2014年
09/02  理源大師坐像に五輪塔 - 奈良博がX線撮影

奈良新聞より。理源大師坐像は奈良国立博物館の「国宝・醍醐寺のすべて―密教のほとけと聖教」で展示中。9月15日まで。

09/06  名刀「正宗」:150年ぶりに確認 和宮ゆかり「島津」

江戸時代末期の1862(文久2)年に皇女和宮(1846〜77)が徳川第十四代将軍・家茂(1846〜66)に嫁ぐ際、徳川将軍家が天皇家へ献上し、その後所在不明だった名刀「島津正宗」が約150年ぶりに確認されたとのこと。個人所蔵となっていたが、2013年度に京都国立博物館へ寄贈された。
江戸時代中期に八代将軍吉宗が刀剣の鑑定や研磨を生業とする本阿弥家に編集を命じ、その後刀剣の評価基準となった「享保名物帳」には「島津正宗」の名が見え、長さ「二尺二寸七分」と記載。また、1919(大正8)年に発行された「刀剣名物帳」には和宮降嫁の際、徳川将軍家が島津正宗に金千両を添えて天皇家に献上したと記されている。無銘で、名前の由来は分かっていない。
所在不明になったのは献上から間もない時期。同博物館によると、寄贈した大阪市内の個人が69年、天皇家に近い近衛家から譲り受けたという。
同博物館学芸部研究員によると、長さが享保名物帳の記載通り2尺2寸7分(68.7センチ)であることや近衛家に伝来していたこと、江戸時代の刀剣カタログ「継平押形(つぐひらおしがた)」記載の島津正宗の刃文が酷似していることから実物と断定した。

毎日新聞より。「平成知新館オープン記念展 京へのいざない」の第2期で公開予定。京都国立博物館で2014年10月15日〜11月16日

09/07  行方不明品ベトナムで保管…戦時中の美術品交換

第2次世界大戦中、日本とフランス領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)の文化交流の一環として、日本がハノイにあった仏国立研究機関に贈り、戦後、行方不明になっていた古美術品が、ベトナム国立歴史博物館(ハノイ)に保管されていることが、九州国立博物館(福岡県太宰府市)の調査で明らかになった。現在、九博が中心となり、全容解明と保存修理が進んでいる。
確認されたのは、東京帝室博物館(現・東京国立博物館、東京都台東区)が1943年、フランス国立極東学院に贈った江戸時代の狂言面(17世紀)や日本刀の鐔(つば)(18世紀)など美術工芸品31件のうち21件。仏側の資料が失われるなどして、これまで所在不明になっていた。
東博などによると、当時、仏政権との協定を基に、日本軍が仏領インドシナに進駐。クメール(現・カンボジア)の古美術に関心があった日本側は41年、文化交流の証しとして美術工芸品の交換を提案した。アジアへの影響力を強めたい意向もあったとみられ、戦局が悪化するなか、幸運にも米軍などの攻撃に遭わず、船で運ばれたという。
一方、極東学院側は44年、クメールの彫刻や陶器など69件を贈った。現在、ほとんどが東博の東洋館で展示されている。
文化庁などが日越外交関係樹立40周年(2013年)を記念した展覧会をベトナム国立歴史博物館で今年1〜3月に開催。準備のため九博関係者が訪問した際、日本の古美術品が収蔵庫に保管されているのを発見し、東博に残されていた台帳や、貼られていたシールなどから交換品と確認したとのこと。

読売新聞より。

09/07  青木繁「海の幸」貸し出し…財団が石橋美術館に

福岡県久留米市の石橋美術館の運営から撤退する石橋財団(東京)と同市が5日、同市役所で記者会見を開き、撤退後の運営体制を発表した。
同市出身の洋画家、青木繁(1882〜1911年)の代表作「海の幸」などの重要作品について財団は、美術館が今後企画する展覧会に貸し出すことを明らかにした。また、同財団は当分の間、美術館が開く財団コレクション展を支援する。青木繁、坂本繁二郎ら福岡県筑後地方、九州ゆかりの作家の小品を中心に財団所有の約200点を同美術館に寄託する。ブリヂストン創業者で、美術館を寄贈した石橋正二郎氏の記念室も設ける。
財団は5月、2016年9月末での運営撤退と、収蔵する美術品全960点のブリヂストン美術館(東京)への移管方針を市に対して申し入れた。地元では石橋美術館での収蔵の継続を求めて4万人を超える署名を集め、財団に提出していた。

