このページはリンクについての雑多な記事の続編です。
いくつか関連する記事がありますので、前篇を先に読まれることをお勧めします。
当サイトでは「直リンク」という言葉を、「トップページ以外のページへのリンク」という意味で使っています。
他のサイトではこの言葉が他の意味で使われている場合がありますので、ご注意下さい。
また、このページでは以下の用法を用います。ご了承下さい。
これまで、多くの人々がリンクの自由を否定する人々に対してリンクの自由を説明してきましたが、そういった説明に対して 徳保隆夫さんの「無断リンク禁止派と闘う理由を問い直す」 のように疑問の声(主張C)が上がる場合もあります。 このサイトでもリンクの自由を否定することの問題は何度か述べてきましたが、 今回は二つのポイントについて述べます。
リンク禁止問題で理解しなければならないポイントの一つに、「無断リンク禁止」を主張する人々は、
必ずしも無断リンクが嫌いなわけではない、というものがあります。
人は往々にして「嫌だから駄目だ」ではなく、「駄目とされているから止めろ」と主張するものなのです。
近年の個人情報保護法による人々の変化はその一例でしょう。
この法の成立以後、多くの人々が個人情報の提供に抵抗感を持つようになりました
(参考:「「クラス連絡網が作れない」――各地で起こる個人情報の狂騒 - SAFETY JAPAN [田淵 義朗氏] - 日経BP社」)。
多くの人にとっては元来、クラス連絡網等のための個人情報の提供はそれほど嫌なことではなかったのでしょう。
それが恐らく、「個人情報保護法ができた→個人情報はしっかり管理すべきなんだ→クラス連絡網のための個人情報も駄目だ」
といった発想から、多くの人が個人情報の提供に抵抗感を持つようになったわけです。
私が見てきた限り、リンクに関するトラブルにはこういったケースが少なくありません。 つまり、「無断リンクされるのは嫌ではないが無断リンクは悪事らしいので厳しく対応する」 というケースです。わかりやすい例として、匿名掲示板で紹介されていた次のケースが挙げられるでしょう。
- 795 :Name_Not_Found:2007/09/16(日) 13:26:33 ID:???
ある企画を勝手にリンクはってる団体へ打診したときに、
こんなメールが返ってきた。------------------------------------------------------------
先日のメールの件ですが、他のスタッフと話し合った結果、協力できないという結
論に至りました。
その理由といたしまして、そちらのHPにてhogehogeへのリンクがつけられているこ
とが問題となりました。
本来リンクを掲載する場合、相手の許可をもらうのが礼儀だと思います。
我々の中ではそちらからリンク許可の依頼があったとは聞いておりません。
ですから、勝手にリンクを付ける団体には協力できません。
そして、リンクを外すようお願いいたします。
----------------------------------------------------------ちなみに相手のサイトにはリンク云々に関しては全く触れられておらず、
無断ではっているであろう大手企業へのリンクも沢山。
思わず笑ってしまったw
「無断リンクは是です 22」より
これは匿名掲示板で挙げられていたトラブルとも言えないような出来事ですが、実際に私が見てきたケースでも、 こういった「無断リンクは駄目だとされているから止めろ」といった認識によるトラブルは少なくありません(補遺4)。
言うまでもなく、これは勿体ない話です。無断リンクは別に悪事とはされていないのですから、 無断リンクされた側がわざわざ厳しい対応を取るべき理由などないのです。 こういった誤解から本来なら生まれていたかもしれない人間関係が生まれなかったり、 時にはそれまでは良好だった人間関係が破壊されたりするのは全く馬鹿げていると言わざるを得ません。
現状は、喩えるなら「青い服を着るのは悪事だとされています」と主張する人や、
そう誤解されかねない主張をする人が少なからずいて、それを真に受けてしまった人々が
「青い服を着ている人がいる、この人は私を攻撃しているんだ」、
「青い服を着ている人がいる、こんな人は制裁を加えないと」等と考えてしまっているわけです。
このような状況で、「青い服を着るのは悪事だ」と信じている(かも知れない)人々に「青い服を着るのは悪事とはされていないんですよ」
と説明するのは、意義のあることであると私は考えます。
尚、こういった問題については以前拙稿誤解の理解-何故リンクが自由なのか - 理由なきリンク拒否でも触れました。 また、「無断リンクされるのは嫌だ」というのは好みや価値観の問題、「無断リンクは悪事だとされている」というのは現状認識の問題であり、 この違いについては拙稿リンクについての雑多な記事 - 価値観論争の前にでも述べました。 併せてご覧頂ければ幸いです。
“リンクの自由を否定する主張”への批判に対しては、こういった批判(主張C)もあります。
「わざわざ無断リンク禁止を主張するサイトにリンクして批判をするべきではない」……。
確かに、リンク禁止を主張するサイトにリンクをしなくても、そういう主張を批判(主張B)はできます。
事実、私はこれまでにリンクの自由を説く文章をいくつか公開してきましたが、それらで
無断リンク禁止/直リンク禁止を謳うサイトにリンクをしたことはありませんでした。
しかしそれでも、私は「わざわざ無断リンク禁止等を主張するサイトにリンクして批判をするべきではない」(主張C)という考えには全く同意できません。
なぜならそういった批判(主張B)は、リンクされたサイトだけに宛てられたものではないと考えられるからです。
無断リンク等に関するトラブルは、私の見る限り最近はかなり減ったようには思えますが、
それでも結構な頻度で起きています。その大半はリンクをしたことでリンクをした側が謂れのない罵倒を受けるというもので、
