接近表示器の歴史

昭和の時代から東急の駅を彩った「電車がきます」などの接近表示器。今日では多くがその役目を運行情報表示器に譲りましたが、数は少なくなれど現存しているもの、また近年新設されたものも存在します。
第7世代
長津田⑦番線(平成30年~)
第3世代の置き換えに向け登場しました。あくまで接近表示のみの運用に特化しています。
写真は右側が英語表示ですが、この他に簡体字、ハングル文字も交互に表示します。新陽社製。
蛇足ながら、この表示器の導入に合わせて接近放送の担当声優が大原さやかに変更されました。

設置駅・こどもの国線各駅
第6世代
中目黒②番線(平成26年~)
このホームは日比谷線用で、かつては東横線への乗り入れを行っていたことから運行情報表示器にて案内が集約されていましたが、乗り入れの取り止めにより独立した接近表示器が用意される運びとなり設置されました。
「2番線に」と「電車がきます」が1秒ごとに表示されます。
第5世代
渋谷①番線(平成19年~)
渋谷駅の管理が東急に移管された際に設置されたものです。
普段は情報案内表示器の下段で見られる各種案内を表示していますが、メトロ管理時の名残からか接近表示器としての機能も備えています。そういう意味では機能的には第4世代と似通ったものでした。表示部はフルカラーLEDです。

設置駅・渋谷①②番線
第4世代
藤が丘③番線(平成13年ごろ~令和3年)
運行情報表示器の導入後としては当時唯一設置されたものです。
かつては2段タイプのものが藤が丘1番線のほか、学芸大学や綱島でも見られました。コイト電工製。
第3世代
恩田①番線(平成12年~平成30年)
表示内容が、「電車がまいります」と丁寧な表現に変更されました。こどもの国線の各駅で使用されていました。
以前の
電照式
優等列車の通過駅で使用された2段タイプです。運行情報表示器の整備に合わせて役目を譲り、多くは平成半ばに撤去されましたが、都立大学は平成31年まで、妙蓮寺、白楽、東白楽では令和3年の消滅まで残りました。

どうした訳か、祐天寺には幅狭のタイプが設置されていました。
通過線の新設に伴う駅改良工事により撤去。

こちらは田園都市線用のタイプで、字体が変更されたほか、文字間隔が広くなっています。
東横線向けと同様平成半ばに大多数が撤去されるも、宮崎台と宮前平では令和3年の消滅まで残りました。

旧新玉川線に設置されたもので、フォントは角ゴシック体とされました。

通過駅用です。高さ制限のある地下駅のため、1段に抑えられています。

代官山のみで見られたものです。駅名標に合わせたフォントで、新玉川線向けとはまた異なるタイプでした。
副都心線への相互乗り入れ開始の時点でも現役で、運行情報表示器が新設される平成26年まで残りました。