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106 2001年9月号(H.13)

○・・・不気味な世界情勢の元でも、島の自然は確実に、秋に向かっています。このところの気温は25度。涼しい風は吹いて、いくらか緑は元気を失い、すすきが穂を見せ、山へ向かえば、栗の実が割れ出しました。

○・・・一所まで、黄化気味だった稲は、台風前後の尼で、和かがってきて、稲刈りが遅れ出しました。健全な証拠です。本来、作物の実りは、気温の日格差が大きくなって方の方が良くなるので、9月に中に刈り取るというのは、量質ともにベストとは言えません。トマトなどの完熟と同じように、よく熟させたいものです。我が家は、昨年より二日遅れの18日からコシヒカリの刈り取りを始めました。

窮鼠噛猫
意外なところから、不幸の芽が発生してきた。世界が第三次大戦の危険の中にある。ぼっは津すれば、日本が巻き込まれる可能性は十分にある。行き詰まった経済の活路を開くために為政者の中には、戦禍を歓迎するものがあるのだ。アメリカが反撃に出れば、中東以外の世界の主要な施設に向けての、テロが続発するのではないか?最悪の場合は、各国の原子力発電所がねらわれるのでは?核を投下するのは難しいが原発は至る所にあるから。
私たちはアメリカ側の主張を一方的に聞いているが、果たしてアメリカに非はないのだろうか?反省することはないのだろうか?あれだけの犠牲を持って挑むにはそれなりの理由があるのでは?報復にもそれなりの理由がある。窮鼠猫を噛むのたとえもある。報復支援にも今ひとつ納得は行かない。

 


 最も優れた波動は、「愛」だと言います。食べる人のためを考えて作ればよい波動の米が出来ると言うこと。いまのにほんの米作りは生産コストをどう安くできるか、どれだけ手抜きが出来るかだけを追求しています。売るときは、ごちゃ混ぜにして、ある時は外米をも混入して、生産者の責任や愛情はどこにも残していないのです。大いに納得できることです。

真の「日本の復活・再生は米の正しい復活から」ー作るものは、この気持ちで取り組まなければならないと思います。食べる人の顔が見えないことを幸いとして、農薬を散布することにためらいもなく、化学肥料に頼って一人が大面積を耕作する農業には、良い波動が生まれるはずはないと。

MRA(共鳴磁場分析器)葉、米のエネルギー、免疫力、ストレスなど10種類くらいの波動を測定できるそうで、MRAスペシャルでは1〜100ポイント間に分析するという。(現在は数字が若い程良い)

 数年前、川田研究所が測定した我が家の米は、MRAオリジナルで18でした。「病気にならない米」と言われました。こんどのSさんが測定したものは、65でした。エネルギーも高いと言うことでした。では一般的市販の米はと言うと、75〜80くらいで、とても悪いとのこと。これまで測定した中でのトップは、満州国境の中国の米「エンコウ48」が何と28。コシヒカリなどは品種改良が進んだもので全般に波動は低いと言うが、それにしても汚染されていない中国のすごさを感じる数字です。

105 2001年8月号(H.13)

○・・・8月22日。大型大風雅去ってゆきました。佐渡には、ほど良い雨をもたら
してくれただけ。幸いの台風でしたが皆さまのところはいかがでしたか? 残暑共々
お見舞い申します。島の雨は6/25の豪雨のあと6/27と7/12に小雨があっただけで、と
にかく無雨の年でした。
○・・・それでも山には降っていたのか、みどりのダム(森林)のおかげか、水田用
の水はコト足りて、イネは豊作型です。雑草も繁りにしげっています。どこにこれだ
けの力があるのか、と思うくらいに。
○・・・孫娘のアサガオも毎日5〜8ケくらいの花が咲き続き驚かせます。

「日照りに不作なし」と昔から言われてきた。北部を除いて全国的に豊作が伝えられ
ている。穂が出た段階で、青刈りをすれば、10アール10万円を助成する、という
地方もあるとか−。生産調整が至上命令なのに反して、いま中国では日本の市場向け
に国をあげてコメづくりが盛んだという。(新潟県有機農業研究会にて)

日本では減反、中国では・・・
中得の最北「北大荒」(北の不毛の地)とも呼ばれた黒龍江省の耕地は、日本の耕地
の1.7倍で、かつては畑作地帯だった。ところが、ここ3〜4年の間に、のほんの
膳稲作面積に匹敵する170万ヘクタールでコメが作られているという。『農民』と
いう新聞報道によれば、日本をねらうそのコメは有機栽培米だそうだ。
以前には、ここではイネはあまり良くはできなかったが、品種改良の技術や北海道で
確立された畑苗育苗の改良などによって、コシヒカリや、ひとめぼれ、あきたこまち
などの品shが作ることができた裸子。そして、生産費も、日本の場合の1/10の12
00円以下で十分と言うから、怖い。(有機栽培であるかどうかはわからない)日本
の商社が稲作を手取り足取り教えて作らせているために、技術も急速に伸びて、数年
後の今日では、10アーツあたり527キロの収量があるほどになって、「猛烈な開
田ブーム」になっている、とか。
中国や韓国が国策として、有機農産物を日本に売り込もうとしていることは、昨年書
いたそして、現に、野菜類は、かなりの量が入ってきているそうだ。農業関係者の報
告にあった。
中国でのコスト(生産費)がやすいことは明白なことで、今回、かくも広大な黒龍江
省で日本向けコメが作られている事実に接して、深く考えざるを得ない。手放しで
は、日本の食料はあぶない。日本人の胃袋を中国にあづけて、良いのか?コメに限ら
ず、日本の物価が中国に比べて相当に高いのは、なぜか、せっせとコメを作っている
私たちには、わからない。いかに、生産コストに努力しても10倍の価格差はうめら
れないだろう。「勝負はあった」のである。
 私はこの20年、生態系農業(有機栽培)をすることによって、自ら生産調整もし
てきたつもりだ。(結果論だが)私のような栽培をすれば、20〜30%の減反はたちま
ち可能になるのだ。中国やアメリカのコメにたいこうするのには、化学肥料と機械と
農薬に依存した栽培をせざるを得ない。限りなく有害なコメを作ることになる。
 今年の正月、私は年賀状に「オタマジャクシも生産のうち」と書いた。
 生態系農業は文字通り、国土の保全も目的であって、単に、安全なコメ粒のみを穫
ることではない。

