直リンクは違法?-武三さんとのやりとり

 直リンクは違法であると主張する武三さんとのメールのやりとりを、武三さんの了承の上で公開します。 (本稿では「直リンク」という言葉をサイトのトップページ以外のページへのリンクという意味で用いています。ご注意下さい。)

 この時は私は頂いたメールにある程度丁寧に回答していますが、これはこのメールが、 リンクの自由について述べた拙稿に対して初めて頂いたご意見のメールだったので、というのが最大の理由です。 以後のメールについてこのように返信をするとは限りませんので、ご了承下さい。 特に、このような珍しい見解についての議論は汎用性がなく、あまり意味がないので、今後は出来る限り避けたいと思います (※珍しい見解だから間違いだと言う気はありません)。

 なお、メールの全文(第三章)は長いのでご注意下さい。あまり時間がない場合にはとりあえず第一章・第二章を読み、 両者の主張を確認したい場合に第三章を読むことをお薦めします。

目次

第一章-概要

 今回のやりとりは、2007年4月16日に武三さんから頂いた以下のメールから始まりました。 (※ここで使われている『無断リンク』という言葉は後に、「直リンク」に訂正されました。)

無断リンクについて

私は無断リンクは同一性保持権の観点から違法だと思います。

ホームページはその状態遷移の制御(つまりリンクによるページ移動)も含めて、全ページで1つの著作物であり、各ページごとで考えるべきではないと思います。

判例として、ゲームソフトでは、ゲームのプログラム自体を改変しなくても、セーブデータやその他のデータにより、ストーリー展開を改変することは違法と言う判例が最高裁で出ています(ときめきメモリアル事件など)。
例えば、A→B→Cと言うストーリのゲームをC→B→Aのように改変することは、違法です。

同様に、例えばa,b,cの3ページからなるホームページがa→b→cのようにリンクされているなら、それはあくまで「a→b→c」というひとつの著作物であり、それを勝手にdというページを作って、「d→a」などとするのは、同一性保持権の侵害だと思います。

武三さんからの第一回目のメール全文

 武三さんの主張を確認していくと、その主張の要点は次の二つでした。

 議論を重ねた結果、1については武三さんの主張の間違いが確認されました。2については武三さんは 結局最後までその根拠を示されず、そのまま議論は終了となりました。 (だた、この1については、最後のメールで武三さんは間違いを認めたのを撤回されたようにも取れます。 この撤回内容については私はよく理解できませんでした。)

第二章-浮き彫りになった問題点

 恐らく、武三さんと同様に「直リンクは同一性保持権を侵すので違法である」という考えをお持ちの方は、あまりおられないと思います。 私はこれまでに直リンクを非難する人を多数見てきましたが、「直リンクは同一性保持権を侵すので違法である」という主張を見たのは、 実はこれが初めてでした。(ただし、「直リンクは同一性保持権を侵すと認められる可能性がある」という主張は私が記憶するだけでも 2人の弁護士によってされています。その内の1人の主張については、下記のやりとり中で引用しました。)

 ただ、支持する人がいない意見への反論なので下記のやりとりには意味がないのかと言うと、必ずしもそうではないと私は考えます。 確かに武三さんの出された結論は珍しいものでしたが、その結論が出るまでの過程にはやはりリンクの自由についてのありがちな誤解が多く含まれていたからです。

 以下に、リンクの自由に関する論争で頻繁に見られる二つの誤解と、 それ以外の武三さんの独特な誤解を挙げます。

「秩序や倫理を軽んじている」という誤解

 リンクの自由を否定する人は多くの場合、リンクを自由と考える人に対して「秩序や倫理を軽んじている」といった非難をします。
 私はこのサイトでそういった考え方を繰り返し批判してきましたが、私に今回メールを下さった武三さんも、まさにその主張をされていました。以下にその部分を抜粋します。

リンクの件にしても、つまるところインターネットというところは自由だから、そこにアップロードした以上自由に使われることは当然だし、また作者もそれを了解している「はずだ」という考え方が根本ににあるのでしょうが、これは非常に危険であると思います。

武三さんからの第二回目のメールより

リンクの件にしても、つまるところインターネットというところは自由だから、そこにアップロードした以上自由に使われることは当然だし、また作者もそれを了解している「はずだ」という考え方が根本ににあるのでしょうが(略)

法解釈上はそのようになるかと思いますが、それが根底にある考え方だというのは正しくないと考えます。私としては、拙稿「誤解の理解-何故リンクが自由なのか」(http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/column/blank.htm)で述べたように、リンクが自由でなくなれば多くの人が無責任な、あるいは違法なコンテンツを作成するようになり危険だから、「リンクは自由」と多くの人が考えているのだと捉えています。

こちらからの第二回目のメールより

ところで,「誤解の理解-何故リンクが自由なのか」
http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/column/blank.htm)を拝見しましたが,
「リンクが自由でなくなれば多くの人が無責任な、あるいは違法なコンテンツを作成するようになり危険だから」というような意見は読み取れなかったのですが???また,無責任・または違法なコンテンツが増え危険だからリンクは自由などと多くの人が考えているとはとても思えないです.

武三さんからの第三回目のメールより

 尚、この時には武三さんには読み取れなかったリンクの自由の基となる考え方ですが、 この次の私からの三回目のメールでご理解頂くことができたようです(納得頂けたかどうかは分かりませんが)。
 メール本文でも述べていますし、以前からの当サイトの読者の方なら問題ないかと思いますが、リンクの自由の基となる考え方について 詳しく知りたい方はメールでも繰り返し触れた拙稿誤解の理解-何故リンクが自由なのかおよ びリンクについての雑多な記事-価値観論争の前にをご覧下さい。

価値観論争と事実論争の存在

 私は以前、リンクの自由についての論争には、大きく分けて二種類ある、と述べました。 一つは「現在リンクが自由であるかどうか」の論争(論争A)、 もう一つは「リンクが将来自由であるべきかどうか」の論争(論争B)です。

 現在リンクが自由だから将来も自由であるべきだということにはなりませんし、 逆に、たとえリンクが将来自由であるべきではないとしても現在自由でないことにはなりません。

 リンクを自由と考える人への批判に、「リンクに関する論争は価値観論争なのだから、正しいも間違いもない」というものがあります。 しかし、そういう批判は明らかに、論争Aの存在を無視しているか、そもそも認識できていません。 リンクの自由を否定する人々の多くは、「リンクが自由であるべきではない」という価値観を説いているのではありません。 そういう人々は、「現在リンクは自由ではない」という(誤認された)事実を説いているのです。

 そして、武三さんの主張はまさに、論争Aについてのものでした。 つまり、今回の議論の存在自体がまさに、私の以前の主張を裏付けるものだと言えるのです。 (ただし、武三さんの主張にも論争Aと論争Bの混同が見られましたが。)

 ちなみに、経済学ではこの論争Aのような「社会がどのようになっているか」の分析を「実証的分析(または事実解明的分析)」、 論争Bのような「社会がどうあるべきか」の分析を「規範的分析」と言うそうです。 もしかすると、どのような業界の議論でもこのような論争の混同はつきものだったのかも知れません。

独創的な誤解・矛盾

 また、武三さんの主張には他ではあまり見られない、独創的な誤解や矛盾がいくつか含まれていました。 ここでは四つを挙げます。

 一つ目。武三さんは、『どのような手段で・技術で・媒体では問題になりません.』などと繰り返し述べ、 ウェブやリンクを特別視することを否定されていました。 つまり、手段や技術ではなく『結果を重視』すべきだ、同じ結果をもたらす行為なら手段や技術が違っても同様に扱うべきだ、 というのが武三さんの主張でした。
 しかしまた武三さんは、リンクすることは『自分の書籍に他人の小説や写真を勝手に収録する行為に相当する』などとも繰り返し述べ、 ウェブやリンクを特別視されていました。リンクによってウェブページを指し示すと、それは 無断複製・無断転載に相当する行為だというのが武三さんの主張なのです。 武三さんによると、ウェブでトップページ以外にリンクするのは違法で、 ウェブでリンクにせずにトップページ以外のURLを掲載するのは『黒に近いグレー』で、 本にトップページ以外のURLを掲載するのは『リンクではないから』『白に近いグレー』なのだそうです。
 これらについてはいずれも、閲覧者のブラウザに特定のウェブページが表示されるという結果は同じです。 従って、武三さんはウェブやリンクという技術・手段を特別視し、結果が同じになる行為を別に扱っていることになります。 この姿勢は明らかに矛盾しているように思えるのですが、しかし武三さんとしてはこれは矛盾ではないのだそうです。 武三さんによると、ウェブでリンクをクリックされた場合と、ウェブで見たURLをアドレスバーに入力された場合と、 本で見たURLをアドレスバーに入力された場合では、『そもそも結果が同一ではない』のだそうです。
 これらの結果が同一でないというのは、おかしな考え方です。 私は、何故これらの結果が同一でないということになるのか武三さんに説明を求めましたが、結局その説明はありませんでした。

 二つ目。「作者は複数のウェブページ全体でひとつの著作物だと定めることができる。 その内の一部のページにリンクすればそれは作者の意思を無視して作品の一部を切り取ったのと同じであり、違法だ」 ……これが武三さんの主張でした。この理屈から言うと、例えば続き物の小説の「第二巻」を指し示すことは、 やはり作品の一部を切り取ることになり、違法だというケースがでてきそうです。 続き物の小説の作者は多くの場合、全巻で一つの作品だと主張すると思われますので。 しかし、武三さんの説明によると、そうではないということでした。 『1巻,2巻,3巻といった続きの小説については,単純に2巻なら2巻で一つの作品と考えます.』なのだそうです。 小説の読者が勝手に『2巻を一つの作品』と考えてしまってよいのなら、 ウェブページだって閲覧者が「このページで一つの作品」と考えても良いように思えるのですが。
 何故、武三さんは小説の作者には認めない権利をウェブサイトの作者には認めるのか……? 結局理解できない点でした。

 三つ目。武三さんによると「1.法の専門家には、フレーム内リンクや<img>タグによる埋め込みは違法となる可能性がある、と主張する人がいる」 「2.直リンクは、フレーム内リンクや<img>タグによる埋め込みと同等の行為である」 「3.よって法の専門家の見解としても直リンクは合法とは言えない」……なのだそうです。
 私が例として引用した弁護士の見解には、「直リンクは合法だが、<img>タグによる埋め込みは違法となる可能性がある」 というものがありましたが、武三さんによるとこの見解も武三さんの主張を裏付けるものなのだそうです。

 四つ目。武三さんは、繰り返し直リンクは違法であると断定的に主張しながら、 この問題について『いろいろなところで議論されている』『通説がない』とも主張されていました。 いろいろなところで議論されていて通説がない問題なら、違法であるとは言い切れないと思うのですが。
 なお私の知る限りでは、法の専門家の間では直リンクが違法でないというのは通説であり、 これまでそのような議論を見た記憶はありません。 私はそういった議論の実例を挙げるよう武三さんに求めましたが、武三さんからの例示はありませんでした。

その他のありがちな誤解・矛盾

 その他にも、武三さんの主張にはいくつか、こういった議論で時折(或いは稀に)見かける単純な誤解・矛盾が含まれていました。 ここでは五つを挙げます。

「作者の意思が大切だ。なので、リンクする際には、リンク先サイトの注意書きに従うべきだ」という矛盾(武三さんのメール二回目より)
ワールドワイドウェブの作者は、リンクの自由をウェブに必要な原則として挙げています。作者の意思を尊重すべきであるなら、リンクの自由を認めざるを得ないでしょう。(参考:補遺1
著作権者に自分の著作物をコントロールできるようにするべきだ』と述べながら、「リンクする際には、リンク先サイトの注意書きに従うべきだ」という矛盾(同九回目より)
リンク先サイトの作者に自分のコンテンツをコントロールされてしまっては、『自分の著作物をコントロール』できません。
「無断リンクを禁止するのは表現の自由の否定だと主張しているのに,.htaccessなどによるアクセス規制は認めているのは矛盾している」という誤解(同九回目より)
無断リンクを禁止する』のは他者のサイト作成への干渉であり、表現の自由の否定です。『.htaccessなどによるアクセス規制』は自分のサイト作成の一部であり、他者のサイト作成には干渉しません。
リンクは自由というのは『一旦webへアップロードした以上ありとあらゆる使われ方を許容すべきだ』という考え方だ、という誤解(同九回目より)
誰も『許容すべきだ』等と言ってはいません。作者には、アクセス制限をする自由も、サイトの公開を停止する自由もあります。
「直リンクを合法だと説明する記事がいくつもあることが、この問題について議論があることの証明だ」という誤解 (同八回目より)
そういう記事がいくつもあるのは、他人のコンテンツをコントロールしたいという誘惑に駆られる人が多いからであって、違法かどうかに論争があるからではありません。 例えば無断リンクを合法だと説明する記事もいくつもありますが、無断リンクの合法性についても議論があることになるのでしょうか(ちなみに、武三さんも無断リンクが合法であることは認められていました)。 また、麻薬の使用や万引き、あるいはお年寄りに席を譲らないことを非難する人が多い場合、それはその問題について議論があることの証明になるのでしょうか。

第三章-武三さんとのメールの全文

 以下に、武三さんのとのメールのやりとりを、武三さんの了承の上で公開します。

 基本的に誤字脱字や改行位置も含めて双方のメールをそのまま公開しています。 そのため、このメール部分については誤字脱字の指摘を頂いても訂正できません。 ただし最低限のマークアップは施し、また、文末の挨拶や署名、公開の了承を得るくだりは省いています。
 また、武三さんはメールでは違う名前でやり取りしていましたが、ご本人の希望によりここでは武三に修正してあります。

武三さんからのメール第一回「無断リンクについて」

私は無断リンクは同一性保持権の観点から違法だと思います。

ホームページはその状態遷移の制御(つまりリンクによるページ移動)も含めて、全ページで1つの著作物であり、各ページごとで考えるべきではないと思います。

判例として、ゲームソフトでは、ゲームのプログラム自体を改変しなくても、セーブデータやその他のデータにより、ストーリー展開を改変することは違法と言う判例が最高裁で出ています(ときめきメモリアル事件など)。
例えば、A→B→Cと言うストーリのゲームをC→B→Aのように改変することは、違法です。

