即効性の高いストーリーが求められている

2019年4月22日

まんがでも小説でも「読者が最後まで読んでくれるかどうか?読者の興味を引き続けることが出来るか?」は重要。どうやって読者にページをめくらせ続けるか常に考えていると言ってたのは平井和正。今だと話の勢いみたいな話になるかなー。

笹本祐一さんのツイート:まんがでも小説でも……」より

 笹本祐一様のツイートを見て以前考えたことを思い出したため、文章にしてみます。

 近年のヒット作や様々な作品への感想を見ていると、アニメや漫画や小説の視聴者・読者の好みが変わりつつあるように思えます。 特にこの傾向が強いのがアニメですが、漫画や小説にも同様の変化はあります。 その変化とは、一言で言えば「ストーリーものの作品でも最序盤から大きな盛り上がりを求められる」ということです。

 この変化は序盤から見せ場を作りやすいバトルものやSF、ファンタジーもの等の作品にはあまり問題ではありませんが、 序盤に見せ場を作りづらい純粋な恋愛やスポーツをテーマとした作品には不利な傾向です。 事実、純粋な恋愛ものやスポーツものでは近年大ヒットと言える作品がほとんど出ていません。

 過去のそういったジャンルの大ヒット作としては例えば『タッチ』『めぞん一刻』『あしたのジョー』『スラムダンク』あたりが思い浮かびますが、 近年ではそういったヒット作はほとんど思い当たりませんし、仮にこれらの作品が今始まったとしても、やはり「序盤の盛り上がりに欠ける」とされあまり評価は得られない気がします。
 個人的には恋愛ものは好きで、恋愛ものの漫画がアニメ化された際にはウェブで感想を調べたりするのですが、 しばしば「2話まで観たが面白くならないので視聴終了した」あるいは「序盤がつまらなくて視聴終了しようかと思ったが、最後まで観たら面白かった」というような感想を目にし、序盤からの盛り上がりの大切さを感じます。

 アニメの視聴者に特に序盤の盛り上がりを重視する傾向が顕著なのは、アニメが基本的に無料の娯楽であることと、近年のアニメ放映本数の増加が原因であるように思えます。 漫画や小説は、基本的に有料の娯楽です。お金を払って作品を入手する以上読むのは期待値の大きい作品であり、序盤が盛り上がらなかったからといってすぐに読むのを止めたりはしません。 それに対しアニメは基本的に無料のため、期待値が大きくなくても取り敢えず視聴し、面白くなかったらすぐに視聴を終了する、となりやすいと思われます。 近年はアニメの放映本数が多く、面白くならない作品はどんどん視聴を止めて別の作品に行く、となりやすいのがこの傾向に拍車をかけているのではないでしょうか。

 そして近年はウェブで連載され、無料で読める漫画や小説も増えています。 無料の漫画や小説の増加が、アニメの視聴と同様に漫画や小説も期待値が大きくなくても取り敢えず読んでみて面白くなかったら止める、という読者層を増やしているのではないかと思っています。

 近年、ウェブで小説を発表する場として「小説家になろう」等が人気ですが、 そこで恋愛ものが不人気ジャンルとなっているのはそういった理由が大きいのではないでしょうか。

 では、純粋な恋愛ものやスポーツものではもうヒットは難しいのかと考えた時、 近年でもそれらのジャンルに別の要素を加えヒットした作品がいくつか思い当たります。 例えば恋愛ものにSFやファンタジー要素を加えた『君の名は。』や『化物語』シリーズ、『青春ブタ野郎』シリーズ等、 同じくハーレム要素を加えた『僕は友達が少ない』や『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』『冴えない彼女の育てかた』等。 これらはいずれも、恋愛ものに別の要素を加えることで序盤から盛り上がりを作った作品と言えるでしょう。 また、ヒットしたとまでは言えないかも知れませんが『メガロボクス』はスポーツものにSF要素を加えた現代的なリメイクと言えるでしょう。

 純粋な恋愛ものやスポーツものが時代に合わなくなり廃れていくのは、仕方のないことなのかも知れません。 ただ、時折見かける次のような「現実的なストーリーは、超常的なストーリーよりも劣っている」といった考え方には、異を唱えたいと思います。

