドリは朝をつげはじめ、さらに1時間たつと、ウグイスが竹やぶのあたりで必ず鳴き出す。
○・・・3月末からスタートの、わが家の不耕起田では、カエルがどっと産卵をし、暖かい水のせいか、とても沢山のオタマジャクシが育っている。
『風邪と土の詩』読ませていただきました。美味しさの向こうの、飽くなき研
究、自然との戦いを超えた、共生の域にまで達した農法に、素人故わからない
ながらも、静かな興奮を覚えました。
実験結果が名実共に、実りあるものであってほしいですね。
静岡・ Iさん
微生物による不耕起田植え稲作の試みです。実験から20日目、いまでも田植えができる状態ではあります。だた、秋から早春までの間にはえていた雑草たちは、大きく育ち、このままでは、いけないと考えています。
これまでにボカシ120キロ、米ぬか200キロ、オカラ80キロを施してあります。水もれ、水張りの調整は実際にはむつかしく、雑棒的と思える2枚の田んぼは、雑草を押さえるために、浅く耕しました。
やはり、秋からのスタートでないとむつかしいかもしれません。
4月20日。数日遅れて、田んぼのトラクター耕起をはじめた。3月の天候が悪くて柿園の仕事が大幅に遅れたためです。
イネの苗は4回目の最後のタネマキも終了し、只今一番苗は、9センチ位になり、硬化状態に入っている。幼苗は、やわらかいので、外気にさらして強くして、5月初旬(三日)に田植えする。
5月の連休は、田植えウィークだが、わが家は、低−減−無農薬の順序で、半月かけて、家族だけで時間をかけて作業してゆく。
ゆとりをもって仕事をしているわけではない。その間に、柿の手入れ、堆肥づくり、家庭野菜の仕事などで忙しい。無農薬栽培となると、それ相当に手がかかるわけだ。近年、わが家の田植えは、村一番遅く終了している。というよ
り、皆さんの方が早すぎるのだ。
昔は、5月いっぱいが田植え時期であった。私の誕生日は21日だが、いつも、誕生祝どころではなかった。いまでは、10日には、村中どこでも田植えが終わってしまっている。連休であることのほかにも、早く植えて、早く分げつ(茎の数)を確保するように、という指導(V字理論)があるため。
しかし、栄養周期理論稲作では、下旬でも充分、茎の数は確保できる。わが家では、50本(普通は30本)も分げつがとれたことがある。
柿畑ではいま
選定作業で出た柿の枝のしまつを一部残したまま、田んぼの仕事をはじめた。これがまた、手間のかかる作業で、最近は枝をあつめて焼いている。
柿の芽がややふくらんだ状態。5月上旬に、最初の葉が開いて、ぐんぐん伸び、20日ごろには、葉の根元に、つぼみの芽が発生する。
園主の小さな哲学(下)
政治とは何か? 長らく、選挙(前号では誤字だった)による代議員制を信じていたが、本当のところは直接住民運動のことではないか、と思う。
市長選挙では、福祉、教育、情報公開、そして、農業では安全な有機農業を掲げて戦ったが、市民には支持されなかった。10年早すぎた−という印象だった。
その農業だが、この30〜40年間、成長産業のカゲに、というよりか中に組み込まれたものになってしまったと思う。特に稲作のことをさしてのことだが、主体性を失っている。
資材、機械、就労のいずれも他産業に利用させられてしまっている。県機関に、農業指導課(普及指導)があるが、その指導内容すべてが、見事に「支配の構造」そのものになっている。
以前にも書いたが、その根底にあるのが、「v字理論稲作」であり、長年信じられてきている。
例えば化学肥料は、水に溶けてイネに吸収されるとされているが、その先に微生物が介在していることは知らされていない。発病に対してはきりもない農薬の開発、微量要素としての各種資材。中でもイネの茎を丈夫にするというケイ酸などは、まぎれもなく産業廃棄物だった。
また機械も、非常に不合理な買い方をさせられている。トラクターやコンバイン、田植機など年に10〜20日しか使わないのに、短期間に大面積を処理するために、大型のものを数百万円で買わせられる。田植えが5月の連休に集中するのも、兼業故のやむなき現象なのだ。
専業農家は、いま大規模化をめざしており、春秋の労働のピークをのり切るために、大型機械化とより有効な農薬と農薬入りの化学肥料の使用をさぐっている。生産された産物コメの評価、安全度などはとわれない。問われているのは、コストだけだ。
これで良いのであろうか?