同様に、例えばa,b,cの3ページからなるホームページがa→b→cのようにリンクされているなら、それはあくまで「a→b→c」というひとつの著作物であり、それを勝手にdというページを作って、「d→a」などとするのは、同一性保持権の侵害だと思います。

こちらからのメール第一回「RE: 無断リンクについて」

武三様
初めまして。宇園まことです。
ご意見ありがとうございます。

まず、確認させて頂きたいことがあります。
今回のメールは『私は無断リンクは同一性保持権の観点から違法だと思います』という書き出しから始まっていますが、今回武三さんが述べておられるのは、無断リンク(リンクの断りの有無)の問題ではないように思えます。
今回のご意見は、無断リンクではなく直リンク(ディープリンク)についてのものかと思いますが、問題ないでしょうか。

さて、ここからが本題です。
武三さんは、ウェブページをゲームソフトに喩えておられますが、両者には大きな違いがあります。
ゲームソフトは一般的に(特に武三さんの挙げられた「ときめきメモリアル」は)、プレーヤーにある程度一定の順序で様々なシーンを見せること目的として作成されています。それに対し、ウェブページに使われているHTMLという言語は、読者が関連文書を容易に閲覧できることを作成されたものです。
従って、前者で自由が認められないから後者でも認められない、という理屈には無理があると言わざるを得ません。

武三さんは、『全ページで1つの著作物』だから特定の順番で閲覧されるように扱われなければ違法である、とお考えなのですよね。しかし、全体で一つの著作物だとしても、細かく分かれて販売・頒布されている場合、特定の順番で見るよう作者が受け手に強制することには無理があるのではないでしょうか。
たとえば、小説や漫画には数巻、あるいは数十巻にも分かれている作品があります。これらは全体で一つの著作物ではありますが、こういう作品を途中の巻から読むよう人に薦めることは同一性保持権を侵すことになるでしょうか? 無論、そうはならないでしょう。作者は巻を分けて販売することを認めた時点で、読者が作品を途中から入手することを認めており、すなわち作品を途中から読むことも認めていると考えるべきです。
ウェブページも同じでしょう。作者がページを分けた時点で、それは読者がどのページから入手し、読んでも良いと認められていると考えざるを得ません。それが嫌なら作者は、ページを分けずに作品を公開することも、HTML以外の(フラッシュなどの形式で)作品を公開することもできるのですから。

実際に武三さんの主張は、リンクに関して述べている法律の専門家の方々から見ても、まず受け入れられないものであるように思えます。

「明治大学法学部教授夏井高人のオフィシャル・ホームページ」(http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/)の「Information & Caution」(http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/Web_info.htm)より引用します。
----引用ここから----
また,リンク先が当該ホームページのトップ・ページでなければならないというようなルールは,合理性がありません。仮にこのようなルールに合理性があるとすれば,新聞,雑誌,学術論文を含めたすべての媒体上のすべての引用・参照や編集等が不可能となってしまう危険性があります。通常,新聞・雑誌やテレビ報道等で提供される情報は,ひとかたまりの情報のごく一部だけをつなぎあわせたり,1次情報の存在する場所への言及・参照等を含めたりして編集された2次的な情報です。したがって,このような任意のつなぎあわせや言及・参照等ができないとすれば,マスコミという産業それ自体が成立しなくなる危険性があります。また,学術論文においても,特定の著書や論文等の必要な箇所のみを引用・参照することは,伝統的に承認されたやり方となっております。引用・参照される論文の出典表示が必要である以外には,引用・参照された著述・論文の最初のページから引用・参照されなければならないというようなルールは存在しません。社会評論に属する著述等では,(その評論等に対する評価のよしあしは別として)出典表示さえ必要でないと考えられる場合も少なくありません。仮に
このような伝統的な引用・参照の方法が許されないとすれば,おそらく学術論文や評論等の大半が成立不可能となってしまいます。
----引用ここまで----

宮下弁護士の「ホームページの上での人物写真の利用とリンクについて」(http://www.imasy.or.jp/~ume/copyright-ml/inetmag/internet-magazine-1996-09.html)からも引用します。
----引用ここから----
「自分としては、トップページからアクセスしてもらって、次第にしたの階層のページを見てもらいたいのに、下の階層のページにリンクを張られてしまうと、トップページを飛ばして、いきなり下の階層のページにアクセスされるようになって困る」というようなものが考えられます。確かに、トップページに宣伝広告があり、トップページの宣伝広告が見てほしいからこそ、下の階層のページに魅力的なデータを置いてあるような場合には、そうした意見が出てくるのは理解できないではありません。しかし、そのような主観的な期待を、法的に保護すべき程度のものと言うべきかどうかは、かなり疑問があります。リンクを張るほうからするとリンク先のホームページ開設者がそのような期待を持っているのかどうか判別が困難であるし、リンクが張られていなければ利用者が実際にトップページからアクセスすることが保証されているわけでもないからです。
----引用ここまで----

また、IT関係の案件に強い弁護士として有名な紀藤氏による「弁護士紀藤正樹のLINC/リンクは自由か?」(http://homepage1.nifty.com/kito/mac90.htm)でもやはりリンクの自由が説かれており、法律の専門家から見てもリンクの自由はまず疑いのないものと見られています。

もっとも、直リンクが同一性保持権を侵す可能性について述べている人もいないわけではありません。牧野和夫氏は著書『2ちゃんねるで学ぶ著作権』で『本来、トップページから順に見ることを期待して作られていた場合、各ページは独立した著作物ではなく、サイト全体で著作物や集合著作物と考えられます。いきなり途中からみえるようにすることを、問題と考えることもできます。』と、曖昧ながらも同一性保持権の侵害の可能性について触れています。
そして、この解説は「ご冗談でしょう、牧野先生」(http://www.welcom.ne.jp/hideaki/hideaki/mrmakino.htm)で白田秀彰氏にその点についての説明不足を指摘されています。一部引用します。
----引用ここから----
ここで牧野先生は「トップページから順に見ることを期待して作られていた場合」と限定しているが、たいていの小説や映画は最初から順番に読むことを期待して作られているはず。でも、ミステリの最終ページだけ読んだり、映画DVDを飛ばし見したりすることを同一性保持権侵害というようなことは「常識的に考えておかしい」。ならば、Webサイトを好きな順番で見ても、一部分を抽出して見てもかまわないはず。そんなことを言い出したら、私たち一般のWebユーザーのほとんどが著作権法違反していることになる。著作権法というような特殊領域の法よりも、私たちが自由に情報にアクセスするという精神的自由を基本として考えるのが普通のはずだ。
----引用ここまで----

また、「ブログ著作権ガイド ディープリンクについての考察」(http://blogcopyrightguide.seesaa.net/article/4125141.html)でも、やはり直リンクが同一性保持権を侵す可能性について述べられています。
しかしここでも『このこと(直リンク)は、著作物の公正な利用と著作者の権利保護を図る著作権法の目的に反するものではないと考えられますが、インターネットにおける権利侵害についての具体的な法整備は整っていないために、(略)著作権法上の同一性保持権の侵害にあたるとの主張を否定し得ないとも解し得るのです』と、大変に曖昧な言い方をされており、このサイトでも事実上、同一性保持の侵害となる可能性はゼロではないがきわめて低い、と考えられているようです。
(尚、上記記事の著者のヤン・メイ氏は今回採り上げた中で唯一法律の専門家かどうか分からない方なのですが、この記事は以前リンクの自由について論じる人々の間で少し話題になったこともあり、紹介する価値があると判断しました。→http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blogcopyrightguide.seesaa.net/article/4125141.html

要するに、「直リンクが同一性保持権を侵していると認められる可能性はある」という専門家もいますが、そういう人でも「そう認められるとしてもそれは稀なケースであり、一般的には権利の侵害ではない」と考えているのです。

リンクの自由に対して特に否定的なサイトとしては新聞社のサイトが挙げられるでしょう。以前はそれらのサイトの多くが個別の記事へリンクすることを違法であるかのように述べていましたが、それらのサイトも大半が現在はそういう主張をしなくなっているようです。
新聞社のビジネスモデルからすれば、直リンク禁止は是非とも主張したいところなのでしょうが、それでも各新聞社の法務担当者としても「直リンクを違法とするのは無理だ」と判断せざるを得なかったのでしょう。

結論としては、直リンクが同一性保持を侵すという主張には、無理があると言わざるをえません。裁判には様々な要素が考慮されますから、特殊な事例では「侵害だ」という判決が下りないとは言い切れないかも知れませんが、一般的には問題ないと言って差し支えないのではないでしょうか。

武三さんからのメール第二回「RE: 無断リンクについて」

大変丁寧なお返事、ありがとうございます。

宇園様の主張に対しては、いくつか納得できない点がありましたが、一番大きな点は、

>者がページを分けた時点で、それは読者がどのページから入手し、読んでも良いと認められていると考えざるを得ません。
と言う一文です。

宇園様の主張については、もし作者が「何も言わなければ(記載してなければ)」そのとおりだと思います。

宇園様の言を借りれば、
>「作者は巻を分けて販売することを認めた時点で、読者が作品を途中から入手することを認めており、すなわち作品を途中から読むことも認めていると考えるべきです。」
>「作者がページを分けた点で、それは読者がどのページから入手し、読んでも良いと認められていると考えざるを得ません。」
と言った部分ですね。

私が言うのは作者が明示的にそれを禁止した場合の話です。これは前回のメールで、言及不足でしたので誤解されたかもしれません。 例えば「直リンク不可」「ディープリンク不可」「ページは順番どおり読んで下さい」などと書かれていれば、明らかに作者はそれらを禁止しているわけです。それにもかかわらず、htmlで発表しているのだから「暗黙の了解」で途中のページにリンクしてもいいだろうなどと考えるのはおかしいと思います。宇野様は小説や漫画の例を挙げていますが、あれは記載が何もないので暗黙の了解で分売を認めているだけです。実際、複数冊でも「分売不可」などとなっている本は数多くありますし、漫画でも勝手に1ページ1円などとばらして公に売れば違法です。

また、
>こういう作品を途中の巻から読むよう人に薦めることは同一性保持権を侵すことになるでしょうか?
と言う点についてですが、これは私的利用の範囲だからと言う点と、作品自体を改変していないという2点において適法と考えます。例えば、個人的なブックマークをはったり、自分がhtmlを勝手に最後から読んだり、友人に薦めるのはかまわないです。今回のいただいたメールにもいくつかリンクがありますがこれは不特定多数に対してのものではないので、問題ないと思います。しかし、それらと、リンクを張ったページのアップロードはまったく意味が異なります。不特定多数の人間に対して、改変した作品を提供すると言う意味合いにおいて、漫画をばらして売る例に相当すると思います。

引用されていた先生方の意見に対してですが、
明治大学法学部教授夏井高人の意見に関しては、少し的をはずしているように思います。

私は、引用に関しては別にかまわないと思っていますし、情報そのものには著作権ないので、情報の2次利用に関しては特に問題がないと思います。リンクに関しても、正当な引用ならば認められてもよいと思います。

宮下弁護士の意見ですがこれは理解できます。
>法的に保護すべき程度のものと言うべきかどうかは、かなり疑問があります。
これは、私は法的に保護すべきだと思います。
>開設者がそのような期待を持っているのかどうか判別が困難であるし
もともと私の主張は解説者が明示的に禁止している場合のものです。

紀藤弁護士の意見について。
>ミステリの最終ページだけ読んだり、映画DVDを飛ばし見したりすることを同一性保持権侵害というようなことは「常識的に考えておかしい」。
とありますが、ミステリの最終ページだけを売ったり、映画DVDの最後だけ売ったりすることは違法です。
紀藤弁護士の意見には、不特定多数に対して提供しているという観点が抜けてているのではないのでしょうか。
牧野和夫氏の意見はおそらく私の意見と近いと思います。

「ブログ著作権ガイド ディープリンクについての考察」ですが、
かなり私の主張と近いです。この文を読んで、なぜ
>このサイトでも事実上、同一性保持の侵害となる可能性はゼロではないがきわめて低い、と考えられているようです。
と言う結論になるのかわかりません。このページに
>個人的には、公表された情報について、それがどこ(どの階層)にあるものであっても、直接リンクを張ることを拒むのは、インターネット上に情報を提供するということの認識に反するのではないかと思います。

とありますが、結局この部分の考え方の違いですね。私は作者が「ディープリンク禁止」と言えばそれが作者の意思であると思います。

そもそも技術的な面が、著作物及び著作者の意思というものをどこまで拘束するのでしょうか?

