体験記かな?


bS 大阪一人旅・・4/4   2000.10月   なんでもありこtop 

  母さんの家へ2000/11/07記 


いよいよ 母さんの所へなのよねぇ〜
私としては、準備万端整え、出発の準備をしたつもりが、ma嬢から一言
ma嬢「なぁ〜 ゆうこ 化粧ぐらいしいや」
***私「ん? なんでぇ〜な 母さんとこに行くのに せんでええ」
ma嬢「せな あかん 身だしなみっちゅうもんやで」
***私「あっ そう・・・・・」

渋々化粧をして母さんに連絡、近くについたら電話することにしていざ出発!!
自宅近くと思われる場所から母さんに電話すると
「mayoの声ナビ」に代わると言う。mayoちゃんの説明は的確で
「家の前でちーすけさんとピンクのTシャツ着たぶ○が手振って待ってるからすぐわかるよ」
その言葉どおり ちーすけさんと ピンクのTシャツ着たぶ○が、
大手を振ってお出迎えしてくれていた。
数カ月ぶりの再会。。。だけど一週間ぶりの感覚でいる自分がそこにいた
よーーく 考えてみれば、2度目の顔合わせだというのに。。。
 
大騒ぎの声の渦の中、母さん宅に上がり込む
問題の屋内階段も二人の(mayoちゃんとちーすけさん)介助で、あっという間に2階へ
部屋には、ちーすけさんのお母さんもいらしていた
(ちーすけさんのお母さん・mayoちゃんとは、初顔合わせ)
なんだかんだの しゃべくりの時間
母さんのかけ声で、記念撮影という事に。。。そこで母さんが
母さん 「ゆうこちゃん いっつもスッピンやっていうてたのに 化粧してるやん
      ちょっと待ってぇや私も化粧せなあかんやんかぁ〜
      ところで ゆうこちゃん綺麗になったねぇ」

***私 「私は、もともと 綺麗やん♪」
二人の話を 聞いていたma嬢が
ma嬢 「ほら、化粧してよかったやろ」
***私 「・・・・・・・・・・・・」



昨夜あれだけ心配していたma嬢が、仕事に向かう時間になり 
立ち上がりながら そっと私の耳元で
ma嬢「ここやったら 安心や気はつかわんわなぁ〜ほな明日迎えに来るわ」
***私「そやから 言うたやろ心配せんと はよう帰り」
ma嬢 「そしたら 明日来ます。ゆうこの事 宜しくお願いします」
おぃおぃ保護者みたいやぁ〜と 思いつつ 
彼女の気持ちを 嬉しく思った お腹も空いたし 
たこ焼きパーティーの材料を買いに皆でお出かけということになり 
外階段のある玄関から出かけることに
   
さて その外階段、何とかなるからと言う私を 
mayoちゃんが抱き上げて、おろしてくれるという
殿にさえ抱き上げてもらったことのない私なので 
自分の身体をどう預けたら良いのかも、わからないまま床に座っていた
 
mayoちゃんは そんな私をひょいっと抱き上げ数段(7段くらいかな?)の階段を 
横向きに一歩ずつ降りていく道に置いた車椅子の前で おろしてもらったが 
立ち姿勢が定まらず(筋力が無いので 上手く立てない)
少し途惑ってしまったが転ぶこともなく無事着地!よかった〜〜〜(#^.^#) 
いざ〜〜 お買い物〜〜出発!!

母さんち断面図 母さんが、描いてくれた 断面図です。※画像紛失により断面図無しです
(注釈・・・玄関の階段は実際には5段です。ゆうこちゃんの感じた7段は
多分初めての経験で怖かったのだろうと思い、そのままUPしました・・・by母さん)




車椅子の介助操作は mayoちゃんが
そのmayoちゃんの車椅子の介助操作に私は感激してしまった
我が家の場合、いつも殿が操作をするのだけれど 
車椅子に乗ってる間中、遊園地のコーヒーカップ・・・あのぐるぐるまわるやつね 
乗り物なんていったっけ・・・あれに乗ってる気分で 
気持ち悪くなるのに、mayoちゃんだとぜんぜん気分悪さを感じない
「やっぱり これでなくっちゃいけないじゃん」
 