量産品に飽きた。パターンが決まってるから。異世界系はなんでもありだから自由度が高い。現実に近づけばパターンは固定化する

アニメやゲームの「学園恋愛モノ」が廃れたのはなぜか スマホの普及やプレイ時間の…https://news.nicovideo.jp/watch/nw2930884

木村天祐さんのツイート:量産品に飽きた。パターンが決まってるから。……」より

 なお念のために書いておくと、木村様自身が現実的なストーリーに否定的なのかどうかは分かりません。上のツイートは単に超常ものを好む人々の考え方を代弁されただけかも知れません。

 現実的なストーリーを描くことには、それはそれで高度が技術が求められます。その最大の理由は、問題の解決を奇跡等に頼ることができないからでしょう。決して「現実的なストーリー=量産品」ではありません。

普通の日常生活をアニメで描く、というのは実はとても大変な作業です。ロボットや宇宙船が動いたり、魔法や必殺技がさく裂する瞬間を描くよりも、人間の何気ない仕草や表情を描く方が難しいんです。

アニメ質問状:「月がきれい」 普通の日常を描く難しさ “地味”で商売が大変だが…」より

 なお、本稿は少年向け・男性向け作品を念頭に書いており、少女向け・女性向け作品には違った傾向があるように思います。ご了承下さい。

2019年4月28日最終更新

二大ヒロインタイプの人気の変化

2019年10月16日

 二人のヒロインが登場する青少年向けの恋愛漫画等には、黄金パターンがあります。それは、 ヒロインが『抜きん出た美人だがとっつきにくい、高嶺の花的な女性』と『元気があり親しみやすい、可愛い女性』の二人になるというものです。本稿では前者をAタイプ、後者をBタイプとします。
 もう少し詳しく言うと、この二人はおおよそ以下のような属性を持っています。

  Aタイプ Bタイプ
よくある容姿 ロングヘア、美人 ショートヘアかボブカット、可愛い、背が低め
よくある性格 冷静、とっつきにくい 活動的、親しみやすい
よくあるスキル 頭脳明晰か、芸術的才能がある 社交的で友人が多い
よくある主人公との関係 高嶺の花、年上 幼なじみ、年下、身近な友人
よくある家庭の事情 親が実業家か芸能人か芸術家 庶民の家柄

 ヒロインが二人いる恋愛漫画等では、これらの特徴にある程度当てはまる二人がヒロインとなる場合が多いかと思います。 また、ヒロインが多数いるいわゆるハーレムものでも、特に重要なヒロイン二人にはこれらの属性があることが珍しくありません。
 ちなみに、恋愛ものではありませんが『新世紀エヴァンゲリオン』(1996〜97年)で冷静なヒロインがショートヘア、活動的なヒロインがロングヘアなのは意図的にセオリーを破って意外性を狙ったものだとキャラクターデザインの貞本義行様は述べておられました。

 そして、主人公は最終的にAタイプと結ばれることが大半でした。特に有名なのが『めぞん一刻』(1980〜87年)と『きまぐれオレンジロード』(1984〜87年)でしょう。 Bタイプと結ばれる『電影少女』(1990〜93年)のような例外もありましたが、基本的にはAタイプがストーリー面でも読者人気の面でも優位であることが多く、「幼なじみは負け属性」などと言われたりすることもありました。

 しかし、近年Bタイプが人気を伸ばすケースが増え、それを反映してBタイプが恋愛面で勝利する結末が増えてきている印象があります。
『ニセコイ』(2011〜16年)は恋愛面で勝利したのはAタイプだったものの、誌上での人気投票ではBタイプが優位でした。
 そして印象的だったのが、恐らく久しぶりに週刊少年ジャンプでBタイプの勝利を描いた『パジャマな彼女。』(2012年)と、Aタイプの勝利と思わせる展開から最終的にBタイプの勝利で終わった『狼少年は今日も嘘を重ねる』(2014〜17年)でした。

