2009年
12/02 「飛鳥美人」守った乳白色の層 漆喰溶け再結晶化?
奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)の極彩色壁画(国宝)の表面が、乳白色の層で広範囲に覆われていたことがわかった。壁画の下地となった漆喰が溶け出し再結晶化して膜となり、1300年間、壁画が残る理由の一つになったとみられる。30日に同村であった文化庁の同古墳壁画劣化原因調査検討会で、奈良文化財研究所の肥塚隆保・副所長が報告した。
奈文研などの調査で、壁画の表面に広範囲に0.1ミリ程度の厚さの乳白色の層があることが確認された。成分を調べると、溶けた漆喰が再結晶化してできたカルサイトと呼ばれる物質だったとのこと。乳白色層がない部分では絵がはげ落ちている個所も多く、この物質により表面が保護され、「飛鳥美人」などの極彩色壁画が保たれたとみている。
一方、人工的に造られたとみられる泡状の乳白色の層も見つかった。理由は不明だが、カビの除去作業などで使った薬品で発生した可能性があるという。壁画の顔料まで一緒に取れる恐れがあり、除去は難しいという。
朝日新聞より。
共同通信より。
共同通信より。
共同通信より。
北大路魯山人(1883〜1959年)が晩年に外国船の室内装飾用に制作した漆の巨大壁画2点がポルトガルで見つかり、半世紀以上を経て日本に里帰りすることがわかった。
作品は横幅3.7メートルの「桜」と同2メートル超の「富士」。1953年、魯山人が日本建造のパナマの大型貨客船のために制作したとのこと。完成後10日間ほど展示された後、船とともに日本を離れ、行方がわからなくなっていた。80年に廃船処分となったが、所有者が解体作業中、壁画の美しさに気づいて保管を決め、奇跡的に廃棄を逃れたという。
日経新聞より。
共同通信より。スクラップ2009年10月4日の続報です。
サルバドール・ダリが1975年の沖縄国際海洋博覧会に出展した銀製彫像を買い取る運動が県内で取り組まれてきたが、購入予定の作品が海洋博出展作とは異なる疑いがあり、関係者が所有者を詐欺罪でスペインの裁判所に告訴していたことが8日までに分かった。
彫像は「Sun God Rising in OKINAWA(沖縄の海より出ずる太陽の神)」。複数の買い取り運動の関係者によると、「Sun―」は同名作が複数あり、買い取りを予定していた作品は海洋博出展作と形状が一部異なるという。またこれまでに県内から集まった寄付金を含む約4千万円がスペイン在住の所有者に渡っているという。
買い取りを予定していた作品は昨年、同会が所有者から貸し出しを受け、海洋博記念公園など県内各地で展示会を開いていた。
琉球新報より。この作品に関しては以前に記事を紹介したことがあったのですが(スクラップ2008年10月24日)、こんなことになっていたとは。
共同通信より。
共同通信より。
共同通信より。
2日に亡くなった日本画家の平山郁夫さんが20代のときに描いた作品が米国で見つかり、半世紀ぶりに生まれ故郷の広島県尾道市へ戻ったとのこと。1958年に発表した後米国の美術愛好家に購入されたが、行方が分からなくなっていた。
見つかった作品は「漁夫」で、縦121センチ、横71センチの50号。ほおかむりをして綿入れを着た漁師と、きせるを持ってたたずむ漁師が描かれている。現存する平山さんの手帳には「風雪」と副題が添えられている。画壇での出世作となった59年発表の「仏教伝来」の直前に制作され、58年に日本美術院の第13回小品展覧会(現在の春の院展)で入選した。
3年前、米国の古美術商から所有の連絡が平山郁夫美術館に入り、平山さんの作品と確認したうえで、今年11月30日に同館が購入したとのこと。
朝日新聞より。
京都市の法住寺で、仏像を収めた厨子に「後水尾法皇の御念持仏」との由来が記されていたことが12日までに分かった。後水尾天皇(1596〜1680)が私的に拝んでいた仏が、死後形見として皇子に与えられ、同寺に持ち込まれた可能性があるという。
仏像は高さ50センチの如来像で、阿弥陀堂の須弥壇西端付近の厨子に収められ、安置されていたとのこと。書院の修理に合わせ、新しく完成する仏間の本尊にするため、併せて修理していた。