最悪の場合それでリンクしたサイトが閉鎖することもあります(リンクされた側ではなく、リンクした側が閉鎖する、です)。
しかし、大半の場合そういったトラブルは多くの人の目には触れません。そして往々にしてそういったトラブルは罵倒した者勝ち、
サイトを閉鎖させた者勝ち、といった結果に終わります。
リンクのトラブルの大半を占めるこういったケースは、リンクのトラブルについて
論じる人々の間でも驚くほど認識されていません。中には、リンクの自由を否定するとすぐによってたかって批判される、
リンクのトラブルの大半はリンクの自由を否定する人を批判することで起きている、等と考えている人すらいます。
特に顕著なのがはてなダイアリーキーワード「無断リンクとは」で、
私はこの文章の事実誤認を拙稿リンクについての雑多な記事 - リンク禁止問題の実状で以前指摘しましたが、
2008年9月現在もこれはそのままになっています。
たとえば学校で、生徒から教師への校内暴力が100件、教師から生徒への校内暴力が10件あった場合、まず問題とすべきは 前者でしょう。しかし、リンクに関するトラブルではしばしば少数のケースが多数派とされ、問題が歪められてしまっているのです。
実際に、リンクの自由を否定する人のサイトにリンクせずにそういう人々の主張を批判(主張B)していても、 人々はなかなか現実に起きている多くの問題を理解してはくれないのです。 こういった現状を知らせるために、「リンクをした人を罵倒する人」のサイトにリンクをした上で批判(主張B)をすることは、 大きな意味のあることであると考えるのです。
……と書くと「そういう罵倒の実例を挙げろ」といった声があるかも知れませんが、そういったケースについては
これまでに拙稿でいくつも紹介してきたので、そちらをご覧ください。
特に2007年2月1日に公開した拙稿リンクについての雑多な記事 - リンク禁止問題の実状では、
2006年12月〜2007年1月に起きたそういったトラブルをいくつかまとめて紹介しています。
ちなみにそこで紹介した罵倒されたサイトの一つはその後まもなく閉鎖されており、このトラブルが原因だった可能性があります。
最近でそういった罵倒でサイトが閉鎖した確率が高いと思われるケースとしては、
数名から掲示板で以下のような罵倒を受けていた「CassisOrange」が挙げられます。
同サイトはこれらの書き込みの数日後に掲示板を削除し、そして約2ヶ月後に閉鎖されました。
- 44 :天使 ◆i9Nf8biD3.:2008/01/07(月) 00:15:17
こちらのリンクに私のブログのURLが掲載されたんですが
なぜ勝手に載せるのでしょうか?
上記にも言い訳が書いてありますが、あなたとの意見は一致しませんので勝手に載せないでください。本人の了承を得ずに載せるのはかなり失礼だと私は思いますが!?あなたのおかげで私のブログを全記事見れないようにして、更新を中止するという状態になってます。しかも何事もなかったかのようにブログLINKから消されても困るのですが?
もし誠意があるのならば、ブログLINKという存在自体をこのWIKIから消すくらいのことを見せて下さい。
「[番外編]Blog情報」(消滅)より
誠意があるなら、無断リンクをしたコンテンツを消すくらい当然だ……こういう主張に驚く方もおられるかも知れませんが、 無断リンクに抗議する人々の主張は結構こんな感じです。
冒頭で紹介した「無断リンク禁止派と闘う理由を問い直す」で徳保さんは
『粛々とリンクすればよいのではないだろうか
』と書かれています。
この文章が粛々とリンクをして謂れのない罵倒を受けた人々をどれだけ見た上で書かれたのか、
私には疑問に思えます。
たとえば拙稿直リンクに何が起きているのか等ではいくつか、 リンクに関する注意書きがないサイトにリンクして第三者から「無断リンクするな」等と非難されるトラブルを紹介しましたが、 これらのトラブルにもそういった要素があったのではないでしょうか。
余談ですが、このような批難を受けたサイト運営者がリンク先サイトの運営者に謝罪をして
「私は別に構わないのですが」等と言われるケースも、私は何度か目にしています。
最近では、リンクに関する注意書きのないサイトの記事に称賛の言葉と共に無断でリンクをしたところ、複数の閲覧者から
『マナー以前に人間味が感じられません。
』
『せめて、相手の管理人さんに許可を得るとか。
』等と非難を受け、
リンク先サイトの運営者に謝罪したケースがありました。以下は、その謝罪に対しての回答です。
私のブログ記事をあんなにも誉めていただいて恐縮しきりです。 (略)私はブログを開設していてトラックバックも受け付けている立場ですから、 リンク等については覚悟(というほどのものでもないのが私のダメな所でお恥ずかしいですが)しております。 ですから、そのまま残してくださって結構です。
結局、リンクしていた記事はまるごと削除されたのですが、それでもこの記事には『引用先の管理人様が大人で良かったですね。
』
等というコメントがされています(リンクされていた記事ではなく、リンクしていた記事が削除されたので、お間違えのないようお願いします)。
→無用なトラブルの発生を防ぐために戻る
「自由」と「制約」を対極のものと考える人は多いようです。 つまり、制約があればそこに自由はない、自由であるなら制約はない、という考え方です。 しかし、それは不充分な考え方です。自由と制約は表裏一体であり、本質的には同じものだからです。
大雑把な言い方をするなら、例えば「職業選択の自由」があるなら「職業強制の自由」 には制約があることになりますし、 「宗教の自由」があるなら「宗教を制限する自由」には制約があることになります。 つまり自由は、制約によって生まれると言えるのです。
リンクの自由に関するトラブルはしばしば、「リンクを自由と考える人=自由派」と 「リンクの自由を否定する人=制約派」の対立と捉えられます。 そしてリンクの自由を否定する人は、リンクを自由とする考えをウェブに無秩序を招く無責任な姿勢だと考えることがあります(下図1)。