 更に驚かされたのが、Aタイプ2人とBタイプ(に近い)1人の人気ヒロインを登場させ、最終的に読者人気でもストーリー面でもBタイプの圧勝となった『冴えない彼女の育てかた』(2012〜17年)です。 同作では最後に主人公はBタイプを選び、Aタイプの二人は『手の届かない女の子』で『自分とは、絶対に釣り合わない』ために選べず、Bタイプを『消去法で選んだ』と言います。

 私はこの主人公の台詞を見て、読者の考え方が変わりつつあるのかも知れない、と感じました。 以前の青少年向けの恋愛ものだと、主人公は背伸びをして『手の届かない』Aタイプとの交際を目指すのが当然でした。 上で他に三作品、Bタイプと結ばれる恋愛ものを挙げましたが、それらの作品でも主人公はAタイプを目指す意識は相当に持っていました(それらの三作品中、一作品では主人公はAタイプに告白し振られ、一作品では一度は交際に漕ぎつけます)。
 しかし『冴えない彼女の育てかた』の主人公は、Aタイプとの交際は目指さず、Bタイプに告白します。そして読者もそれを受け入れ、同作はヒット作となりました。

 もしかすると、読者は背伸びをして恋人を作る主人公だけでなく、背伸びをせずに身の丈にあった恋人を作る主人公も受け入れるようになってきているのかも知れません。

追記(2020年9月27日)

 三次元のアイドルは以前は正に「高嶺の花」として売り出されていたが、近年はファンとの握手会をする等「直接会いに行ける身近な存在」として売り出されることが多い……と聞きます。これは、上で書いた青少年向けの恋愛漫画等のヒロイン像の変化と似ているように思えます。

 もしかすると、これらの変化には共通する理由があるのかも知れません。

最終更新:2020年9月27日

仕掛けた罠に決してかからなかったネズミ

2019年10月16日

 先日、自宅にネズミが棲み着きました。餅、パスタ、そば、そうめん、スナック菓子等様々な食物が食い荒らされ、1.8リットルのお酒が入った紙パックに穴が開けられて床が酒浸しになったりしました。 貴重な本もかじられ、穴だらけになってしまいました。

 私たちはネズミが通りそうな食物の近くや廊下や天井裏に粘着シートの罠を仕掛け、ネズミを駆除しようとしました。実はこの20年以上前にも一度自宅にはネズミが一匹棲み付いたことがあり、その時はこれですぐに捕獲できたのです。

 しかし、今回は上手くいきませんでした。一週間経ってもネズミは罠にかからず、私たちは困惑していました。

 そんなある日、私は天井近くの壁に穴を見つけました。以前エアコンの配管のため開けた穴です。ネズミは夜にはよく天井裏で足音をさせており、ネズミが頻繁に室内と天井裏を行き来しているのは間違いなかったのですが、 それまでどのようなルートでそれらを行き来しているのか分からなかったのです。しかし、この穴とその周囲の日曜大工で作った棚を通って移動していることが明らかになりました。この穴の脇には幾つものネズミの糞も落ちていましたし、考えてみるとこの穴の辺りで夜にはよく物音がしていました。

 私は早速新たに粘着シートの罠を購入し、その穴の真下に仕掛けました。これなら逃れようのない確実なネズミの通り道であり、穴をから飛び出したところを確実に捕らえられるはずだと私は考えていました。

 しかし、一週間経ってもネズミは罠にかかりませんでした。明らかに罠は見破られていました。

 私たちは毒餌を買ってきて、あちこちに仕掛けました。しかしネズミは毒餌を食べる気配もなく、これも見破られているとしか思えませんでした。ネズミ駆除は、手詰まりとなった感がありました。

 しかし家族がある朝気付きました。「棚の奥の毒餌が食べられてる……」。見てみると確かに、使い切れず棚の奥に仕舞っていた袋に入れたままの毒餌が食い荒らされていました。 その日からネズミが家を荒らすことはなくなり、天井裏からネズミの足音が聞こえることもありませんでした。ネズミは駆除されたのです。