同じリンクでも、フレームリンクは同一性保持権から禁止としている例がありますが、あれは結局1つのページで1つの作品と考えているからです。しかし、どれだけでひとつの作品かは作者が決めるものであり、例えば全ページでひとつの作品だと作者が主張するなら、当然一部分のページへのリンクは違法です。宇園様は、フラッシュなどで公開すればいいと言われましたが、仮にフラッシュで5ページの作品を1つのファイルとして公開したとしても、3ページ目だけを表示するような仕組みを不特定多数の人に提供することは可能です。その場合宇園様は著作権侵害だと思いますか?ほかにもニコニコ動画(YouTubeを利用していた場合の話です)のようなものもありますが、あれは同一性保持権に違反しないと思いますか?
技術的に可能(またはたやすくできる)かどうかは関係ないと思います。

リンクの件にしても、つまるところインターネットというところは自由だから、そこにアップロードした以上自由に使われることは当然だし、また作者もそれを了解している「はずだ」という考え方が根本ににあるのでしょうが、これは非常に危険であると思います。もうすこし作者の意思というものも反映される仕組みが合ってもいいのではないかと思っています。

長々と書きましたが、法整備が不十分であるのも確かですし、判例が十分でないという意見も理解できます。前回私があえてゲームでの判例を出したのは、あの判決は製作者の意思を汲み取ったと言う点で非常に深い意味があると考えたからです。

こちらからのメール第二回「RE: 無断リンクについて」

武三様
宇園まことです。返信が遅くなりまして、申し訳ありません。

ご意見を興味深く読ませて頂きました。
以下に武三様の文章を引用しながら、私の考えを述べさせて頂きます。

----引用ここから----
例えば「直リンク不可」「ディープリンク不可」「ページは順番どおり読んで下さい」などと書かれていれば、明らかに作者はそれらを禁止しているわけです。それにもかかわらず、htmlで発表しているのだから「暗黙の了解」で途中のページにリンクしてもいいだろうなどと考えるのはおかしいと思います。宇野様は小説や漫画の例を挙げていますが、あれは記載が何もないので暗黙の了解で分売を認めているだけです。実際、複数冊でも「分売不可」などとなっている本は数多くありますし、漫画でも勝手に1ページ1円などとばらして公に売れば違法です。
----引用ここまで----
----引用ここから----
不特定多数の人間に対して、改変した作品を提供すると言う意味合いにおいて、(直リンクは)漫画をばらして売る例に相当すると思います。
----引用ここまで----
----引用ここから----
どれだけでひとつの作品かは作者が決めるものであり、例えば全ページでひとつの作品だと作者が主張するなら、当然一部分のページへのリンクは違法です。
----引用ここまで----

疑問点と問題点を挙げさせて頂きます。
1、武三様は著作者のあらゆる要望は著作権法で保護されるべきとお考えなのでしょうか?
2、ウェブページの場合は、作者が自ら作品を切り分けてサーバにファイルを置いているわけですから、本屋が勝手にページごとにばらして売るのとは違うのではないでしょうか?

まず、1について。武三様は「作者の要望に従っていないから違法だ」という主張を繰り返されていますが、なぜそう思われるのか私には理解できません。
武三様はときめきメモリアル裁判を例に挙げられましたが、著作権に関する裁判が必ずしも著作権者の勝利に終わるわけではないこともまたご存知かと思います。要するに、著作権法は作者の権利を制限しているわけです。武三様は『前回私があえてゲームでの判例を出したのは、あの判決は製作者の意思を汲み取ったと言う点で非常に深い意味があると考えたからです』と述べておられますが、何故そこまで作者の意思を重視されるのでしょうか?

次に2について。HTMLは、そもそも各ファイルが独立した存在だという考え方で作られており、であるからこそHTMLは全ページの<head>要素に署名と作者のメールアドレスを記載する規格になっているのです。(何故かHTHL4.01でのみこの規格が抜け落ちているようですが。)また、一般的に<address>要素によって全ページに署名をすることも推奨されてされています。

「正しいHTMLのための若干の知識 -- ごく簡単なHTMLの説明」(http://www.kanzaki.com/docs/html/htminfo15.html#S16)より引用します。
----引用ここから----
誰が書いたかわからない文書というのは、ちょっと不気味なものです。会社で無記名のレポートを受け取ったら、きちんとした内容に見えても「ひょっとすると怪文書?」と、まともに取り上げないでしょう。文責を明記するのは、パブリックな文書では最低限のマナーです。
普通のレポートなら表紙に作者を明記すれば十分ですが、オンライン文書の場合は若干事情が異なります。通常の文書と違い、ウェブのページはどんな順序で読まれるか、どこから参照されるか予測できません。検索サイトの結果はサイトの目次ページがヒットしているとは限らず、ここからやってくる人は、一連の文書の途中から読み始めることもあります。そのため、オンライン文書はすべてのページ(ファイル)に署名しておくべきなのです。
----引用ここまで----

と言うか、こうして規格で定めるまでもなく、そもそも実際にいくつかのウェブコンテンツを見ればどのページも独立した存在であることが大半のコンテンツ制作者には直感的にわかるはずです。こういう媒体で作品を公開するなら、どのページから見られてもなるべく問題がないような形で作品を公開するのがむしろ著作者としての責任なのではないでしょうか。その責任を果たす気のない著作者が同一性保持の侵害だなだと主張することには、私は全く説得力を感じることができません。

武三様の主張は、「作者が全体で一つの作品だと主張した場合は、別々に販売・頒布されている作品であっても、作者の希望通りの順番で見られるように紹介しないと違法である」と考えてよいのかと思います。
であるならば、後書きに「この本は必ず一巻から順に読んでください」と書いてある数巻に分かれた小説を、評論家が「一巻はそれほどでもないが二巻からは素晴らしい。買うなら二巻からが良い」と評論したら同一性保持の侵害で処罰されるべきかと思えますが、あっているでしょうか?

次に、個別のご意見への私の考えや感想です。

----引用ここから----
宇園様は、フラッシュなどで公開すればいいと言われましたが、仮にフラッシュで5ページの作品を1つのファイルとして公開したとしても、3ページ目だけを表示するような仕組みを不特定多数の人に提供することは可能です。その場合宇園様は著作権侵害だと思いますか?
----引用ここまで----
ここは意味がよくわかりませんでした。フラッシュが途中から表示されるような形でリンクすることができる、ということなのでしょうか?

----引用ここから----
ほかにもニコニコ動画(YouTubeを利用していた場合の話です)のようなものもありますが、あれは同一性保持権に違反しないと思いますか?
----引用ここまで----
私は拙稿でHTMLファイルへのリンクについてしか扱っていませんので、それは今回の議論に関係ないですよね。それに関する私の見解を述べようとすると論点が拡散して収集がつかなくなると思われますので、それに関してはノーコメントとさせて頂きます。

----引用ここから----
技術的に可能(またはたやすくできる)かどうかは関係ないと思います。
----引用ここまで----
それはその通りです。問題は、他にも媒体があるのに、わざわざ技術的に特定の箇所を容易に読めるようにした媒体を用いて作品を公開したという点にあるのではないでしょうか。
例えば、コンサートに行けば一回の演奏で聴けるのは一曲のみです。一回しか演奏されていない曲を何度も聴くことはできません。しかし、CDを買えば一回しか演奏されていない曲を何度も聴くことができます。音楽家は、一回の演奏で一度しか音楽を聞いて欲しくないならCDを販売するべきではありません。コンサートだけ開いていればいいのです。もしも一回の演奏で一度しか聞いて欲しくない音楽家でも、CDの形で音楽を売ればそれは何度でも聴いていいと了承していると見るべきでしょう。たとえ、CDの説明書に「このCDの曲は一度しか聴かないで下さい。もう一度聴きたい場合は新たに同じCDを買ってください」と書いてあっても、それに従うべきとは言えません。
音楽家は、「コンサートでは限られた人にしか音楽を聴いてもらえない、だからCDを出したんだ。CDだと何回でも同じ曲を聴けるなんて知らなかったんだ」と言うかも知れません。しかし、そんな言い訳が通るわけがないでしょう。

ちなみに、今回のケースでは関係ありませんが、技術的に可能だから法的に許されるということも時にはあるかと思います。例えば、偽札作りが違法なのは、本物と見分けの付かない札が政府以外には誰にも技術的に作れないからです。もしも政府が誰でも作れる札と同じものしか作れないなら、政府は偽札作りを禁じた法律を廃止しなければならないでしょう。また、もしも誰が何をコピーしたのか絶対に分からない(Winnyの超進化版のような)ファイル交換ソフトが生まれたなら、少なくとも政府はファイル交換ソフトによるコピーは合法と認めざるを得ないでしょう。(尚、私はWinnyやWinMX等、ファイル交換ソフトは一切使ったことがありません。その点は誤解のないようお願いします。)

----引用ここから----
そもそも技術的な面が、著作物及び著作者の意思というものをどこまで拘束するのでしょうか?
----引用ここまで----
著作物を拘束するという話はここではおき、著作者の意思の拘束についてのみ述べます。著作者の意思が尊重されなかったからと言って、著作者の意思が拘束されることにはなりません。いくら直リンクされても、作者には直リンクされたくないと思うことができるのですから。政治家になりたい人が選挙で落選したからといって、その人の政治家になりたいという意思が拘束されるわけではないでしょう。
そして何より、上でも述べましたが、著作者の意思が常に尊重されなければならない理由が不明です。著作者の意思が常に尊重されるべきということになれば、著作物の利用者の行動は現実に拘束されますが、それは問題視しなくて良いのでしょうか?

また、そもそも武三様のご意見は、前提からして逆ではないでしょうか。何度も述べていますが、ハイパーテキストという技術は、それまでの「いちいち関連文書を探すのが大変だ」という拘束を取り払うために生まれたのです。「他人の文書に簡単に関連付けされるのが嫌だ」という作者はハイパーテキスト以外の媒体で作品を公開すればいいだけのことでしょう。これを『拘束』と捉えるのは適切ではないと考えるのですが。

また、武三様は作者の意思が大切だと述べておられますが、にも関わらずワールドワイドウェブのHTTP(Hypertext Transfer Protocol)やHTML(Hypertext Markup Language)の作者の意思を『拘束』などと呼び、軽視しておられます。これは整合性を欠く姿勢のように私には思えます。(→補遺1

----引用ここから----
リンクの件にしても、つまるところインターネットというところは自由だから、そこにアップロードした以上自由に使われることは当然だし、また作者もそれを了解している「はずだ」という考え方が根本ににあるのでしょうが(略)
----引用ここまで----
法解釈上はそのようになるかと思いますが、それが根底にある考え方だというのは正しくないと考えます。私としては、拙稿「誤解の理解-何故リンクが自由なのか」(http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/column/blank.htm)で述べたように、リンクが自由でなくなれば多くの人が無責任な、あるいは違法なコンテンツを作成するようになり危険だから、「リンクは自由」と多くの人が考えているのだと捉えています。

また、専門家の見解へのご意見についてですが。
まず、前回のメールで引用・紹介した直リンクを肯定する専門家の意見の中には、私が必ずしも同意していない部分もありましたが、いちいち論評することなく採り上げてしまいました。これは完全に私の手抜きであり、申し訳ありませんでした(→補遺2)。混乱を避けるため、以後のやり取りでは紹介した意見は扱うのを中止させて頂きたいと思います。(武三様が指摘された専門家の見解への批判には同意する部分もあります、と述べるに留めます。)

ただ、専門家の見解へのご意見から、武三様の考え方が一つ分かりました。
武三様は、ウェブ以外の媒体で文章を引用した際に「書籍BのP.35より」などと出典を示すことは問題ないとお考えなのですね。しかし、ウェブで同様の引用をして出典を示した際にハイパーリンクをすると違法になると、そうお考えなのですよね。しかし、これらを区別する意義が私にはわかりません。
ウェブ以外の場で「書籍BのP.35より」という形で参照され、読者が「原典にあたってみよう」と考えた場合、その読者はほとんどの場合Bを手にしてページ数だけを視界に入れながら「えっと、35ページ、35ページ……あった。どれどれ……」という感じで引用元を確認するでしょう。ここで起こっていることは、ウェブで直リンクされた場合と実質的に同じです。(繰り返し述べたように、このように文書同士を容易に関連付けられることを意図してハイパーテキストは作られたわけですが。)実質的に同じことが起こっているのに、なぜ一方は良くて一方がダメなのでしょうか。
おそらく、武三様はウェブで直リンクするといきなり途中から見えてしまうから違法で、ウェブ以外ではいきなり途中から見えるわけではないから合法だ、とお考えなのかと思います。しかし、文献が直リンクで途中から表示された場合でも、途中から読み始めるのは文献を紹介された人の意思なのではないでしょうか。もし文献を直リンクで紹介されても、紹介された側は希望すれば容易にその文献を最初から読めるのですから、特にこれらを区別する意味はないのではないでしょうか。(音楽や映画なら受動的に見聞きできるので、途中から流れるような形で紹介することには問題が発生する可能性はあるかと思いますが。)
また現実的にも、直リンクを違法とすることで作者の意思が守れるようには思えません。恐らく、武三様は直リンクをする代わりにトップページにリンクして「このサイトの小説→小説C→第二章とクリックして下さい」などと紹介するべきだ、とお考えなのかと思います。しかし、この時リンク先を確認しようとする人は恐らく大半がわき目もふらずにその通りにクリックして、その部分だけを見ようとするでしょう。この場合結局、リンクを辿る手間が増えるだけなのではないでしょうか。

武三さんからのメール第三回「RE: 無断リンクについて」

宇園様の疑問について,

>1、武三様は著作者のあらゆる要望は著作権法で保護されるべきとお考えなのでしょうか?

原則としてはそのとおりです.著作権は作者が独占的に保持している権利です.最も一般的な例は,著作者の要望(条件)は対価で,要するにお金を払えば利用を許諾するというものです.しかし,別にその条件が金銭である必要性はなく,どんな条件を設定するかは原則作者の自由です.(もちろんそれが犯罪だったり,不可能な条件だったり,例外はあります).
著作権法が作者の権利を制限していると言うのは明確に間違いです.著作権は,著作物(ここで言う著作物とは,例えば本やCDなどのことです)を所有している人の所有権を制限するものです.
元来所有権は非常に強力な権利で,所有物をどうするかは所有者の自由でした.しかし,本などの著作物は自由に利用されてしまうと著作者にとって非常に都合が悪いので,その所有者の権利を制限する権利を与えたものが,著作権です.ただし,近年では著作物が物理的な「物」ではない場合もあります.

著作権者と著作物の所有者(利用者)の争点は,その利用法が著作権法による制限事項に該当するか否かという点になります.

>何故そこまで作者の意思を重視されるのでしょうか?
著作者には著作権があるからです.その利用条件は,著作者が自由に設定できます.