読売新聞より。スクラップ2014年6月29日「青木繁作品など960点、東京へ 久留米の石橋美術館」の続報

09/08  モネ未発表作品、ナチス略奪画保有男性のスーツケースに ドイツ

ユダヤ人から略奪した作品を含む大量の絵画をドイツ・ミュンヘンのアパートに秘蔵していたナチス・ドイツ時代の画商の息子、コルネリウス・グルリット氏が、死亡する直前の5月、モネの作品を病院に持ち込んでいたことがわかった。5日に捜査当局が発表した。
新たに見つかったモネの作品は、病院側から遺産執行人に渡されたグルリット氏のスーツケースの中にあった。モネ作品のカタログを参照した政府当局は、1864年に発表の「Vue de Sainte-Adresse」との類似点を指摘し、同時期の作品である可能性があるとした。
グルリット氏のミュンヘンの自宅からは2012年に、絵画やスケッチなど1280点を超える作品が見つかっていた。この中には、ピカソやシャガールの作品も含まれており、価値総額は数億ドルに上ると推定されている。発見のきっかけとなったのは脱税容疑での捜査だった。
7月にはエドガー・ドガやオーギュスト・ロダンの彫刻などさらなる作品が見つかっている。
ナチス政権時代、グルリット氏の父親のヒルデブランド氏は、ユダヤ人から略奪あるいは強制的に買い取った芸術作品を売却する任務に着いていた。その中には、アドルフ・ヒトラー政権下で「退廃的」とみなされ、ドイツの美術館から押収された前衛芸術作品もあった。専門家は、グルリット氏のコレクションのうち約450点が略奪されたもの、また380点が押収されたものとみている。

時事通信より。関連記事:スクラップ2013年11月7日「ピカソなど絵画1500点発見 ナチスが戦時中、略奪か」、2013年11月18日「ナチス略奪絵画「手離す気ない」と部屋の主、政府が返還交渉か」、2014年5月8日「大量のナチス略奪画 所有者死去でベルン美術館に遺贈」の続報

09/11  西洋美術館のユネスコ推薦了承 文化審作業部会

文化審議会の作業部会は11日、フランス人建築家ル・コルビュジエが手掛けた国立西洋美術館本館(東京)を含む17作品について2016年の世界文化遺産登録を目指し、他の6カ国と共同で国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦することを了承した。
過去に2回推薦したが登録には至らず、今回で3度目。政府は閣議了解を経て、来年2月1日までに推薦書をユネスコに提出する。

共同通信より。

09/13  ダビンチ:「白貂を抱く貴婦人」2度大幅描きかえ

レオナルド・ダビンチ(1452〜1519年)の「白貂を抱く貴婦人」が2度にわたりダビンチ自身の手で大幅に描きかえられ、当初はテンのいない女性だけの肖像画だった可能性が高いことが、フランスの光学研究者の研究で分かった。
研究者は仏リュミエール・テクノロジー社のパスカル・コット氏。独自に開発したLAM(多スペクトル)カメラを使い、透過度が異なる13種類の波長の光で絵をデジタルデータ化。これを分析することで、表面から隠れた各層の絵を画像化した。
この結果、表面に描かれたテンの下の層からやや小ぶりで写実的な別のテンの姿が浮かび上がった。さらにその下の層からは、貴婦人の右手がテンを抱かずに左手首に置かれている絵も見つかった。
絵は1490年ごろ、ミラノ公ルドビコ・スフォルツァがダビンチに描かせたとされる。モデルはルドビコの愛人チェチリア・ガッレラーニ。テンは、その名を冠する勲章を持っていたルドビコを暗示したものと解釈されている。
1490年代の文献には、チェチリアがダビンチ作の自らの肖像画を持っていたことを示す記述があるが、テンには触れられていない。こうした歴史的事実も、最初に描かれた絵にテンが含まれていなかった可能性を裏付けている。
コット氏は2007年、ポーランドの財団の依頼でこの絵の調査に着手。約7年間かけて独自にデータを分析した。

