無断リンクや直リンクを禁止する真の動機

 当サイトでは「直リンク」という言葉を、「トップページ以外のページへのリンク」という意味で使っています。 他のサイトではこの言葉が他の意味で使われている場合がありますので、ご注意下さい。 詳しくは、拙稿直リンクに何が起きているのかをご覧下さい。

 なお、本稿は2006年11〜12月頃に作成してお蔵入りにしていたものを、2009年9月に公開したものです。

目次

序論 - 続発するトラブル、様々な解釈

 無断リンク禁止/直リンク禁止という主張はなぜなされるのでしょうか?  私がこれまでに見てきた限りでは「批判されたくないから」だと考えている人が多いようですが、 他にもこの疑問には様々な考察がなされています。比較的最近(ここ1年ほど)のものでは、 主に以下のような考察がありました。

 無論、実際に無断リンク禁止/直リンク禁止が主張される背景には様々な理由があるはずであり、 上記の考察が間違っているとは思いません。 しかし、私はそれら以外に無断リンク/直リンクを禁止する重要な理由があるのではないか、 多くの考察ではそれが抜け落ちているのではないか、と考えています。

 Takahiroさんの2004年1月の記事から引用します。

 おそらくイラストを描かれる人達にとって、イラストの一点一点がひとつの「作品」なのは当然として、「Webサイト全体」そのものを「作品をまとめた作品集」としての「作品」として捉えているからではないかと思います。  つまり、彼らにとって「Webサイト」は「同人誌」の延長線上にあるモノであり、「表紙(=エントランス)」があってイラストがあって「あとがき(=日記?)」があるという、サイト全体を通してストーリーが設定されているのだと思います。

(略)

 ただ、言えるのは彼らにとってサイト全体がストーリーを持った作品集であり、コンテンツへ直行されると言うことはすなわち「中のページだけを抜き取られる」に近い行為だと感じるのではないでしょうか。

Capsule Finder「サイト全体が「作品」という概念。」より

 上記記事は『一部のイラストサイト』について述べたものとされていますが、 無断リンク禁止/直リンク禁止を謳い、そういう行為に対して憤るサイト運営者の多くはこれに近い考え方をしているのではないか、 というのが私の認識です。

本論 - リンク拒否の根底にある考え方

 つまり無断リンクや直リンクに憤る人々の根底には、こういう考えがあるのではないでしょうか。

 ある種のリンクに憤るサイト運営者は、自分のサイトの評価を自分で定めており、 「自分のサイトにリンクしたいという人は、当然私に報告のメールを送るべきだ、それだけの価値が私のサイトにはある」、 あるいは「自分のサイトはトップページ→目次→○○→××という順番で見られるべきだ、それだけの価値が私のサイトにはある」と感じています。 従って、無断でリンクされたならそれは「お前のサイトにメールを送る価値なんてない」と言われたのと同じことですし、 トップページ以外にリンクされればそれは「お前のサイトにはトップページから見る価値なんてない」 と言われたのと同じです。 これは作者として耐え難い不名誉であり、このようなリンクを認めるわけにはいきません。
 特に許し難いのがコンテンツへの直リンクです。 何故なら無断リンクかどうかは傍目には分からないため、 言わば一対一で小声で馬鹿にされたのと同じことですが、直リンクは傍目にも明らかなため、 これは公衆の面前で大声で馬鹿にされたのと同じことなのです。 もしもこのようなリンクを放置すれば、それは自分の作品を誰もが馬鹿にしてよいということになってしまいます。 だから特に、コンテンツへの直リンクは絶対に許せるはずがありません。

 ……このように、無断リンク禁止/直リンク禁止を謳う背景には、「作者としての名誉に関わる問題だから許せない!」 という心理があるのではないでしょうか。

 実際には、リンクを嫌がる人々がこのような考え方をはっきりと主張することはあまりなく、 これは私の経験による推測に過ぎません。 ただ、リンクの自由を否定する人の主張を見ていると、このように考えると得心のいくケースが多いように思えるのです。 最近の例として、ホネトさんの記事から引用します。

例えるならば、他人に人様の家を紹介するときに 『あそこの家に入るときは玄関じゃなくて窓から入って良いんだよ〜』 って言う事じゃない!?そんなバカな!笑

2006年12月27日「diary」より

 これはまさに、「直リンクされることは不名誉なレッテルを貼られることであり、 それを認めれば自分の名誉はなくなる」 という感じ方から来ているのではないでしょうか。

 先にも述べたように、何故無断リンク/直リンクを嫌がる人がいるのか?という考察記事はいくつもありますし、 拙稿「「無断リンク禁止/直リンク禁止」命令に関する想定問答集」を見て、 「そうか、そういう理由で無断リンク/直リンクが嫌なのか!」というコメントをされている方もこれまでに何人か目にしました。 確かにそれらの記事で挙げられた理由もあるのでしょう。 それらの理解が間違っているというわけではありません……が、その根底には、 「作者としての名誉」という感覚がある場合が多いのではないか、 様々な理由はそのプライドを守るための後付けなのではないか、と私は思うわけです。
(尚、この「リンクが嫌という結論がまずあり、理由は後付け」という考え方については、 以前拙稿「比喩ありき?結論ありき?」で述べました。)

