リンクについての雑多な記事

 このサイトではいくつかリンクの自由についての記事を書いてきましたが、 このページではそういった記事に書ききれなかった小ネタを書いていきます。

 尚、当サイトでは「直リンク」という言葉を、「トップページ以外へのリンク」という意味で使っています。 他のサイトではこの言葉が他の意味で使われている場合がありますので、ご注意下さい。

数を恃むことについて

 これまでに何度か、 「リンクを自由と考える人は、そう考えない人のサイトを採り上げて数で圧倒し、暴力的に考えを変えようとしている」 というような主張を目にしました。 今は消えてしまいましたが「NWatch ver.4 - 「リンクは絶対に自由だ」のもとで迫害される人々」 という記事はそういった主張をして注目を集めましたし、 強い調子で無断リンクを非難していた記事を多くの人がソーシャルブックマークで採り上げたケース 「はてなブックマーク - 日本橋で暮らすということ 記事への無断リンクお断り申し上げます」などについても、 そういった声があったように思います。

 リンクしたりソーシャルブックマークで採り上げたりすることが数を恃んでいることになるかそもそも疑問ですが、 仮にそうだとしても、数を恃んで相手を圧倒しようとするのは別にリンク自由派の特権ではありません。 いえむしろ、それは自由否定派が好むやり方だという印象が私にはあります。 無断リンクされたサイトの運営者が、自サイトの閲覧者や他サイトの運営者に呼びかけて、 リンクした側を多数で非難しようとするケースを私は何度も見ているからです。

 特に興味深かったのが、旅行記のリンク集サイト 「想い出がいっぱい」のケースでした。 このサイトは多くのサイトの旅行記に無断でリンクしており、公開されてすぐに、 掲示板はリンクされたサイトの運営者の内の何人かからの非難で埋め尽くされてしまいました。

 「想い出がいっぱい」の運営者氏はその掲示板で憤る人々を説得しようとしましたが、 リンクされた側は納得せず、匿名掲示板に 「【許せるのか】想い出がいっぱい【電波な主張】」という スレッドを立ててこのサイトを糾弾しようとしたり、このリンク集にリンクされているサイトの掲示板に次々と 「こんなひどいリンクをされていますよ! 立ち上がりましょう!」というような書き込みをし、 まさに数を恃んで「想い出がいっぱい」を潰そうとしていました。

 ここで、『「潰そうとしていた」なんて穏やかじゃないな、抗議していた人達はただリンクを外して欲しかった だけじゃないの?』という方もおられるでしょう。しかし、そうではありませんでした。 「想い出がいっぱい」の運営者氏はリンクが嫌なら『すみやかに削除します』と明言しており、 リンクを外して欲しいだけなら名乗って一言言えばそれで済む話だったのです。 しかし、掲示板で「想い出がいっぱい」の運営者氏に抗議をしていた人々は、皆匿名で書き込んでおり、 リンクを外して欲しいなどという考えは初めからありませんでした。 彼ら/彼女らは、リンクされたことが嫌だったのではなく、そのようなリンクをするサイトが存在する事そのものが 許せなかったのです。

 これは特に分かりやすい例ですが、他にも私は何度もリンクの自由を否定する人が数を集めて リンクを自由と考える人を非難しようとするのを見ています。 そういう人はどうも、「無断リンクをされて嫌がるのは当然だ。 そういうリンクをするのは異常だ」と信じているので、「多くの人に呼びかければ当然自分の賛同者ばかりが集まる」 と考えてしまうようです。
 リンクを自由と考える人は考える人で「無断リンクをされて嫌がるのは異常だ」 と思っていたりするのである意味似たり寄ったりなのですが、 しかし私の知る限りそういう人は皆黙ってそういうリンクをするか、 自由否定派に自分で意見を述べているのであって、上記のような「人を集めて他の人にも言ってもらおう」 という人は皆無なのです。

 私は別に、数を恃んで抗議をすることが悪いことだとは思いません(補遺1)。 ただ、私としては 「リンク自由派は数を恃んで自由否定派の考えを変えようとしている」という意見は、 むしろ逆ではないかと思えるわけです。

補遺1

 上の文章から、私が数を恃んで主張をすることに否定的なのかと思われた方がいるかも 知れませんが、別にそうではありません。 一人に抗議されようが百人に抗議されようが、抗議された側にはそれらを無視する自由があるのですから、 数を恃んで抗議したところで別に問題はないでしょう。 抗議された側が何でも多数決で決められると思うタイプだったら抗議が上手くいくかも知れませんね、程度の話です。
 ただ、他の人が既にしているのと全く同じ主張を繰り返すだけの抗議だったらリソースの無駄でしか ないので止めた方がいいとは思いますが。

 尤も、「抗議」の内容が根拠を示さない中傷や罵倒であったならそれは当然問題であり、 何人もの人が掲示板にそのような書き込みをすることは、 荒らしというものでしょう。また、上で触れた「はてなブックマーク」でも、 リンクの自由を否定する人に対して問題あるコメントやレッテル貼りがされることがしばしばあり、 それは問題であると考えます。しかし、そういったケースで問題とされるべきは暴言そのものであって、 数が多いから問題というわけではないでしょう。

 ちなみに私の知る限り、リンクの自由に関する揉め事で相手を罵倒したり暴言を吐いたりするのは、 以前はほとんどの場合「リンクの自由を否定する人」だったのですが、ここ1〜2年ほどでしょうか、 しばしば「リンクを自由と考える人」による罵倒や暴言も目にするようになってきました。 特に「はてなブックマーク」ではそれが顕著であるように思えます。 このことが人々に与える印象が、冒頭で紹介したような批判につながっている気がするのですが。

お前のポリシーは俺のもの

 「ポリシー」とは「方針」「政策」といった意味で、通常はその組織や個人が守るべきルールや信条を示す場合に使われます。 例えば「プライバシーポリシー」だったらその組織や個人が収集した個人情報をどう扱うかを定めたものですし、 同じく「セキュリティポリシー」ならどうセキュリティに取り組むかを定めたものです。