駅でバッタリあった、さつきちゃん親子も加わり皆でスーパーヘ
連絡通路の途中にエスカレーターが
「エレベーターで行こう」と言う母さんに
「母さん乗ってみたいよエスカレーター」と私
mayoちゃんの「エスカレーターで 行こう」の声で 
簡単に話は決まり初めての「エスカレーター車椅子での昇る」を体験
次の外出に役立てるためmayoちゃんからコツを聞きながら感触を確かめる
下りの経験が出来なかったのは、ちょっと惜しかったかも
 
女3人寄れば姦しいと言うが、5人も寄ればまさしくそれ以上
お目当ての物をひとつ買うたびに一騒ぎ
東京では見つけられなかったある物をゲットしました〜〜〜♪
 
ちーすけさんとさつきちゃんに、たこ焼きの材料の買い出しをお願いし 
母さんと私はネイルアート(爪のおしゃれだよ〜ん)をする事に
母さんいわく
「お土産は、荷物になるから ネイルアートやったら 荷物になれへんし ええやろう」
マニキュアさえ殿が嫌うので 結婚以来したことがない私には
生まれて初めてのネイルアート。それでも「母さんのお土産」という 
立派な理由があるので、「にわか美しい手」を手に入れることになった
出来映えは・・・「んーーーーー 満足 (#^.^#)」
母さんの 心遣いに感謝!! 感謝!!

たこ焼きパーティーの準備 準備〜〜〜
まだまだ夜は 長いぞ〜〜〜
たこ焼き たこ焼き〜〜〜♪
母さんは 会議とやらで 区民センターへ
たこ焼きは 手慣れた mayoちゃん ちーすけさん さつきちゃんが 
業務用たこ焼き器で どんどん焼いてくれる
そんなこんなの味わいのひととき
帰ってきた母さんと mayoちゃんの旦那さんが加わり またまた賑やかに
 
ちーすけさん親子 さつきちゃん親子が 帰宅する時間
私といえば お見送りも中途半端に 「またね〜〜」等と 声を掛け合う
また すぐに会える錯覚さえ感じる 別れの時間だった
 
夜も更けて 帰宅した翔くんも加え 思いもよらなかった 
「マスターのお店」に 5人で行くという
自慢じゃないが 「スナック」には 11年も行ったことがない
いろいろ考える暇なく 店に向かう
エレベーターが 小ぶりであることの他は 問題なくお店に到着
先客がいらしたので マスターとの挨拶も 程々に
賑やか若者3人の歌声を聞きながら 母さんと山ほど話したが。。。
何を話したのだろう????
マスターのつくってくれる水割りは みんなのに比べると 
やたらと濃い色をしていたのは 気のせいだろうか。。。。
 
母さんのページで知り合えた女性2人の声を携帯で聞くことも出来た
母さんの18番の歌声も聞けたし、いうことないお酒だなぁ
時間がたつのは早い。mayoちゃんは、夜勤明け
んーーー大丈夫かなぁと ちょっと心配になる
足早にマスターの店を後にして家路につくことに。。。。
 
若者が3人もいるうちにと車椅子ごと1階の裏口側の道路に降ろして貰う
明日の事を打ち合わせしてmayoちゃん夫婦は帰宅
母さんと私は、なかちゃんの部屋で、しばしお喋り
喋りながら母さんはフローリングで寝てしまった
風邪などひかなきゃいいけど。。。。
 
私はといえば 用意してくれたノートパソコンでページを覗いていた
パソコンが変わると打てないことに気がつく
キーボード操作が私の力では難しかった
外でパソコンをさわることが、ない私には良い経験だった
それでも「晴れのち曇り」のみんなの声を確認
「戻ったらお返事します」と短い書き込みをした後 
ちょいと疲れたので横になったら、いつの間にか眠ってしまった
大阪最後の夜もお喋りで始まりお喋りで終わった


  東京へ 2000/11/30記


このまま 完結編を書かずに終わらせようか
あまりにも時間がたちすぎて 
その時の思いが伝わるだろうかなって、ちょっと気弱な私です
でもね、やっぱり締めくくりは大事(o^^o)