 また、以前別の記事で紹介した「[教えて!goo] リンクはトップページに、は何故なのか」 でなされる質問も、この観点から見れば分かりやすいのではないでしょうか。 この質問者は、自分のサイトに直リンクしたいと申し出られて呆れていますが、 しかし自分でも「何故リンクはトップページにしなければならないのか」が分からずに公の場で人々に質問しています。
 つまり、恐らくこういうことなのです。この質問者は自分のサイトを全体で一つの作品と考えていた。 従ってコンテンツへの直リンクを希望されるのは自分の作品を侮辱されたのと同じことで、耐え難かった。 しかし、この質問者は自分でも何故耐え難いのかわからず、 「直リンクは悪事だから自分は腹を立てているのだ」と考えようとした。 だが、自分では「直リンクは悪事だ」という根拠は見つけられず、 質問掲示板でこの考え方を補強してくれる人間を探した……。

 また他にも、無断リンクに怒る人々に対して、「何故、検索エンジンについて何も言わないのか?」という疑問を持つ人は多数います。 その疑問も、「機械によって行われる自動的なリンクなら評価ではないので、プライドを傷つけられないから」と考えれば、 理解しやすいのではないでしょうか。

 名誉というのは、人間の最も根源的で制御が困難な、誰もが自分で理解しがたい欲求の一つです。 だからこそ「無断リンク禁止/直リンク禁止」という主張は後を絶たず、 実際にそういうリンクをされた人はしばしばリンクしたを激しく攻撃するのではないでしょうか。 たとえ、自分自身にすら「何故私はこんなに怒っているのか?」が分からなかったとしても。

 ここで重要なのが、「プライドを傷つけられて怒っている側は多くの場合、自分が何故怒っているのかを理解していない。 ただ、自分が不愉快になったということはそこに不正義があったからだと考え、それをリンクした側の問題にしてしまっている」 ということです。

 ちなみに、私は「批判されたくないから」リンクを禁止を謳うケースは殆どないのではないか、という印象を持っています。 私が見てきた限りでは、リンクされて怒る人が批判されていた例はほとんどいなかったからです。
 盗作をしていた人が、リンクされて盗作を指摘された際に「リンクしたことそのもの」を非難するケース (「「海外ボツ!News」をパクった楽天サイト - 週刊オブイェクト」など) はこれに該当するでしょうが、それらを含めてもリンクに怒る人が批判をされていたケースはかなり珍しく、 むしろ大半のリンクトラブルは友好的かせいぜい中立的なリンクによるものでした。

結論 - 根底をひっくり返す方法

 さて、無断リンクや直リンクで作者としての名誉を傷つけられたと感じるのは無論、 喜ばしいことではありません。 しかし、そう感じている人がいるなら考えて頂きたいことがあるのです。 例えば、プロ歌手のCDだって日本人の1%(100万人)が買えば大ヒットですし、 プロ作家の小説なら日本人の0.1%(10万人)が買えばベストセラーです。 人から作品を評価されるというのは、それ位難しいことなのです。 しかも、作品を買った人でも、作者の自己評価どおりに作品を評価してくれるのはさらに少数でしょう。

「直リンクされたということは、私の評価よりも作品を低く評価されたということだ! 侮辱だ!」 ……そうなのでしょうか? まあ、自己評価通りの評価をされたのならその方が嬉しいでしょうが、 誰もがそう評価してくれるはずがありません。 むしろ、「この人はトップページから見るべきとまではいかなかったけど、 でもコンテンツを人に薦める程度には私の作品を評価してくれた!」あるいは、 「このリンクをした人は、トップページから見るよりもこのページから見た方がいいと思ったんだな。 この人にトップページから見た方がいいと思わせるにはどうしたらいいだろう?」などと と考えた方が精神衛生上よろしいのではないでしょうか?  はっきり言ってしまえば、侮辱だと感じるのは自信過剰というものではないでしょうか?

 無論、作品が自分の思ったほどには評価されなかったというのは、 作品を発表する者としては残念であるに違いありません。 しかし、作品を発表するものがそういう思いを味わう事は、避けて通れないことでもあります。 現実に、たとえ天才と呼ばれる者の作品だろうと歴史的傑作と呼ばれる作品だろうと、 受け取った全員が絶賛する作品などあり得ないのですから。もしもそういう残念さを作者が味わいたくないのなら、 その作者は受け手からの反応を一切受け取らないことにするしかないでしょう。

 自分の作品を思い通りに評価されないと嫌という感覚は、 多かれ少なかれ誰しも持っているものかも知れません。 しかし、様々な評価を受け入れる程度の度量を持った方が結局は嫌な思いをせずに済むのではないか、 そう私は思うのですが。

公開:2009年9月14日 最終更新:2010年4月30日

※本稿は2006年11〜12月頃に作成してお蔵入りにしていたものを、2009年9月に公開したものです。

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