 そのネズミは、決して人間の仕掛けた罠には引っかかりませんでした。しかし人間の仕掛けなかった罠には引っかかったのです。

 私は今回のことで、「狼王ロボ」を連想しました。動物の知性は侮れません。

最終更新:2019年10月17日

面白ければ売れるという考え方について

2020年2月11日

 ウェブで様々な作品の感想を見ていると、「その本は○万部しか売れていないから駄作だ」というような、売上で作品を否定的に評価する声をしばしば見かけます。 馬鹿馬鹿しい考え方とは思うのですが、こういった「面白ければ売れる、売れないのは駄作だからだ」といった考え方の人は少なくないように思えます。 だからこそ、「ラーメン才遊記」(久部緑郎・河合単/小学館)10巻の『いいものなら売れるなどというナイーヴな考え方は捨てろ』という言葉はウェブでよく引用されるのでしょう。

 漫画家のいしかわじゅん様は、ギャグ漫画の執筆についてこう書かれています。

進めば進むほど、どんどん選択肢は少なくなる。新しいものを見つける可能性は低くなる。それでも、昨日と同じものは描けない。昨日と同じレベルのものを描けば、マンネリと言われる。 いつも、絶えず進んでいなくてはいけない。次のことを探し続けていなくてはいけない。その上、ギャグは、力を入れれば入れるほど、読者が減る。面白いものを描けば描くほどギャグはわかりにくくなり、単行本を買ってくれる読者は少なくなっていく。哀しいパラドックスである。

いしかわじゅん/晶文社「漫画の時間」より

 これはギャグ漫画についての話として書かれていますが、創作全般に通じる話であると思っています。

 面白い作品を描こうとすれば、多くの場合表現や内容は先鋭化していきます。そして、先鋭化した表現や内容を誰もが理解できるわけではありません。 これが、面白い作品が必ずしもヒットしない最大の理由であると私は考えています。

 近年、新海誠監督は「君の名は。」のヒットで一気に声望を獲得されました。氏は、それ以前にも5つのアニメ作品を制作されていましたがそれらは格段のヒットはしませんでした。 ちなみに、氏の5作目である「言の葉の庭」は興行収入約1.5億円、6作目の「君の名は。」は約250.3億円とされています。

 この結果を見ると、「面白ければ売れる」派の方々は「新海監督は5作目と6作目の間に凄く実力をつけたのだな」と思われるのかも知れません。 しかし、私は氏が6作目で大ヒットを飛ばしたのは、敢えて面白さを落とし、分かりやすくしたのが最大の理由ではなかったかと考えています。 氏の以前の作品は、敢えて言うなら複雑で難解なところがありました。それを「君の名は。」では、ある程度単純化し分かりやすくした。それが氏が6作目で突如ブレイクした最大の要因だったように思えます。

 また、大友克洋様の漫画「AKIRA」は、日本でもヒットしましたが、海外ではそれ以上にヒットしました。 その理由の一つは、同作が漫画的表現に不慣れな海外の方々にも分かりやすかったからだ、という指摘があります。

「複雑で読む順番が分かりにくいコマ割り」や「漫符」などの漫画に慣れていないと分かりにくい表現が、「AKIRA」では丁寧に排除されています。 そうやって分かりやすさを追求した結果が、当時の同作の海外での大ヒットにつながったのではないか、というのです。

 私は上で作品を面白くすると多くの場合先鋭化すると書きましたが、これらは逆に作品を敢えて鈍化させることで大ヒットにつながったケースなのではないでしょうか。

 出版社等の方々にとっては作品は商売道具ですから、「売れるのが良い作品だ」と言うのは理解できます。 しかし、読者にとっては「売れた作品」と「良い作品」は別の次元の問題です。 面白いかどうかを自分で考えずに、売上で作品を評価するのは全く以て馬鹿馬鹿しい姿勢であると私は考えます。

最終更新:2020年2月16日

同人漫画を商業連載にする近年の傾向

2020年9月6日

 以前、拙稿「プレミア価格がつく同人誌の変化」で近年同人漫画家がプロになるケースが減っている、というようなことを書きました。 今回はそれに関係がありそうで、実はあまりない話です。

 少し前までは、同人漫画家が商業連載を開始する場合、新しい作品を描き始めるのが当然だったと思います。 しかし近年、同人漫画がそのまま商業媒体で連載されるケースが急激に増えています。