食べ物とは、農業とは何なのか? その問いから、農業自体が主体性をもって、自らが誇りをもった農業を築かなければならない。多様なやり方があって良い筈なのだか、農林省も県も、そして農協自体も、画一的な農家像を打ち立
て、指導しようとしている。
他産業奉仕型稲作から脱し、栄養周期理論(植物生理理論=への字稲作)にもとづいた、かつ安全なコメづくりへ転換したいもの。この転換によって、無駄な化学肥料をどれだけ節約(?)できるか−多量資材利用型稲作からも脱したい。
高度成長時代の農業・稲作のあり方を改めなければならないが、まだ多くの人は、そのことに気づいていない。(おわり)
▽ 無農薬コメが余り気味の方、遠慮なくキャンセル下さい。月の途中でも対応しますので。
▽ 東京のKさんから『ニュースが入っていないと本当に淋しい。今月は先月分と2枚入っていて、とてもうれしかったです』とメモを頂いた。ありがとうございます。
皆さんからのお頼りがめっきり減って、私も淋しいです。提言、質問など 返信メモ欄にひとこと、お願いします。
bW8 2000年3月号(H.12)
○・・・寒い日がつづいています。よい天気は二、三日だけ。きょうは、アラレも降った。でも、柿園にも積雪は、もう無い。フキノトウは再び開花した
が、梅の花はみえない。
○・・・18日、イネのたね籾を消毒した。といっても熱湯消毒で60度7分間。来月に入って、たねまきとなる。
○・・・不耕起栽培は成功するだろうか? 祈るような気持ちで、この取り組みをつづけている。好天に恵まれれば、可能性も。
柿になぜ種子がないの?
Q:
プロの矢田さんに柿についての質問です。
@ 柿はどうして焼酎で渋が抜けるのですか。
A 柿には最初から甘いのはないんでしょうか?
B 種無しの柿は、タネなしブドウのように途中で薬品につけて種子をなくしてるんでしょうか。有機栽培なので、薬品につけてるとは考えにくいのですが。
C 種子がなくても品種保存上に影響はないのでしょうか。
ずっと不思議でならないのです。誰に聞いてもわからないし・・・
東京・Mさん
A:
わが家が作る柿は、平核無(ひらたねなし)という渋柿です。原産地は新潟県の新津市。25mくらいの喬木性の原木が残っている。
大正の末年、突然変異の、この柿がみつかった。四角の形、タネ無し、平べったい、ジューシーで甘味が強い−など八つの特徴が数えられる。珍しい特徴でもあることから、佐渡では、「八珍柿」と名付け、親しんだ。
タネがないため、他の柿の台木を育てて、平核無の穂木をとって、台木に接木して、苗を作っていくわけです。わずか数センチの芽を接ぐことによって、どんどん枝が伸びて穂木(平核無)の特徴をもった立派な柿の木になる−という不思議な物語です。
「甘柿」とわれる甘い品種もあります。富有柿という大ぶりの柿も生のままで甘い柿です。渋柿には、渋のもとになるタンニンが含まれていますが、このタンニンを焼酎やアルコール、炭酸ガス、熱湯、塩水などで、固形化させて渋味を消すのです。甘柿には俗にいうゴマが見られますが、これが固形のタンニンなのです。
実は、この柿は、原産地をそっちのけに、昭和10年代まで、山形県で栽培され、『庄内柿』として一世を風靡、佐渡に入ってきたのは、殆ど戦後でした。作ってみると、佐渡の八珍柿の方が、味質共にすぐれ、『おけさ柿』が『庄内柿』の名声を奪い返すことになるのです。
現在では、人気故に、福岡から青森まで、この柿が栽培されていますが、佐渡産が、その頂点に評価されています。
園主の小さな哲学(中)
男の子だったせいか、政治活動には早くめざめたようだ。小学6年の時、わが村は分村合併したが、住民大会で分村反対派の立場で、エンゼツしたことがあった。
高校でも学校側に署名をとって対抗しておこられたり、校風刷新を訴えて生徒会長になったりした。のちに選挙戦では、革新政党を支持しては選挙事務所入りで運動してきた。