ウェブへの姿勢 | 秩序への考え方 | 性格 | |
---|---|---|---|
リンクを自由と考える人 | 自由派 | 無秩序を好む | 無責任 |
リンクの自由を否定する人 | 制約派 | 秩序を好む | 道徳的 |
リンクの自由を否定する人は、しばしば上図のような考え方を当然の前提として、 「リンクが自由だというのは良くない」という主張をします。
しかし恐らく多くの場合、リンクを自由と考える人々はこの前提に同意していませんし、
そもそもそんな前提があることにも気付いてない人も多いわけです。
リンクを自由と考える人は同時に「他人の表現活動を規制する自由を否定する人=制約派」でもありますし、
リンク自由否定派は「他人の表現活動を規制するのを自由と考える人=自由派」でもあります。
そして、リンクを自由と考える人々の多くは、この「他人の表現活動を規制する自由」を認めることが無秩序、
無責任につながると考えているのです(下図2)。
ウェブへの姿勢 | 秩序への考え方 | 性格 | |
---|---|---|---|
リンクを自由と考える人 | 他人の表現活動を規制するのは問題=制約派 | 秩序を好む | 道徳的 |
リンクの自由を否定する人 | 他人の表現活動を規制するのは自由=自由派 | 無秩序を好む | 無責任 |
私の見る限り、ウェブではこちらの考え方が一般的であり、だからこそリンクが自由だとされているように思えます。 たとえば、以前風野春樹さんはこう述べられました。
ひょっとすると、私たちは、インターネットがあまりにもオープンでありすぎることに、そろそろ疲れてきたんじゃないだろうか。 誰が見ているか分からないとか、発言には責任が伴うとか、どこで叩かれるかわからないとか、そういうことをいちいち気にするのはけっこう疲れることだ。
「読冊日記 2004年 6月下旬」より
また、中里一さんは『「ディープリンク禁止」「無断リンク禁止」という、野蛮人の風習がある。
』(「中里一日記 Web 2_0」より)と述べられました。
また別の例として、以前無断リンクに対して激しい罵倒やキャプチャ晒しなど(主張A)をしていたヨシヲさんですら、 自由なリンクを認めるサイト運営者は聖人君子だ(そして普通は聖人君子にはなれない)、 という趣旨の主張をされていました(参考:「妄執日記 - 2002年12月上旬 - ASS」)(補遺5)
リンクを自由と考える人々とリンクの自由を否定する人々は、しばしば異なる前提をそれぞれ当然の前提と考えているように思えます。
その前提のずれが、両者の主張の噛み合わなさの原因の一つとなっているのではないでしょうか。
なお、この論点については同様に以前拙稿誤解の理解-何故リンクが自由なのか - 問題の根源で詳しく述べましたので、
併せてご覧頂ければ幸いです。
正確には、聖人君子云々の説明をしたのはヨシヲさんではなくヨシヲさんを擁護する第三者「匿名の根性無し」さんでしたが、 この説明はヨシヲさんも支持されていたので、上記の説明に間違いはないと考えます。ちなみに、 この「匿名の根性無し」さんについては次の理由からヨシヲさんの自作自演ではないかという声がありました。
ただし、この自作自演説についてはご本人達は否定されていました。
「無断リンク禁止」といった注意書きのいう「リンク」とは何を指しているのでしょうか。 これは辞書的な意味での「リンク」、つまり連結・関連というような意味であり、 以前はほとんどの人がこう認識していたように思えます。
つまり、ハイパーリンクにせずに(A要素を使わずに)URLを書いたり、検索結果のページにハイパーリンクしたり、 「“○○○○”と言っているサイトがありますが……」等と書くことで特定のサイトを指し示した場合でもそれらは全てリンクです。 無断リンク禁止等を謳うサイトは、それら一切を否定しているわけです。 ハイパーリンクされても単にURLを書かれても同じ結果になるのですから、そんなことは当然でしょう。以下に、リンクの具体例を示します。
言わば、「無断リンク禁止派の人ってttp--ならいいの? - プログラマーの脳みそ 」で凪瀬さんが指摘されるように「リンク禁止」の言わんとすることろは「言及禁止」であるわけです。 もしも、「無断リンク禁止」といった注意書きが「無断のハイパーリンクはダメだけどURLを書くだけならいい」 という意味だったら、この注意書きにはほとんど何の意味もないものであり、 リンクの自由を否定する人はバカだということになってしまいます(補遺6)。
実際に、リンク禁止を謳うサイトがハイパーリンクでないリンクに
「こそこそするな!」等とより大きな怒りを表明する人をしばしば目にします。
最近では、無断リンク禁止を謳い、ハイパーリンクではない形でいくつかのサイトから言及されていた
(と少なくとも本人は認識されていた)ちるさんがこう述べられていました。
「無断リンク ブログ検索」というキーワードで検索されていたのでそれをたどって他のブログを見たら、明らかにあたしのことを書いてるやつが数人いて、なんだこいつらと思った。
(略)
お前らさあ、言いたいことあんなら陰でぐちぐち言ってないで直接あたしに言えよ。
「あたしの人生、あたしが主役。 言いたいことあんなら直接あたしに言いな!」より(記事消滅、補遺7)
「リンク禁止」というのはハイパーリンクだけではなく、URLを書くなどして特定のサイトを示すことも禁じる主張である……
このことは、以前はリンクの自由について述べる人々の間では明白であったように思います。
それゆえ以前はしばしばこのことは「リンク禁止」を謳う人々への嫌味のネタになったりし、
時にはその嫌味に対して不真面目だといった批判が出ることもありました。
以下は、サイトで無断リンク禁止を謳った日弁連を揶揄する書き込み・記事(主張B)と、その揶揄を批判する記事(主張B)です。
あ、URLをリンク無しで書くのはいいと思うよ。
リンクではないから意味合いは違うんだし。笑いそう考えると「無断リンク禁止」って訳わかんないよな。
