体験記かな? |
bQ 大阪一人旅・・2/4 2000.10月 | 1 | ★ | 3 | 4 | なんでもありこtop |
![]() 殿の指さし確認の返事をしながら(現場作業経験者は、ご存じの指さし確認) 殿「携帯持ったか?・・・航空券持ったか?・・・デジカメ持ったか?・・・」 私『デジカメ使われへんよ持っていってもしょうがないと思うけど。。。』 殿「誰かに 撮ってもらったら?」 私『うん わかった』 実は、殿は夜勤明けで今朝4時に帰宅し6時就寝、9時に起床 3時間ほどの睡眠しかとっていない そのわりには、機嫌も良く空いた時間で私の携帯に知り得る限りの 電話番号を登録してくれた登録された番号を見ると 会社関係とアルバイト。。。なんで??(笑) 心配顔の母に見送られ空港に向かう。車中で過ごす1時間 殿は、飽きもせずに、注意事項の確認をするが 徹夜で仕事を済ませた私は、心地よい揺れに 殿には、申し訳なかったけれど、空返事しながらウトウト 目が覚めたら空港駐車場の中 身障者用の駐車場を目指している 何度と無く利用する 空港パーキングだけれど 一度も身障者用に停めたことがない やはりこの日も、「ベンツ」と「セルシオ」が止まっていた 障害者が同乗してるかも知れないがそうでないかも知れない なんとも はっきりしないモヤモヤ・・・・ 結局、離れた所に駐車して車椅子で移動開始 車椅子介助されながら 思い出した事が。。。。 平成1年11月に弟の法事があり6ヶ月のお腹でここに来た 階段が上りにくくなって、変だなぁとは思ったものの 医師から妊娠のせいだから出産したら良くなると言われていたが 本当にそうかな?何か普通と違うと思いながら田舎の徳之島に向かったっけ 平成3年2月 1歳の長男を連れて、おばあちゃんの葬儀で、ここに来た時は、 まだ歩いてた。。うんうん確かに歩いてた・・ヨロヨロと(爆) 平成4年6月、母を迎えに来たときは、病気も判明していて 9ヶ月のお腹だったけど杖ついて歩いてたよなぁ あまり思い出さないそんなことが、一気に頭の中を走る なんにせよ車椅子の一人旅は、初めての経験、何が起きるのか 良くも悪くも ドキドキ ワクワク 搭乗手続きを済ませ打ち合わせ 航空券購入時に決めたとおり *自分の車椅子で 飛行機のそばまで行く *そこで 空港の車椅子に乗り換え座席まで行く 女性スタッフが車椅子を介助して下さると言うことで 殿とは、カウンターで分かれることになった搭乗ゲートまでは、女性スタッフ ゲートから先は、男性スタッフが介助してくれる 航空会社の車椅子は、堅くて長く乗るには、耐えないものだった 飛行機に乗り込み少し広いところで 車椅子の大きい車輪と肘掛けをはずすと言う なんの為なのかと聞いたところ、そのままでは、飛行機内の通路を通ることが出来ないので 飛行場で使っている車椅子は、取り外しが、出来るようになってると教えてくれた 便利ジャ〜ン普通の車椅子にもこの機能があれば バーゲンで混み合ったところも、すいすい行けるかも・・・ 等と馬鹿なことを思いながら座席に移動 有る程度手を貸してくれるので、介助が 必要なら遠慮しないでお願いできる雰囲気でしたよ 座席に着いたら 可愛い新人らしき 人が 担当スチュワーデスだと 名乗りながらすぐに 膝掛けをかけてベルトを装着してくれた 眠くて、すぐにも 夢の中に〜〜〜〜 いやいや 飛び立って雲の上に行くまでは、しっかり見ておこう 曇り空でも雲の上は、晴れているかも また、あの綿菓子の中を通る不思議な快感を味あわなきゃ損じゃん っと 言うことでしばし重い瞼を持ち上げていることにした。 大阪までは、1時間こんなに簡単に飛べるものを なんでやろ今まで使わなかったのは・・・・ なんで旅しようと思わへんかったんやろう〜 それにしても眠い はよ〜〜 とんでぇなぁ〜 zzZZ 「ガタン」という音で眼がさめた。外を見ると一面が綿菓子の海 何となく懐かしく暫く遠くを見つめていた 頭の隅で「窓を見るゆうこ」。。。絵になるやん(笑)帰ったら描こうかなぁ そんなセンチお馬鹿してるうちに着陸だという あっという間の「空の旅」 着くなり皆がどんどん出口に向かう「私は、一番最後かなぁ〜」 みんな降りたのに 誰も迎えに来ない「もしかして もしかしたら忘れられたか?」 前の方から座席の確認かスチュワーデスが指さししながら歩いてきた 私を見つけるなり、あわてて前方に戻った 2人のスチュワーデスがすまして「お疲れさまでした。暫くお待ち下さい」と 声を かけてくれた。いたずらに 「もしかして 私 忘れられてました?」 若い担当スチュワーデスが「はい すみません。。」 おぃおぃと思いつつ・・またもや私は、言わなくてもいいことを。。 