104 2001年7月号(H.13)

○・・・皆さま、暑中お見舞い申します。梅雨の時期からの猛暑、各地で記録的な気
温、無雨、熱帯夜つづき−さぞかし、大変なことでしょう! 島は、今年、割合にし
のぎ良いのです。22〜23日とはじめて最高の31℃になりました。35°とい気温、体験
したことありませんが、どんなにつらいことか、と。
○・・・これがまさしく、温暖化のせいだとすると、アメリカに遠慮して、批准を明
確にしていない日本のあり方を問う。私たちの世代だけ、ゼイタクすることは許され
ない。アメリカはどうあれ、進んで協力して、温暖化を防がなければならない−と思
う。
 この夏を、元気でしのいでください。

この暑さの中、雑草だけは、ものすごい勢いで繁っている。畦の草はもう三回も刈っ
ている。柿園の草も同じほど。除草剤を使った田んぼでさえ、今年は雑草がどこでも
めだつ。わが家の無農薬田のところどころはコナギという雑草の森からイネが出てい
る−という様相である。
雑草はたくましい。スキさえあれば繁り、立ち上がる。
イネが一歩先んじて伸びれば、じっと遠慮して待つ。イネが害虫にやられて元気がな
いとなれば、ワッと力を出してくる。

虫もまたすざまじい。前号で報告の毛虫(マイマイガ)は、あのあと、次から次へ
と、山の中から柿園にしのび込み、これまで殆ど見たこともない大きさに。柿の葉を
喰いちぎり、サナギになるために、どこかへ去って行った。やれやれと思っていた
ら、柿の実が全部、ホントに全部落ちてしまった! 初めてのこと!! 何故?
山の柿園三ヶ所、10トンの収穫は、あっという間にゼロになってしまった。農薬を使
うことも出来たが、来年のことを考えれば、それはためらわれた。安全性にドロを塗
ることになるから。

将来の選択
参院選挙の投票日が近い。国政についてウトイが、国民の多くが、なんとはなしに感
じているように、この国にとって、重大に時局にさしかかっている−ことはわかる。
というよりか「感じている」といったほうが正しいかも知れない。
ふつう「仕事」をするということは、新しい価値を生むべく設計のもとに、継続的に
労働し、それなりの代価を得ることだろう。そのためには、丸々借金するのではな
く、それなりの元手も用意するのが常だ。利益が無く、能力がないと思えば縮小し中
断するだろう。
国や県や町の場合は、無責任な政治家にかかってしまうと、きりもなく借金と相成
る。生活に忙しい国民市民が信頼した人にオマカセしたのに。危険ラインをはるかに
超えた借金について、知らぬ顔。都合の悪いことは、あとまわし、わずかに小泉さん
が「無駄使いをやめる」と言ってくれた。
しかし、そう言っているのは、殆ど小泉さんひとりであって、その他多勢はひとこと
もモノを言っていないし、ほんとのところは「無駄使い中止」ぐらいでは、とてもと
ても手に負えないほどの借金、赤字なのだ。
「道を作ってやる!橋を作ってやるから!」という政党に投票したことは、私は、な
い。港やダムが出来て悪いわけがないが、そうそうわがままは許されないと思ってき
た。景気だって、ホドホドでよかったのではないか? いくつもいくつも出来てくる
と、環境も悪くなってきた。それでも、続ける。やまらない!やめられらない!
宮沢さんもポツリ言った「危険だ!」
政治家の大物が小声で言うときは、相当にヤバイ時なのだ>そうだ。テレビで、いつ
か言ってたなぁ!政治家は選挙の時に決して、都合の悪いことは言わないもんだ。
ものすごい数の橋と道路ができた代わりに、借金は全部国民が支払わなければならな
い。税金で−消費税で。それがイヤなら、インフレで。
国は、札束を大量に印刷する。カネの値打ちは印刷しただけ、なくなる。貯金をどん
なにしっかり抱いていても、年金を大事にしても、スルリと抜けてしまう。
しかし、もっと危険なことは戦争。サーカー(印)の「社会循環の法則」によれば、
富の時代の最後は、貪欲と腐敗が社会に蔓延し、社会革命を招かざるを得ないとあ
る。

一党支配
この時局に、一党支配となれば、ある日突然の「憲法改悪」もまぬがれない。過去の
歴史がそうであったように、昭和の恐慌から大戦に到る道筋と雰囲気は似たものがあ
る−と評論する人は多い。「小泉さんは良いのだか、自民党はねえ?」と多くの人が
言っているそうだ。利権をむさぼってきた党の性格が、そう簡単にかわるとは信じら
れないということだろう。有権者の迷うところである。貪欲は良い言葉ではありませ
ん。個人でも行政でも、ほどほどで満足するよう(=知足)にして、安らかな人生を
送るようにしたいものです。戦争だけには加担しない国家でありたい、と。
同じインドの経済学者R・バトラは、「資本主義は爆発的に崩壊し、すばらしい次の
時代『プラウト』がやってくる」と予言しています。
しかし、それまでの間、やりたい放題のツケとして、消費税のアップや、超インフレ
のアラシをくぐり抜けなければならないし、後進国並みの社会不安もまぬがれませ
ん。食べ物も、安あがり政策によって、さらに質は悪くなり、健康維持もむつかしく
なるでしょう。
こういう時代に向かって、少しでも国政が国民の生活を和らげるようになって貰いた
いと思います。どうでしょうか?