文字は仏像の背後にあり、金箔を張った厨子の内面に墨か漆のようなもので記され、赤外線を当てると「此釋尊者後水尾法皇御念持佛也(この釈尊は後水尾法皇の御念持仏なり)」の文が浮かび上がったとのこと。天皇の第十皇子の堯恕(ぎょうじょ)法親王が形見としてもらった、とのいきさつが記されていた。同様の記録は、天皇が晩年を過ごし、堯恕法親王が門跡を務めた妙法院にもあり、持仏堂の釈迦像を堯恕が形見として拝領したとしている。法住寺は妙法院の子院で、堯恕は、同寺に足しげく出入りしていたという。
専門家によると、仏像は、とても丁寧に造られた美作で、鎌倉時代の様式を取り入れた江戸初期の仏像の可能性があるという。また厨子の飾り金具に、雨露を模した文様や点線で描いた唐草文様など17世紀前半の特徴がみられ、天皇の時代と重なるという。
京都新聞より。
共同通信より。
共同通信より。スクラップ2008年11月7日の続報。
共同通信より。
共同通信より。
天平彫刻の傑作とされる興福寺(奈良市)の国宝・阿修羅像(734年)が、地元産のニレの樹皮を混ぜた木屎(こくそ)漆という素材で造られた可能性があることがわかった。従来は県外の沿海部などに多いタブノキの樹皮を用いたと推定されていたが、奈良にごく自然に生えている植物を利用していたらしい。愛知県立芸術大の山崎隆之名誉教授(日本彫刻史)と京都造形芸術大の岡田文男教授(文化財科学)が、12月中旬に奈良市であった研究集会で発表した。
阿修羅像は高さ153.4センチで、麻布を漆で何層も塗り固める脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)という技法で造られている。山崎名誉教授らは2008年から5カ月間かけて、ほぼ実物大の上半身模型(高さ約1メートル)を実験で制作した。
唐招提寺(奈良市)の金堂の本尊で、同じ脱活乾漆造で造られた盧舎那仏坐像(8世紀、国宝)から剥落した木屎断片を入手。顕微鏡観察で素材を調査した。その結果、方解石の結晶を確認した。方解石は、人体の結石と同様に、吸収しきれない成分が結晶化して内部に残るもので、ニレ科の落葉樹の内部に特有のものとわかった。
山崎名誉教授らは、ニレの樹皮と水、漆を混ぜたニレ木屎を調合し、阿修羅の模型を制作すると、天平時代の乾漆像と同じ赤っぽい発色になった。乾きやすい難点はあったが、粘り気があって自由な成形ができたという。
朝日新聞より。阿修羅像関連:スクラップ2009年7月11日2009年9月8日
九州国立博物館は26日、修理をしていた江戸時代後期の国指定重要文化財2点にしみがついたと発表した。2点は大分市所有で6月から博物館内で、劣化による補強作業をしていたとのこと。しみはクリーニングで除去できるといい、費用は100万円以内の見込み。
同館広報課によると、国宝修理装●師(そうこうし)連盟九州支部が修理中の今月21日、田能村竹田作の掛軸「紙本淡彩桃花流水図」と「紙本淡彩冬籠図」に天井の照明で結露した水滴が落下し、しみが出来たとのこと。
毎日新聞。●は、さんずいに、「廿」の下に「寅」のうかんむりのない字
浄土宗の宗祖・法然(1133〜1212)の一周忌供養で作られた「阿弥陀如来立像」(重要文化財)が、法然八百年大遠忌(2011年)を前に、所蔵する高野山真言宗・玉桂寺(滋賀県甲賀市)から、浄土宗に戻ることになった。
他宗寺院にある経緯は不明だが、仏師・快慶の弟子の作とも言われ、文化庁が文化財保護法に基づき、24日付で譲渡を許可。同宗は11年、法然の墓所のある総本山・知恩院(京都市)に安置するとのこと。
像は高さ98センチの優美な像。像内にあった1212年(建暦2年)12月24日付の願文には、法然一周忌に際し、弟子の源智(1183〜1238)が全国に呼びかけて作ったとあり、結縁のため、源頼朝ら4万人超の名を記した文書もあったとのこと。真言宗寺院にある経緯は研究者らが調べても判明しなかった。
浄土宗は当面、佛教大宗教文化ミュージアム(京都市)に収蔵し、11年に知恩院に移す予定。
読売新聞。






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