ごめんね(今さら 謝ってもねぇ〜) 乗り込んだときと反対の手順で車椅子を乗り換え飛行機を後にした。 男性スタッフが 到着ロビーに案内してくれた。ガラスごしに懐かしい顔が・・・ ma嬢のオーバーリアクションを期待したが大人になったma嬢は 胸の当たりで 小さく手を振っていた。でも・・・でも私は、所構わず あがる左手を 思いっきり降るのであった。。。(爆) やっぱり色っぽくないかも、私・・・ ![]() さてさて胸の所で小さく手を振ったma嬢(大阪行きのきっかけを 作ってくれた友人)とは、 6年分ぶり25年来の友人ではあるが、共有した時間は、たった4年 大阪・東京と離れて21年の間に4度会い電話も年に3〜4回 だけど離れていた時間を感じない不思議な関係です。 6年前ma嬢が東京に来たとき 「なんで ゆうこが そんな病気になるんや」 くやしそうに泣かれてしまった事を思い出す その時より病状は数段悪化している。この現状を彼女は、どう受け止めるのだろうか 少しの不安と数日を共に送る楽しい日々への期待が 入り交じる中、ma嬢の介助で駐車場へと向かう 飛行場から出てすぐの一見違法駐車したのかと思うほどの路上に車が止めてあった ma嬢に聞くと障害者用の駐車場だと教えられたと言う 「ふーーーん 便利やね。そやけど雨降ってる時はどうするんやろ。。。」 そんなことを思いながら車椅子から車に移動 ma嬢が何か車の後ろで、てんやわんやしている気配 声をかけると車椅子が、たためない。私の手の届く所まで運び私が折り畳む ma嬢には、無縁の車椅子、出来なくて当然 そしてここからma嬢の初体験が 始まることになった 一路、障害者用の部屋があるというホテルに向かう 結婚式場も完備されているというシティホテルに着く 駐車場には2台分の身障者用の駐車スペースがあった 駐車場は、地下1回 建物の扉に向かうが 3メートル程ありそうな ガラス扉、ストッパーがあるわけでもなし重い扉に ma嬢は 「どうしたら ええの なんで こんなんやの!!」 ma嬢が 出会った 一つ目のバリアーだった 「大丈夫や扉を押さえといて、少しなら自分で動かせるから」 でも、もう一つのガラス扉 なんの為に、ここに扉が2ヶ所も必要なんかわからないと・・・ブツブツ フロントは1階なのでエレベーターにのって上の階へ エレベーターは、ホテルだけあって綺麗な作りだったが 障害者用の操作盤はなかった エレベーターに乗り込むのに車椅子の操作になれない彼女は 少し手間取り車椅子が半分入ったところで 扉が閉まってしまい車椅子ごと挟まる羽目に。。 開閉時間が、やけに短く設定されている ここにも又バリアー 一人では、乗り込みにくいエレベーター 結局、ma嬢が先に入り「開」を押している間に自分で入り 降りるときも同じように 降りることに。。。。先が、思いやられる 一部屋しかないという「身障者用の部屋」の存在に、ちょっと不安が走る フロントで、チェックインをすませ 体を使いすぎたので、もしかしたら筋肉痛が来るかも知れないと湿布を買うことに ホテル内の薬局を確認したら正面玄関を出て、すぐの敷地内にあるという この正面玄関は先ほどのガラス扉より大きな手動の扉 おーーーーーい!!ベルボーイもいないシティホテル 自動ドアに何故しない!! 部屋は11階、エレベーターの中で身障者利用可のエレベーターの話となり エレベーターに取り付けられている鏡が何のためか(バックミラー替わり) 身障者用操作盤で操作したら開閉時間が一般より長く設定されていること等々 ma嬢には未知の世界・・・・ そして部屋に向かう 部屋は、おまけ程度のバスルームのL字型手すりと 呼び出しブザーとウォシュレットこれだけで 身障者用の部屋とよんでいた事に、私は・・・いえ、友人も唖然とした 教訓 ホテルを取るときには、部屋を見られるなら眼で確認 見られなければ確認できる資料の請求が必要だ!! 文句を言っても、ここに3泊しなければならない 何とかなるだろうと言うことで、しばし休憩 暫くして携帯がなる。心配した「博苦さん」からの電話だった 殿と変わらない心配性が、ここにもいた (#^.^#) 考えてみれば、ありがたいことだなって本当にそう思った ん? そういえば殿から電話が来てない 着いたよコールしなくっちゃ 明日は、忙しい。。中学の同級生で24年ぶりに合う友人と ネットで知り合ったクロちゃんに会える 何やら電話で忙しく打ち合わせ 彼女に「ちゃんと計画してから来いや」と注意される(爆) 私って、本当にいい加減。。 先のことを計画するのは、苦手なのよね 大阪一人旅−No2 文頭へ |
bQ 大阪一人旅・・2/4 2000.10月 | 1 | ★ | 3 | 4 | なんでもありこtop |