 そう考えていくと、単純に考えれば「リンクポリシー」とは「そのウェブサイトがどういう方針でリンクするか を示したもの」、ということになります。 例えば、「このサイトのリンクポリシーとして、無断リンクは禁止しています」とあれば、 「このサイトからリンクする際には無断リンクはしないことにしています」ということになるでしょう。 しかし、実際にはそうではありません。 どういうわけか、「リンクポリシー」についてだけは何故か勝手に「他人のサイトのリンクはどうあるべきか」と、 他人のポリシーを決めてしまうサイトが少なくないのです。全くおかしな話です。

 しかも興味深いことに、プライバシーポリシーなどについては自らに厳格な方針を定めた企業のウェブサイトが、 リンクポリシーについてはこういった他人任せな方針を採っていることもあります。 全く矛盾した姿勢としか言いようがありません。

 もしもポリシーが他人任せでいいものであるなら、厳格なプライバシーポリシーもセキュリティポリシーも 不要であるはずです。ごちゃごちゃしたプライバシーポリシーなど書かなくても、 「第三者による個人情報の利用は禁止します。もしも皆さんが当社から個人情報を入手した場合は直ちに破棄して下さい」 とでも書いておけばそれでいいのですから。

 でもまあ、このように「他人のポリシーを決められる」と信じている人がいるということは、 ある意味ありがたいことではあるのかも知れません。私が好き勝手なポリシーを作っておけば、 その人はきっとそれを守ってくれるのでしょうから。

 というわけで、このサイトの評価ポリシー(このサイトの閲覧者の方々がこのサイトをどう評価するかを定めたもの)は、 「大絶賛」となっています。つまり、皆さんがこのサイトを評価する際には必ず大絶賛しなければならない、 それがこのサイトのポリシーです。ほとんどの方々はこんなポリシーは無視されると思いますが、 上で挙げたような他人任せなポリシーを掲げておられる方々はきっとこれも守って下さると信じております。

比喩ありき?結論ありき?

 先日、otsune氏による 「「ホームページ」は本来はWeb siteなので、「家」にたとえるのは誤解しか生まないのでやめた方が良い」 という記事が話題になっていました(参考:はてなブックマークでの同記事)。 要約すると、「Web siteの意味でホームページという言葉が使われることがあるが、これは和製英語だ。 そしてそこからホーム=家という連想をし、Web siteをプライベートなものと捉えてしまう。 誤解を生まないよう、Web siteを家に喩えないほうがよい」 ……という内容です。 しかし、私はこの認識には疑問を持っています。

 ウェブサイトをプライベートなものと捉えている人が「家のようなもの云々」という 比喩をするのは確かによくある光景です。しかしそういう人々は、ホームページという言葉があったから ウェブサイトをプライベートなものと捉えたのでしょうか? 恐らくそうではないと考えます。

 私の見る限り、そういう人々の多くには、 まず「ウェブサイトがどのように見られるかは作者が決めるべきもので、 他者に自由にリンクされたりするべきものではない」という直感があり、 それを「それはプライベートなものだからだ」と理由付けし、 そこから「家のようなもの」という比喩に到達したように思えるのです。 恐らくそういう直感を持つ人々は、ホームページという言葉がなかったとしても、 やはり同様の結論に達していたのではないでしょうか。

 ですから、そういう人に「ウェブサイトを家に喩えるのはやめよう」と説くのは有効ではない、と私は考えます。 家に喩えなくても、「無断リンクは人を勝手にジロジロ見るようなもので、マナー違反です」といった やはりウェブをプライベートと見なしての主張もあるわけで、 比喩を変えることは結論を変えることにはつながらないはずです。

 では、「ウェブサイトはプライベートなものではありません」と説けば有効なのかというと、 それもやはり疑問だったりします。 プライベートに喩えなくても、そういう人々は 「人のサイトにリンクするのは無断転載と同じで、著作権の侵害です」 「人のサイトのURLはパスワードと同じで、それを勝手に書くなんて不正アクセスです」 といった主張もしますので。

 ちなみにご存じでない方も多いかと思うので説明しておくと、 上の二つ「無断転載と同じ」も「パスワードと同じ」もいずれも無断リンク/直リンク禁止派が 実際によく使う比喩です。後者は最近あまり見かけなくなった気がしますが。 参考までに、この比喩を端的に紹介した匿名掲示板でのやりとりを紹介します。

41 名前: Name_Not_Found 投稿日: 03/01/23 20:37 ID:???
こういうのを見つけたんですが。

488 名前: 風と木の名無しさん 投稿日: 02/08/10 19:51 ID:BGKnHyxt
裏ページのURLって秘密情報なんだよ?
「(秘密の)URLを打ち込みさえすればアクセスできる。これはアクセス制限ではない」
というのは
「(秘密の)パスワードを打ち込みさえすればアクセスできる。これはアクセス制限ではない」
と言っているのと同じです。
44 名前: Name_Not_Found 投稿日: 03/01/23 20:42 ID:???
過去ログなんですが、41の書き込みの後
>「URL=パスワード*ではない*」というのは、どこにもソースがなかったので
>どこかにそれらに関する情報がないかと思ったのです。
>「URL=パスワード」という意見と「URL=パスワードではない」という意見は
>このままだと平行線だと思うので。
>隠しページのURLと、「偶然」破れてしまう事もあるパスワード(>>502参照)
>本来秘密である点と偶然入れる事があるという点で、余り条件は変わらないと思うのですが
>その線引きはどこでどう付けられるのだろうかと考えています。

URLがパスワードかどうか、真剣に悩んでいる模様・・・
47 名前: Name_Not_Found 投稿日: 03/01/23 20:44 ID:???
>>44
続きはどうなってんの?
50 名前: Name_Not_Found 投稿日: 03/01/23 20:55 ID:???
>>47
斜め読みしただけなんだけど、
結局「URLはパスワード」という主張の人は、
「隠しページへのリンクはURL=パスワードの漏洩」ということなので、
不正アクセスで訴えろ、ということになったみたいです。