>次に2について。HTMLは、そもそも各ファイルが独立した存在だという考え方で作られており・・・

以前も書きましたが,どのような手段で・技術で・媒体では問題になりません.著作物をwebで発表しようが,本で売ろうが,はたまたCDで売ろうがそれは関係のないことです,宇園様は,CDとコンサートの例を挙げていましたが,CDを聞くと言う行為は私的利用ですから,著作権法の対象外です.しかし,「公衆に対して」と言う観点で考えれば「一度だけ再生」という条件は有効です.要するに店舗での再生や放送などですね.著作者は,例えば,「店舗で一度だけ再生可能なCD」を販売できます.(実務上は,CDの販売と,再生の許諾は分けて処理されていますが)

>「他人の文書に簡単に関連付けされるのが嫌だ」という作者はハイパーテキスト以外の媒体で作品を公開すればいいだけ
これもおかしいです.コピーされたくなかったらCDで売らずに,コピーされない方法で売れと言っているのに等しいでしょう.

ところで宇園様の論理だと,画像や音楽ファイルへのリンクも,作者が自ら作品を切り分けてサーバにファイルを置いているわけだから自由だ,ということになると思うのですが,あっていますか?もし違うとすれば,それはなぜですか?

紹介・評論・引用等について
>評論家が「一巻はそれほどでもないが二巻からは素晴らしい・・・・・
> 武三様は、ウェブ以外の媒体で文章を引用した際に「書籍BのP.35より」などと出典を示すことは問題ないとお考えなのですね。

そもそも,私は,紹介・評論・引用といった行為と,リンクは同一ではないと考えます.ここは重要な認識の違いでしょう.もちろんリンクが,紹介・評論・引用といった行為である場合も中にはあるでしょう.引用については,著作権法の例外規定ですので,これに該当するようなリンクの場合は合法ということになります.なので,
>ウェブで同様の引用をして出典を示した際にハイパーリンクをすると違法になると、そうお考えなのですよね。
の回答は,合法の場合もある,ということになります.
評論家の論評と,リンクを張ることは同一ではないので,
>評論家が「一巻はそれほどでもないが二巻からは素晴らしい。買うなら二巻からが良い」と評論したら・・・
と言う事例は,評論は処罰の対象外であると考えます.

ところで,「誤解の理解-何故リンクが自由なのか」
http://park5.wakwak.com/~tana ka02b/column/blank.htm)を拝見しましたが,
「リンクが自由でなくなれば多くの人が無責任な、あるいは違法なコンテンツを作成するようになり危険だから」というような意見は読み取れなかったのですが???また,無責任・または違法なコンテンツが増え危険だからリンクは自由などと多くの人が考えているとはとても思えないです.

技術的に可能だから法的に許される偽札作りのお話は,なかなか興味深く,面白かったです.ただ現実的にはどうだろうなぁという気はします.

こちらからのメール第三回「RE: 無断リンクについて」

武三様
ご意見ありがとうございます。宇園まことです。

----引用ここから----
著作権は作者が独占的に保持している権利です.最も一般的な例は,著作者の要望(条件)は対価で,要するにお金を払えば利用を許諾するというものです.しかし,別にその条件が金銭である必要性はなく,どんな条件を設定するかは原則作者の自由です.
----引用ここまで----
著作権法における「利用」とは、複製、上演、演奏、貸与、翻訳等を指す言葉です。リンクは作品が公開されている場所を示しているに過ぎず、著作権法上で言う作品の「利用」ではありません。(引用は著作者の権利の及ばない作品の利用法とも言え、引用に付随してリンクがされている場合その引用部分は作品の利用とも言えるでしょうが。)
著作権は強力な権利ですが、それによって「著作物の利用ではない行為」を制限することはまず無理です。

----引用ここから----
著作権法が作者の権利を制限していると言うのは明確に間違いです.著作権は,著作物(ここで言う著作物とは,例えば本やCDなどのことです)を所有している人の所有権を制限するものです.
----引用ここまで----

武三様ご自身もこのすぐ後で『著作権法による制限事項』と言われているのに、何故『著作権法が作者の権利を制限していると言うのは明確に間違い』とされてしまうのか理解できません。著作権法が時には作者の権利を制限していることは明白ではありませんか。

----引用ここから----
そもそも,私は,紹介・評論・引用といった行為と,リンクは同一ではないと考えます.ここは重要な認識の違いでしょう.もちろんリンクが,紹介・評論・引用といった行為である場合も中にはあるでしょう.引用については,著作権法の例外規定ですので,これに該当するようなリンクの場合は合法ということになります.
----引用ここまで----
『紹介・評論・引用といった行為と,リンクは同一ではない』という認識には同意します。ウェブにおけるリンクは、作品がどこで公開されているかを示すものです。
『もちろんリンクが,紹介・評論・引用といった行為である場合も中にはあるでしょう.』というのは正しくないでしょう。リンクが紹介・評論・引用等に付随して行われている場合もありますが、リンクそれ自体は一般的には紹介・評論・引用等ではありません(リンクは作品がある場所を紹介している、という意味では「リンクは紹介である」と言えなくもないですが、そういう話をしているのではありませんよね)。

----引用ここから----
評論家の論評と,リンクを張ることは同一ではないので,
>評論家が「一巻はそれほどでもないが二巻からは素晴らしい。買うなら二巻からが良い」と評論したら・・・
と言う事例は,評論は処罰の対象外であると考えます.
----引用ここまで----
評論家の場合についてですが。評論それ自体はリンクと同一ではないというのはその通りです。ただし、評論に際して作品名・作者名・出版社・巻数など、あるいはISBNなどを記載して読者に作品を入手する道筋を与えてあれば、その部分はリンクと同一でしょう。

----引用ここから----
ところで,「誤解の理解-何故リンクが自由なのか」
http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/column/blank.htm)を拝見しましたが,
「リンクが自由でなくなれば多くの人が無責任な、あるいは違法なコンテンツを作成するようになり危険だから」というような意見は読み取れなかったのですが???
----引用ここまで----
それは残念です。下記の部分辺りはそうは読めなかったでしょうか?
----引用ここから----
 表現の自由は人々の様々な権利を守るための最も重要な権利とされており、それゆえに多くの人がその権利を行使し、また多くの人がその恩恵を受けています。それがなかったということになれば、上で紹介したような様々な問題が起こる可能性は大いにあります。  確かにいかなる権利でも制限を受けることはあり、それは表現の自由といえども例外ではありません。しかし、表現の自由を安易に否定すれば、それは言わば一種の魔女狩りにつながる恐れがあります。だからこそ人々は表現の自由が侵されるかも知れない法律を激しく批判するのですし、リンクの自由をたやすく明け渡したりもしないのだと考えます。
----引用ここまで----
如何でしょうか。

----引用ここから----
また,無責任・または違法なコンテンツが増え危険だからリンクは自由などと多くの人が考えているとはとても思えないです.
----引用ここまで----
確かに、明確に自分の認識を理解できている人はあまりいないとは思います。人間は、自分の感情がなぜ発生しどのように作用しているのかはなかなか理解できないものですので。

ただ、私の『リンクが自由でなくなれば(略)危険だから、「リンクは自由」と多くの人が考えているのだと捉えています』という言い方は端折りすぎた感はありますし、ここで私の考え方をもう少し詳しく述べたいと思います。
例えば、多くの人は基本的に殺人や窃盗に嫌悪感を持っています。この嫌悪感の元にあるのは、そういう行為が容認されれば社会が混乱し、ひいては自分の損になる、といった恐怖でしょう。ほとんどの人がそれらの行為が認められたら現実にどうなるのかを明確には想像できないとしても、多くの人は無意識にその悪影響に恐怖を感じているのです。世の中には逆に殺人や窃盗は認められたほうが社会はよくなると考える人もいるかも知れませんが、そういう人は嫌殺人派、嫌窃盗派の人々からは秩序を軽んじる身勝手な人と思われるでしょう。
同様に現在の社会では、無断リンク禁止/直リンク禁止といった主張は認められないという考え方が一般的になっています。これは、無断リンク禁止権や直リンク禁止権が認められることによる社会への、ひいては自分への悪影響を多くの人が無意識に恐れ、そういう主張に嫌悪を感じるからだと私は考えているわけです(但し、これが社会全体の多数決の結果ではない可能性はあります)。恐らく多くの人にとっては、「無断リンク禁止/直リンク禁止」といった主張をする人は秩序を軽んじる身勝手な人に思えているのでしょう。
ただ逆に、無断リンク/直リンクといった行為に嫌悪感に感じる人も現実にいるわけです。どうやらそういった人々もまた、無断リンク/直リンクが社会に(ひいては自分に)及ぼす悪影響を危惧し、無断リンク/直リンクを肯定する人を秩序を軽んじる身勝手な人と捉えているようです。
……いや、全ての人がこのどちらかだとは言いませんが、無断リンク/直リンクを巡る対立にはある程度このような背景がある、そう私は考えているわけです。
少数派だから間違っている、と主張するつもりはありません。無断リンク禁止権/直リンク禁止権を認めた方が人々の利益になるのか、ならないのか究極的には分かりようがないのですから。それは、殺人権や窃盗権を認めたほうが良いのか、認めないほうが良いのかは究極的には証明不可能であるのと同じです。ただ、リンクの自由を巡る対立というのは根本的には価値観の対立であり、(恐らく武三様がお考えのように)秩序を重んじる姿勢と秩序を軽んじる姿勢の対立ではない、そう考えるのです。
こういった認識の違いについては、拙稿「リンクについての雑多な記事」の「価値観論争の前に」(http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/column/short.htm#before)でも述べましたので、そちらもご覧頂ければ幸いです。

あと、もしかすると武三様は「直リンクされるのを不快に思うのは人間の自然な感覚なので、保護されるべきだ」とお考えなのかも知れないと感じました(これまでに何度かそういった考えの方を目にしましたので)。もしそうなのでしたら、その考え方への反論は提示可能です。

あと念のため、正確には殺人は禁止されていない、という説明は不要ですのでご承知下さい。

武三さんからのメール第四回「RE: 無断リンクについて」

著作権法上の根拠として,同一性保持権を挙げました.

1.リンクは,著作者の同一性保持権を侵害する.
2.よってリンクを行うためには作者の同意が必要
3.何も記載がなければ暗黙の了解事項としてリンク可.しかし,条件が付いていればそれに従う必要がある.

という流れです.
同一性保持権は,著作者の意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利です.
私は,リンクは著作物の改変にあたるので,著作者の意に反したリンク(改変)はできないと考えます.

なぜかは,以前のメールにも書きましたが,つまるところ全体でひとつの著作物なので,一部のみを表示するようなリンクは違法であると言う考えです.
(ただし,どれだけでひとつの著作物とするかは,著作者次第でもあるので,1ページで1つの著作物であってもよい)

>評論に際して作品名・作者名・出版社・巻数など、あるいはISBNなどを記載して読者に作品を入手する道筋を与えてあれば、その部分はリンクと同一でしょう。

私の考えは,「同一ではない」です.ただ,リンクをそのように使うことも可能です.

リンク禁止が表現の自由の侵害になると言う意見は賛成できません.自分が意見を発表することはまったく自由にできます.

私は将来的には,著作権に利用権を盛り込むことも必要と考えます.

旧来の著作権法は,要するに「禁止事項」の一覧表でした.昔の著作権法では複製権で複製さえ禁止しておけばそれで事足りたのです.ところが技術の進歩に伴ってさまざまなことが可能になると,それにあわせて上映権だとか公衆送信権だとか,だんだん禁止事項が増えてきたのです.はっきり言って技術の進歩に著作権法の整備が追いつかないため,今までの方針を転換して,利用権を導入し著作物の利用そのものを著作権とするべきだと思います.ただ,その場合著作物の利用者の権利も同時に明文として保障される必要があるとは思います.

こちらからのメール第四回「RE: 無断リンクについて」

武三様
ご意見ありがとうございます。宇園まことです。

武三様がまとめに入ろうとしているようなので、私も考え方をまとめてみます。

----引用ここから----
1.リンクは,著作者の同一性保持権を侵害する.
(略)
同一性保持権は,著作者の意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利です.
私は,リンクは著作物の改変にあたるので,著作者の意に反したリンク(改変)はできないと考えます.

なぜかは,以前のメールにも書きましたが,つまるところ全体でひとつの著作物なので,一部のみを表示するようなリンクは違法であると言う考えです.
----引用ここまで----
以前も述べたとおり、私としてはその考え方には同意できません。
・リンクは作品が公開されている場所を示しているだけであり、作品を切除・改変してはいません。
・著作権法上、作者が作品の利用方法を決められるというのはその通りですが、著作権法で言う利用とは、作品の複製や上演などです。
・一般の印刷物でも作品を紹介する側が特定の部分を示せば、示された側はその部分のみを見ることができます。またウェブでも、そのような示し方をされても示された側はその作品を初めから読むこともできます。ウェブでも一般の印刷物でもその点に違いはありません。確かにウェブサイトの作者が作品の途中を読むようなリンクをされるのを嫌がることはあります。しかしそれを言うなら、一般の印刷物の作者もまた途中から読むような薦められ方を嫌がることもあります。ウェブ媒体で作品を発表した作者のみが保護されるべきだとは言えないと考えます。

----引用ここから----
リンク禁止が表現の自由の侵害になると言う意見は賛成できません.自分が意見を発表することはまったく自由にできます.
----引用ここまで----
著作物の利用を、私なりの基準で4つの段階に分けてみます。
1……重大な利用。複製、上演など。著作権法上、作者の許可が必要。
2……中度の利用。引用、教育目的の複製など。著作権法上、条件を満たせば自由に行える。
3……軽度の利用。評論、紹介など。著作権法上の制限はなく、自由に行える。
4……一般的には利用とすら言えないもの。購入した作品を私的に読む、作品が公開されている場所を示すことなど。自由に行える。

私はリンク自体は4であり、著作権法上の制約は受けないし、受けてはならないものと考えます。武三様は『リンク禁止が表現の自由の侵害になると言う意見は賛成できません.自分が意見を発表することはまったく自由にできます』と仰いましたが、4が許可制になれば表現の自由が存在しなくなることには同意して頂けるかと思います。ただ武三様は、リンクによって作品が公開されている場所を示すことは重大な利用(上記の1?)だと考えているというのが私と違うのではないでしょうか。

ところで、私は武三様のご意見を『私は無断リンクは同一性保持権の観点から違法だと思います。』といった説明から、「作者の許可がない直リンクは基本的に違法である」というものだと認識していたのですが、違うような気もしてきました。
武三様のご意見に近いのは、下記のうちどれでしょうか。
A、作者の許可がない直リンクは基本的に違法である
B、作者の許可がない直リンクには時として違法であるものもある
C、作者の許可がない直リンクは基本的に違法とされるべきだが、現状では法整備が追いついていない
D、作者の許可がない直リンクには時として違法とされるべきものもあるが、現状では法整備が追いついていない

武三さんからのメール第五回「RE: 無断リンクについて」

まず,
>リンクは作品が公開されている場所を示しているだけであり
、作品を切除・改変してはいません。

という部分ですが,「リンクは"作品"の場所を示すものではあ
りません.」

web上にある,ほとんどのホームページは,複数のファイルで
構成されていると思います.それはhtmlファイルやjpegであっ
たり,音楽や,他にもいろいろなファイルがあるでしょう.ホ
ームページはこれらを組み合わせて構成されており,ファイル
は"作品"のパーツに過ぎません.