毎日新聞より。

09/13  浮世絵師・国貞の貴重な初期作、武者絵発見

歌川国貞(1786〜1864年)の初期作が長野県松本市の日本浮世絵博物館で見つかったとのこと。
新たに発見されたのは、平氏の武将・平敦盛に一騎打ちを挑む、源氏の武将・熊谷次郎直実の騎馬姿が描かれた武者絵。歌舞伎「一谷嫩軍記」にも登場し、当時の庶民に親しまれた場面。国貞を研究する国際浮世絵学会常任理事の新藤茂さんによると、落款や画風から1809年作という。国貞の現存する最古の浮世絵は、07年作で、今回発見された作品は最初期のものと言える。

読売新聞より。9月14日付共同通信「歌川国貞の初期作を初公開へ 東京の太田記念美術館」によりますと、太田記念美術館での『没後150年記念 歌川国貞』で初公開されるそうです。

09/17  夢二、未知の2作品 ベルリン外遊中、駐在員に譲る

竹久夢二美術館(東京都文京区)は16日、竹久夢二(1884〜1934年)が48歳の時に外遊中のベルリンで現地の日本人駐在員に譲った2作品が見つかったと発表した。2作は「S子スケッチ」(縦41センチ、横29センチ)と「欧州の少女」(縦51.7センチ、横39.7センチ)で、どちらも記録がなく、タイトルは今回、同美術館が付けた。
「欧州の少女」はアルプスとみられる山並みを背景にヨーロッパ人風の少女がベンチに座る様子が墨や水彩で描かれている。「S子スケッチ」は日本人の少女が墨線で描かれ、一部が彩色されている。モデルは夢二がベルリンで交流した日本人駐在員の娘だという。
この駐在員はベルリンで2作を譲り受け、娘が保管していたが、昨秋、娘の遺族が同美術館に寄贈。遺族には「夢二に資金援助をし、絵はそのお礼」と伝えられているという。署名などから真作と判断したとのこと。

産経新聞より。作品は竹久夢二美術館で12月25日まで展示されるとのこと。

09/22  福岡で9世紀の神像確認 九州最古か

福岡県太宰府市の民家で一木造りの神像が見つかり、九州歴史資料館(同県小郡市)が22日までに9世紀(平安時代前期)の作と確認した。資料館は「九州最古とみられ、京都や奈良以外でも神像を使った信仰が盛んだったことを示す貴重な発見だ」としている。
資料館によると、神像は台座も含め高さ55・6センチで、木材はカヤとみられる。男性貴族の姿で、衣に赤色、冠に黒色などの彩色が施されていた。顔が大きく量感のある体形で、衣のひだを鋭く彫っており、松尾大社(京都市)の9世紀の神像と似た特徴を持つ。

共同通信より。

09/23  東京都庭園美術館、装い一新 本館復元、11月に再開館

改修中だった東京都庭園美術館(港区白金台)が11月22日に再開館する。吉田茂元首相が外相公邸として使った旧朝香宮邸だった本館を復元し、新館にはカフェを新設する。
美術館は老朽化に伴い、2011年から17億円かけて改修を進めていた。都は今回、本館の耐震改修をしたうえで、灰色と青を基調とした殿下居間の壁紙やカーテンを復元し、創建時の姿にできるだけ近づけた。
庭園と茶室は改修工事が続き、公開は来年度以降になる見通し。