URLを人に伝えちゃイカン!といいたいのだろうか。笑い
[2002-06-11] 日弁連は http://www.nichibenren.or.jp/terms.html(これはリンクではありません^^;)で「リンク先は http://nichibenren.or.jp としていただきます」(これではつながらない。正しい URL は http://www.nichibenren.or.jp/),「また、リンクを張られる前に、日本弁護士連合会に以下の事項をメールで報告してください。/リンク元サイトのホームページのURL/リンク元サイトの管理者の住所及び氏名又は名称(団体の場合は代表者の氏名を含む)/担当者の氏名、電話番号及びメールアドレス」と書いている。 Slashdot.jpで馬鹿にされている。
「リンクに許可は必要か」より
ハイパーリンクじゃないかも知れないが、http://www.nichibenren.or.jp/terms.htmlと書けばリンクだろう(まあ馬鹿を話題にしているので用語の用法を適当に合わせたんだろうけど、相手が馬鹿だろうがなんだろうが顔文字を使ったやり方は虫唾が走る)。アドレスバーに貼り付けて「Go」だの「移動」だの「Enter」だのする手間をなくしたのがハイパーリンク。
私としても、リンク禁止を謳うサイトのURLを書いて「これはリンクではありません」などというのは相手をバカにした、 「立入禁止だったからしゃがんで入りました」というのと変わらない屁理屈であると感じます。
しかし、2006年頃からだったでしょうか、だんだんそうではない認識が増えてきたように思えます。 つまり、そういった注意書きのいう「リンク」はハイパーリンクを意味しているのだ、 (A要素を使わずに)URLを書くだけなら問題ないのだ、という認識が増えてきたのです。以下は、高橋直樹さんの認識です。
無断リンクするなと主張しているものにわざわざ無断リンクしなくてもいいと思うけど。そんなことしても憎まれるだけで何の得もしないし、別にURL示すだけで十分だし。
(略)
(『
高橋さんの問題としているのはHTMLのA要素に限定した話と理解してよろしいでしょうか?』という質問に答えて) HTML上は、A要素を使ってなければリンクになりませんから、無断リンクではないのではないかな、と思います。
次は、pcha00さんの認識です。
私は、単に「無断リンク禁止」と言われれば「a 要素で囲わなければいいんだろ」と解釈します。
リンクではなくURL下記を止めて欲しければ、それをきちんと明記するべきで、読者に大して言葉で言った以上の気遣いを求めるべきではない。
高橋さんやpcha00さんは、建物に立入禁止と書いてあったらしゃがんで入れば大丈夫だとお考えなのかも知れません。
興味深いことに、高橋さんもpcha00さんもいずれも「“リンクの自由を否定する主張”への批判」に批判的(主張C)な方なのです。 リンクの自由を否定する人をバカ扱いしながら、同時に「“リンクの自由を否定する主張”への批判」を批判(主張C)する…… 大変興味深い状況であると感じます。
ちなみに、やはり「“リンクの自由を否定する主張”への批判」に批判的(主張C)なくっぱさんは以下のように、 「無断リンク禁止=無断言及禁止」という正しい認識をされています。
- 無断言及禁止の論理
「無断リンク禁止」という言葉がよく用いられますが、アンカータグを用いた「リンク」であるかどうかはあまり本質ではなくて、早い話、言及先がどこに存在しているのか(言及した時点でどこに存在していたのか)が判るような形での「言及」に置き換えても同じことと思うので、ひっくるめて「無断言及禁止」という言葉をここでは用います。また、「無断」は、よく「許可なく」の意味で解釈する人もいますが(略)、ここでは拡大解釈することなく字面のままに「断りなく」つまり「事前の通告なく」と解釈します。
しかし、この「無断リンク禁止=無断言及禁止」という認識は正しいのですが、
この「無断」という言葉を『「事前の通告なく」と解釈します
』というのはやはり無理がある認識です。
以前拙稿リンクについての雑多な記事 - 「無断リンク禁止」の意味でも触れましたが、
実際にサイト運営者には「無断」=「無許可」と考えている人が少なからずいて、
そういう人々がリンクに関するトラブルを多数起こしているのですから。
たとえば、以前話題になったあるトラブルでは、
産経新聞社から許可のないリンクへの以下のような警告が(少なくとも二人の)サイト運営者に送られました。
産経新聞社の伊東と申します。「連邦」サイト管理者にお尋ねします。同サイトで弊社が運営する産経WEB、ZAKZAK、サンスポcomの見出し記事が数本転載されて、各サイト内の記事へ直接リンクをはっていますが、こうした行為は弊社にリンクの許可をとったうえでおこなっているのでしょうか。こちらでリンクを許可したという書面はみつかりません。
もし、無許可でかかる行為をされているならば、著作権等の侵害にあたります。即刻、記事掲載を中止してください。誠意ある対応をお待ちしております。
2008年9月22日現在でも、たとえば「リンクを許可したウェブサイト」という言葉で検索すると、 検索結果の上位49ページまでが全てリンクの際に通告ではなく許可を求める企業のページで占められます。
閑話休題。なんにせよ、「リンク禁止/直リンク禁止」を謳う人々をバカ扱いし、 「リンク禁止ならハイパーリンクしなければいいんだ」とする人々が増えつつあるにようには確かに思えます。 もしこのサイトをご覧の方でご自分のサイトにサイトに無断リンク禁止と書いている人がおられたら、 今後は高橋直樹さんやpcha00さんのような方がおられることを想定し、 「無断リンク禁止・無断URL記載禁止・無断このサイトを特定できる検索ワードの記載禁止・無断このサイトへ飛ぶFeeling Luckyやime.nu等禁止」、 あるいは単に「無断言及禁止」と書かれた方が良いのかもしれません。