リンクは,あくまでファイル(パーツ)の位置を指し示すので
あって,"作品"を指し示すものではありません.

利用の段階について.
宇園様の基準は正直よくわからないのですが,私の考えとして
は,

1,公的利用
2.私的利用

の2種類だけです.公的利用は作者の許諾が必要(ただし引用
など一部例外あり)
私的利用は自由と考えます.
(注:ただしこの考えは日本の著作権法と一部反する点もあり
ます)

>4が許可制になれば表現の自由が存在しなくなることには同
意して頂けるかと思います。

とありますが,なぜそういう結論になるのか理由が示されてい
ないのでよくわかりません.

最後の質問ですが,回答は
A、作者の許可がない直リンクは基本的に違法である
です.

ただし,特に記載がなければhtmlへのリンクは作者の許可があ
るものとして扱います.

こちらからのメール第五回「RE: 無断リンクについて」

武三様
ご意見ありがとうございます。宇園まことです。
全然まとめに入ってはいなかったようなので、いろいろ書いてみます。

----引用ここから----
ただし,特に記載がなければhtmlへのリンクは作者の許可があ
るものとして扱います.
----引用ここまで----
武三様は繰り返しこの点を述べておられますが、私もずっと武三様のこの考え方を前提とした話をしています。以後も私は「○○という行為は問題なのでしょうか」といった言い方をしますが、これは「作者が○○禁止という主張をしている場合、特にその許可なしで○○をすることは法的に問題なのでしょうか」という意味だとお考え頂ければと思います。

----引用ここから----
まず,
>リンクは作品が公開されている場所を示しているだけであり
、作品を切除・改変してはいません。

という部分ですが,「リンクは"作品"の場所を示すものではあ
りません.」
(略)
リンクは,あくまでファイル(パーツ)の位置を指し示すので
あって,"作品"を指し示すものではありません.
----引用ここまで----
何をおっしゃりたいのかよく分かりません。
作品の位置を示すのは合法だが、作品のパーツの位置を示すのは作品の改変であり違法である、ということでしょうか。直リンクは作品のパーツの位置を示しているというのは確かにその通りですが、なぜパーツの位置を示すのが作品の改変になるのか分かりません。例えば、「○○社から出版されている××氏の△△という本の2巻」と本に書いた場合、これは作品ではなくパーツを示す行為ですが、これは作者が禁止を謳っている場合には違法行為なのでしょうか。

なお、この点については以前のメールで同様の質問をしたのは覚えています。その時、武三様はこう述べられました。
----引用ここから----
>評論家が「一巻はそれほどでもないが二巻からは素晴らしい。買うなら二巻からが良い」と評論したら・・・
と言う事例は,評論は処罰の対象外であると考えます.
----引用ここまで----
この考え方の問題点と疑問点を挙げさせて頂きます。
まず、評論に特例が与えられることは著作権法上明白ではありません。武三様が主張されている同一性保持権は著作人格権に属する、作者の人格的・感情的側面を保護するための権利です。そして「一巻はそれほどでもないが二巻からは素晴らしい。買うなら二巻からが良い」という評論は充分に作者の感情を害しうるものです。ならばこの評論は武三様の考え方からすれば充分に処罰対象とされるべきと思えるのですが、なぜここでは『処罰の対象外』という結論になるのでしょうか。(著作権法は、批評については引用の項で触れていますが、これは批評等を行う際の引用の権利について述べたものであり、批評の権利について述べたものではありません。また、「一般的な慣習だから評論はOK」という理由でしたら、トップページ以外へのリンクも充分に一般的な慣習と言えるでしょう。) また、評論以外で作品のパーツを示す場合もあるかと思いますが、それは問題なのでしょうか。例えば、著名人のインタビュー記事に「Q.最近面白かった本はありましたか?-A.△△の2巻」とあったら、これは評論ではないので違法でしょうか? あるいは、書籍の巻末の参考文献リストの中にに「△△の2巻」とあり、書籍の本文中には特にこの本についての記述がなかったとしたら、これは違法なのでしょうか?

----引用ここから----
宇園様の基準は正直よくわからないのですが,私の考えとして
は,

1,公的利用
2.私的利用

の2種類だけです.公的利用は作者の許諾が必要(ただし引用
など一部例外あり)
私的利用は自由と考えます.
----引用ここまで----
私には、それこそよく分からないのですが……。
例えば、我々のやりとりでも登場している「評論」は作品の私的利用とは思えませんが、武三様の考え方からいうと公的利用となるのでしょうか? だとすると、評論には作者の許可が必要と思えますが、どのような根拠から武三様は『評論は処罰の対象外であると考えます』と述べられたのでしょうか? 評論が私的利用だとしたら、なぜそう分類できるのでしょうか?
ちなみに、私はこういった武三様の考え方に、著作権を自然権と見なす立場に近いものを感じたのですが、もしかするとあっているでしょうか。

----引用ここから----
>4が許可制になれば表現の自由が存在しなくなることには同
意して頂けるかと思います。

とありますが,なぜそういう結論になるのか理由が示されてい
ないのでよくわかりません.
----引用ここまで----
作品の特定の箇所を示すことが許可制になれば、例えば新聞や雑誌やテレビ番組等に捏造や事実誤認や名誉毀損と疑わしき箇所があっても、許可なしでそれを指摘・批判する記事や番組を公開することもできません。許可なしで作品の特定の箇所を示せば犯罪となってしまいますから。そしてまず間違いなく、大半の出版社やテレビ局はそういった指摘・批判を許可しないでしょう。
この状況ではマスメディアの発信する情報は全く信頼できないものとなります(無論、現在でも必ずしも信頼できるものではありませんが)。マスメディアが正常に機能し、人々が社会についての正しい情報をある程度得られることは表現の自由の大前提です。従って、「作品の特定の箇所を示すこと」を許可制にすることは、表現の自由を否定することに等しいと考えられます。(補遺3

ただ、私は前回・前々回のメールで、「リンクは著作権法上でいう作品の利用ではないので云々」といったことを述べましたが、その考えについては撤回させて頂きます。 放送や通信といった媒体ではその性質上(妥当かどうかは別として)著作物を利用していなくても同一性侵害と判断される状況はありうる、と考え直しました。と言うか、以前からその可能性は認識していたはずだったのですが、今回すっかり忘れていました。失礼いたしました。

----引用ここから----
>評論に際して作品名・作者名・出版社・巻数など、あるいはISBNなどを記載して読者に作品を入手する道筋を与えてあれば、その部分はリンクと同一でしょう。

私の考えは,「同一ではない」です.ただ,リンクをそのように使うことも可能です.
----引用ここまで----
どのようなリンクは同一なのでしょうか? あるいは、どのようなリンクは同一ではないのでしょうか?

あと、他にも私としては武三様の考え方にはよく分からない点があります。下記の状況は武三様の考え方としてはいずれも違法になるかと思えますが、正しいでしょうか。
1、トップページ以外のURLを、ハイパーリンクにせずに書く。
2、http://ime.nu/www.yahoo.co.jp/などの、匿名掲示板によるリダイレクトページを経由してトップページ以外にリンクする。
3、http://www.google.com/url?sa=D&q=http://www.yahoo.co.jp/またはhttp://www.google.co.jp/search?btnI=I'm+Feeling+Lucky&q=http://www.yahoo.co.jp/などの、検索エンジンによるリダイレクトページを経由してトップページ以外にリンクする。
4、トップページにリンクし、「○○→××→◇◇とクリックして表示されるページ」などという誘導をする。
5、「Googleで□□と検索して一番上に表示されるページ」などという形でトップページ以外へ誘導する。
6、書籍などに、トップページ以外のURLを記載する。

こちらからのメール第五回「RE: 無断リンクについて」追記

武三様
宇園まことです。

申し訳ありません。
前回お送りしたメールについて、一点訂正させてください。

訂正前:
以後も私は「○○という行為は問題なのでしょうか」といった言い方をしますが、これは「作者が○○禁止という主張をしている場合、特にその許可なしで○○をすることは法的に問題なのでしょうか」という意味だとお考え頂ければと思います。

訂正後:
以後も私は「○○という行為は問題なのでしょうか」といった言い方をしますが、これは「作者が直リンク禁止という主張をしている場合、特にその許可なしで○○をすることは法的に問題なのでしょうか」という意味だとお考え頂ければと思います。

武三さんからのメール第六回「RE: 無断リンクについて」

今回お返事が遅くなりまして申し訳ありません,

まず,私の言う公的利用,私的利用ですが,ここでいう利用と
は,ある著作物を考えたとき,その著作物を,例えばAさん→B
さんへと伝える行為を(Aさんの)利用ととらえてください.
例えば「さくら」という楽曲考えた場合,放送なら,放送局→
視聴者へ.演奏なら演奏者→観客,CDの販売(複製)なら出版
社→購入者へ「さくら」の受け渡しが行われます.私の言う公
的利用とは,この受け手が不特定多数の場合であり,受け手が
自分自身や特定の友人等の場合は私的利用です.

評論の場合,評論者→読者(または聴衆など)なので,受け手
は不特定多数なのですが,ここで受け渡しの対象となっている
ものは「さくら」という著作物ではなく,「さくらについての
評論(文)」です.受け手は「さくら」そのものを受け取って
ないので,つまり評論は著作物の利用ではないと考えます.

宇園様の,リンクというものに対しての認識は,あくまで「作
品の位置を指し示すもの」であると考えているようですが,私
の考えは少し違います.
宇園様は,おそらくリンクというものを,
例えば,書籍に「△△の2巻」と書くようなものだと考えてお
られると思います.
私の考えとしては,自分の書籍に他人の小説や写真を勝手に収
録する行為に相当すると思います.

例えば,自分が本を出版するときに,他人の著作物から面白い
ところだけを集めて勝手に収録すれば言うまでもなく違法です

しかし,他人の著作物を直接収録せずに「○○さんの××を参
照」などと書けば合法です.

ではリンクで同様のことを行った場合ですが,私は前者の勝手
に収録する例に相当すると考えます.
自分の本に,他人の本の一部分を勝手に載せればれはこれは明
らかに違法でしょう.

なぜそう考えるかですが,リンクが著作物(の一部)の場所を
指し示すというのは,確かにそのとおりなのですが,私が重視
しているは,その結果です.リンクで作品のパーツを指し示す
と言う行為は,結局他人の作品の一部を自分の作品に利用して
いることに他ならないので違法だと考えます.

例えばWEBページをまるごとCD-ROMに収録して出版するとしま
す.このとき,自分がリンクしている他人の著作物の一部も一
緒に収録すれば,これは他人の著作物の一部を勝手に利用して
いるので,同一性保持権に反すると思います(当然複製権も問
題になりますが,ここでは無視します)このとき,Web上にあ
ってもCD-ROMにあっても利用者が目にするものは同じです.

最後のご質問ですが,一つ似たような例を挙げようと思います

ある著作物AAがあります.このプログラムが不便だったので,
ある人が勝手に改良して,ABとして配布しました.
これは,同一性保持権に違反します.

では,プログラムAAにパッチBを同梱した場合はどうでしょう
か?利用者はパッチBを使って容易にABを得ることができます

これはもうABを配布したのと結果的に同じなので,同一性保持
権違反だと思います.

ではプログラムAAと一緒に,改変の手順を記したテキストファ
イルが入っていたらどうでしょうか?
利用者はテキストを見て自分で改変を行います.

さらには,一緒に配るのもやめて,自分のwebで改変の手順を
説明しているだけなら・・・・

このような場合,どこまでが違法なのかを一律に判断するのは
困難です.

さて,ご質問1から6についてですが,私の考えでは,1-3まで
は黒に近いグレー,4-6までは白に近いグレーと言うことにな
ります.
ただ,重要なのはリンクの形態ではなく,その結果なので,最
終的にはケースバイケースということになります.