さて最後の日の一人旅 書いてみようかなぁ〜



その朝、母さんの「がさごそ ばたばた」で、ぼやっと目が覚めた 
母さんは確か 「可愛い顔をして横になって寝ていた」と 書いてくれてたよね
そうなの
久しぶりに仕事がらみの電話に起こされることもなく 
人様の家だというのに心地よく寝かせてもらったぼやっとした頭で「もうちょっと 寝てる」
子供のように話してる自分が、今さらだけど笑える
いつもは○○時や〜はよおきてぇ〜っで始まる朝
 
心地よいからと何時までも寝てるわけにもねぇ〜
母さんは、朝風呂に私は、洗顔にそれぞれの朝です
 
さて、問題の階段をどの体制であがれば良いのか。。わからない。
一人であがるからっと母さんに伝えて、私はない知恵を絞り 
あがれる体制を見つけて、ひょっこら、ひょっこら長旅や〜
あがりきるまで、きっかり15分(爆) 気にかかるのか2度ほど母さんが上から覗いてたけど
だまってみててくれてる事が 妙に嬉しかった
時間さえ有れば、お尻を上手く使って登れるのよね
昇り方の説明は、難しいので、はぶきまーーーす (#^.^#)
 
そんなこんなん、してる内に出発の時間
新大阪では子供達のおみやげを買う予定。子供らが喜ぶもん有るかなぁ〜?
新大阪駅構内ではエスカレーター移動とか、なんやかんやあったけど
ここのところは母さんが「ふれあいの旅」でしっかりと書いてくれてるので
私はおさぼりとします〜
ただ・・・・私信では有りますが「おみやげ荷物が、多くなってごめ〜ん」と 
母さんと翔くんに謝っておこう(-_-;)
 
翔くんという 力強い同行者が増えたので、社員にもおみやげを買ってしまったのよ〜
お土産の箱が9個になってしまって、えらい大きな荷物になってしまった きゃは(^-^)
 
出発までの時間、軽く腹ごしらえ?って事で 
喫茶店でコーヒーを飲みながら暫く話をしていたら 
母さんの動きがピタッと止まった
母さんの後ろ側に 座ってる男性客達も そわそわ きょろきょろ
私といえば、やたらと長い横揺れ縦揺れに「揺れとる〜 船酔いみたいや 気持ち悪ぅ〜」
そう、地震 だったんです。悲しいかな 地震に慣れっこの関東在住の私には 
さほどビックリする揺れではなかった(長かったけど)
その時は 「そんなに、あわてんでもぉ〜」と、思うのんきな私だったのだが・・・
関西は元々地震の少ない地域で、阪神大震災の辛い経験を考えてみれば 
周りの慌てぶりも時間がたった今なら納得できる
 
地震の影響で 安全確認に時間がかかり新幹線の遅れは 
どれほどか見当もつかないらしいとの駅員の方の話だったので 
ホームで時間をつぶすことにし沢山の荷物と一緒に待つことになった
それぞれが連絡する人に連絡を始めた
私といえば、お迎えの殿に電話をしても繋がらないので 
「地震で、新幹線が止まってる 新幹線に乗ったら 連絡します」と 
メールを出して、だんだんと混雑して行くホームで待つこと1時間
その間に心配して連絡をしてきてくれた友人達・・今更やけど ありがとう!!
 
思ったよりも、遅れずに済んだ事に一安心
「1時間遅れで 出発します〜」のメールを殿に出し (^。^;)ホッ!
乗り込んでからは、やたらと眠くウトウトとと眠り込んでしまう
(障害者車両の思いも寄らない不具合も「ふれあいの旅」に詳しく書いてくれてるので
 そちらで もう一度読んでみてくださいね。。。私って 横着なの (#^.^#)ごめん)
 
乗車中 母さんがトイレの事を随分気にしてくれて 
いろいろ心配してくれたのだけど、私のように障害を持ってる人なら、多分わかると思いますが
出かける3〜4時間ほど前から水分をとらない
外出先でも水分は取らないので間隔が長くなるのです。
なので母さん宅で朝飲んだコーヒーの後は 
喫茶店のカップ半分のコーヒーと新幹線の中での一口飲んだウーロン茶のみ
だからトイレは心配なかったのよ母さん(o^^o)