本稿では「ハイパーリンクされてもURLを書かれても同じ結果になるのだから、リンク禁止を謳う人で前者はダメで後者はOKだ、 という人がいたらバカだ」という趣旨のことを述べましたが、これは必ずしも正しくありません。両者には 検索エンジンのロボットが巡回するか、という違いがあるので、ロボット避けの目的だけのためだけに「リンク禁止」と書き、 「ハイパーリンクはダメだがURLを書くのはOK」としている人はバカではないと思います。
尤もそういう意味だけでの「リンク禁止」という主張は、私はこれまでに一度も見た記憶がありませんが。(リンク=ハイパーリンク?に戻る)
上の記事何故リンクの自由が説かれるのかで、
『私はこれまでにいくつかリンクの自由を説く文章を公開してきましたが、それらで
「○○リンク禁止」を謳うサイトにリンクをしたことはありませんでした。
』と述べましたが、
今後は状況に応じてそういうリンクもしていくつもりです。
……で、今回は丁度適切な例として同記事へのリンクをさせて頂こうと思ったのですが、
こちらの記事の作成中に先方の記事が消えてしまいました。(リンク=ハイパーリンク?に戻る)
無断リンク禁止等によるトラブルは何年も前から起こり続けていますが、 それらについての偏った認識が、 2005年頃から「はてなブックマーク」利用者を中心として広まりつつあるように思います。
私が無断リンク禁止等によるトラブルについて興味を持ち、調べるようになったのは2001年からでしたが、 その頃には頻繁に無断リンク禁止派によるトラブル(主張A)が起きてしました。 具体的には無断リンク禁止派のサイト運営者達がそういったリンクをしたサイト運営者達を罵倒し、 掲示板を荒らし、プロバイダに「通報」をし、「告訴」をちらつかせ、時にはウイルスメールを送り、 しばしばリンクをした側のサイトがそれによって閉鎖させられていました。
そういった例についてはこれまでもこのサイトで多数挙げてきたので改めて列挙はしませんが、 現在もこういったケースはしばしば起きています。
無許可でリンクされてました。(略)
リンクする時は、例え他のプロバイダーブログでも一言挨拶あって当然だと思うのですが・・・
そちらのブログのコメント覧に、「今直ぐリンクは外して欲しい」事コメントしました。
そしてプロバイダーにも、無許可リンクで迷惑している由、メールにて報告しました。
ですが、どうなるか・・・・勝手にリンクやトラバされた方いませんか?その時の対処方法は?
詳しい方教えていただければと思います。
2004年頃までは、無断リンクのトラブルについての人々の認識は大変明確で、ほぼ共通認識と言ってもよいものだったように思います。 それはつまり、「強硬な無断リンク禁止派 vs 穏健な無断リンク肯定者」という図式です。 その頃には、無断リンク禁止派によるトラブルが無数に起きていることに心を痛めた人々が、 丁寧に無断リンク禁止派の人々にリンクが自由であることを説明(主張B)していたのです。
「無断リンクを筆頭とした、ふざけたリンク禁止の会」といった同盟ができるなど、
無断リンク等を嫌う人々の姿勢は強硬でしたが、それでも徐々に地道な説得は実を結び、
そういった同盟も活動を停止するなどしていきました。
他の例としては、以前拙稿で例に挙げた
「やおらヤオラー研究」
「未成年同人娘のためのネットマナー講座」(消滅)、
「手塚部長のネチケ講座。」(閉鎖)、
「マンキンキャラが教えるネットマナー」(消滅)、
「グランドラインの歩き方」
といったリンクの自由について否定的(主張A)だったマナー解説サイトがそれらの解説を改めたのも、そういった地道な説得活動の成果の一部でした。
そんな状況に転機が訪れます。2005年2月に株式会社はてなが「はてなブックマーク」サービスを開始したのです。
このサービスの利用者にはこれまでのリンクについてのトラブルを知らない人が多数いました。
そして、このサービスによってそういう人々が無断リンク禁止に関するトラブルを見るようになり、
これまでにあまりなかった反応が生まれたのです。
それは、無断リンクに対して怒りを表明する人々への揶揄・嘲笑でした
(例:「はてなブックマーク - 日本橋で暮らすということ 記事への無断リンクお断り申し上げます」)。
こういったはてなブックマークでの揶揄・嘲笑を見た人々が、無断リンク禁止に関するトラブルについてこれまでとは全く逆の認識を持つようになり始めました。
それはつまり、「穏健な無断リンク禁止派 vs 横暴な無断リンク肯定者」という図式です。
はてなブックマークではその性質上「一人の無断リンク禁止派 vs 多数の無断リンク肯定者」という構図になりやすいのも、
この認識を後押ししていたのかも知れません。
こうしてはてなブックマークを閲覧する人々の間ではこの認識が多くなっていき、
リンクの自由を説く人々に対して批判的な主張(主張C)が見られるようになっていきました。
たとえば以前は無断リンク禁止派に対して批判的(主張B)だった徳保さんは、まさに2005年頃にこの認識を変え、 無断リンク肯定者に対して批判的な立場(主張C)を取るようになったと述べられています。
2003年の記事からざっと読み返してみるに、無断リンクについて現在のスタンスが明瞭になったのは2005年頃らしい。 リンクの自由を啓蒙する人々に謙虚さを欠く主張が目立つようになってきた、あるいは私がそうした人々の姿に気付いた。 それで、嫌になっちゃったんですね、リンクの自由を説くのが。
「争点は事実ではなく、その解釈」より
『リンクの自由を啓蒙する人々に謙虚さを欠く主張が目立つ
』
のはかなり珍しいケースで、ほぼはてなブックマーク界隈ぐらいでしか見かけなかったように私には思えたのですが、
徳保さんの認識はそうではなかったのでしょうか。
そして、こういった風潮が原因かどうかは分かりませんが、このころから無断リンク等に怒る人々に対して リンクの自由を説く人(主張B)が減って来たように思えます。そうだとしたら勿体ない話であると思います。 そういった啓蒙活動が減ればそれだけリンクについてのトラブルは減らなくなり、 必然的に傷つく人々が増えることになるのですから。