こちらからのメール第六回「RE: 無断リンクについて」

武三様
ご意見ありがとうございます。宇園まことです。
こちらも返信が遅くなり、申し訳ありません。

----引用ここから----
宇園様は,おそらくリンクというものを,
例えば,書籍に「△△の2巻」と書くようなものだと考えてお
られると思います.
----引用ここまで----
はい、そうです。以前、『作品名・作者名・出版社・巻数など、あるいはISBNなどを記載して読者に作品を入手する道筋を与えてあれば、その部分はリンクと同一でしょう』といったくだりでも述べたとおりです。

----引用ここから----
まず,私の言う公的利用,私的利用ですが,ここでいう利用と
は,ある著作物を考えたとき,その著作物を,例えばAさん→B
さんへと伝える行為を(Aさんの)利用ととらえてください.
(略)
----引用ここまで----
武三様のこの主張への批判はこれまでにも繰り返し述べてきたつもりでしたが、改めて詳しく述べます。著作権法上、作者が独占的に持っている権利はほぼ以下の通りであるはずです。
複製権、上映権、演奏権、公衆送信権、伝達権、口述権、展示権、頒布権、譲渡権、貸与権、翻訳権、翻案権、二次的著作物の利用権
これらは基本的に作者専有の権利であり、作者以外が行うには許可が必要です。これらの行為が著作権法上でいう作品の「利用」です。武三様が述べられた通り評論は著作権法でいう作品の利用ではありませんが、これは評論が上記権利の行使のいずれにも該当しないからです。そして、リンクによって作品の入手方法を示すこともまた、上記権利のいずれにも該当しません。よって、リンクを著作権法上の作品の利用と考えることには無理があるでしょう。
ご存知かとは思いますが、ウェブが徐々に普及し始めた頃の97年に、政府は法がこれに対応できるよう公衆送信権に送信可能化権を加えました。武三様は直リンクが著作権を侵すことは明白とお考えのようですが、であるなら立法者はその際に送信可能化権だけでなく、他の権利を定めていたのではないでしょうか。ウェブに対応させた法律が作者に送信可能化権を認めただけだった以上、著作権法上ハイパーリンクは一般に作者専有の権利ではない、と解釈するのが妥当であると私には思えます。

----引用ここから----
私の考えとしては,自分の書籍に他人の小説や写真を勝手に収
録する行為に相当すると思います.
----引用ここまで----
それは事実に反する認識であると考えます。
ウェブでコンテンツを公開したい人は、自らの送信可能化権を行使しサーバーに作品をputします。こうやって公開された作品が欲しい人は、ブラウザのアドレスバーにその作品のURLを入力することでそのサーバーにリクエストをし、作品をダウンロードします。ハイパーリンクは、ブラウザへのURLの入力を手作業ではなく機械が代わりに行ってくれる仕組みです。
従って、リンクは作品がどこで入手できるかを示すだけの行為です。リンクをしても他人の作品は他人がputしたサーバーにあるのみであり、自分の作品に収録されてはいません。ハイパーリンクをクリックした人は、あくまでも著作権者自身が指定したサーバーから作品を入手しているのです。従って、リンクは『自分の書籍に他人の小説や写真を勝手に収録する行為』とは全く別の行為です。

----引用ここから----
なぜそう考えるかですが,リンクが著作物(の一部)の場所を
指し示すというのは,確かにそのとおりなのですが,私が重視
しているは,その結果です.リンクで作品のパーツを指し示す
と言う行為は,結局他人の作品の一部を自分の作品に利用して
いることに他ならないので違法だと考えます.
----引用ここまで----
武三様の考え方の根拠の説明になっていないかと思います。繰り返し述べてきたように、リンクは著作権法上でいう作品の利用ではありません。これまでも印刷物など様々な媒体で可能だったように、ある作品(の一部)がどこで入手できるのかを示すものです。
もしかすると、著作権法上でいう作品の利用ではなくても直リンクされると作品を利用されたと感じる人がいるので違法だ、とおっしゃるのかも知れません。しかしだとしても、事実に反する直感を持つ人がいるからといって、事実が蔑ろにされていいはずはありません。事実に反する直感は教育によって改められるべきであると考えます。
たとえば、以前も触れた拙稿「誤解の理解-何故リンクが自由なのか」(http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/column/blank.htm)で私は、仲介業者や金融業者には直感的に嫌悪感を持つ人が多い、という文を引用しました。仲介や金融に嫌悪感を持つ人が多いからと言ってそういった職業を禁じればむしろ社会は大きな損害をこうむりますし、こういった嫌悪感を肯定することは人々の精神の安寧にも逆効果であると考えます。

私はこのような、問題ない行為に嫌悪感を持つ人間の心理を「感情の誤作動」と呼んでいます。感情が誤作動することで傷つく人がいることは喜ばしいことではありませんが、そういった感情を肯定してもやはり別の人を傷つけることになります。
(この問題については1年以上前から文章を書き続けているのですがまだまとまらず、公開には至っていません。)

----引用ここから----
例えばWEBページをまるごとCD-ROMに収録して出版するとしま
す.このとき,自分がリンクしている他人の著作物の一部も一
緒に収録すれば,これは他人の著作物の一部を勝手に利用して
いるので,同一性保持権に反すると思います(当然複製権も問
題になりますが,ここでは無視します)このとき,Web上にあ
ってもCD-ROMにあっても利用者が目にするものは同じです.
----引用ここまで----
ここは正直なところ、意味がよく分かりませんでした。
もしかすると、武三様は「消費者は、他人の作品の一部への直リンクをクリックしても他人の作品の一部を勝手に複製したものを買っても、結果的に同じ作品を目にすることになる。後者は違法だから前者も違法だ」と仰りたいのでしょうか。だとしたら、それは間違った主張です。その理屈で言うなら、私が勝手に人の本を複製して売るのと、私が人の本を薦めて薦められた人がその本を書店で買うのは同じ行為だ、ということになってしまうでしょう。

具体的には、武三様の挙げられた状況と直リンクには下記のような違いがあります。
・違法に作品を複製し販売した場合、その作品ががどれだけ入手されたかは作者には分かりません。しかし、直リンクの場合作者はそれを把握できます。
・違法に作品を複製し販売した場合、作者が作品の公開を取りやめたり、作品を改定しても無関係です。しかし、直リンクの場合作者による公開停止や改定が絶対的な効力を持ちます。
・違法に作品を複製し販売した場合、作者に対価は支払われません。しかし、直リンクの場合支払われます(ウェブでは作品のダウンロードに対価が設定されていない場合が多いですが)。
従って、直リンクを違法な複製と同様に扱うことには無理があると考えます。

----引用ここから----
では,プログラムAAにパッチBを同梱した場合はどうでしょう
か?利用者はパッチBを使って容易にABを得ることができます

これはもうABを配布したのと結果的に同じなので,同一性保持
権違反だと思います.
----引用ここまで----
その状況設定は今論じている直リンクの問題とはかけ離れてるでしょう。
現在の論争をプログラムで喩えるとしたら、「連続したストーリーを持ったシリーズもののゲームソフトの“2作目”がどこで入手できるかを人々に教えた。このゲームが“2作目”からプレイされた場合作者が意図したストーリーは破壊されるため、作者はそういうことはしないよう説明書に書いていた。この場合、この教示は同一性保持権の侵害と言えるか?」という状況が妥当です。
また、以前も述べたように、プログラムはある程度特定の順序・法則で作品を見せるための手段ですので、プログラムで違法だからウェブページで違法だ、というのは無理があるでしょう。と言うか、そもそもプログラムの著作権というのは扱いがかなり特殊であり、例示には不適切であるように思えます。現実に、ウェブコンテンツはプログラムのような形では改変されません。

----引用ここから----
さて,ご質問1から6についてですが,私の考えでは,1-3まで
は黒に近いグレー,4-6までは白に近いグレーと言うことにな
ります.
ただ,重要なのはリンクの形態ではなく,その結果なので,最
終的にはケースバイケースということになります.
----引用ここまで----
武三様は以前の私の質問に『作者の許可がない直リンクは基本的に違法である』と回答されましたが、それなのに1〜6の状況が黒ではないというのは不可解に思えます。これら1〜6はいずれも厳密には目的のコンテンツへの直リンクは行っていないものの、結果としては目的のコンテンツへの直リンクと同じ行為になっています。武三様は『重要なのはリンクの形態ではなく,その結果』とおっしゃりながら、同じ結果になる行為をリンクの形態によって区別しているのではないでしょうか。
例えば6のケースについて考えてみます。このような本を読んだ読者がブラウザにURLを打ち込むと、当然その人のパソコンにはそのURLのコンテンツがいきなりダウンロードされます。これは、ハイパーリンクをクリックした際に起こる結果と何ら変わりはありません。なのに何故、6は『白に近いグレー』と言えるのでしょうか。実際に、リンクされるのを嫌がる人のほとんどはURLを書かれることも同様に嫌がっています。

武三さんからのメール第七回「RE: 無断リンクについて」

まず,現在私が述べているのは,同一性保持権,及び著作物の
改変についてです.

「リンクは著作権法上でいう作品の利用ではない」と言う表現
が見受けられますが.同一性保持権は著作権法での著作者の権
利です.

宇園様の主張は,「リンクは作品の入手方法を示だけでなので
合法」とのことですが,
それなら,WAVファイルや画像ファイル,動画への直リンクや
,フレームリンク,<img src="http://www.com/sample.gif">
 のように,自分のHPの背景に使ったりした場合など,その他
すべてのリンクは合法と言うことになりますが,そのように考
えているのでしょうか?

私の考えとしてはとしては,これらはすべて同一性保持権の観
点から違法であり,直リンクの問題も同様の論理で,違法と考
えています.

まとめると
まず,私の考えとしては,
----------------------------------------------------------------------
1.まず著作物Aがあるとします.
---今回はwebページです
2.著作物Aが作者の意に沿わない形で改変されて表示,または
演奏などがされている.
  ---直リンクにより,作者の意に沿わない形で表示されて
いると考えました.
3.著作物Aを作者の意に反した形で表示,または演奏などをさ
せたのはBなので,これはBの同一性保持権違反である
  ---リンクを張った人は同一性保持権違反と考える
----------------------------------------------------------------------
といった一連の流れです.

論点としては,まず,1について
著作物Aの定義ですが,私はwebページ全体が一個の著作物と考
えました.
しかし,その他にもファイル個別で著作物とする考えや,また
はhtmlの1ページで一つの著作物とする考えかたもあるかもし
れません.

2.について,
私はページに記載してあればそれが作者の意思だと考えました
が,そもそもwebにアップロードした時点ですでにある程度の
改変は許容している,という考えもあります.また,リンクに
よるwebページの改変(一部だけを表示することなど)は,同
一性保持権に抵触するほどの改変ではないとする考えや,ほか
にも,ページに「直リンク禁止」と記載しただけではすべての
人が見るとは限らず実効性がないと判断される可能性などもあ
ります.

上記1,2については宇園様も異論はない?ようにおもわれる
のですが,どうでしょうか?

3.について,
では,「誰が」改変したのですが,可能性としては4人が考え
られます.
  a,著作者自身 b,リンクを張った人 c,システム提供者
(サーバー管理者など) d,閲覧者自身
私は,そのような形で表示させたのはb,リンクを張った人だと
考えました.a,著作者自身や,b,システムの提供者(サーバー
管理者など)とする考えもありえますが,一番問題になりそう
なのは,b,リンクを張った人なのか,d,閲覧者自身なのかとい
う点だと思います.

今までの宇園様の主張として,
「リンクは作品の場所を示すだけである」
「本を途中から読むことを他人に勧めるようなものである」

とありましたが,これは作品(の一部)の場所を教えられた,
「閲覧者自身」が途中から読んでいるので,つまり改変の主体
は「閲覧者」であり,私的利用の範囲だから適法であるという
考えであると,理解しました.

それに対する反証として,
1.webの一部分のみが表示されているのは,リンクした人の
意志が強く働いている.(閲覧者にくらべて)
2.判例によれば,必ずしもデータそのもの(今回で言えばフ
ァイル)の改変は,同一性保持権が成立するための必要条件で
はない

といったところです.
間違いがあればご指摘ください.

、「連続したストーリーを持ったシリーズもののゲームソフト
の“2作目”がどこで入手できるかを人々に教えた。このゲー
ムが“2作目”からプレイされた場合作者が意図したストーリ
ーは破壊されるため、作者はそういうことはしないよう説明書
に書いていた。この場合、この教示は同一性保持権の侵害と言
えるか?」

ですが,状況しだいで,同一性保持権の侵害になります.
以下のように考えてみてください.

「連続したストーリーを持ったゲームソフトの,途中からプレ
イできる方法(途中からプレイできるセーブデーター)を人々
に教えた。このゲームが途中からプレイされた場合作者が意図
したストーリーは破壊されるため、作者はそういうことはしな
いよう説明書に書いていた。この場合、この教示は同一性保持
権の侵害と言えるか?」

前回質問で,4-6を白としたのは,4-6はリンクではないからで
す.これを「白に近い」とつけはしましたが,グレーにしたの
は結果を重視したからです.

こちらからのメール第七回「RE: 無断リンクについて」

武三様
ご意見ありがとうございます。宇園まことです。
また返信が遅くなってしまい、申し訳ありません。

----引用ここから----
「リンクは著作権法上でいう作品の利用ではない」と言う表現
が見受けられますが.同一性保持権は著作権法での著作者の権
利です.
----引用ここまで----
以前、武三様はこのように述べられました。
----引用ここから----
著作権は作者が独占的に保持している権利です.最も一般的な例は,著作者の要望(条件)は対価で,要するにお金を払えば利用を許諾するというものです.しかし,別にその条件が金銭である必要性はなく,どんな条件を設定するかは原則作者の自由です.
----引用ここまで----
通常、作者が設定した利用条件に従ったかどうかが問題になるのは著作財産権についてであり、著作人格権について問題になるのは社会通念の範囲内かどうかです。多くの場合、何が著作人格権を侵すかは著作財産権の侵害ほど明白ではありません。家武三様はこの違いを無視して話を進めておられるのではないか、というのが私の主張です。
武三様に例として挙げられている「ときめきメモリアル事件」にしてもそうです。武三様の主張からすると、同裁判で同一性保持権の侵害が認められたのは、コナミには「チートセーブデータを売るのは禁止だ!」と自由に決定する権利があったからだ、ということになるでしょう。しかし、そうではありません。同裁判でコナミが勝ったのは、司法が「チートセーブデータの販売は社会通念上許されない」と判断したからです。
無論、作者とその利用者の間に作品の改変などについて格段の契約がある場合には、それに従うべきということになるでしょう。しかし、契約関係のない両者の間では「何が同一性保持権の侵害か」というのは作者が自由に決められることではありません。

そう言えば、以前武三様は、直リンクを分売不可の本を別々で売ることに喩えて違法と主張されました。
しかし、分売不可の本を分けて売ることが違法だとしたら、それは出版社と書店の間に分売しないという契約があるからではないしょうか。現実に、古書店では雑誌と分売不可の小冊子等が別々に売られていますが、これが同一性保持権を侵しているかと言えば疑問に思えます。
また、武三様の主張から言えば、著者後書きに「分売不可」と書いてあるだけの本を書店が別々に売ってもそれは同一性保持権の侵害ということになるでしょう。しかし、それは非現実的な認識であると考えます。一般的に明らかに自由と認識され、事実一般的に自由に行われているような行為を規制するには、個別の契約が必要でしょう。

----引用ここから----
論点としては,まず,1について
著作物Aの定義ですが,私はwebページ全体が一個の著作物と考
えました.
しかし,その他にもファイル個別で著作物とする考えや,また
はhtmlの1ページで一つの著作物とする考えかたもあるかもし
れません.