▽先頃は、私の腰痛について全員の皆さまから、ご心配を頂きました。ありがとうご
ざいます。おかげさまで、治療から50日、殆ど九分通り回復して、仕事をしており
ます。車も普通に運転できて降ります。自然の治癒力を活性化しておきたいと思いま
す。皆さまも何かありましたら、体験してみてください。むつう整体を。
▽コクゾウムシが作業場でみかけられます。注意してください。
▽コメの中に黒いものがあるかと思います。これは黒米の粒ですので、ご安心下さ
い。
▽この秋の低農薬米は、消毒1回きりで頑張るつもりです。ご期待ください。
▽箱の開封に注意! カッター使用を控えてください。


103 2001年6月号(H.13)

○・・・寒からず暑からずの、さわやかな初夏がおとずれているが、野や山に異変が
起きている。相変わらず降雨が少ない。平年の1/3とか。柿もイネも、平年に比べて
1週間は早く成長していて、忙しいこと忙しいこと。
○・・・前号でも書いた毛虫(マイマイガの幼虫)が島中で大発生、しかも平年の二
倍ぐらいの大型(6〜7センチ)にまでなって、果物は勿論のこと、山野の木の葉を
喰いちぎって、さながら落葉したあとの秋のふぜい−のところもあるとか。
○・・・ずっと少なかったドロオイムシも、雨不足なのに、わが家の無農薬のイネを
食害しはじめた。反対におそれていたコクゾウ虫はいまのところ少なめの発生。

毎年の夏の号では、田や畑の暗いニュース、めいるような苦労話ばかりで、書く方で
もはなはだ恐縮の限りです。今回も私の不覚な話を聞いてください。少なからず、今
年の産物に影響があることなので−。

腰痛−波動療法
 先月の10日ごろ「おかしいな!」と思っていた腰痛が、5月のコメの発送を終え
た25日には、遂に仕事ができなくなってしまった。内科の主治医から貰った痛み止
めも効かず、月末にはレントゲンを。月をかわして総合病院でMRIを撮ってみたら
「軽いヘルニヤ」だという。
 だが、整形では、手術以外は方法がないというので、その足で、かねて、研修を受
けていた『むつう整体院』の波動療法を受けた。6/7のこと。以来6/14、6/21と3回
の治療を受けて、6/21当日には、20日ぶりに車を運転して通院、30キロほど走ってき
た。

自然治癒力
この体験から、整形外科で腰痛がとても多くて、皆一様に苦しんでいることを知っ
た。どうしようもない、らしい。10年15年と長い人もいる。「病気」といえば、内臓
と思い込んでいた私にとって、思わぬ出来事だった。歩行困難10日は、かなりきつ
かった。ヘルニヤは若い人にもあるが、大体が老人性のもの、人生60年のオミヤゲら
しい。
 農園だより101号で紹介した波動療法は、患者の波動を外からの「良い波動」を共
鳴させることにより、人のもつ自然治癒力に刺激を与え、それを活性化させながら、
病気を治して行くもの。
 波動を受けるところは、人体の脳幹部(大脳の直下)で、ここを波動で刺激するこ
とで、首の骨から腰の骨までの24個の骨の歪みを直す、という。信じられないような
ことだが、おどろくべきは、人の持つ先天的な治癒力の偉大さかもしれない。
 人体の不思議さ、すばらしさは、誰もが感じていることで、人間が作るどんな機械
も及ばない。生まれながらにして、人は偉大な力を持っているのに、成長に従うって
私たちの生活習慣が、その能力を麻痺させ、狂わせてしまう、らしい。
 いまから、およそ100年前、アメリカのパーマーという人が、自然治癒力を発見
し、イネイト・インテリジェンス(先天的英知)と名付け脳幹から発することをつきと
めた、という。今にはじまったことではなく、欧米では古くからの治療法だった、
と。
 今回、話題にしたいのは、生活習慣についてです。生まれた時には、立派なイネイ
トがからだの中を流れていたのに、便利な現代生活を続けるうちに、阻害され、自ら
の治す力を失っているということ。考えの基本は「自然にかえる」の一言につきる。
便利なものほど危険−と私は思っているが、衣食住の中の、極く細かなものの中に
も、危険なものは、いっぱいあった。
 例えば、きつい靴。カッコヨク見せるための靴は、反自然でイネイトの流れを悪く
する。パンツのゴムも、きついベルトも反自然。衣服も綿や絹からポリエステルに。
ナタネ油の火から蛍光灯に。木造家屋から鉄筋コンクリート住宅へ。歩行から車社会
へ。