 私の知る限りでは、近年の同人漫画が商業連載される傾向の先駆けとなったのが相田裕様が同人誌で1998年以降継続して発表されたシリーズが2002年から商業連載となった『GUNSLINGER GIRL』です。そして……。
 納都花丸様が同人誌で2003年以降継続して発表されたシリーズが2006年から商業連載となった『蒼海訣戰』。
 飯田ぽち。様が同人誌で2015年以降継続して発表されたシリーズが2016年から商業連載となった『姉なるもの』。
 はるかわ陽様が同人誌で2018年以降2冊発表されたシリーズが2019年から商業連載となった『塔子さんは家事ができない。』。
 宮原都様が同人誌で2018年に発表された読み切り作品が2019年から商業連載となった『一度だけでも、後悔してます。』。
 しょたん様が同人誌で2019年以降2冊発表されたシリーズが2020年から商業連載となった『君は冥土様。』。
 他にも同人誌としてではなく個人のTwitter等で連載が始まり、その後商業連載となった作品はさらに多いでしょう。

 中でも特筆に値するのが『君は冥土様。』です。
 同人誌が商業連載化する場合、タイトルやストーリーやキャラクターは同じでも絵は一から描き直して掲載されるのが一般的です。 しかし、本作は同人誌として発行された3話までは描き直しなしでそのままサンデーうぇぶりに掲載され、4話からが新しく描かれた話となっています。 私はこういう作品を他に知りません(※同人誌が描き直しなしでそのまま商業単行本になるケースは時折ありますが、描き直しなしで商業連載というケースはかなり珍しいはずです)。

 竹熊健太郎様・相原コージ様は1991年に『サルでも描けるまんが教室』でこのように描かれました。

『サルでも描けるまんが教室』3巻P.181より
竹熊健太郎・相原コージ/小学館『サルでも描けるまんが教室』3巻P.181より

 以前は、作家さんが徒手空拳で描いた漫画がそのまま商業連載となるなどまず考えられないことでした。しかし、そういったケースが近年次々に起きているのです(※念のため書いておきますと、上で挙げた同人漫画の商業連載化のケースは作家さんが同人作品を出版社に持ち込んだ結果なのか、出版社側が作家さんに声をかけた結果なのかは分かりません)。

 週刊少年ジャンプ隆盛の立役者である鳥嶋和彦様はこう述べられました。

 作家には「描きたいもの」と「描けるもの」があるんだよ。そして、作家が「描きたいもの」は大体コピーなの。既製品の何かで、その人がそれまでの人生で憧れてきたものでしかない。

 鳥山明さんであればアメコミっぽい作風だとか、そういうものが「描きたいもの」としてあったけど、そこからヒット作はやっぱり出てこないんです。実際、鳥山さん自身の「描きたいもの」は、申し訳ないけどつまらないんですよ(笑)。

【全文公開】伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話」より

 同人誌は基本的には作家さんが「描きたいもの」を描く場であり、そのまま商業連載とするにはレベルや方向性などの問題があることが多かったように思います。 何故以前では考えづらかった同人漫画の商業連載化が起きるようになったのかを想像したところ、説得力がありそうな可能性を三つ考えつきました。

 一つ目。以前は、徒手空拳で描かれる作家さんは周囲の友人知人に作品を見せる程度で、あまりブラッシュアップされていないケースが多かったのかも知れません。 上の鳥嶋様の言い方を借りるなら、「描きたいもの」ばかりが描かれ、「描けるもの」を描こうとしていなかった、ということになります。 しかし、近年の同人作家さんは商業で描かなくても、多数の読者に作品を読ませているケースがあるわけです。それによって実力が磨かれ独力で商業レベルの作品が描けるようになった作家さんが増えている、という可能性はありそうです。

 二つ目。幅広い読者層に大ヒットする漫画を目指す場合にはある程度決まった方法論がありますが、狭い読者層に向けたニッチな漫画を描こうとする場合には作者の独特な感性が重要なケースも多い、と私は考えています。 近年は大ヒットよりも狭い読者層を狙った作品が増えて編集者側の方法論が重要でなくなってきている、という可能性はあるかも知れません。