いつも『改革』が頭にあった。「中央直結」主義が大嫌いだった。社会党を深く信奉していたわけではないが、それを旗印にしていた自民党の反対勢力に参画していたわけである。
昭和50年代、佐渡では、それまでの運動の成果の上に、2議席の県議を誕生させるに到る、全盛時代であった。その直後に、私の市議選出馬の経緯(落選)もあるが、やがて、2県議が市、町長におさまる時代にもなったのである。
首長をかちとったものの、世の流れは、内需拡大にもとづいた土木建設が島とても盛んになっていくのである。
私の政治に対する目は、自ずと『環境保持』に開眼させられていった。環境保全のための反自民。地元では、こともあろうに、自らが陣営の市長と対決しなければならないハメになろうとは。
おらが市長も3期目になると権力が選考して、かつて自らが反対してきた空港やゴルフ場の建設、一般箱モノ行政を次々とやり出したのである。その毎に、住民運動を起こさなければならなかった。骨の折れることだった。
その極に当ったのが、国営土地改良事業である。佐渡としては、最大級の開発事業で、環境破壊も著しい。9人の農家(私も)が農林省を相手取って訴訟をおこし、現在、足ぶみ状態に入っている。これも、おらが市長の、自民党代議
士との結託によるものだ。
ふりかえってみて、政治とは、選挙戦でおらが首長や議員をおし出してゆくことではなく、事毎に、住民運動を経て、戦いとってゆくことである。たえず、そうしたエネルギーの戦いの中から、はじめて、あるべき民主主義が築かれてゆくものだと思う。
今日的課題としては、"開発"による環境悪化が大問題になっており、各地で住民投票が行われているが、国も地方も、この住民の意思をまともに取り上げようとしない。住民の直接請求を認めずして、何のため誰のための政治であろう。
環境問題について、住民の方が一歩先をゆき、危機感を持っているのに対し、政治家達は、まだ自らの利益のために、従来の権力志向をいぜんとして踏襲しつづけている。代議士の腐敗である。党利、私利のためには、昨日の政敵
にでもシッポをふって、同調する人種である。
そうした人種がすすめるマツリゴトだもの、官も民もロクなことをマネをしない。汚染大国日本を救うために、滅私奉公の祭事が進められるよう願ってやまない。
5年前、失望の"おらが市長"引退のあと、長年市議であった共産党候補をかつぎ出して、善政を夢みた。しかし、誠実の人だったにもかかわらず、市民の多くが彼の党籍を嫌った。
私の選挙運動の絶望感はこの時にはじまった。(つづく)
bW7 2000年2月号(H.12)
◎・・・21日夕。陽気の東京から吹雪の島へ帰ってきた。「まさか」と思ったのだが、まさしく現実だった。船も珍しく揺れた。正月すぎに芽生えたフキノトウはいまごろどうしていることだろう。只今積雪10センチ。
◎・・・この寒さでは外仕事もやりずらい。無雪で晴れ上がった東京近郊がうらやましい。なのに、そのあたりの田畑には人ひとりみられない。この空の下で思いきり働いてみたい、と思った。
◎・・・だが、駅の雑踏ぶりはすごい。「これはまだ少ないのよ」と案内人。東京の台所は大変な筈だ。その流れの中に、私もいて、申しわけないような気がした。
どうやら現代では、便利なものほど危険でおそろしいようだ。その最たるものは電気。家庭の電気製品が危険であれば、農家の農業機械もアブナイに違いない。
便利なものほど危険
これまで、コメの火力乾燥はよくない、と言われていた。石油をたいて、その熱量をファンで送り乾燥させる乾燥機がなぜ悪いのか、(コメと熱風が直接触れるわけではなく)本当のところは解せないでいた。ハザにかけて最終の1週間、太陽光に当らない、というだけでは、さしてマイナス要因とは考えにくいのだ。コメが実るまでの長い間、イネは、秋の太陽光に充分あてられている
のだから。問題は、数時間から十数時間に及ぶ乾燥時間中にモーターから発生するプラスイオンにまみれている-その点にあるのではないか。納得ゆかないことでは、ない。