自然へ返れ!
食卓においては、最も問題がある。まず第一に飽食。昔は飽食もなかったろう。それ
に、粗食だった。第二に、主食は玄米に。一昼夜浸水して電気釜(普通の)で少し多
めの水で玄米が炊ける。農薬を使った食べ物が反自然で良くないことは当然だ。加工
食品のはんらん。水道水の悪化、アルコールやコーヒーの飲みすぎ、砂糖のとりすぎ
など、波動療法でもイネイトの流れを阻害すると言っている。
 近代の文明史は、人造品の歴史だったが、結局のところ、人の治癒力を弱めて、病
人をつくる歴史だったのか−便利さもいいかげんにいないといけない、らしい。
私のヘルニヤも、波動の刺激を貰ったものの、つまるところ自分の力=治癒力で治し
つつある−わけ。1ヶ月の完治が早いとすれば生活習慣が正しかった、と言えるかも
知れない。

・・・お米がピカピカですごくきれいでおいしいです.食べるとグーンと力が湧いて
くるようなそんな感じ。S先生に波動調整随分して頂いていたので矢田さんのおコメ
のすごさはすぐわかりました。
 通信もよませて頂いて感激しました。こんなにも奥深くお考えになられて作って下
さる方がいらっしゃること、心強く思いました。息子さんとお二人で、とのこと、こ
のお米が代々受けつがれるよう祈ります。 府中市 大野仁美さん

▼その後、コクゾウムシはどうでしょうか?脱酸素剤は、密封の必要があり、全員に
資材不足で届けられませんでした。今回は、ランダーパックを同封します。折り曲げ
るだけで、密封の必要がありません。この袋に、コメを入れておくだけで良いそうで
す。

▼そんなわけで、大事な時期に(イネの補植や除草、施肥・柿の消毒)およそ1ヶ
月、仕事を休みました。息子ひとり、なんとか頑張りましたが、収穫にどんな影響が
出るのか−案じています。が、いまでは、力仕事とあまり歩いてはおりませんが、軽
作業は出来ますので、ご安心下さいませ。
▽昭63年のポリープ手術以来、13年ぶりのわが家のピンチでしたが、「限界」を
識った良い体験でもありました。何しろ、10年あまり、疲れ知らずで働きつづけら
れました。不思議なほどでした。小旅行で疲れても仕事をして疲れたことはなかった
のです。書類の整理、読書も出来ましたし、何より良かったのは、波動療法に思わぬ
接近ができたことです。

101 2001年4月号(H.13)

○・・・春たけなわ、となった。木の芽が吹きだし、ウグイスも1時間早く5時から鳴き出してくる。田んぼのオタマも平年より早く誕生した。今年、いままで見たことのないタマゴが田でみつかった。そのタマゴもかえって、エラが6本(?)もある幼魚(?)が出現した。
○・・・孫娘は「イモリだよ」と自信顔。テーブル上の容器で飼っているが、はたして、何物になってくれるのか?
○・・・今年の桜は、島でも1週間早く開花したが、その後、低温ぎみで、無降雨。半月も雨なしだ。

『先刻、玄米コシヒカリをお持ちくださった方、すばらしい米です。どなたが作られたものですか?あなたですか?佐渡で?これは並みの良さではない、とてもすばらしい米です。手に持っただけで、充分わかります。わたしの六感は、機械以上です。確かです。よかったですね。あとで話を聞かせてください!』
これは新潟での、波動治療研究会の会場でのこと。講師は、東京の木村仁氏。問題のコシヒカリは、わが家の米だった。

波動
世に、一目ぼれ、相性がいい、六感があたる、馬が合うという現象がある。なぜ、こういうことが起きるのだろう? 
 人も物体のあらゆるものも「波動」というものを発していて、各々固有の波長がある。その波長がたまたま同じであると、互いに「共鳴」する。音楽や科学実験で使う「音叉」にあたる。さしずめハーモニイとでも。音でも光でも、電気でも、ラセン状
の波形「波動」で進み、伝わってくる。
 普通に「電波」は理解されている−電気の伝わり方で、高周波(ケイタイ電話など)や低周波(一般家電製品など)とあって、波形の大きさによって、区別されている。「波動」は、磁波を含めて、あらゆる物体から発するモノ=波を言うらしい。
これまで、私たちは、見る、聞く、感じるといった行為が自分の機関で行っていると考えていたが、実は、その間に、"波動”が介在したのだ。新しい科学の分野だという。

MRA
 波動があるところには必ず磁場が働き、電磁波を生む。この電磁波を分解して(?)数値化する機械がアメリカで開発(MRA=共鳴磁場分析器)されたのは1989年のこと。数年前、新潟にもMRAが紹介され、わたしは身体検査をして貰ったことがありました。MRAには、人間の正常な臓器の数値がインプットされており、この数値に"共鳴”すれば、その人の臓器は正常だと、わかるのです。目に見えない波動を数字でみえるようにした大発見だったのです。
 これは、人間の点検の場合ですが、農作物も同様に、好ましい数値をインプット(免疫、周波数)しておけば、測定できるわけで、わが家のコシヒカリも柿も、川田研究所から測定してもらっています。(後述)
 この時から、波動について関心が深くなったのでした。
 ある宗教集団で、作物に誉める言葉を投げかけて作るという方法をとっていると聞きますが、これも波動の働きではないかと思うのです。というのは、最高の波動は"愛”なのだそうです。愛情を込めて作物を作ること、悪い波動を持つ農薬や化学肥料などを使わない栽培をすることがこの点から言えるのですね。食べてくれる方々の顔を想い描きながら、その方々に感謝しながら、真心を込めて作ったものは、[ネガティブな波動を中和する力がある」と、食品研究家の菅原明子氏も言っています。
MRAは応用範囲の広い、すばらしい機械ですが、値段もすばらしいので、その後出逢っていません。