無論、今でも無断リンク禁止派は多くのトラブルを起こしていて、その一部が はてなブックマークで取り上げられることになるわけですが、 どうもはてなブックマークを見ている人々の認識は必ずしもそうではないようです。私は以前DocSeriさんの 「予告:次の無断リンク禁止論争は2008年8月初頭前後 - 妄想科學日報」 を見て頭を抱えてしまいました。そんなもの、私が目にするだけでもいまだにしょっちゅう起きているのに……。
はてなダイアリーキーワード「無断リンク」 の嘘八百な部分(補遺8)も何年も訂正されないままですし、 リンク禁止等によるトラブルについてのなてな界隈の偏った認識が改まるのはまだ先のようです。
このキーワード解説のどこが問題なのかは、以前拙稿リンクについての雑多な記事 - リンク禁止問題の実状
で解説しましたので、そちらをご覧ください。ちなみに、この問題部分を記述されたのは上記の徳保さんです。
さらに付け加えると、偶然ですがこのキーワードページをそもそも作成されたのは上記のDocSeriさんでした。
その際の内容は比較的穏当だったのですが、『許諾不要論の根拠は技術的思想と法的解釈の2点に集約される
』
といった問題ある記述も散見されました(マナーや道義も、許諾不要論の重要な根拠です)。
タイトルは、私が無断リンク禁止/直リンク禁止に関する論争を見るたびに連想するフレーズです。無断リンク禁止を謳う人々は、昔から絶えることがありません。
先日、日本経済新聞サイトの謳う「リンクポリシー(補遺9)」が話題になっていました。以下、引用します。
- 「日本経済新聞 電子版」のフロントページや専門サイトのトップページへのリンクは原則として自由ですが、リンクを張る場合は、リンク先のページとURL、リンク元のホームページの内容とURL、リンクの目的などを記載してお問い合わせページでご連絡ください。
- リンクの仕方やページの内容によっては、お断りする場合があります。リンクをお断りするのは次の場合です。(略)
- 個別記事へのリンク
- リンクを張る場合には、「日本経済新聞 電子版」へのリンクだとはっきりと分かる表現・記述をしてください。ただし、「日本経済新聞 電子版」のロゴマークはリンクボタンとして使わないでください。
- 以上の項目に違反した場合は、損害賠償を請求することがあります。
「日本経済新聞 ヘルプセンター」より
なかなかに挑戦的な、しかしまあ時折あるタイプの注意書きです(補遺10)。 これを見て、「無断リンク禁止などという考え方がまだあるのか」と驚いている方も多いようです (参考:「日経新聞電子版始動、しかし個別記事へのリンクを禁止、違反者に損害賠償請求も示唆 - スラッシュドット・ジャパン」、 同ページのはてなブックマーク)。
しかし、リンクの自由を否定する考え方はまだまだなくならない、というのが私の考えです。 何故なら、以前拙稿「無断リンク禁止/直リンク禁止」の真の動機 で触れたように、 無断リンク禁止というのは近視眼的に見れば確かに自らに利益を生みうる主張であり、 誰もが目先の利益を諦められるわけではないからです。
例えば、山形大学の松本邦彦さんの「リンク問題資料集/学生の感想」は、 興味深い資料です。松本さんは山形大学での講義で、後藤斉さんの有名な 「リンクについて「リンクは自由!」」などを紹介しつつ 学生さんたちにリンクの自由を説かれているのですが、それについての学生さん達の反応の多くは、 「無断リンク禁止などという考え方がまだあるのか」等と 驚かれていた方々にとっては目を剥くような内容です。挙げられている無断リンクについての感想を序盤部分のみ引用します。
- <著作権侵害である>
- ・「無断リンク」でも著作権侵害にはならない、リンク元の承諾は不要であるというのは知らなかったので驚いた。何というか、法の整備が甘すぎるのではないかと思った。著作権侵害にももちろんなるべきと考えるが、それが無理なのならば、せめて、リンク元の承諾はとらなければならないという制度は作るべきではないのだろうか(「こけもも」さん)。
- <利用のされ方が心配>
- ・自分のウェブサイトが他人のウェブページからリンクされる際の方針は、やはり自分のサイトと関連のある分野のサイトできちんとしたサイトからのリンクであれば良いと思います。悪質なサイトからのリンクでは、自分のサイトを悪用されてしまうのではないかと思うからです。ただ、インターネット上ではいつ誰から見られているか分からないので、自分に被害がないように、自己防御することも大切だと思います。個人のサイトだと、個人的なサイトも普通にリンクされていますが、企業・大学のサイトだと、実態が知られているようなしっかりとした比較的名の知れた企業等が運営しているサイトが多いと思います(「じんべい」さん)。
- <事前承諾が必要>
- ・私は、リンクのシステムについてあまり理解できなかった。しかし今回この「リンク問題資料集」を見て、以前よりは理解できたと思う。自分のウェブサイトが他人のウェブページにリンクされていたら、嬉しい反面、少し嫌な気もします。やっぱり他人のものを使うならば、使う人にきちんと承諾を得るべきだと思いました(「ロビン」さん)。
「リンク問題資料集/学生の感想」より
数えてみると、紹介された24個の感想のうち14個はリンクの自由に否定的なものでした。 繰り返しますが、これは大学で、リンクの自由を説く講義を受けた学生さん達の感想なのです。 講義を受けてなおこの感想なら、世間にリンクの自由に否定的な人々がいるのも全く驚くことではないでしょう。
リンクの自由を否定する人を見て「まだこんな人がいるのか」と驚く人は少なくありません。 しかし、リンクの自由を否定する人々は当分は(恐らくあと数世代は)存在し続けると予想しますし、 そういった人々が起こすトラブルもなくならないと考えます。