次の工程は、籾すり調整機である。この工程ではいろんな型式はあるものの、同じくモーターを使用している。時間的にはごく短い間(1時間以内)で通過するが、籾から玄米に変化する段階にあたる。
玄米から白米に生まれ変わる工程では、精米機を使用する。時間的には更に短いが、モーターからのプラスイオンを白米などが浴びることになる。もっとも、玄米食をすれば、この工程での危険ははぶかれる。
せっかくのコメが収穫用の機械と電化製品で、健康を損なうごはんに変身してしまうようでは困ってしまう。私がまだ小学生の頃(昭25年)は、籾より機械はなく、石臼ならぬ土臼であった。土臼のまわりを竹であんだ高さ1メートル程の、一組の臼を二人がかりで、交替でまわして玄米にしていた。それはそれは、大騒ぎで大仕事であった。あんなマネは今さら出来はしない。
では、ハザ掛け乾燥はどうだろうか。
東北地方は、秋の空気が乾いていて、比較的乾燥は容易であるらしいが、新潟は雨が多くて、ハザ掛けはかれこれ1週間かけないと仕上がらない。ということはこの間、台風などの洗礼を受ける危険度が高く、かつての苦労が想いだされる。ハザへの掛けろしの労力も相当なものである。それからの、脱穀作用もまた苦労のタネであるなぁ。!
30年くらい前までは、わが家もハザ掛けをしていた。石油ランプをともして、夜は8時9時まで作業があって、秋はまさしく猫の手も借りたい季節だった・・・
ハザ掛け米は、美味い−という風評がある。その根拠も私には、しっかりと解せないけれども、究極の味追求の一助に、いずれ挑戦して皆さんに食味してみたいものだ、と考え始めた。
生態系自然農法
不耕起のコメ作り
トラクターで代かきをせずに、イネづくりができないか−−かつて、新潟でその実験が行われた。確かに、イネは充分に実り一部に注目された。
しかし、やはり2〜3年もすると雑草の発生にはなすすべはなく、中断された。
それは、秋のうちに田んぼに水を張り、自然の微生物の増殖を待って、表面をやわらかくして、そこに苗を機械で植えるものであった。肥料も施さないのに、夏には立派な稲に育ち、秋にはよい穂をつけたのである。だが・・・
今回、山形の実験を見たのは、積極的に微生物の力を拝借した、生態系農法そのもの、といった感じの農法で、かつての実験を目にしていただけに、出張の前にハタとヒザを打った。
「これならイケル!!」と。当時はボカシ肥料というものはなかったのだ。80〜120キロのボカシを散布して、田んぼに水を張る。簡単には、書けないが、モロモロイロイロの自然の、共生のサイクルを田んぼのの中に展開させるというもの。
すでに2月現在、田面はドロンドロンの分解の状態になっている。稲の株はすでに七割方泥の中にうまってしまっていた。
遅めの田植期までには、株は完全にうまってしまうだろう。そこに、機械で小さな苗を植える。ちょっと注意がいるという。苗がドロにうまりがちだから。
時期を逸してはいるが、わが家では、いま、春スタートの矢田流不耕起栽培をはじめようとしている。さて、成功するかどうか−−この春は、低温で、はなはだ天気がよろしくない。作業も予定を若干送れてしまった。
これが成功すれば、この40年否定され通してきた、非生態系、無菌、皆殺しの日本の近代化稲作を根本的に否定し、逆転の農法が登場することになる。興味深い実験である。
人は、人口ピラミッドのような、生態系ピラミッドの中で安定した健康な一生を終えることができる。
近代は、最下段の微生物の基盤を否定し、ないがしろ、抹殺してきた。
そして、農業では、最底層の微生物の働きを利用して、人間の希いをも満足させようとしている。
NO.86(H12.1)
「やっぱり、これ温暖化のせいだね、こんなだと今に新潟ではコシヒカリが作れなくなるんでは〜」そんな陽気が暮れから続き、我が家の柿園でふきのとうが芽を出して、話題になり1/19とうとうテレビのニュースに出ました。