波動を治療に利用する
 その波動を治療に使う人が現れました。木村仁という方です。木村先生は、もとは鍼灸師だったのですが、波動を感じ取り、その波動を人体に共鳴させる技術を身につけた、といいます。そして、正しくすばらしい(?)波動を発生させる物質アディオを開発したのです。(これは企業秘密のようです)
 人は、自然治癒力を持っていて、或るキッカケがあれば、どんどん自分で病気を治してゆけるものだといい、それが波動だというのです。多くは、アディオを使うが、時には最高の波動といわれる想い=愛の祈り、さえもキッカケとしての治療にも使
う。それは、神的でもあり、宗教的とも言える風景であった。
 ただ宗教のように「信じなさい」ではなく、自由で無心であれば良いらしく、犬猫や子供の治療はきわめて有効だという。全国30ヶ所で「むつう整体」治療院が開業している。わが佐渡にも分院(新深本院の)があり、わたしも治療希望者を紹介中
だ。私自身も体験したいと思っている。
 前置きが長くなったが、冒頭の記事は、こんなわけで、私にとって、大変に嬉しい出来事であった。それこそ並みの褒め方ではなかったので、多分私は頓狂な声を発してしまった、と思う。MRA測定でも、ナトリウムカリューム分析でも、いままた波動的にも認めて貰ったことは、生産者冥利につきることでした。このことから、病気で悩んでいる(?)方々から、無農薬玄米の問い合わせ、注文が来るようになりました。その方々に、役立って貰えれば、なお嬉しいことです。




分析結果について

我が家の無コシヒカリ MRA測定結果

免疫力 ミネラル 周波数
18 22 8.4Hz

我が家の無・柿 MRA測定値

免疫力 ミネラル 周波数
16 17 9.1HZ

我が家の無・コメ類 ナトリウム カリウム比

  コシヒカリ 黒米 赤米
Na
43 50 20


▼MRAの測定値は免疫やストレスに対する波動で、+21〜-21までの範囲。+21に近いほど良い。農薬の残留があると、12〜15Hzまで増えてくるので、低い周波数ほど良い。川田研究所はミネラル研究所でもあるので、ミネラル数値を調べて頂いた。
▼人間のからだはNaK比が1対15。これに近いほど良いコメであるといわれるが現代のコメは1対125(食品分析表) わが家のコシヒカリは1対43(東京薬科大、吉原教授分析)黒米の数値は、納得できないので、再挑戦の予定だが、古代米がすぐれている理由がこれでわかってくる。

▽「矢田さんのコメを木村先生に見て貰うとき、余り良くなかったら個人的に話してください、とお願いしておいたのに、本当によかったですね」。仲介を依頼した新潟中央むつう整体院の涌井先生の弁です。波動療法は、良い波動をもつ食べ物を食べなさい、という。
▽わが家の、不耕起栽培は、今年かなり苦戦している。田圃からの水もれ防止がひどいのだ。やむなく耕した分が多いが、微生物の働きで、土はドロンドロンになっている。柿は平年より早く展葉しそう。
▽「ばあちゃん、これみて!こんなのがあると、おコメ美味しくないんだよネ」5歳の孫息子が田の隅に吹き寄せられた藻類をみつけたときの話。
「うちの三代目もなかなかやるわ」とは家内の弁。80戸の我が村の、新一年生は二人。毎朝、家内と彼が通学道まで孫娘を送ってゆく途中のこと。

100 2001年3月号(H.13)

改題 こだわり農園だより
朱鷺の島から
100 2001年3月号 矢田農園

○・・・「じいちゃん、もうすぐ春なんだよ」と孫娘。3月5日のこと。「どうして?」「だってさ、ウグイスが鳴いたんだもの!」と得意気に。「いつ?」「今朝!」「ほう!」 彼女は、この春、小学校に入学となる。そのウグイスが、このところ朝6時に竹やぶのあたりで上手に鳴く。
○・・・残雪は遅くまであって、いまだに山の柿園には一部に20センチも残っている。湿りぬかるんでいた畑の道も、4、5日の陽気と風でカラカラに乾いてきた。陽の光のありがたさ、偉力さ。
○・・・不耕起栽培の田をみまわると、もう、大きなカエルの卵のかたまりが浮いている。いくつも。今年もたくさん育つことだろう。が、雑草も発生しているのが気にいらない。

百号記念
わが家のニュース発行が丁度百号になった。「島の柿だより」から「島だより」を経て、5年前の正月に「風と土の詩」に改題し
たときは44号だった。百号を記念して『朱鷺の島から』に改めようと思います。時流色も否定しませんが、むしろ『北の国から』を私は意識しています。あの壮大な物語はとにかくわたしをゆさぶりました。あやかって、この孤島から発言をして行きたいと思います。どうぞご支援を。

この国の将来をきめるのは、農家と食べる人の一粒のコメの選択にはじまる。そういう時代のめぐりあい、なのだ。

作り手の責任において
生産者の責任と誠意において「たより」を発行して行こうと思ったのは、96年1月からでした。農繁期を含めて、毎月1回発行を続けるのは、時に骨が折れることがあります。予定していた夜になって、気力がなく難産に。翌日も発行できないことがスト
レスとなって、仕事が手につかなかったり・・・。そんなときは、皆さんからのお便りを再読して、「ヨシ、頑張るか!」ということになるのです.。
皆さんから戴いた元気によって発行できた百号−共同作業の成果といえます。ありがとうございました。「一緒にいい紙面を作りたい」と言ってくれた方もいました。そこで、皆さんからの声を特集させて貰ったことも。また或る外部の人から「レベルが
高いね」と言われたこともあります。それは、そのまま、読む人のレベルの高さであります。
 原紙に向かって書き込むこと1日(荷札を書いて精米して、箱詰の発送までの1日半)の時間は、正直のところ、労力的にきつい月もありますが、しかし、気付いた人間のつとめとして、これからも頑張ってゆきたいと思います。