 三つ目。編集者側が作家の育成にコストを掛けないケースが増えてきた、という可能性もあるかも知れません。 編集者側が作家さんを育てようとすればコストが掛かりますが、そこまでコストを掛けるのは難しいので取り敢えず同人誌でクオリティの高かった漫画をそのまま商業に持ってこよう、という考え方です。 同人誌の市場が拡大し、漫画を描く作家さんが目につきやすくなったことで、悪い言い方をするなら出版社側に粗製濫造的な考え方が出てきた、と考えられなくもありません。
 ただ、これは悲観的過ぎる解釈かと自分でも思います。今回挙げた漫画が低レベルであるとは思いませんし、恐らくこれは考え過ぎなのでしょう。

 同人漫画がそのまま商業連載となるケースが増えているのが良いことなのかどうかは分かりませんが、これによって既存の枠にとらわれない新しい魅力を持つ漫画が出てくることには期待しています。

追記その1(2020年9月27日)

 上で『君は冥土様。』は同人作品が描き直しなしでそのまま商業媒体に載ったと書きました。しょたん様も同作の商業連載開始に際し『1〜3話は同人版をそのまま掲載で4話以降新しく書いてます』(しょたん様のTwitterより)と告知されておりこの記述は間違いではないと思いますが、細かく言うと商業化に際し若干の加筆・修正はされています。例えば第一話では以下の二点がそうです。 (1)同人版では第一話は全16ページでしたが、商業版では最初に描き下ろしの1ページを加えて全17ページとしています。(2)同人版では市街地が背景に描かれたコマが6つありますが、いずれも背景イラストを差し替えています。

 (1)は、同人版が見開き右ページから始まっていたための追加ではないかと推測します。商業漫画は基本的に見開き左ページから始めるものですので、最初に1ページを加えて左ページからの形式に直したのではないかと。

 (2)は、後々に著作権関係でのトラブルを防ぐためではないかと推測します。同人版で描かれていたのは写真を基に描き起こしたと思われる背景でしたが、それが他の誰かの撮った写真を無断使用したものである場合、そのまま商業化すると後で莫大な使用料を請求される恐れもあります。しょたん様が正規に素材画像を購入されていても、それを販売した業者が本来の権利者に無断で販売した可能性は否定できません。 こういったリスクを勘案した結果、同人版で描かれた住宅街背景は全て差し替えとなり、恐らく著作権問題が完全にクリアな写真から新たに背景を描き起こしたのではないかと。

追記その2(2020年9月27日)

 上で推測した、同人漫画がそのまま商業連載になるケースが増えた理由二つ目について。大ヒットよりも手堅く売れる作品を目指すというものに近い考え方が、次の竹熊健太郎様と赤松健様の対談で言及されています。

竹熊 そのメジャーの概念が変わると僕は思うんですよ。もう100万部売るとか、シリーズトータルで2000万部っていうのはもしかするとなくなるんじゃないかな。赤松さんとか、それこそONE PIECEとか、この辺りが最後になるんじゃないかなっていう。

赤松 それ私がさっき言ったのと同じことじゃないですか。やっぱり業界はポッキリ折れるんですよ。

竹熊 いや、だから、ただし5万部売ると。5万部は確実に売れるとなったら食えますよね。

赤松 その5万部って。単価は高いんですか?

竹熊 いや、だからそこそこ名があっても、年収600万円とか800万円で生活する漫画家が増えるということです。

これからは年収600万円や800万円の漫画家が増えるかも (1/3)」より

 ちなみに、側聞するに5万部を売るのはメジャー週刊少年誌掲載の作品で数割程度、マイナー誌ではその割合が多少下がる、という印象です。漫画家のヒロユキ様はインタビュー「「今のマンガ家って売れても儲からないんですか?」 『アホガール』のヒロユキ先生に聞く、マンガの現状 (1/3)」で5万部売れるのは『メディアミックスの可能性が高まるので、先があるタイトル』であると述べられています。

最終更新:2020年12月31日