真・無断リンクは是か非か(11)」より

「リンクされたくないならパスワードなどでアクセス制限をすべき」→「URLを秘密にしているのでアクセス制限はしている」 →「それはアクセス制限ではない」→「URLはパスワードなので、これはアクセス制限だ」……。 なんと道のりの遠さを教えてくれるやりとりでしょうか。

 このやりとりはネタではないか?と思う方もおられるでしょう。無論、その可能性はあります。 しかし「URL=パスワードなので無断リンクは不正アクセス」という主張は現実にザラにあるわけで、 このやりとりが実際にネタだったとしても何の慰めにもならないのがこの業界の恐ろしいところです。 ちなみに同スレッドの過去ログを少し探してみると、とりあえず「新・無断リンクは是か非か(9)」の 276以降にも同様のやり取りがあります。

 ただ、先ほども述べましたが「URLはパスワード」という主張は最近はほぼ見かけなくなったように思います。 これが私の見てきた揉め事のみの傾向なのか、実際にウェブ全体の傾向なのかは分かりませんが。

 閑話休題。otsune氏の推測と私の推測を比較するなら、下図のようになるでしょう。

思考の流れ

 私は「ホームページという言葉のイメージからプライベートという認識が生まれる」ことがないとは思いません。 しかし、リンク禁止が主張される背景にはそうではない物の方が多いのではないか、 人は大抵は比喩から結論を導くのではなく結論に合った比喩を探すのではないか、 と思うわけです。

 otsune氏は「人間という動物が持つ「嫌悪感」という現象に、無理矢理な理屈を付けるのが「文化」だ」 という記事も書かれています。この言い方で言うなら、「ホームページ=家だから無断リンク禁止」というのはまさに、 無断リンクされることの嫌悪感に理屈付けをした文化的行為なのではないでしょうか。

「無断リンク禁止」の意味

 「無断リンク禁止」といった但し書きのあるサイトは少なくありませんが、その意味するところは大きく分けて 4つあるように思います。

  1. 一応書いてはみたが、実のところ無断リンクしてよい。
  2. 一言連絡すれば、サイト運営者からの返信を待たずリンクしてよい。あるいは、リンクしてから一言連絡すればよい。
  3. 一言連絡し、サイト運営者からの許可を待ってリンクすること。
  4. 連絡には長文のサイトの感想を付記し、サイト運営者からの許可を待ってリンクすること。

 「無断リンク禁止」という注意書きを厄介にしているのが、この注意書きが1〜4のどれを意味しているのか リンクする側には判りにくい場合があることではないでしょうか。 そして、1〜3だと思って簡単な連絡をすると実は4で、連絡された側は「3行メール/カキコしてんじゃねーよ!」 と怒りだしたりするわけです。

 実のところ、1〜4がそれぞれどの程度の割合存在しているかというのは分かりませんし、 それを調べることはまず不可能でしょう。 ただ、私がこれまで見てきた事例から4の人はそう少なくないのではないか、という印象はあります。

 ちなみに私が見る限りでは、4の人は「リンクしたいということは、私のサイトにベタ惚れなんでしょう?  だったらリンクさせてあげるから、感想をしっかり伝えるのが当然の義務だよね?」 というような発想から長文の感想を当然と考えているようです。

 リンクの自由に関する議論を見ていると時折、 「“無断リンク禁止”というサイトなら、連絡くらいしてあげればいいじゃないか」 という人がいます。そういう人はどうも2や3を意図した「無断リンク禁止」を想定しているようです。 でも、実際には「リンクの連絡=長文の感想」だという人は結構いるように思えるのです。 その点に関する認識のズレが、リンクの自由についての議論のズレの理由の一つになっているような気がするのですが。

価値観論争の前に

 これまでの記事で詳しく触れてきませんでしたが私は、リンクの自由に関する論争は大きく分けて二種類ある、 と考えています。ここではそれぞれ論争A、論争Bと呼びます。

 論争Aは「現状の社会の共通認識として(あるいは法律上)、リンク先の意向に沿わないリンクはできない (A-1)」という認識と、「現状、そのような共通認識も法律もない(A-2)」という認識の衝突です。 それに対し論争Bでは基本的に現状がどうであるかには関係なく、 「リンクが自由だと問題があるのではないか?(B-1)」 「いや、自由である方がよい(B-2)」といった議論が行われます。

 つまり、Aは「現在自由であるかどうか」の論争、Bは「将来自由であるべきかどうか」の論争です。 Aは現在の社会の規則・規範の認識の違いによる論争であり、 Bは人間観や未来予測の違いによる価値観論争と言えるでしょう。 実際の論争ではAとBがごちゃごちゃになっていることが多いのですが、それでも 見ていて「この人はA-1を、こちらの人はB-2を主張したいんだな」といったことはある程度判断できます。

リンクに関する立場の比較図
比較図

 ここで、「A-1という現状認識はB-1という価値観から生まれるのだから、Aに関する議論はやはり 価値観論争だ」という人もいるでしょうが、それは違うと考えます。 A-2でB-1という立場もあるのですから、価値観を抜きにした現状認識の論争はありえるわけです。 無論多くの場合、A-1の現状認識はB-1の価値観から生まれるため、両者には密接なつながりがあります。 しかし、同じではありません。
「私は無断リンク/直リンクされるのは嫌だ。そしてそれは誰にとっても嫌に決まっている。 だからそういうリンクをするのは明らかに悪事であり、許されないという共通認識があるはずだ (あるいは法律で禁止されているはずだ)」 ……恐らく、多くの場合これがA-1の人の現状認識なのです。

 「事実から当為を導き出すことはできない」という言葉がありますが、 A-1は逆に当為から事実を導き出してしまっているのでしょう。

 そして論争Aをさらに厄介にしているのが、A-1の人が往々にしてこの認識から、 「誰もが当然悪事と思うことなのだから、 もし万が一不愉快なリンクをする人がいたらその人はわざと相手を攻撃しようとしているのだ」 と考えてしまっていることではないでしょうか。 この場合、リンクの自由に関する論争はA-1にとって論争ではなく、 「正しい人間vsクズ人間」という図式で捉えられてしまうのです。