昭和30年代半ばから、40年足らずの間に、或る意味でこの国は狂いはじめました。それは、そのまま、私の人生といえ、前半の20年は、疑いもなく、私も加担した農業をしていました。
この20年なり40年なりの、悪の時代の代償がこのあと、どのような形で現れるのか、現れないのか−直視していかねば、と。そのツケはわが愛する子や孫の身体を実験台
として、知ることになると思うと、やりきれません。
前述の、44号紙上で、「反開発、福祉、有機農業施策」で戦った市長選挙のことを書きました。結果は敗北。(候補だったI氏はつい先頃他界)。市民は、さらなる開発を選択したのでした。
賢明なる長野県の有権者ながら、新しい知事は、苦戦を強いられているようです。力つきて止まるまで、金儲けのコマは廻りつづけるのでしょう。金儲けのために、生産現場では、どれだけの悪が行われているか知れません。これからも農の現場から告発をしてゆきます。

反"開発"
そんな一つに、村の中にも疑問な開発事業があります。最近号でも取り上げた利水用ダムや大型土地改良事業など。地元農家の要望からではなく、土木事業拡大のための開発事業で、本体工事が国費であるため農家もつられて同意する。ただだから貰い得−しかし、実際は、維持管理が大変なのだ。水は来た、しかし、田を売らなきゃならん−というはめにもなりかねない。
"圃場整理"という土地改良事業。これにもオトシ穴がある。さまざまな規制がある。1枚の田の大きさを5反〜1町歩(約3000坪)にしろ、と言われる。現状の5〜10倍の大きさである。
この大区画でイネを作るには、これまた、苦労がつきまとうのだ。
農外に目を向ければ、巨大な開発プロジェクトがおびただしい。それらの反自然な行為が、これから人間にどのような見返りをもたらすのか。
『園主の半生』シリーズを読んで頂いたが、"反開発"は、私の生き方そのものと言える。農業自体が環境に負荷を与えるものなのだが、食糧の安定確保のために最小の負荷で行う農法を求め続けたいものだ。

『北の国から』
脚本「北の国から」のドラマ化はすばらしかった。北海道の原野に入って、親自然(反開発?)な生き方をする主人公、屋根に取りつけた小さな風車で、電気を起こし、ランプ生活からのがれた、そのささやかな喜び、ささやかな試み。ひとの心、愛を克明に謳いあげ、北の国の自然とそこに住む動物を丁寧にとりあげた物語。
それは、これからの日本人の生き方の方向性が示されているように思うのだ。あれほど重量感のある作品はしばらく出ないのではないか!
自称「俺がモデルだ!」という男に逢った。なるほど、物語は"有機農業"に至っている。富良野で農業をしている彼は、原作者の倉本聰氏を良く知っていた。改題はこの時にきめた。
「北の国から」にあやかって、そこから力を得て、目標にかかげて、コツコツとやってゆきたい。
                         (100号記念の日に)

コクゾウ虫
大宮の加藤さんのすすめで、私も、桐のコメびつを買った。外材なら2000円以下で買える。
初夏に、皆さまに、脱酸素剤(エージレス)とポリ袋をお届けします。袋を密閉して、酸素を抜いてしまう方法。袋は、洗って何回も使用可。エージレスは多分一夏は使用できるのではないか−と思う。
コメの残量が少なくなったら冷蔵庫に入れる、という方もございました。
今年の夏も、暑くなるでしょうか?
特殊な「袋」を東京の栗原さんから紹介して貰っています。

▽減農薬米は年末までに余裕分はなくなりました。(予約分は確保してあります)が無農薬米は、余裕があるようです。知り合いの方で、希望者がいられたら、ご紹介下さい。
紹介して下さった方に、お礼の品(産物)を用意しております。よろしく。
▽わが家は、もったら郵便局のゆうパックで、輸送しております。ついては、荷物の受け取り希望時刻をお知らせ下さい。午前、午後、夕方、夜間の4種類です。(振込用紙で)
▽私の上京に際し、逢いに来てくれた方々、ありがとうございました。到着が遅れた会場の方に、おわびします。


 

99 2001年2月号(H.13)

     春に向けて日数だけがどんどん進んで行きますが、寒さは和らぎません。近年にない寒さマイナス3度を体験しました。柿園では最大で2尺、庭続きのの野菜畑にも1尺の積雪があります。剪定作業をする日和が少なくて、まだ半分ほど残っています。

     気がかりなのは、水田への水掛のこと。水路が雪で埋まっているため十分に灌水が出来ないのです。田んぼにも20〜40pの積雪があり、不耕起栽培の準備が完了していません。雑草が押さえられるかどうか?