暮れから、信越郵政局の年賀状早出しキャンペーン用のコシヒカリギフト1000個を納め、干し柿の発送も終えたので柿の選定作業を始めたところでまた雪にまりました。只今積雪10p。
安心して食べられる切り餅、かき餅作りも一通り終わったのですが、孫たちのおやつ用にかき餅作りを再開。
明けましておめでとうございます。
あえて、2000年とは言わない。元来ひねくれ者ではあるが、私にとって今年は去年のつづきの年に過ぎないから。暇な正月に一年の構想を巡らす習慣から言って、強いて感想を求められれば、前世紀50年の誤った価値観を区切りよく一掃しなければならない−と実感する。
折しも政府の「21世紀構想委員会」がその成果を諮問した中に、「全体のための個の尊重」と言うのがある。先の半世紀はどこから狂いだしたのか、個の尊重を無視して、ひたすら利益を創出することのみが評価され、エスカレートして、結局行き詰まった。
人は(私自身も)組織の中に逃げ込んで精神的にも実利においても、安泰を求め続け、自らの価値を考えようとしなかった。行き詰まった結果から脱出するために、最初に戻って一つ一つ価値観を積み上げていこう−と言うことだろうと思う。
「みんなで渡れば怖くない」と思ったのが、実は間違いだったと言うことだ。我が家も一頃まで、「農協」と言う組織に中にいて、儲けることに価値を求めてきた。事実、昭和30年代前半の村の事情は貧しいもので(他産業もそうだったかもしれないが)全部を否定する自信はないが、この20年くらいの利益追求は明らかに行き過ぎを越えて、悪だった。
私は潔く農協を脱出して、有機農業を始めた。コシヒカリと柿に新しい価値を付けて(見いだして)、農業の価値を見直したい、と思ったのだった。農協を離れて一人で生きることは大いに不安だった。それは会社を離れて自分で商売をするのと同じだろう。だが、自立への不安の中で、その人間の個性が磨かれ個性的な価値(産物や人間性)が作られて言うのだと思う。「儲けることはよいことだ」と言う思想はまさにその極に至っている。「愛」と言う言葉が死語となるくらい、人間社会は殺伐としてきた。裏切りから犯罪までの悪が市民を脅かしている。さらに加速するであろう。
環境汚染もひどいものになってきた。中でも食環境の悪化汚染は、いよいよ実効を露わにしてくるだろう。その対策療法は並の努力では達成できないであろう。
人の心が病んでいれば、国家の台所も病み、火の車になってきている。
朝日のかたえくぼに「国の借金五百兆円−相続放棄考えてます。次世代」と言うのがあった。焼け石に水な事を知りながら、まだ儲けたい人のために内需を喚起する大型予算を組もうとしている。
明けた新世紀は、私たちにとって並々ならぬ年回りなのだと思う。我が家もこんな思いに経って、この島の片隅から、迷わずせっせとコツコツと、今年も家族を挙げて「耕し」てゆきます。
新年もどうぞ激励をお願いします。
ありがとう!これからも〜
私の有機農業はかれこれ20年。
不安の中で、日本有機農業研究会に入会したのが思い出される。新潟支部の発足に直後の集会に故築地文太郎副会長の講演があり、その名講演に感激した。会長はいわずも一楽照雄氏。全中の会長だった人で、「有機農業」と言う名称を最初に使った人である。
前置きが長くなったが、我が家の有機農業が今日あるのはこのときに始まる。
〜〜〜〜〜中略〜〜〜〜
古くは20年近く、変わらず我が家の支援していただきありがとうございました。こうした支援がなかったら、今日に至る道のりはかくも平坦ではなかったと思います。心からお礼を申し上げます。そして、今後もご支援をお願いします。今世間では、有機農業のガイドライン問題が話題になっています。これは、不特定多数の消費者に安全農産物を売る場合の信頼マーク作りのことですが、そもそも一般小売りをするものではない、としたのが前述の一楽氏の考えだったのです。