思うに、リンクの自由を認めるのは、税金を払うことのようなものなのではないでしょうか。
大抵の人は、税金など払いたくはないでしょう。
しかし、皆がそう言って税金を払わなくなってしまっては大変なので、結局は「税金は払わないとね」という結論になるわけです。
同様に大抵の人は、他人の表現の自由など認めたくないでしょう。
しかし、皆がそう言って表現の自由がなくなってしまっては大変なので、結局は「他人の表現の自由は認めないとね」という結論になるわけです。
ポリシーとは、組織や個人自らがが守るべきルールや信条を示すものであり、 「リンクポリシー」で他人の行動を指示するというのは奇妙な話です。この奇妙さについては、 以前拙稿リンクについての雑多な記事 - お前のポリシーは俺のもので述べましたので、 お読み頂ければ幸いです。
無断リンクを違法と主張する人は多数います。 しかし、実際に無断リンクに対して損害賠償を主張しようとする人は、実は意外と少ないように思います……が、 そういう人々が現れ続けているのもまた事実です。
例えば、一時期話題になっていたのが「悪徳商法相談室(消滅)」の規約で、そこには
『許可無くリンクをした場合、罰金10万円とし法的手段等の然るべき処置をとります。
』
と書かれていました(参考:「悪徳商法マニアックス 2004年4月24日」)。
また、現在検索しても、『無断でリンクされた場合は罰金を頂きます
』などと書かれたサイトが少数ながら出てきます。
また、ウェブで恐らくこれまで著作権法を根拠に最も強硬にリンクの自由を否定されていたもくれんさんも
無断リンクをした数名を実際に訴えようとしておられました。その際の主張には『著作権法には罰則規定もある
』
などという文句も含まれていたため、もくれんさんが無断リンクに対して著作権法を基に損害賠償を請求しようとしていたことはまず間違いないと思われます。
ちなみに、もくれんさんが訴えると警告していた一人であるマサトクさんの2006年4月27日の記事で引用されている文章によると、もくれんさんは既に無断リンク裁判に勝訴されているようなのですが……。
2004年12月から2005年1月にかけてわたくしが「違法である」と指摘した件についてですが、わたくしは東京地裁にて勝訴判決を得ています。紛争相手の行為は裁判官三人によって精査され、「違法である」と断定されました。この件は、既に実務の段階に入っているため、サイトにおいてはこれまでどおり一切言及しません。あしからずご了承ください(会員制サイト内においても同様です)。
えーとつまりもくれんたんの指摘した件というのは「勝手リンクは違法」って話だよね。それはOK?それについて(うちとか、暇高さんとことかについて)「訴えるぞ!」ってっ言ってたはず……だよね?
で、もくれんたん的にはいつのまにか訴えていつのまにか勝訴してたらしいんだが、うちには(住所晒して「トルージャ」注文したにもかかわらず(笑))訴状が着ちゃあいないのだが、それはどうなっちょるんであろうか。もくれんたん的には違法でなかったのか。(それとも脳内裁判所で訴えていたのか)
もくれんさんは、無断リンクをした人に対して弁護士経由で発信者情報開示請求をした程の方なのですが、
流石にこれは『脳内裁判所で訴えていた
』と考えるしかないのでしょうか。
(但し、この発信者情報開示請求は著作権侵害ではなく、名誉毀損・プライバシー侵害に基くものでしたが。)
また、他に特筆するべきケースとしては、高校でシェア3位だという教科書に一時期載っていた以下の記述があります(参考:「リンクに許可は不要です - 情報教育Wiki」)。
リンクをつくることは,著作権上は問題ないと考えられています。ただし,マナー上はリンク先の管理者に, リンクをつくることを連絡しておくべきであると考えられています。許諾なくリンクをつくることに対しては, 民法(第709条)の不法行為にあたり損害賠償を請求できる場合がある,とする考えもあります。
第一学習社「高等学校改訂版情報A」P.144、同「情報C」P.146より
現在はこの記述は『リンクを作成することについては、著作権法上は著作者の許諾は不要である。
』に修正されているそうですが、
高校の教科書にすらこのような説明が載ってしまうということは、この問題がいかに根深いかを感じさせてくれます。
個人的な印象ですが、近年、リンクの自由に関するトラブルは以前より減りつつあるように思えます。 これが多くの人々がリンクの自由を説き続けてきた成果であるなら、私としても嬉しい限りです。
しかし、現在広がっているリンクが自由という考え方は、どういうわけか本来の物とはかけ離れた物になってしまっているように思います。 最近の記事などを見ていると、何故リンクが自由なのかは多くの人々に誤解されているように思えてなりません。
言葉だけ追えば「無断リンク禁止問題」はたいてい「なにがあってもおかしくない。だから運営側が対処しろ」でFAなのよな。ウェブの特性だから、制御できない。一個人が出来るのは守りだけっていう。
リンクが自由なのは、決して『ウェブの特性だから、制御できない
』からではありません。
ウェブで実行が可能でも、法や倫理により規制されている行為は多数あります。
「エスカレーターの片側を開けるべきか否か」と「無断リンク禁止」を同時に見ているととっても不思議。 片方は「マナーだ!文化だ!」で押し通して、もう片方は「これは設計理念だ!」で押し通そうとしているように見える。 もちろん、一つの法則で全てを決めていいというわけではないけれど。これが空気とか多数決とかで決まってしまうようなら、 風習とはなんといい加減なものかと思ってしまう。
確かにリンクの自由はウェブの設計理念ではありますが、人々が無条件に設計理念に従うわけではありません。
現在、リンクが自由とされていることには当然他に理由があり、それは根拠のない風習などではありません。
……と言いますか、リンクの自由を説く人が『「これは設計理念だ!」で押し通そうとしている
』論争というのは、本当にあるのでしょうか?