2.について,
私はページに記載してあればそれが作者の意思だと考えました
が,そもそもwebにアップロードした時点ですでにある程度の
改変は許容している,という考えもあります.また,リンクに
よるwebページの改変(一部だけを表示することなど)は,同
一性保持権に抵触するほどの改変ではないとする考えや,ほか
にも,ページに「直リンク禁止」と記載しただけではすべての
人が見るとは限らず実効性がないと判断される可能性などもあ
ります.

上記1,2については宇園様も異論はない?ようにおもわれる
のですが,どうでしょうか?
----引用ここまで----
2については、とりあえず3つの点で異論・補足があります。
1、まず、ここで『改変』という言葉は適切ではないと考えます。作者のあやふやな期待が叶わず、期待と異なる見方をされたからと言って、それを「改変」と言うのはおかしいのではないでしょうか。以前、武三様は直リンクを『自分の書籍に他人の小説や写真を勝手に収録する行為に相当する』と述べられましたが、それと同様、事実に反した認識であると考えます。
2、仮にトップページ以外にリンクされることを「改変」と呼ぶとした場合、ウェブにアップロードした時点で作者は「改変」を許しているというのは大体その通りです。ただ正確に言うなら、コンピュータソフトのように、直リンクを利用規約で禁止した上でその規約に同意しないと自サイトが表示されないようなシステムを導入しているなら、そのサイトは「改変」を許容していないと考えられるかと思います。また、.htaccessなどで特定のURLからのリンクでないと自サイトが表示されないようなアクセス制限を行っている場合も、「改変」を許容していない状態に近いでしょう(性質は少し違いますが)。
3、全ての人が見るとは限らないから実効性がない、というのは適切ではないと考えます。たとえ全ての人が見る場所に注意書きがあったとしても、それに同意させるシステムを採用していない以上、それを法律上の契約とは見なせないでしょう。
……と言うか武三様は、閲覧者にはサイトに書かれた利用規約に従う義務がある、だから「直リンク禁止」に従わないのは違法だ、という主張をされていたのでしょうか。もしそうだとしたら、それは正しくないと考えます。「GEEK その「利用規約」は有効ですか」(http://geeeeeek.blog58.fc2.com/blog-entry-8.html)などで指摘されているように、同意の必要が無い規約では、一般的に許されている行為を禁止する強制力はないでしょう。

----引用ここから----
3.について,
では,「誰が」改変したのですが,可能性としては4人が考え
られます.
  a,著作者自身 b,リンクを張った人 c,システム提供者
(サーバー管理者など) d,閲覧者自身
私は,そのような形で表示させたのはb,リンクを張った人だと
考えました.a,著作者自身や,b,システムの提供者(サーバー
管理者など)とする考えもありえますが,一番問題になりそう
なのは,b,リンクを張った人なのか,d,閲覧者自身なのかとい
う点だと思います.
----引用ここまで----
誰も「改変」はしていない、どこにも「改変」行為は介在していない、というのが私の認識です。これまでも述べてきたように、作者が「同一性保持権の侵害だ」と言えばなんでも通るわけではありません。
ちなみに、「c,システム提供者(サーバー管理者など)」についてですが、明らかに作者はシステム提供者に(武三様の喩えで言うなら)「この本とこの本は分売していいよ」という契約で作品を預け、販売を委託しています。分売不可にしたいのなら、特定URL以外からのアクセスを弾く設定にすることで容易に分売不可にできるのに、です。作者がどのURLからのアクセスでも個別のコンテンツがダウンロードされる設定しているということは、作者はシステム提供者に分売を認めていると考えられるでしょう。(無論、システム提供者によっては、分売不可の契約を受け付けていないこともあるでしょう。しかしそれなら作者は分売不可の契約ができるシステム提供者を選べばいいだけのことです。分売不可の契約ができないサーバーを選んだ作者は、やはり分売を認めていると考えられるでしょう。)

----引用ここから----
今までの宇園様の主張として,
「リンクは作品の場所を示すだけである」
「本を途中から読むことを他人に勧めるようなものである」

とありましたが,これは作品(の一部)の場所を教えられた,
「閲覧者自身」が途中から読んでいるので,つまり改変の主体
は「閲覧者」であり,私的利用の範囲だから適法であるという
考えであると,理解しました.
----引用ここまで----
改変の主体は誰か、などといった話はこれまで無かったと思うのですが。リンクによっては作品は改変されない、従って改変の主体も何もない、というのが私の認識です。

----引用ここから----
(略)
それに対する反証として,
1.webの一部分のみが表示されているのは,リンクした人の
意志が強く働いている.(閲覧者にくらべて)
2.判例によれば,必ずしもデータそのもの(今回で言えばフ
ァイル)の改変は,同一性保持権が成立するための必要条件で
はない
----引用ここまで----
1は誤解に基いた反証のように思えましたが、あっているでしょうか。
2ですが、武三様は何度か「ときめきメモリアル事件」の判決を引き合いに出されており、2の主張でいう「判決」もそれを指しているように思えます。しかし、そもそもこの裁判で扱った問題は直リンクの問題とは全く異なるものであり、私には何故武三様がこの判決を繰り返し引き合いに出されるのか、よく分かりません。
また、「ときめきメモリアル事件」の判決は専門家の間でも批判の多い(私にも疑問に思える)判決であり、この問題に何か関連性があったとしても、これを根拠に論を展開するのは危険が大きいと考えます。実際に「ときめきメモリアル事件」に似た性質を持った「三国志III事件」では、同一性保持の侵害はない、という判決が下されていることはご存知かと思います。(こちらの判決にも批判はあり、私としても疑問に思う部分はあるのですが、少なくとも同判決は「同一性保持の侵害はない」という部分については広く支持されているはずです。)

----引用ここから----
(略)
ですが,状況しだいで,同一性保持権の侵害になります.
以下のように考えてみてください.

「連続したストーリーを持ったゲームソフトの,途中からプレ
イできる方法(途中からプレイできるセーブデーター)を人々
に教えた。このゲームが途中からプレイされた場合作者が意図
したストーリーは破壊されるため、作者はそういうことはしな
いよう説明書に書いていた。この場合、この教示は同一性保持
権の侵害と言えるか?」
----引用ここまで----
正直なところ、私にはこの比喩は直リンクに似ていないように思えます。また、これを直リンクの比喩として適切だと感じる人はあまりいないように思えるのですが……。
ただ、たとえこれが適切な比喩だとしても、上の行為が同一性保持権を侵すことは明らかではないと考えます。
この項の主張も「ときめきメモリアル事件」を根拠とするものと思えますが、同事件の判決の根拠には、以下のような要素もありました。
『本件メモリーカードに前もって保存してある外部データをゲーム機のRAMに書き込む方法によってのみ、九つのパラメータの殆どを高数値とすることが可能で、プレイヤーの主体的な操作のみでは達成することができない。 』『当初から主人公の能力値が置き換えられることにより、主人公の人物像が改変され、これにより入学当初から本来はありえない女性徒の登場等、ストーリーが改変される。』
……つまり、同事件で問題とされたセーブデータは通常のプレイではあり得ない、いわゆるチート行為により作成されたセーブデータであり、だからこそ同事件では同一性保持権の侵害が認定されたのでしょう。
(例えば、「藤崎詩織用データ」では、「入学から1週間が経過した時点で、体調999、文系999、芸術999、運動999、雑学999、容姿999、根性999、ストレス0」というパラメータだったそうです。)
従って、上の武三様の比喩(単なるゲームの途中のセーブデータ)では同一性保持権の侵害を問うことは難しいのではないか、というのが私の認識です。

----引用ここから----
前回質問で,4-6を白としたのは,4-6はリンクではないからで
す.これを「白に近い」とつけはしましたが,グレーにしたの
は結果を重視したからです.
----引用ここまで----
『結果を重視』してはおられないでしょう。結果が同じである行為を別扱いされているのですから。
また、『リンクではないからです』とはどういうことでしょうか。以前武三様は『どのような手段で・技術で・媒体では問題になりません.』と仰いました。それなのにリンクという手段で作品の場所を示すことだけは問題だと仰るのは、矛盾しているのではないでしょうか。

私には、以下の部分でもうこの論争の答えが出ているように思えてならないのですが……。
----引用ここから----
評論の場合,評論者→読者(または聴衆など)なので,受け手
は不特定多数なのですが,ここで受け渡しの対象となっている
ものは「さくら」という著作物ではなく,「さくらについての
評論(文)」です.受け手は「さくら」そのものを受け取って
ないので,つまり評論は著作物の利用ではないと考えます.
----引用ここまで----
直リンクの場合も、リンクした者は「さくら」という著作物を渡しているのではありません。「さくら」についての公開済みの情報(作品の入手先)を渡しているのです。従って、リンクは評論が作品の利用ではないのと同様かそれ以上に著作物の利用ではありません。リンクで作品の一部の場所を示すのは改変だと仰いますが、それならば評論で作品の一部の場所を示すのも改変でしょう。このことを私は何度も説明しているはずなのですが、何故武三様は事実に反する主張をされるのか、私には理解できません。

ところで、私には、一連のメールで武三様が説明されている内容が、武三様の本来の主張とは無関係であるように思えています。武三様の本来の主張は、第一回目のメールにある、これのはずです。『私は無断リンクは同一性保持権の観点から違法だと思います。』(※「無断リンク」は「直リンク」に置き換えて考えます)
この主張の正当性を説くには、以下の点を説明しなければなりません。
・法の専門家の見解として「直リンクは同一性保持権を侵す」が通説である。「侵さない」という見解は皆無か、あるいは少数説である。(あるいは、一般的な感覚として「直リンクは同一性保持権を侵す」という認識が当然である。)
武三様は、「直リンクは同一性保持権を侵す」という考え方の論理的な正当性を繰り返し説明されてきました。私は今のところその論理に正当性を感じませんが、たとえその論理が正しいとしても、だから法がそのように運用されるかは別問題です。
恐らく武三様は、以前も触れた拙稿「価値観論争の前に」(http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/column/short.htm#before)で述べた論争Aと論争Bを混同しておられるのではないでしょうか。
たとえ論理的に正しい考えがあるとしても、法の専門家がほとんどが違う考えを持っているなら、その「正しい考え」に従って「○○は違法/合法である」とは言えません。
「○○は違法/合法である」という判断は現状分析によって決定され、「○○は違法/合法であるべきだ」という主張は価値観・未来予測によってなされます。武三様は価値観の主張に終始されるばかりで現状分析の説明をされていない、と私には思えます。
私は「直リンクは合法であるべきだ」という考えを持ってはいますが、法の専門家の大半が違う考えを持っているなら「直リンクは合法である」と主張はできません。私が「直リンクは合法である」と主張するのは専門家の通説に従っているだけであり、私の価値観とは無関係です。価値観・未来予測と現状分析は全く異なるものです。

また、上の指摘をするために以前のメールを読み返してみると、どうも武三様の主張は最初のメールの言葉通り『無断リンクは同一性保持権の観点から違法』だったような気がしてきました。
----引用ここから----
例えばa,b,cの3ページからなるホームページがa→b→cのようにリンクされているなら、それはあくまで「a→b→c」というひとつの著作物であり、それを勝手にdというページを作って、「d→a」などとするのは、同一性保持権の侵害だと思います。
----引用ここまで----
といった書き方は、今読み直してみると直リンクではなく無断リンクについて述べたものとしか思えませんし、実際にこれまでの武三様の考え方からすると、無断リンクが違法になるのはむしろ当然に思えます。
……どうなのでしょうか?

武三さんからのメール第八回「RE: 無断リンクについて」

同一性保持権の場合,条件が自由に設定できないというのはお
っしゃるとおりだと思います.
なので,直リンクが同一性保持権を侵害しているかどうか,と
いう点が争点となります.
分売不可の例は,確かに契約と解釈する余地もあるように思い
ました.

リンクに関しては,「利用規約に従う義務があるから」という
考えではありません.

.htaccessなど防ぐ方法があるのにしなかったからリンク(改
変)してもよいというのは間違いだと思います.
その理論なら,CDはコピーできるからコピーしてよい,コピー
されたくなけれSACDなり他の方法を使えと言うのと同じではな
いでしょうか.

ただ,リンクによる作品の改変はないと考えているようなので
,リンク可という考えはわかりました.

以前書いた,
『自分の書籍に他人の小説や写真を勝手に収録する行為に相当
する』と言う点を補足すると,
例えばwebに「世界の花」というページを作って花の画像A,B,C
,Dにそれぞれ直リンクした場合を考えます.

これを本で例えたら,
1.ABCDという画像を収録した本
2.○○と言う本の○ページなど,ABCDの入手先のみが書いて
あり,実際に写真は収録していない本

と言う二つの本があれば,リンクは1.に相当するだろうと言
う意味です.これはwebの仕組みを知らない人からすれば明ら
かだと思います.
このwebの製作者は花の画像ABCDを利用して,元の作者のwebと
は別の著作物を作ったと言えるのではないでしょうか?
(注:ここでいう利用とは,一般的な意味での利用です)

以前の質問1−6の補足
『結果を重視』していない,という指摘ですが,単に私として
は結果を重視したつもりで・・・という話です.宇園様として
は差異はないと考えているのは分かりますが,私は差異はある
と考えていると言うことです.私の考えとしては,「リンク」
と「作品の一部を指し示す」ことは同一ではないと思っている
こと.また,そもそも結果が同一ではないと考えていることな
どからあのような解答となりました.