 

T・H君。前号では農業に取り組み上での心構えについて参考意見を書きました。今回は我が家がどういう農業をしているか、また今年の計画について書いてみます。参考になれば幸いです。

 

代かきなしで苗を植える

一頃は(私一人の時代)、受託を入れて3haの水田を耕していましたが、大きな経営をしても儲からないこと、農業依存の農業になってしまうことから自作だけの2.4ヘクタール経営にしました。この規模が家族経営にもっともふさわしい大きさだと思います。反当たり収量も統計上最も多く、収益率も高いのです。

はじめは3〜4反が無農薬栽培でしたが、今では3分の2までが減農薬や無農薬で米作りをするようになりました。除草機や米ぬかによる抑制によって、可能になったのでしたが、雑草はさすがにすごい生命を持っていて、ものすごい反撃に出るようになりました。

 昨年からはじめた不耕起栽培は、意外な成果をもたらしました。これは単に代かきをせずに田植えをするだけではなしに、田面全体に微生物を積極的に繁殖させて生態系の世界を完成させ、そこからの有機酸による抑制作用を期待するものでした。これによって、昨年は大幅に省力で無農薬栽培ができ、最大で472キロの収量がありました。2年目の今年はさらに拡大して大半の水田で実施する予定ですが、雑草がこれに耐えて、さらに復活してくるかどうか注目の所です。

 不耕起栽培は、文字通りトラクターによる耕起なしで田植えするもので、労力が掛からない上、秋からの水張り水田にするため、おびただしい水田生物の発生が見られ、環境の浄化や循環に大きく寄与すると思われます。早春には、村中のカエルが我が家の水田めがけてやってきたようで、オタマジャクシが黒山のように発生するのを見て、言いしれず豊かな気分になります。(このオタマを取りに狸が来ると言うことをいつかはなしました)

 残りの6反歩の低農薬栽培のコシヒカリは、栄養周期説農法でやっていて、昨年は佐渡平均を80キロも多い、620キロの反収がありました。稔りのよいのに、調査に来た農林省の職員もびっくりしていました。

 この低農薬栽培は、除草剤のほか農薬散布は2回でしたが今年からは自信もついたので、苗の時だけの農薬一回散布に減らし、価格も少し値引きします。

 かくして、稲作では抑草にめどがつきそうな所まで来ましたが、一番の問題はイネミズゾウ虫です。田植え直後に発生する虫だけに、天敵がないためにとにかく困ります。T・H君の実家の当たりは平場だから被害は少ないかもしれません。この虫の被害が少なければ、無農薬米の値段もかなり安くすることが出来ると思います。

 

気が付いてみれば日本一 柿

 我が家の二つ目の産物は柿です。

父の代からの産物ですから、もう50年以上になります。混合剤(2種類)で10回近い農薬散布に疑問を抱いて、いきなりの無農薬栽培に挑戦してから18年(試験的に)生協への取り組み、販売に活路を開けて、自信を持って拡大しましたよ。気が付いてみたら、日本中で無農薬で平たねなし柿を作っているのは、我が家だけになっていました。

 勿論、農協の共同出荷をやめて、全部自分で販売することにしたのです。長い間、農協で役員もしてました。そのころあなたの義父TGさんに逢ったのです。生協やゆうパックなどにも集荷はしていますが、無農薬の柿は、多勢の都市部の皆さんへの個人宅配です。長い人では、ほとんど最初から20年もご支援を頂いています。

 果樹はコメと違って永年作物ですから、容易ではありませんが、考え方は一緒です。どれだけ微生物に働いて貰うかだと思います。根が深いですから、地下まで酸素を供給したり、適度の水分を保つような排水対策や酸素の調整などが要求されます。

 ここでも栄養周期説農法を用いると甘い柿ができ、マイナスイオンを補給する電子農法で無農薬でも荷崩れしない、日持ちする柿が穫れるのです。

かくして、沖縄までも脱渋した甘い柿が届けられるようになりました。これは私自身驚きでした。最後に特記しておきたいことがあります。

 

 それは、我が家は、抗酸化の柿とコメを作ろうとしていることです。酸化するとは腐る、と言うことであり、酸化する食べ物は、人間を老化させ、病に追いやることです。外観や味以上に酸化しにくいコメや柿でなくてはなりません。免疫力・ミネラル・エネルギー・周波数など種々な要素がありますが、それらを計る機械が開発され、我が家のコメも柿もかなりの数値を検出しています。

新しい時代が来たのです。

 

98 2001年1月号(H.13)

○・・・新しい年になりました。寒中お見舞い申し上げます。温暖化を忘れさせるような豪雪と寒波ですね。島の冬は吹雪の日が多く、十二月の欠航は前年同期の七割強も多い、有様。
気温もマイナス二度に、我が家の庭に40〜50pも積雪。なんねんぶりかで屋根おろしをしました。
○・・・そんな中で、しんねんのけいかくを練りました。稲作では、不耕起栽培を主体にして、省力化してその分、老後対策元年に。柿作りは息子に譲り、新たな出発点を。
健康に留意して頑張りたいと思います。新年もどうぞよろしく。

正月早々、44歳男性からメールが届いた。

『実は、私の家内の実家が佐渡で細々と水田・柿畑を持っているのですが、義父が亡くなってから、管理を人に任せているのです。二人姉妹の姉と結婚した私は、姓も変え,いずれ本格的に家業に打ち込もうと考えているのですが、規模が小さくて、コメも柿も収入が少なく この年齢では、就職も難しいこと、(今は国家公務員)また、家内は寒い佐渡では暮らしたくない、と言っていることなど、ほとほと困っています。
 けっして金銭欲で仕事をしようと思っていません。佐渡は朱鷺のこともあり、化学肥料漬けの農業が変わるのでは?と思います。地球環境保全という次代に残す仕事がしたいと思っているのです。
 佐渡の農業は大丈夫なのでしょうか?周りはお年寄りばかりだし、農業だけでは食べていけないし・・・・・
ご助言いただければ幸いです。私は東京・葛飾出身です。                                              Tより 』

