体験記かな?

bS 鹿児島へ。。タタッ。ヘ(;・・)ノ 「とこしえに」   2010.1.25   なんでもありこtop 

 
 「知覧という土地」 2009.10.9


台風で帰京をのばした私たちは、1日だけ観光をする事にしました。
鹿児島に着いたとき、福祉タクシーのドライバーが「知覧に行って、泣けない人は日本人じゃない」と
話してくれた事がきっかけだったような気がします
少し遠いけど「知覧特攻平和会館」に足を伸ばしてみることにしました。

戦争を知らない世代をのほほんと生きる私たちです
「特攻」と「平和」が一緒に並ぶ言葉がしっくり来ない私は、あまり乗り気じゃ無かったんですよ
どうも、観光の名を借りて戦争の傷跡を見るようで気が進まない、数年前旅した長崎でもそう思った
乗り気じゃない私に殿が「武家屋敷」も有るから・・・・どうしても行ってみたい殿につきあってあげることに(笑)

ここでは、戦争や特攻の是非を語るつもりはありません。何も知らないから語れないのですが、
心に響く何かを感じました。つらつら書いてみましょう・・・始めましょうか

市内から指宿スカイラインを走り1時間半くらいだったかな・・
知覧の町に入ると道路の両サイドに灯籠がならんでいます。その灯籠は特高観音入り口まで林立していました。
最初に私たちの目に入ってきたのは、映画撮影の為に制作された戦闘機のレプリカでした
その戦闘機を見つめるように2体の像があります。

特攻勇士像「とこしえに」を静かに見守る優しい母、鳥濱トメさん(特攻の母)の、その想いが母の像「やすらかに」に姿を変えて立って いました。

 

「やすらかに」

 

特攻隊の若い命は再び帰らず。
出撃の瞬間まで求めたであろう母の姿。
この晴姿をせめて母上に一目
最後の別れと、お礼を一言
胸も張り裂けそうな、その心情は、
母もまた同じであったろう。
今ここに立つ母の姿
とこしえに母と共に安らかに
母の温かい実胸で
御霊の安らかならんことと
世界平和を祈念して

 


特攻機は、ついに帰ってきませんでした。
国を思い、父母を思い 永遠の平和を願いながら
勇士は征ったに違いありません。
御霊のとこしえにやすらかならんことを
祈りつつ りりしい姿を永久に伝えたい
心をこめて 開聞の南に消えた勇士よ



「とこしえに」



 

特高平和観音堂です。
観音堂の周りには、灯籠がいっぱい
観音堂、向かって右側にスロープがあり
壇上まであがれます
観音堂内に入るには敷居があるので
人の手が必要でした。
まんなかに小さい何かが見えますよね
多分私です (笑)
季節によって、この場所は見事に彩られるそうです。
春に、訪ねてみたい場所リストに加えることにしました 

 
スロープ上から見るとこんな感じ
 

この後、特攻平和会館へ向かいました
特高平和会館は、写真撮影が禁止されていましたので、自前の画像はありませんが
南九州の公式サイトから、拝借しながら書き進めますね


画像をクリックすると「南九州市HP」に飛びます。
特攻平和会館の外観です。
入り口を入ると、目の前に 「鎮魂の賦」が迫ります 


紅蓮の炎をあげて燃える隼の機体から特攻隊員の魂魄(こんぱく)を6人の飛天(天女)が救い出し昇天させる姿を表したものと説明がありました。

高さ3mで幅4.4m

天女が昇天させるって、私には想像出来ない構図で
身が引き締まるようでした。
天使だったら立ち止まり見入ることなく
眺め通り過ぎたかもしれない
陶板壁画の優しく抱きかかえる天女の顔が、
優しくとても悲しげに思えました

あなたには、どんな風に見えますか???


 

画:仲矢勝好 南九州市HPより



南九州市HPより

展示室一つめのホールは
隊員の遺影が出撃戦死した月日順に
掲示されていました
みんな若く、りりしい姿です。
 
遺影が並ぶ下のガラスのショーケースには、
隊員達が書いた家族宛の手紙や、遺書が
上から見られるように展示されていましたが
車椅子に座った状態では残念ながら
のぞき込む事が出来ませんでした。
でも、下部の引き出しになっている所にも、
彼らの書き残した様々な物が展示されていて
私でも、かなりたくさん目にする事が出来ました

気になったのは、写真撮影禁止と言われた館内で
シャッター音が、していた事です。
ダメと言われても、写さずにいられない人がいるのね
ブログやHPネタの為に撮影してない事を願ってしまった(爆)
遺影に記された年齢を見ると
私の子どもと変わらない年頃の少年もいるのです。
彼らが残した遺書の、多くは
「お母さん」に呼びかけるものでした
複雑な感情が動き出します。
両親へ兄弟へ妻へ婚約者へ
幼子が大きくなったら読めるようにとカタカナで書かれた遺書
読み進めていくと、少年達の思いが伝わってくるような気がして、切なかった
この子達も、家族を 守りたかったんだわ・・

修学旅行の季節だから、
中学生かな?高校生かな?
口々に感想を漏らしながら、読み慣れない文字の解読に忙しそう・・
真剣にメモをしてる子もいた
この子たちも、私と同じように何かを感じてるんだろうか・・・



南九州市HPより

写 真・遺書・遺品等約4,500点が展示されている。立体ケースには「日の丸寄せ書」や遺書・絶筆・遺品等が展示されていました。
他にも、隊員が身につけていた物も・・

 

惜別のメッセージを いくつか、書き写してきました。
崇高さに溢れ美しい字で書かれている自筆の物を画像で紹介できないのが残念です。
隊員の遺影が壁何面に渡り揚げられていて、出身地、名前、階級、年齢が紹介されています。
特攻後に特進した階級なんだろうなぁ・・・みんな若いのに尉官や佐官の階級なんですよ