 論争AとBを分けて考えることで、リンクの論争に関する誤解のいくつかは容易に 解けると私は考えています。ここでは二つの誤解を解いておきたいと思います。まず一つ目。 「無断リンク等をされたくなければアクセス制限を使うべきだ」という主張は B-2の認識からなされるものだ、と考える人が多いようですが、そうではありません。 「アクセス制限を使うべきだ」という認識はA-2から生まれるのであり、B-1かB-2かには無関係です。 実際にアクセス制限を導入している人は多いわけですが、 そういう人々が必ずしもB-2の認識を持っているわけではないでしょう。

 次に二つ目。「リンクの自由を説く人は、A-1の人を攻撃し、倒すためにそうしている」 と考えている人は多いようですが、必ずしもそうではないと考えられます。 A-1の人を攻撃したいのならそれこそ黙ってリンクすれば用は足りるのですから、 別にわざわざリンクの自由を説く必要はないのです (A-1の人を攻撃する口実としてリンクの自由を説く人もいる可能性がありますが)。 A-1の人がリンクされて激しく傷つくのは、その人が「わざと攻撃された」と感じてしまうからです。 無断リンク等をされるのを嫌がるにしても、A-1であるよりもA-2であった方がダメージが少ないはずであり、 つまりA-1の人を説得してA-2に変えることは、その人を守ることになる可能性があります。 また、A-2の認識を持てばその人はアクセス制限を導入できる可能性があり、 この場合もやはりその人を守ることにつながります。 つまり、リンクの自由を説く人は、相手を攻撃するためにしているのではなく、 むしろ相手への親切心からしている場合もあるのではないでしょうか。

 先日、徳保隆夫さんがリンクの自由を説くことを疑問視する 「争点は事実ではなく、その解釈」 という記事を書かれていました。興味を引いた箇所を引用します。

私は、無断リンク問題は価値観闘争であって、一方が他方を間違いなく論破できるというような話ではないと 認識しています。けれども、id:SiroKuro さんにせよ UK さんにせよ、落ち着いた書き方をしつつも、 そういった視点がない様子でしょう。論理的に無断リンクOKという以外の結論はありえない、といった感じ。

争点は事実ではなく、その解釈」より

 ここまで述べてきた通り私は、リンクに関する論争には価値観論争だけではなく事実を争うものもあり、 その場合充分な根拠を示すことで一方が他方を論破できる可能性もあると考えています。 (実際に論争Aが起こった場合、しばしばA-1の人はA-2に認識を変えているように思えます。 その場合、その人は大概自分のB-1という価値観を自覚し、それを主張するようになります。)

 私の想像ですが、徳保さんが言及されたような揉め事に口を出す人の何割かは、 とりあえずA-1に対してA-2を主張したいのであって、Bに触れる気はないのではないでしょうか。 だから、『論理的に無断リンクOKという以外の結論はありえない』という主張をしていても おかしくはないと考えます。 徳保さん自身も別の記事で、『なるほど、リンクする権利は広く認められ、 法的にも保障されているのであろう。』と書かれていますが、まさに争点はそこにあるのです。 自由なリンクを嫌がる人の多くは、「無断リンク等をされない権利は広く認められている、あるいは法的に保障されている」と考えているのです。

リンクに関する立場の比較図(再掲)
比較図

 恐らく徳保さんは、リンクの自由に関する論争は全て価値観論争であり、 したがって正しい主張も間違った主張もない、と考えておられるのではないでしょうか。 しかし私はリンクの自由に関する論争の何割かは事実を争っていると考えています。 以前、徳保さんは拙稿「誤解の理解-何故リンクが自由なのか」に以下のコメントをされました。

この記事は丁寧に書かれていますが、説得力や実効性には疑問を感じます。ある行為が善か悪かを決めるのは価値観の問題。「私を不愉快にさせる行為は悪」という価値観の持ち主に対して、「あなたは不愉快かもしれないけれども、これは悪事じゃないんだよ」といって通用するだろうか。

価値観闘争、3つのシーン」より

 補足させて頂きます。私があの文章で述べたかったのは、以下のようなことでした。

 確かに論争の原因は価値観の違いなのでしょうが、最大の問題は 多くの場合A-1やB-1の人が「自分には考えがあり、こういう結論に達した。 それに対し、リンクが自由という人は考えなしだ。道徳観や社会観がないんだ」と思っていることではないでしょうか。 つまり、価値観論争であるのに「正しい人間vsクズ人間」のように捉えられ、価値観論争だと認められていない。 それに対し私は、「いや、道徳観も社会観もあるのではないか」と伝えたかったのです。

 つまり、徳保さんが私の文章によせられた『ある行為が善か悪かを決めるのは価値観の問題』という批判は、 「価値観」という言葉こそ使っていませんが、私がまさにその文章で伝えたかったことなのです。 あなたはそれを「誰にとっても悪事だ」と思っているかも知れないけどリンクした人は「善」だと思ってそうしているかも知れない、 色々な価値観があるのだ、そう私は言いたかったのです。

 ただ、B-1の人がしばしば事実と当為を混同してA-1を主張するのと同様に、 A-2の人が事実と当為を混同してB-2を主張している場合も確かにあります。 つまり、「現状ではリンクの自由は認められているので、将来も認められるべきだ」と。 この主張には飛躍があると考えられ、その点では私は徳保さんの主張に同意します。 また、B-1の人にとってそれが当然であるがゆえにB-2という価値観が想像できないように、 B-2の人もやはりB-1という価値観が想像できていない…… つまり、B-2の人は「誰もが当然B-2という認識を持っており、 リンクの自由を否定する人はそれをわかっていながらわがままを言っているのだ」 と考えている場合が少なくないように思います。 私自身も以前はそれらの誤解に気付いておらず、その点は認識不足でした。