朝日新聞より。

09/24  与謝蕪村:水墨画「蜀桟道図」 92年ぶりに見つかる

江戸時代中期の俳人で画家の与謝蕪村(1716〜83年)が描いた水墨画「蜀桟道図」が92年ぶりに見つかったとのこと。鑑定したMIHO MUSEUM(滋賀県甲賀市)が24日、発表した。1922年に発刊された「蕪村画集」にモノクロ写真が掲載されて以降、所在が分からなくなり、「幻の名作」と言われていた。
作品は長さ167.5センチ、幅98.9センチ。中国四川省北部に通じる険しい山や渓谷に造られた「蜀桟道」を旅人が行き交う様子が墨や岩絵の具で絹地に描かれ、蕪村が晩年に用いた雅号「謝寅」という署名もあるとのこと。
最近になってシンガポールの会社が所蔵しているという情報が寄せられ、今年5月に同美術館学芸員が鑑定。山や樹木の精密な描き方や人物のユーモラスな表情などから蕪村の作品と確認した。安永7(1778)年、依頼人に蜀桟道図を送ったとする蕪村の手紙の写しが残っており、この年に完成させたとみられる。

毎日新聞より。「「蜀桟道図」は、来年3月18日からサントリー美術館で、7月4日からMIHO MUSEUMで開かれる特別展「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」で展示される」とのこと。

09/26  横山大観の書状、坂出で発見/知人宛て2通

横山大観(1868〜1958年)が書いたとみられる書状2通が25日までに香川県坂出市の鎌田共済会郷土博物館で見つかったとのこと。不遇の時期にあった30代半ばの大観が、同市の実業家鎌田勝太郎宅に身を寄せていた日本画家を通して、勝太郎に海外遊学の資金集めに支援を求める内容で、勝太郎が作品を注文した契約書も発見された。
書状は2通とも、1902(明治35)年ごろ勝太郎宅にいた丸亀市出身の日本画家で、大観が創立に参画した日本美術院の研究会員だった尾崎秀南(仲七)宛てに郵送された。大観は秀南を介し、文化や教育にも理解のあった勝太郎の協力を期待したとみられる。
1通目は同年9月、大観が盟友の日本画家菱田春草とともに設立し、各地の有力者らに絵を販売して外遊の資金を集める作品頒布会「真真会」への入会勧誘を依頼する内容。2通目からは勝太郎が作品を注文したことが分かり、さらに大観が外遊を控えて一段の支援を要望し、坂出にも「漫遊を試みたい」としている。ただ、実際に坂出を訪れた記録は残っていない。
勝太郎が真真会で大観と春草の絵を注文した契約書と領収書には、大観の画題に「瀑布」とある。横山大観記念館の横山館長によると、大観が瀑布を描いた作品はあるが、契約書に当てはまるものは把握されておらず、鎌田共済会郷土博物館は所蔵品を調査する方針。

四国新聞より。書状は、30日から鎌田共済会郷土博物館で始まる尾崎秀南の企画展で展示されるとのこと。会期は来年3月29日まで。

09/26  僧・重源の依頼裏付け 快慶作・金剛峯寺の執金剛神立像

日経新聞より。9月26日付産経新聞によりますと「執金剛神立像と文書の一部は、10月11日から、東京・サントリー美術館の特別展で公開される」とのこと。関連記事:スクラップ2011年10月22日「金剛峯寺の仏像は「快慶作」 高野山霊宝館が発表

09/27  「竹久夢二学会」が設立総会 生誕130年で研究者ら

画家で詩人の竹久夢二が今年、生誕130年となるのに合わせ、27日、「竹久夢二学会」が創設されたとのこと。東京都内で研究者ら約40人が参加して設立総会が開かれた。
夢二の人気は長年、熱烈なファンに支えられてきたが、大衆作家だったために学術的には評価されにくく、研究者も少ないという。学会設立で、夢二の顕彰と研究者の育成を進めたい考え。

共同通信より。

09/29  抽象画家の辰野登恵子さん死去 独自の絵画空間を追求

画家で多摩美術大教授の辰野登恵子さんが29日、死去した。64歳。
東京芸術大大学院修了。米国の抽象表現主義やミニマルアートなどの影響を受け、独自の絵画空間の表現を追求。積み重ねた箱のような連続的な形態などを用いて、新しい理知的な表現を展開し、後続の画家たちにも影響を与えた。1996年、芸術選奨文部大臣新人賞受賞。

共同通信より。