 

私は、昭和35年生まれ、私の生まれるたった15年前の出来事なんだと思うと
何も知らないでいるのが、申し訳なくさえ思えてきます。
展示されている写真の中には、日常を写したスナップもあります。
数時間後には、飛び立つという彼らの笑顔が衝撃でした。
この、若者たちの人生の上に、私たちが生きる今が成り立ってる事を肝に銘じ
大切にしなくちゃ!!ボーッと過ごすだけじゃダメよ!!そう自分に渇を入れたくなります

職員(関係者?)が視聴覚室で、隊員のエピソードや、基地の歴史をシアターや語り部で伝えてくれます。

ホールの隅には、鳥濱トメさんや残された方たちからの証言をVTR映像として見ることが出来るコーナーもありました。
ホールを奥に進んでゆくと戦闘機が展示されています。
小さい小さい飛行機です。3機展示されているうちの1機は「海軍零式艦上戦闘機」で
海没していたものを、知覧町が引き上げたものだそうです。機体は35年間も海中にあったため無惨ですが
零戦をしのぶ姿で、展示されています。

敷地内にもう一ヶ所、見る場所があるので、急ぎ足で外に・・・・・
だって、開館時間が17時まで、到着したのが13時頃だったから、急いで急いで!!!!
昼食もとらずに、スタコラサッサ!!武家屋敷も見るんだもん\(^_^)/


会館の外に出ると
真っ白な「平和の母」が、静かにたたずんでました。
ながーい間スケッチもしてないけど
優しい顔、描きたいなぁ・・・写真で残すほど気に入りました
不覚にも惚れました。という方が正しいかも(笑)
っと云いつつ、ラフ画も描いてないけどね
描きたいと思うだけ・・・本当に思うだけ(爆)

映画「ホタル」で有名になった
特攻の母、鳥濱トメさんが経営していた
「富屋食堂」も見てみたいと、この像を見て思ったけど
時間が足りなそうで、諦めることに

私は邦画をほとんど見ないのですが
知覧を訪ねて、
見てみてみたいと思う映画が二つ出来ました
「ホタル」と「俺は、君のためにこそ死ににいく」
今更ですがDVDを借りてこようかと、
思案中のまま年を超してしまいました。(笑)


そして、殿がどうしても見たかった「三角兵舎」は、こんな所です。
隊員たちの為に用意された寝具は
町の人たちが提供したそうです。
写真の物よりも、もっと良い物だったと聞きました。
宿舎を目の前にするだけで、飛び立つ前の数日間を
ここで暮らした様子が鮮明に想像され、切なくなりました。
この三角兵舎は復元された物だそうです。
半地下になっていましたので私は、外で待ちぼうけです(笑)
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「三角兵舎」
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三角兵舎は特攻隊員の宿舎でありました。
敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、
屋根には杉の幼木をかぶせ擬装してありました。
各地から集まった隊員は2〜3日後には雲のかなた
沖縄の空に散華されました。
出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催され、
酒を汲みかわしながら、隊歌をうたい、薄暗い裸電球の
下で遺書を書き、また別れの手紙などをしたためて、
出撃して征ったのです。
 

戦争が残すひずみ等、人ごとのように、思えてしまいがちな平和の中で過ごす私、いえいえ私たちですが、
こういう場所を時には訪ねて、忘れかけそうな謙虚な気持ちや生きる事がどれほど大切なのかを感じるべきだと思いつつ
耳にする戦時中のエピソードは美化して受け入れてしまいがちだけど沢山の遺書や手紙や日記、
そして遺品から美化してはいけない大事な事も学びとらなくちゃなぁと心底思いました。

特攻平和会館の中に「感想ノート」というのが、置かれています。
軽い気持ちでペラペラとめくって、流し読みする中に釘付けにされる書き込みを見つけました。
「今日はじめて父親の顔を見ることが出来ました」何年もの月日を経て、遺影の中にお父様を見つけたのでしょう
語り部の「 逝く者は、後に残された人の心を想い、笑顔で発つのです」と云うフレーズを思い出しました。
この方のお父様は、どんな笑顔を誰に向けて出発されたんだろう・・

各地に存在する、特攻隊が出撃していった飛行場には大小の差はあっても
慰霊の為の平和会館や祈念会館が存在するのでしょうね
そう思うと、数の多さを考えずにいられなくて、今考えてもやっぱり切ないなぁ・・・・・


タクシーの運転手さんが言った「知覧に行って、泣けない人は日本人じゃない」
日本人なのは、確かだけど、私は涙しなかったよ。冷めた人間なのかしらヽ(´・`)ノ フッ…(笑)

長くなってしまって、武家屋敷まで到着しない模様です
次回は、武家屋敷に到着しまーす!!! 2月初旬になるかも(爆)



名称;知覧特攻平和会館
住所;鹿児島県南九州市知覧町17881
電話;0993−83−2525

営業時間【9:00〜17:00】 入場受付16:30まで
料金   【大人500円・小人300円】
車椅子対応トイレ、1ヶ所
車椅子対応スロープ有り(別館展示室はスロープ無)
車椅子貸出2台有り

詳しく画像紹介しているサイトがあるので、お知らせします。
出かける予定のある方は、チェックしてみてくださいね

「やさしい鹿児島スイスイなび」
http://www3.pref.kagoshima.jp/suisui/26-chiran/014/


追記※
多機能トイレの所在は確認したのですが、使用しなかったため、説明が出来ませんm(__)m。


bS 鹿児島へ。。タタッ。ヘ(;・・)ノ 「とこしえに」   2010.1.25   なんでもありこtop