 しかし、B-1だろうとB-2だろうとあるいはそれを自覚していなくても、 とりあえずBの論点には触れず、A-2は事実なのでこれを説く、というのは問題ないのではないでしょうか。 そして、実際にそういう主張をしている人は少なくないように思えるのです。

補遺2

 例えば、個人サイトで頻繁に見られるリンクされた人が激しく怒り、リンクした人を非難するようなケースは、 大半がA-1の認識によるものなのではないかと私は考えています。 こういうケースではほぼ100%、非難する人は「なぜそういうリンクが駄目なのか」 は説明してくれないわけですが、それはそういう人が 「リンクされる側の意に沿わないリンクはしてはいけないという共通認識(または法律)がある」 と思っているからいちいち説明しないのではないでしょうか。

 法人サイトもしばしば無断リンク/直リンク禁止を主張しますが、 これがどのような認識からなされているかはよく分かりません。 ただ、高木浩光さんの「高木浩光@自宅の日記 - 「リンクお断りは普通」と人の心に種を蒔くAC」にある 『「リンクフリー」「リンク許可制」「リンクお断り」の3つの選択肢が世の中にはあって、運営者はどれにするかまず決めるものだ』 といった認識はまさしくA-1そのものではあります。

補遺3

 このページで「氏」と「さん」の2つの敬称を使うことになってしまいましたが、 特に意図があって使い分けているわけではありません。

サイトが家でも別によい

 リンクの自由に関する論争を見ていると、このようなやりとりをしばしば見かけます。

自由否定派「ウェブサイトは家のようなもので……」
自由肯定派「ウェブサイトは家ではありません」

 この自由肯定派のように、問答無用で比喩を否定するのは論争の仕方として上手くないと考えます。 比喩なのですから二つがイコールではないのは当然であり、 喩え話をしている相手に「AはBではありません」と言っては話は進まないでしょう。 そんなことを言っていては、あらゆる比喩はできないことになってしまいます。

 比喩で肝心なのは、「話者がAとBの何に共通点を見出しているのか」です。 この場合は自由否定派は恐らく「サイトと家には、所有者が決めたルールを皆が守らなければならないという共通点がある」 と考えてサイトを家に喩えているのでしょう。なので自由肯定派が「サイトは家ではありません」と主張したところで、 自由否定派は内心「確かにサイトは家と同じではありませんが、でも、 所有者が決めたルールを皆が守らなければならないという点は同じです」等と考えるのではないでしょうか。 実際に、『サイトは家ではないかもしれませんが、我城ですよね。「はいろり。」2006年05月28日より)』という方もいるわけです。

 恐らく「コンテンツの制作者=コンテンツの所有者」という考え方が想像し難いため、 自由肯定派は「サイトは家のようなもので……」という比喩を理解し難いのではないでしょうか。 自由肯定派は「サイト=家」という比喩の主眼を理解し、比喩を否定するのではなく、 「サイトが家だとした場合、それはコピーされて人々のパソコンや携帯電話などに配られる家であり、 制作者が利用法を決めることはできません」などと説明することで話が進めやすくなるのではないか、 と考えます。

 ちなみに、比喩は論争を混乱させるだけなので使うべきではない、といった意見をこれまでに何度か見かけましたが、 そんなことはないと私は考えています。論争の性質にもよりますが、 時には比喩が主張を明確にし、論争を終わらせる助けになることもあるからです。 私もつい先日、5〜6時間にわたる泥沼の論争を思いつきの比喩一つで終わらせる経験をしており、 そういった効果を考えれば、論争に比喩を使うことは必ずしも悪くないのではないでしょうか。

リンク禁止問題の実状

 私は本稿および拙稿「無断リンク禁止/直リンク禁止」命令に関する想定問答集 誤解の理解-何故リンクが自由なのかなどで、 ウェブで頻繁に起こっているリンクの自由に関するトラブルについて述べてきました。 しかし、目にするトラブルの傾向が違うのか、あるいはこういった出来事をあまり目にすることがないのか、 人によってはリンクのトラブルの認識には大きな違いがあるようです。 そこでここでは、私の認識するそういったトラブルの経緯や実状について解説します。

 まず、私の見てきた限りでは、リンクの自由に関するトラブルが起こる背景には大半の場合、 「現状の社会の共通認識として(あるいは法律上)、リンク先の意向に沿わないリンクはできない」 といった認識があります。そして更にそこから踏み込んだ 「無断リンク/直リンクは誰もが嫌がる非常識な行動である」 という認識がある場合も相当数に上ります。
 そして、こういう認識を持つ人が無断リンク/直リンクを見た場合、しばしばトラブルが発生します。 そういうリンクをする人は明らかに誰でも悪事と分かる行為をしているのですから、 そこには間違いなく悪意が存在していることになります。なので、「何とひどい人だ、許せない!」と考え、 様々な罵倒や暴言でそういう行為を止めさせようとしたり、時にはキャプチャ晒しや荒らしなどでそういう人を 制裁しようということになるわけです。これが、私の認識する大半のリンクの自由に関するトラブル発生の経緯です。

 ちなみに、「現状の社会の共通認識として(あるいは法律上)、リンク先の意向に沿わないリンクはできない」 という認識を持つ人にとっては、それは誰もが持っている当然の認識です。 なので、リンクの自由を否定する人は殆どの場合「何故ダメなのか?」を説明してはくれません。

 誤解が多いようなのですが、実際にリンクの自由に関するトラブルで見られる 「無断リンクを止めろ」といった主張の何割かは、 「私のサイトへのリンクを止めろ」という意味ではありません。 そうではなく、それは「あらゆる無断リンクをやめろ」「金輪際、そういうリンクをするな」という意味なのです。 なるほど、「無断リンク/直リンクは誰でも嫌がる非常識な行動である」という認識があれば そういう主張になるのも当然なのでしょう。