良いのか悪いのか10年の不自由な暮らしで、身に付いた私の自然な行動です
 
静岡付近で、殿からの電話が
「駅に ついたよ〜 どこに 着いたの?」
ふひゃなんやてぇ〜(・o・) メガテン
「なんでぇなぁ〜 1時間おくれるって メールしたのにぃ〜後1時間位で着くわ後でね」
電話をとったついでにメールの確認
殿からの返信メールが沢山入ってた。心配してくれたんやな
ありがたいことやぁ〜と思いながらメールを見ると
「1時間遅れ了解しました」
「何番のホームに着きますか?」
「何号車に乗ってますか」

あんたなぁ〜 一つも了解してへんやん
到着ホームは、そっちで確認してぇや
切符をそのままコピーして、おいてきたやんかぁ〜
独り言ともいえない声でメールの一つ一つに 
返事する私を母さんは横でくすくす
「まぁ そう言わんと・・ そやけど、ほんまいっこも了解になってないなぁ〜」
 
無事に東京駅で、殿にも会え母さんのお迎えに来ていたすみ子さんとも会えた
話しさえゆっくりする暇もなく 「じゃーーね」と又すぐに会えるような簡単な別れの時間・・・
それは、母さんの所でのちーすけさん、さつきちゃんとの別れの時とまったく同じだった
 


殿にトイレに行けなかったことを話したら家まで1時間半くらいかかるから 
ここで行った方が良いというので、東京駅でのトイレ探しが始まった。。。
探すこと30分やっと障害者用のトイレを駅のはじっこに見つけたが、あいにく使用中
なかなか空かないので
「トイレ別にしたくもないから帰ろうや〜 待ってる方が寒いわ」 
と話したとき(待つこと 20分)使用中が消えた
中からは若い男の子が着替えていたのか洋服を持ってでてきた。。。。
悪びれもせず「お待たせして すみません どうぞ」と、言いつつダッシュして走り去った
着替えるには良い広さやろうけど、その為に使うかぁ〜〜
モラルってなんや?何処を基準に 良い、悪いが決められてるんやろう
 
まぁ それはそうと、とりあえずすっきりして 
仕事が山積みになってるはずの我が家に
大阪一人旅の思い出を 次へのステップとして 持ち帰る帰路に着いた
さて次の旅は 何処にしようかなぁ〜暖かくなるまでは おとなしくしていよう。。。
 
牛歩のような 「大阪一人旅」完結までの2ヶ月近くの日々
母さんのページの区切りの日までにと頑張って書いてみました。
慣れない私の 文章を読んで頂き、感想を寄せてくれてありがとうございました。
 
「大阪一人旅」と題しましたが沢山の手と足そして口等々介助して下さったおかげで 
無事に5日間の旅が出来たこと有り難く思っています。
何処に出かけてもバリアフリー万全ではないけれど
ほんの少しの気配りがバリアーを薄くしてくれます。
不自由な私をそのまま「ゆうこ」として受け止めてくれている友人達に改めて有り難うを伝えたい。
また 機会が有れば私の経験や私の視点を文字にして伝えてゆきたいと思っています
文章の方は、もって生まれた文才のなさ、なかなか上手くなりませんが「もぉ〜〜」と 
言わずに 読んでやって下さいね(*^_^*)
          
おわり
 大阪一人旅−No2  文頭へ
***あとがき*** 
「大阪一人旅」は、母さんの下宿内にあった、私のページ「自由でいたいゆうこの空」で
書いた二つめの読み物です。4ページ目は母さんの手が加わっています。
当初、母さん宅の断面図を母さんが画像にしてくださってましたが
無くなってしまったので、ここでは断面図無しです。m(__)m
又、文章中「母さんのふれあいの旅でご覧下さい」と案内してますが、母さんのページは閉鎖し、
この部分はごらんいただけません。 内容を書き足せば良いのですが、そのときの資料が手元にないので
うまく表現出来ないと思います。、そこの部分はsecret(シークレット)ということで(笑)、ご了承下さいませ。

長い、ながーーーい文章最後までおつきあい頂有り難うございます。 管理人ゆうこ

「母さんのふれあいの旅」蔵出しで、復活しましたので、再リンクです(笑)
 2009.10.18加筆

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