確かなものは、信頼しあえるもの同士、顔の見える範囲の中で取り交わす「愛の産物」かと思います。たまたま、田や畑を持っている私どもが皆さんの願いを受けて代わりに作ってお届けする。理想はすべて国民が自分の農地を耕して食べ物を作るのがよいのだと。安藤昌益は、江戸時代にすでに唱えています。昨年、我が家の産物の評価で目立ったのは、「矢田農園のものは何でもうまい」「味に間違いはない」でした。多少の褒はあっても、少し自信のような物がありました。特にカボチャについては、私自身驚きでした。羊羹の様でした。Hさんは2回も注文してくれました。
調子にのるようですが、これからは、究極の味作りに挑戦して見ようと思い始めました。資材をふんだんに使い、愛情を掛けてみようと思うのです。また、味や安全性の他に健康作りに本当に役立つ内容豊かな産物作りにも力点を置こうと思い、今、イオンカウンターの導入を計画しています。おそらく、イオンカウンターを備えた農家は日本にはいないだろうと思います。園主の小さな哲学上
少年から私に確たる夢があったわけではない。勉強嫌いでもなかったがその点では幼い子供だった。中学の後半から長男として漠たる不安と嫌悪感があったと思う。いつしか甘い空間を描くようになった。それが本好きになっていったことは前稿で書いた。
石坂の「若い人」からローランの「ジャンークリストフ」に移ってゆくうちに、いつか亀井勝一郎、小林秀雄、が加わり古今の格言集を好み、サルトル、フロム、ウイルソンを手にするようになった。そのいずれの中身は憶えていない。とにかく、甘く感傷的な恋物語が好きな少年に育ってしまい、実際に純朴でけなげな少女に好意を寄せたことも2〜3あった。昭和20年代、の後半や経済的に恵まれない家庭があったのである。彼女たちを救えるような錯覚、願いがあった。
やがて、自分に就農にたいする現実が見え始めた頃、最初の迷いと動揺がきた。そのころの村の空気を全面的に嫌悪していたから、空想と現実との落差に耐えきれなかったのである。
そうした、青春の悩みを決定的にしたのは、18〜22歳の間にあった初恋。
遠い町のいわゆる没落家族に育った少女は、まだ就農一年生の私には重荷であった。そういう時代背景であったともいえるし、純粋すぎたとも言えた。親にも言えず、若い私は一人苦悩した。未練のために再び書いたのではなく、今数年間の体験が私の人生観を形作る引き金になったから。人生観となった資本主義経済の疑問、社会悪に対す挑戦姿勢は、このときに芽生えたようだ。人皆平等の社会主義社会であれば、富も平等で職業選択の自由もあって、次第にマルクスに親しんでいった。そこから見る社会の矛盾と悪は私の正義感を大いに刺激したように思う。
私の読書は、もっぱら左に傾き野間宏を経て高橋和己へと走った。間に五味川順平もはさんで、高橋氏はガンで逝ったときは、実に衝撃だった。知的で日本人をリードする人物だと信じていたからだ。
これらの読書を通じて、私はエネルギーをいっぱい貯め込み、時間をおいて失恋からも立ち直り、浪江氏や稲村半四郎や、むのたけじ、正木ひろしなど偉業に逢い、私も小さな戦う戦士に変身してきたと思う。現実に妥協するでなく、果敢に挑戦してきたと思う。もっとも私なりの話である。私の母は、よく「蒔かぬ種は生えぬ」と言っていた。後年、佐渡に招いた稲村半四郎が講演の中でアンドレ・モレアの「行動は、現象を変える」と言う言葉を教えてくれた時、私は母の言葉を思い出した。どんな辺鄙な地方の片隅からの行動からでも正しいことは、広く世間に影響を与えてゆくものである、と言う指摘だった。
迷い子とをいつまでも、そのままに迷っていてはいけない、困難から逃げまどい、悩んではいけない。出来ることから始め、行動を起こしていけば、解決できる。−事を身につけてきて、私は長男を徹夫と命名したのでした。母が口にしていた格言を我が家の家訓にしたい、と思っている。
「始めに生産ありき」の有機農業への悟りも、私の行動哲学の流れだったかもしれない。何事も知識として頭の中にあるうちはまだ理解したとは言えないと。