 このことはリンクの自由について論じる人にも意外なほど認識されていないようなので、 いくつか最近の例を挙げます。例えば、希望のサイトを探すための「情報交換掲示板サイト」 ユメセンカに先日、 『訴訟。』 という恐ろしげなタイトルで以下の書き込みがされました。

1 投稿者: ははぎ (06/11/29-15:21:14) [i] [DEL]

こんにちわ、管理人様。
実は今日初めて此処に来て、驚きました…。
私のサイトが捜索掲示板に貼られていました…
【ブックマークを消してしまって場所がわからない】
と言う理由でした。
もう一度読みたいと思ってくれたのは嬉しいのですが、このように曝されるのは正直傷つきました…。
このようなサイトは閉鎖なされた方がいいです。
此処に貼られている方で何人か嫌悪感を抱いてる方がいます。私を含め。
話し合った結果、こちら様にも何らかの処置をさせていただかざるをえないかと思っています。

管理人達からしてみたら、最悪な気分です

2 投稿者: 管理人 (06/12/01-16:14:48) [PC] [DEL]

初めましてははぎ様。
ご意見ありがとうございます。

まず始めに、ご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした。
直ちに記事を削除いたしますので、どのスレにURLを貼られていたのか教えていただけますか?

また、当サイトにURLを貼られ、ははぎ様と同じようにご不快な思いをされている方々も、スレを教えていただければ削除いたします。

ご返信、お待ちしております。

管理人へ」より

 この方は明らかに自分のサイトへのリンクを削除させることではなく、 無断リンク自体を止めさせ、サイトを閉鎖させる事を目的として書き込みをしています。 (この方の「ははぎ」という名前はその場限りの捨てハンドルでした。)

 また、最近の例としては、他にこういった書き込みがありました。

まず無断リンクをやめろ。
話はそれからだ。

Posted by: Anonymous | 2007年01月23日 12:39

えとー…どこへの無断リンクの件でしょうか?それがわからないと何とも言えないのですが。

ちなみに「無断リンク禁止/直リンク禁止」問題についてはこちらが参考になりますので、ご一読ください。

「無断リンク禁止/直リンク禁止」命令に関する想定問答集
http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/column/faq.htm

Posted by: ロテ職人 | 2007年01月23日 19:15

全部無断だろ。

Posted by: Anonymous | 2007年01月24日 13:24

ロテ職人の臨床心理学的Blog 知らぬ間にカウンターのヒット数が50万を超えていた件」より

勝手な人ですね
勝手な人ですね。他人に迷惑を掛けても平気という姿はきっとお子さん見てますよ。教育以前の問題ではないですか?リスクを払うのはあなたの勝手でしょうけれど、何の許可も無く、他人のブログやホームページを自分のブログに勝手にばんばん貼り付けてリンクをしたりはやめてください。

(略)

【2006/12/20 22:14】 URL | 匿名 #mQop/nM. [ 編集]

私には匿名さまがどのサイトの方か特定する技術はありませんので、リンクの削除にはURLやブログ名がなければできません。削除をご希望であればお知らせくださらないとご希望に添えません。(略)

【2006/12/21 11:27】 URL | ミィママ #- [ 編集]

子育て&早期教育情報。家庭保育園・七田・胎教など右脳を育てるフラッシュカードやドッツカードの方法」より

 ここで挙げたサイトはいずれも、リンクをしまくっているというわけではありませんし、 一言あればリンクを削除する方針も共通しています。それでも、時としてこのような暴言を受けてしまうのです。
 そしてこういうトラブルの特に印象的な例は、上記数を恃むことについてで 紹介した、「想い出がいっぱい」に対する非難のケースでしょう。

 また、掲示板やブログのコメント欄では「(URLを示して)ここにその情報があるよ」 「それは無断リンク/直リンクだろう、何してるんだ!」という感じで第三者が怒り出すようなケースもしばしば見られますが、 これもそういう考え方によるものと思われます。

19 名前:匿 投稿日: 2006/06/14(水) 04:06:13

キングさんの板勝手に使うなよ。
張り付ける許可は取ったのか?
ネットマナーくらい知れ。

【価値】聞いてみる【査定】」より

 ちなみに、最近一部で注目を集めていた「はてなブックマーク - ミニゲーム - イタチかもしれませんが・・・・」 を見ると、単なるハイパーリンクに対して「直リンクするな」と怒る人がいることに驚いている方が何人もいますが、 これも以前からよくある非難のパターンです。

日時: 2005/09/25 05:02
名前: あーあ ID:

杏○さんのブログが直リンされてる…
心ない人ってこういう事を平気でするんですねぇ。

話題のためだけに直接リンクを張る時は
本人の確認が必要です。
常識&マナーですから注意して下さいね。(;_;)

了解得ての直リンならごめんなさい(^^;)

レベル300(ハイメタ)について - エターナルカオス討論・情報交換板」より

 これらは、決して珍しいケースではありません。私が目にするものだけでも結構な頻度で起こっていますし、 私が目にしていないものはこの何倍、何十倍もあるのではないでしょうか。

 リンクの自由に関するトラブルについて論じた文章には、 これらの実際に起きている多くのトラブルを目にしていないのではないか、と思えるものが少なくありません。

 例えば、「無断リンク禁止を謳うのは批判されたくないからだ」あるいは 「リンクでトラブルになるのは批判的なコメントが付いていたからだ」と考えている人は多いようですが、 実際に無断リンクに関するトラブルで批判的コメントがされているものは稀です。 むしろ実状は全く逆で、トラブルになっているリンクのほとんどは友好的なリンク、 あるいは精々中立的なリンクなのです。

 また、「リンクの自由に関するトラブルは、リンクした側とされた側の、 リンクを削除するかどうかの争いだ」 と考えている人もいますが、これも正しくないと思われます。 リンクを自由と考えない人々は、先ほど紹介したケースのように匿名でリンクを非難したり、 誰のサイトへのリンクかに関係なくあらゆる無断リンクを否定する場合が少なくありません。
 無論、自分のサイトへのリンクに怒る人もいますが、 そういう人でも私が見る限り「自分のサイトへのリンクを削除させること」よりも 「いかに非常識な行為をしたのかを理解させ、罰を与えたり反省させたりすること」を重視している人が格段に多いのです。 つまり、ただ「自分のサイトへのリンクを削除させること」を目標としている人のトラブルは、 やはり多くはないのです。