私には、これは匿名さんが歪んだフィルターを通して論争を見たがゆえの誤解ではないかと思えるのですが。
オレのツイートを無断でとぅぎゃりやがって! と怒ってる人がいる。無断リンク禁止とか思い出しちゃうな。twitterだって世界に向けた情報発信なんだから、とぅぎゃられて困るようなこはツイートすべきじゃないですね。
『世界に向けた情報発信なんだから
』Togetterへの転載が許されるということになれば、
ウェブのあらゆる情報は転載してよいことになってしまいます。
Twitter上のつぶやきをTogetterに転載することが許される(と思われる)のは
「Twitter / サービス利用規約」により、
TwitterユーザーがTwitterと連携するサービスへの転載を認めているはずだからです。
『世界に向けた情報発信なんだから
』転載が許されるというわけではなく、これは無断リンク禁止とは筋の違う話です。
ちなみにTwitter上のつぶやきでも、Twitterと提携するサービス以外への転載は津田さんが「RENEGADE COPYRIGHT WAVE - 結論から言えば、Twitterとしては転載を認めているみたい。あんまり知られていないけど。...」
で指摘されるように、違法です。
非公式RTを批判しつつ無断リンク禁止をバカにする人、この指とーまれ。地獄に落ちろ。
無断リンク禁止を笑ってる情報強者方面の人たちが非公式RTに目くじらたててるのがよく分からない。仕組み上可能なものを運用とかローカルルールで禁止するのってナンセンスなんじゃなかったの?って思う。
無断リンクとTwitterの非公式RTを同様に考え、前者が許されているのだから後者も許されるべき、という上の二つのつぶやきも同様に、リンクについて「仕組み上可能だから自由だ」と考えてしまってるのではないでしょうか。 なお非公式RTについては、rikuoさんの「Twitterの公式RT、非公式RT、QTの違いを分かりやすく図で描いてみた - 聴く耳を持たない(片方しか)」等をご覧ください。
上で引用させて頂いたような意見の方々は、リンクが自由なものであることは理解されているのですが、自由の根拠を「仕組み上可能だから自由だ」 「設計理念でそうなっているから自由だ」などと考えておられるようです。
しかし、そのような理解は間違っています。仕組み上可能な行為でも設計理念でも、公益や人々の道徳心に反しているなら 当然法や倫理で規制されるでしょう。現実に、ウェブ上でも様々な実行は可能な行為が、法や倫理で規制されています。 人々はあるいは社会は、「仕組み上可能だから」などという理由で、問題ある行為に盲目的に免罪符を与えたりはしないものです。
では、何故現在リンクは自由だとされているのでしょうか。 理由はいくつかありますが、その最大の理由は、リンクが作品の公開された場所を示すだけの行為であり、 もしこれが自由に行えないなら、そこには最低限の表現の自由もないことになってしまうからです。 表現の自由は人々の様々な権利を守るための最も重要な権利とされているのに、です。
東北大学の後藤さんは、リンクが自由である根拠をこう述べられました。
ウェブページは著作物の公表の一形態です(著作権法第四条 を参照)。ウェブページの作成は、著作物の作成一般と同じく、作成者の主体的な表現行為であり、その中での他のウェブページへのリンク行為も例外ではありません。したがって、表現行為一般が表現者の自由意志と良識と責任とにおいて行われることであるのと同様に、リンク行為はリンクを張る側の自由意志と良識と責任とにおいて行われるべきことであると、後藤は考えます。
「リンクについて「リンクは自由!」」より
より踏み込んで、リンクの自由の否定についての危惧を表明する方もおられます。 野嵜さんはリンクの自由を否定することについてこう述べられました。
讀み手が書き手を選ぶべきであつて、書き手が讀み手を選ぶべきではない。書き手が讀み手を選別するやうになれば、窮極的には、「言論を提供する側」による「言論を享受する側」の統制に繋がる。
「闇黒日記 平成十五年十二月六日」より
また、私は以前拙稿でこう述べました。
無断リンク等を嫌がるサイトへのそういうリンクを禁じることを認めたとしましょう。それは言わば「リンク禁止権」ということになるでしょう。しかし、これは極めて危険な権利です。何故なら、これを認めてしまうと他人の反論や批判を一切封じつつ自らの主張を展開したり、他人の作品などを自由に盗作できることになるからです。
繰り返しますが、表現の自由は人々の様々な権利を守るための最も重要な権利とされています。 それを重要と考えない人々も確かにいるわけですが、それを重要と感じる人々が多いため、 現在は「リンクは自由」とされているということなのではないでしょうか。
リンクが自由なのを「仕組み上可能だからだ」「設計理念でそうなっているからだ」と考えるのは、
人々が自ら判断する能力を持っていることを認めない、ある意味では人々を馬鹿にした考え方ではないでしょうか。
人々はそのような考え無しではなく、むしろ考えた上で「リンクは自由」という選択をしている、そう私は思うのですが。
なお、リンクが自由と考えられている根拠は、他にも道徳的理由などがあると思われます。 詳しくは拙稿誤解の理解-何故リンクが自由なのかにて述べましたので、お読み頂ければ幸いです。
公開:2008年10月12日 更新:2010年12月8日