 

島の農業は大丈夫か?
はじめまして、Tさんと言えば、T・Gさんの婿さんですね?TGさんなら農協時代一緒でしたから存じています。東京出身のお婿さんから、頼もしい、うれしい便りでしたよ。
 伺えば、佐渡へ帰って農業がしたくて、かつて数年間たびたび島にきて草刈りや稲刈りも体験されたとか、大変でしたか?新しい仕事は、何でも大変です。

 有機農業のことを今年から「生態系農業」と呼ぶことにしたのですが、佐渡では、ほとんど新しい動きはありません。あなたのように、島の遠い将来を見据えた農業のあり方を問う農家は、とても少ないと思います。だから、あなたのような人が島に来て、頑張って貰うしか手はないと思っています。
 特に、あなたのように目先の金儲け・補助金目当てではない正しい農業のあり方を考える方々が増えなければ、明るい展望はまず「ない」と思います。朱鷺がいる孤島して、今ベストの条件があると言いながらも。。。

 我が家は、安全にこだわる農業を初めてかれこれ20年ですが、やっと、ポッと先が見えてきたな〜と言うところまで来ました。それは技術ばかりではなく、穫れた産物を自分で販売しなくてはならないからです。一つずつ一人ずつ地味な努力で信頼を築いて行かなくてはならないからです。技術もまた手探りです。公の農業機関(試験場や普及センター)は、何も研究していないのです。とても遅れています。

そういう暗中模索の世界を行く覚悟が必要です。失敗の責任を誰にも転嫁できません。それから、もう一つは提携した消費者には、どういうことがあっても産物を届けなければならない責任がると言うことです。
そうした決意と情熱があれば、厳しい世界でも何とか活路は開けると思います。また、希望を満ち続ければ達せられるでしょう。これが20年目の私の体験感です。
 農業は本来、人の食べ物を作る【聖職】でした。教職や医師より先に。それがいつの間にか3流の職業にされ、果ては邪魔者扱いにも。そのスタートは昭和30年代からでした。

生態系農業・元年の年
私の就農は、そのころからでしたが、10年あまり疑いもなく私も「近代化農業」に微力ながら荷担しました。数年を経て、誤りであることに気づいて、「生態系農業」に転換しました。
 農業は金儲けの仕事では行けなかったのです。あなたが考えるように、国土を守る役目も任されていたのでした。安ければよいという理由で外国産の安全農産物を買うのではなく、この国のこの地の生態系農業を振興させなければ、早晩私たちは自滅してしまいます。
 この40〜50年間の農業は、微生物無視・抹殺の非生態系農業でした。決して、昔の農業に戻るのではなく、初めて微生物の存在を意識して、そこから食物連鎖に基づく生物学に迫る、まったく新しいかつ正しい農業が始まるのだと思います。

佐渡の農家の多くは、よき時代の既成概念から脱却できずに自立心も乏しく、ただ待ってるだけです。あなたは、東京生まれで、農業にとっては新人です。悲観することはありません。むしろ、新鮮な感覚で新しい農業技術を開いてゆく可能性もあります。

私は今、高校の生物・化学などの教科書をひもといて勉強していますが、そんな基礎学習が必要です。植物の生理・微生物の生態を学ぶどころから始まると思います。

そしてもう一つ大事なことは、あなたを信頼してくれる消費者がなければ、成り立ちません。その点、あなたは今東京にいて、官庁で仕事もされています。あなたが就農したときに、物心両面から支えてくれる仲間を確保しておくことです。我が家が今日あるのは、関東圏の消費者のおかげです。古い方はもう20年近く支援を頂いており、親戚以上の支援をして貰っています。残念ながら、地元佐渡の消費者の理解・支援を得られる状況にはないのです。その点、あなたは今ベストの条件下にあります。

それから、あなたが心配している農地について。たしかに土地がなければ、農業は出来ませんが、そんなに悩むことではないと思います。おっしゃるとおり、佐渡の農家も後継者不足で、耕作放棄が続出していますから、手に入れることも可能でしょう。幸いなことに、奥さんの実家の田畑があるのですから、強みです。帰られるのでしたら、5年以内を目標に頑張ってください。あなたの体力・意欲の点からも早めが得策です。

その場合、仮に順調にいかなくても「自給」主義を貫いて、豊かさを糧としてください。自給は農家の基本だと思います。近代農業は、「選択的拡大」と言って一作物を大規模に作ることでしたが、これがまちがいだったのです。
 食べるものは、自分で作ることに徹し、農家らしさを味わってください。

私の村では、鶏を飼っているのは我が家だけ。(牛は2軒)農家でありながら、卵もスーパーで買っているんですよ。家の鶏は台所残飯処理と時価菜園の堆肥作りも担当しています。それらで自給度80%が我が家の目標です。

以上、質問に答えて基本的な考えを述べました。機会があれば、技術編にも応えたいと思いますが、要はあなたの決意と情熱に掛かっています。勉強することは山ほどあります。

まず、夢を描き、決意を「宣言」してください。勉強とともに宣言をより具体的にしていくようにしてください。

 

△・・・新年の抱負をこんな形式で述べてみました。彼のような若者がいなければ島の農業もよくはならないかもしれません。農業はたぶんに他力本願だから。。。

△・・・干し柿ご注文ありがとうございました。たくさんの注文で完売しました。餅類は注文があればこれからも作ります。
△・・・2月下旬に上京します。
△・・・古代米の赤米が5kg、青米は5kg残っています。いかが?