 はてなダイアリーのキーワード「無断リンク」にはこうあります(2005年11月〜2007年1月現在)。

無断リンク問題の発生パターンは、ほぼ次の2種類に集約される。

無断リンク問題は基本的に許諾不要論者の積極的な言動が原因となって発生する。許諾必要論者には「自分が嫌なことをされなければいい」と考える者が多いため、許諾不要論者をわざわざ探し出して批判するケースは滅多にない。

(略)

*5:「無断リンクは遠慮してほしい」という願望の提示さえも批判の対象となりうるので注意が必要

無断リンクとは - はてなダイアリー」より

 『無断リンク問題』という言葉の奇妙さはここでは置くとしても、 私にはこの方がイメージ先行で実状を知らずに無断リンクについて論じているか、 あるいは故意に稀なケースを一般化して論じているように思えます。

 まず、『被リンク情報の管理者が不快感を表明したが、リンクした側がリンクを維持し続けた』 について。このような書き方をされると「リンクした人が意固地になっちゃったんだな、リンクされた側は可哀想に」 という印象を持つ人も出てきそうです……が、私が見てきた限りこのようなケースは稀であり、 到底一般化して語れるようなものではありません。 そういった揉め事ではリンクされた側がいきなり怒り心頭に発して リンクした側を非難・罵倒するケースが多く、『不快感を表明』などという言葉で片付けられるようなケースは あまりないのです。
 上で挙げたケースの「スイセンカ」への非難のような形で『不快感を表明』しているものも含めて考えれば そういうケースの割合は増えますが、そう考えてもこのようなケースは珍しいものであると私には思えます。

 次に、『「無断リンク禁止」といった主張を許諾不要論者が批判した』ですが、 そういう批判自体は確かに稀ではありません。 特に、高木浩光さんはこういった批判で有名ですし(参考:「高木浩光@自宅の日記 - 「リンクお断りは普通」と人の心に種を蒔くAC」など)、 他にも「企業ホームページ研究所」のような 個別の批判的なコメントのないケースも含めて考えれば、結構な数になるでしょう。 しかし、そういう批判は殆どが無視されるか軽く流されるかであって、 それが『無断リンク問題』へと発展するケースはやはり珍しいのです。

 つまり、上記解説文で『無断リンク問題の発生パターンは、ほぼ次の2種類に集約される。』 と言いつつ挙げられている発生パターンは、私がこれまでに見てきた限りではいずれも珍しい状況なのです。
 また、上記解説文の『許諾必要論者には「自分が嫌なことをされなければいい」と考える者が多い』 という記述も、これまでに挙げてきたようなトラブルを見ていると疑問に思わざるを得ません。

 他にも「リンクの自由を知らしめるには、わざわざリンクの自由を説くのではなく淡々とリンクすればよいのだ」などと主張する人もいるわけですが、 これにも疑問があります。淡々とリンクして上記のような罵倒を受けるリスクを負うよりも リンクの自由を説いた方がまだましだ、という考え方だって充分に有りなのではないでしょうか。

 私には、どうしてリンクのトラブルの経緯に関する見解がこうまで別れるのか、不思議でなりません。 こういうトラブルをあまり見る機会のない方が結構多いのか、 それとも私が見てきたケースが偏っているのか、それとも他に何か理由があるのでしょうか……。

注意書きを守っていても

 リンクによるトラブルに関しては、このような認識も少なくないようです。 「リンクについてのトラブルは、リンクする側が“無断リンク禁止”といった注意書きを無視することによって起きているのだ」と。
 この捉え方からすると、たとえリンクを自由と考えていたとしても、 リンクに関するトラブルはこのように認識されうるでしょう。 「権利を盾に自分の考えをごり押ししようとするから、トラブルになるんだ」と。

 実際に、私はリンクのトラブルについてこういった意見を何度も目にしてきました。 前回の記事「リンク禁止問題の実状」で批判したはてなダイアリーキーワード「無断リンク」の『無断リンク問題は基本的に許諾不要論者の積極的な言動が原因となって発生する』 といった記述にも、こういった捉え方が背景にあるように思えます。

 しかし、たとえリンクが考えのごり押しにあたるとしても、上記の捉え方には大きな誤解があると考えます。 私が見てきた限り、リンクに関するトラブルには「リンクされた側がリンクに関する注意書きをしていなかったケース」が少なからずあるからです。 つまり、そういうサイト製作者は「リンクの際には○○する/しないのが当然」だと考えているので、いちいちそういった注意書きをしないのです。 そして、注意書きがないので無断でリンクすると、「無断でリンクするな!」となったりするわけです。
 また、リンクに関する注意書きが特にないサイトにリンクした際に、 第三者が「そのサイトにはリンクフリーとは書かれてないぞ!」などと怒り出すケースも少なくありません。

 例えば、このページの記事(「数を恃むことについて」および「リンク禁止問題の実状」)で無断リンクを匿名の人から 非難されたサイトを計4つ紹介しましたが、これらの内の少なくとも2つは「“無断リンク禁止”とあるサイトには 無断リンクはしない」といったポリシーで運営されていました。 これらのサイト運営者氏は、相手サイトの注意書きには従っていたが、 リンクに関する注意書きのないサイトに無断リンク等をしてトラブルになってしまった可能性がある、 と私は考えています。

 これらの4つの事例の中でも、特にリンク集サイト「想い出がいっぱい」への非難のケースは興味深いものでした。 このサイトにリンクされて怒る人々が、このリンク集にリンクされているサイトの掲示板に次々と匿名で「こんなひどいリンクを されていますよ! 立ち上がりましょう!」というような書き込みをしていた、というのは以前述べた通りですが、 こういった勧誘の書き込みに対して、書き込まれたサイトの運営者が 次のような返信をしているケースがありました。
「私は別にリンクは全然構わないのですが。むしろいちいちそんな書き込みをされる方が鬱陶しいです。 あなたこそ、人のサイトの注意書きを無視しています」と。 (※完全にこの通りの言い方ではありませんが、大体このような内容だったはずです)
 直リンクを糾弾する同志を集めようというのに、直リンク禁止を主張していない人の掲示板に 勧誘の書き込みをするというのは奇妙に思えますが、恐らくこれがこういう人々の思考なのでしょう。 つまり、「誰でも無断リンク/直リンクされるのは嫌であり、そういうことはしないのが当然だ。 だから私が自分のサイトにそんな注意書きをする必要は無いし、 そういうリンクをした人を糾弾する同志を探すのに無断リンク禁止/直リンク禁止の注意書きを探す必要はない」と。

 ただ、上記のケースでは、結局リンクに抗議していたのがどのサイトの運営者かは不明であり、 実際はリンクする側がそういった注意書きを無視していた(あるいは気付かなかった)可能性も否定はできません。 しかし、どのサイトの運営者がリンクに抗議したのか明らかなケースでは、 やはりリンクを自由と考えない人がそれを自明のこととみなし、 サイトに「無断リンク禁止」といった注意書きをしていなかったケースが多数あります。

 比較的話題になったケースとしては、無断リンクに対して 『無断リンクがいけないことも解からないのですか??』 と主張し、自サイトには「無断リンク禁止」といった注意書きがなかった葵さんのケースが挙げられるでしょう。 (参考:「世界は寒い」)
 また、無断リンクした人を罵倒して 『私は自分のホームページ上でカチンと来たことがあったら、無視とか削除とか、賢い選択をせずに、 そいつを表に引きずり出してきて日記ネタにし、ケチョンケチョンにこきおろして恥じかかせてほかの読者の方のさらしもんにする。』 (この文は現在は削除されているようです)などと述べて話題になったralphpigginsさん(参考:「はてなブックマーク - 相手がおっさんでも、 - メルボルンの日本人 - 楽天広場ブログ(Blog)」)も、別の記事で 『以前、割と勝手にリンクをする人が多かったので、「ワタシはそういうのは嫌ですねん。ちゃんと断ってね。」と説教(?)してたんやけど、いちいちそれをやるのもしんどなって、トップページに断り書きをすることにした。』 (この文章は当初とは違うURLで公開されています)と述べておられ、 明らかに「リンクに関する注意書きがないなら無断リンクはできない」という認識であったことを窺わせます。 (尚、現在はralphpigginsさんはリンクに関する注意書きを削除されています。)

 そもそも考えてみれば、「リンクフリーですがリンクの際にはご連絡下さい」 といった注意書きのあるサイトは大変多いのですが、 これもリンクの際に連絡が必要なことは明白と考えているため 「リンクフリー」だと書いていても連絡は当然、ということなのかも知れません。 それでも「ご連絡下さい」の部分があるためこの注意書きは分かりやすいのですが、 これがさらに一歩進むと「注意書きがない場合リンクの際の連絡は当然」という認識になってしまうのではないでしょうか。
 ちなみに、実際に「リンクフリー」と書いていながら、無断リンクされると問題が起こったわけでもないのに 『運営上差し支える』としてリンクの削除を要請をしたサイトもありました。
 また、上記「リンク禁止問題の実状」で紹介したトラブルにも、『リンクはフリーですが一言いただけると嬉しいです^^』 とあるサイトへの無断リンクを第三者が『心ない人ってこういう事を平気でするんですねぇ』『常識&マナーですから注意して下さいね』 などと非難しているものがあります。

 このように、「リンクによるトラブルは、リンクする側が“無断リンク禁止”といった注意書きを無視することによって起きているのだ」 というのは必ずしも正しくない認識です。 リンクに関するトラブルの何割かは、リンクに関する注意書きが守られて尚起きているのです。

トラブル発生の経緯のまとめ

 このページではいくつか、リンクのトラブルが起こる経緯についてのよくある誤解を挙げてきました。 以下に簡単にまとめます。

「リンクする際には、リンク先の注意書きに従っていればトラブルにはならない」という誤解

 注意書きがない場合、無断リンクや直リンクをするとトラブルになる場合がある。 こういったトラブルは、リンクに関する中でかなり多いと思われる。
 また、「リンクフリー」と書いてあってもトラブルになる場合もある。 こういうケースはそれほど多くはないと思われるが、リンクでリンク先を傷つけることがあってはならない、 という考えの方は、「リンクフリー」とあっても常に連絡をしていった方がよいかも知れない。

「“無断リンク禁止”とある場合、一言連絡すればトラブルにはならない」という誤解

 リンクの連絡だけではなく、長文のサイトの感想を書き添えないとトラブルになる場合がある。 具体的にどの位必要なのかは難しいところだが、個人的な印象では5〜6行あれば大丈夫と思われる。 ただし、このようなトラブルはリンクに関するものでは比較的珍しいと思われる。
 リンクでリンク先を傷つけることがあってはならない、 という考えの方は、上の項目も考慮してリンクの際には常に5〜6行は感想を添えて連絡した方がよいかも知れない。

「リンクについて文句を言われたら、要求通りにリンクを外すなどすればトラブルにはならない」という誤解

 リンクに文句を言う人は初めから怒り心頭に発していることが大半であり、 文句を言われた時点でトラブルになっている。
 また、そういう人はリンクを外させることではなく、おかしなリンクをした人に反省をさせ、 そういう人の人間性を改善することを目的としている場合も多く、 要求に従うだけでは話は終わらない場合がある。

「リンクについて文句を言う人は、そういうリンクを外して欲しいのだ」という誤解

 リンクされた際に、匿名で文句を言う人はザラにいる。 また、自分のサイトにリンクされたのでなくても文句を言う人も多い。

公開:2006年7月22日 最終更新:2007年7月22日

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