○○と言う本の何章,何行目などと書いた場合,作品の一部の
みを入手することはありえませんが,
リンクの場合は,作品の一部のみを入手させることができます
.また,その場合作品全体が容易に手に入るかどうかも不明で
す.(例えばhtmlからトップへのリンクがない場合や,複数の
サーバーのファイルでwebが構成されている場合など)

ただ,メール後半部分にある,現状分析・未来予測についての
話ですが,今回私の基本的な主張としては,正確に言えば「同
一性保持権の観点から裁判所はリンクを違法と判断する可能性
がある」と言うもので,具体的には作者が許容していない直リ
ンクです.トップページへのリンクは無断でも合法と考えます
.これは宇園様の言うところの現状分析についての話になるの
ではないでしょうか?.もちろん自分の考えと完全に切り離し
て考えることはできないとも思いますが,これに対する宇園様
の答えが,「○○さん(法律の専門家たち)は合法と言ってい
る」という解答だとすると,そもそも議論にならないのではあ
りませんか.

未来予測,つまり私の考え,言い換えるなら,「もし私が立法
するならどういう法律を作るか?」ということでしたらすこし
違う話になるのではと思います.

-------------------------------------------------------------------------------------
他の人言っているから,という理由ではそもそも話が違うよう
に思うのですが,法の専門家たちの見解としては画像ファイル
などへの直リンク,フレームリンクは違法になる可能性がある
,という考えが一般的であると思います.その理由としては,
主として,同一性保持権を理由とするものと,自分のものと誤
解させる場合,氏名表示権や公表権,不正競争防止法などの点
で違法とする2つの考えが主流です.私の場合はhtmlファイル
も含めますが,同一性保持権を理由とする場合の考えは,基本
的には私と同じです.

例えば一番最初に宇園様からいただいた法律の専門家たちの意
見で言えば,

明治大学法学部教授夏井高人
   合法,ただし自分のものと誤解させる場合違法の可能性
あり

宮下弁護士 
   同一性保持権で違法の可能性あり

紀藤正樹弁護士
   合法

牧野和夫
   同一性保持権で違法の可能性あり

白田秀彰氏
   合法

ブログ著作権ガイド ディープリンクについての考察(ヤン・
メイ氏)
   同一性保持権で違法の可能性あり

これだけ見ても直リンクが明らかに合法であるとは言えないと
思いますが,その他にも弁護士が直リンクが違法となる可能性
を指摘している例はいくらでもあります

その他の人の意見が○○だから,と言う観点で考えるなら,少
なくとも合法と言い切れるほどの通説はないと思います.
いろいろなところで議論されていることが通説がないことの証
明ではないでしょうか.

こちらからのメール第八回「RE: 無断リンクについて」

武三様 ご意見ありがとうございます。宇園まことです。

返信が遅くなってしまい、申し訳ありません。

----引用ここから----
同一性保持権の場合,条件が自由に設定できないというのはお
っしゃるとおりだと思います.
なので,直リンクが同一性保持権を侵害しているかどうか,と
いう点が争点となります.
----引用ここまで----
武三様が直リンクを違法と主張される根拠は、要約すると以下の二点でした。
1、作者は作品の利用条件を自由に設定できる。従って直リンク禁止という利用条件を守らないのは違法である。
2、直リンクは作品の一部を転載するのと同じであり、作品の改変と言える。従って違法である。
これらの内、1については今回合意が得られたので問題ないかと思います。
2についてですが、私としてはこれまで武三様の説明頂いてきて全くその内容に同意できない、というのが正直なところです。これ以上ご説明頂いてもあまり意味がないように思いますので、この点についてもそろそろ終わりとさせて頂きたいのですが、如何でしょうか。

----引用ここから----
.htaccessなど防ぐ方法があるのにしなかったからリンク(改
変)してもよいというのは間違いだと思います.
その理論なら,CDはコピーできるからコピーしてよい,コピー
されたくなけれSACDなり他の方法を使えと言うのと同じではな
いでしょうか.
----引用ここまで----
正直なところ、何を仰りたい比喩なのかよく分からないのですが……。
コピーガードがかかっていないCDはコピーしてよいはずですし、コピーガードがかかっているのにそれを解除してコピーするのは違法です。その比喩では、私の主張がおかしいことにはならないかと思いますが。

----引用ここから----
以前書いた,
『自分の書籍に他人の小説や写真を勝手に収録する行為に相当
する』と言う点を補足すると,
例えばwebに「世界の花」というページを作って花の画像A,B,C
,Dにそれぞれ直リンクした場合を考えます.

これを本で例えたら,
1.ABCDという画像を収録した本
2.○○と言う本の○ページなど,ABCDの入手先のみが書いて
あり,実際に写真は収録していない本

と言う二つの本があれば,リンクは1.に相当するだろうと言
う意味です.これはwebの仕組みを知らない人からすれば明ら
かだと思います.
このwebの製作者は花の画像ABCDを利用して,元の作者のwebと
は別の著作物を作ったと言えるのではないでしょうか?
(注:ここでいう利用とは,一般的な意味での利用です)
----引用ここまで----
武三様がトップページ以外のページへのハイパーリンクと、ページ以外の画像などへのハイパーリンクと、<img>要素による埋め込み、またフレーム内リンクを全て同一に扱われていることは、以前頂いたメールから理解しています。が、以前述べたように、私はページ以外へのリンクの是非については全く述べていませんし、トップ以外のページへのリンクと画像などへのリンクが同じだと述べているわけでもありません。それなのに画像へのリンクでは云々といった説明をされても困ります。
ただ、以前述べたように、「○○と感じる人がいるから、○○と認められるべきだ」といった考え方は正しくないでしょう。以前の私のメールから再掲します。
----引用ここから----
もしかすると、著作権法上でいう作品の利用ではなくても直リンクされると作品を利用されたと感じる人がいるので違法だ、とおっしゃるのかも知れません。しかしだとしても、事実に反する直感を持つ人がいるからといって、事実が蔑ろにされていいはずはありません。事実に反する直感は教育によって改められるべきであると考えます。
たとえば、以前も触れた拙稿「誤解の理解-何故リンクが自由なのか」(http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/column/blank.htm)で私は、仲介業者や金融業者には直感的に嫌悪感を持つ人が多い、という文を引用しました。仲介や金融に嫌悪感を持つ人が多いからと言ってそういった職業を禁じればむしろ社会は大きな損害をこうむりますし、こういった嫌悪感を肯定することは人々の精神の安寧にも逆効果であると考えます。
----引用ここまで----
たとえ経済の仕組みを知らない人のほとんどが仲介業者や金融業者に直感的に嫌悪感を持つとしても、「だから仲介業や金融業は認められない」とするべきではないでしょう。経済の仕組みを知る人々が「仲介業や金融業は社会に有益だ」と考えるなら、その見解の方が優先されるべきではないでしょうか。

ただ、『これはwebの仕組みを知らない人からすれば明らかだと思います.』というのは興味深い指摘に思えます。なぜそう思われたのでしょうか? 
私は全く何も知らない状態でウェブに触れてすぐにリンクは自由にしていいものだと感じ、「無断リンク禁止」と書いているサイトを初めて見た時は大変驚きました。私は初めて作ったサイトにも、最初から『無断リンク・直リンク歓迎』と書いていました。私のようなケースは珍しい、と武三様はお考えなのでしょうか?

----引用ここから----
以前の質問1−6の補足
『結果を重視』していない,という指摘ですが,単に私として
は結果を重視したつもりで・・・という話です.宇園様として
は差異はないと考えているのは分かりますが,私は差異はある
と考えていると言うことです.私の考えとしては,「リンク」
と「作品の一部を指し示す」ことは同一ではないと思っている
こと.また,そもそも結果が同一ではないと考えていることな
どからあのような解答となりました.
----引用ここまで----
そうでしたか、『結果が同一ではない』とお考えだったのですか。
しかし、ハイパーリンクをクリックしても、本に書かれたURLを手で入力しても、ブラウザに特定のページが表示されるという結果は同一なのではないでしょうか。これについて『結果が同一ではない』と仰る理由が、私には理解できないのですが。これらの結果には、どのような違いがあるのでしょうか。

----引用ここから----
○○と言う本の何章,何行目などと書いた場合,作品の一部の
みを入手することはありえませんが,
リンクの場合は,作品の一部のみを入手させることができます
.また,その場合作品全体が容易に手に入るかどうかも不明で
す.(例えばhtmlからトップへのリンクがない場合や,複数の
サーバーのファイルでwebが構成されている場合など)
----引用ここまで----
リンク以外でも、作品の一部を入手することはあります。続き物の小説の特定の巻について「この巻は大変面白く、これまでの話を知らなくても楽しめるようになっている。この巻だけでも読むべき」等と薦めている書評をご覧になったことはないでしょうか?
また、直リンクされたページにトップページへのリンク等がなくて作品全体が入手できなかったとしたら、それはリンクされた側の不備であって、リンクした側の責任でないでしょう。

----引用ここから----
ただ,メール後半部分にある,現状分析・未来予測についての
話ですが,今回私の基本的な主張としては,正確に言えば「同
一性保持権の観点から裁判所はリンクを違法と判断する可能性
がある」と言うもので,具体的には作者が許容していない直リ
ンクです.トップページへのリンクは無断でも合法と考えます
.これは宇園様の言うところの現状分析についての話になるの
ではないでしょうか?.
----引用ここまで----
ならないでしょう。『「同一性保持権の観点から裁判所はリンクを違法と判断する可能性 がある」』かどうかについて論じるには、現時点での法の専門家の見解を調べる(=現状分析)しかありません。我々がここで議論をしたところで、それで司法と同じ判断に達するとは限らないからです。
仮に武三様が真に正しい論理・道徳をお持ちで、それによってこの問題のあるべき正解が得られたとしましょう。しかし、法の専門家の大半が間違った論理・道徳を持っており、それによって武三様と違う結論を導くなら、その間違った結論がこの問題の回答なのです。

また、ここは極めて重要な点ですので、強く確認させて頂きたいのですが、『今回私の基本的な主張としては,正確に言えば「同一性保持権の観点から裁判所はリンクを違法と判断する可能性がある」と言うもので』というのは、今回たまたま少しおかしな言い回しをしてしまっただけですよね? あるいは、単なる書き間違いですよね?
武三様は当初から『例えば全ページでひとつの作品だと作者が主張するなら、当然一部分のページへのリンクは違法です。』など、いつも断定的に「違法」という言葉を使用されており、そこに『可能性がある』などという曖昧さはありませんでした。以前私が武三様の主張内容を確認した時も、武三様は『作者の許可がない直リンクには時として違法であるものもある』ではなく、『作者の許可がない直リンクは基本的に違法である』が自分の主張だと述べられました。そもそも、武三様が一連のやりとりの中で初めて『可能性』という言葉を使われたのは、武三様からこれまで8通頂いたメールの中で、7通目でのことでした。従って、『今回私の基本的な主張としては,正確に言えば「同一性保持権の観点から裁判所はリンクを違法と判断する可能性がある」と言うもの』というのは全く武三様の主張とは食い違っていると言わざるを得ません。
今になって突然、武三様がご自身のこれまでの主張を『可能性がある』だったなどと言われると、私としては「自分の主張をひそかに修正し、今までの議論を全てなかったことにしようとしている」ようにすら思えてしまうのですが、まさかそういうことではありませんよね?

----引用ここから----
もちろん自分の考えと完全に切り離し
て考えることはできないとも思いますが,これに対する宇園様
の答えが,「○○さん(法律の専門家たち)は合法と言ってい
る」という解答だとすると,そもそも議論にならないのではあ
りませんか.
----引用ここまで----
現状分析、つまり『「同一性保持権の観点から裁判所はリンクを違法と判断する可能性がある」』かどうかについては、議論は難しいでしょう。それは要するに、専門家の見解を集めての多数決にしかなりません。
しかし価値観・未来予測の問題、つまり「裁判所は同一性保持権の観点からリンクを違法と判断するべきか」という問題については、議論は不可能ではないと思います。そして、我々が一連のやり取りで扱ってきたのは、基本的にこちらについてだったと認識しています。
武三様は、この二つの問題を混同し、「裁判所は同一性保持権の観点からリンクを違法と判断するべき」ことを説明できれば「裁判所は同一性保持権の観点からリンクを違法と判断する」ことを説明できると考えてしまったのではないか、というのが私の主張です。

----引用ここから----
法の専門家たちの見解としては画像ファイル
などへの直リンク,フレームリンクは違法になる可能性がある
,という考えが一般的であると思います.
----引用ここまで----
私はそういうリンクについては論じていないので、そういう意見を私に述べられても困ります。

----引用ここから----
明治大学法学部教授夏井高人
   合法,ただし自分のものと誤解させる場合違法の可能性
あり

宮下弁護士 
   同一性保持権で違法の可能性あり

紀藤正樹弁護士
   合法

牧野和夫
   同一性保持権で違法の可能性あり

白田秀彰氏
   合法

ブログ著作権ガイド ディープリンクについての考察(ヤン・
メイ氏)
   同一性保持権で違法の可能性あり
----引用ここまで----
『明治大学法学部教授夏井高人 合法,ただし自分のものと誤解させる場合違法の可能性あり』ですが……他人の作品(の一部)を自分のものと誤解させるようにリンクするのは明らかに問題ですから、武三様がそんな但し書きをされる必要は無いでしょう。『違法の可能性あり』と言っても、夏井氏は『また,リンク先が当該ホームページのトップ・ページでなければならないというようなルールは,合理性がありません。仮にこのようなルールに合理性があるとすれば,新聞,雑誌,学術論文を含めたすべての媒体上のすべての引用・参照や編集等が不可能となってしまう危険性があります。』等、明らかに武三様の主張を否定する見解を述べられておられます。この主張からするなら武三様の主張は間違いということになります。

『宮下弁護士 同一性保持権で違法の可能性あり』ですが……ここで宮下氏が述べられている該当箇所は『質問のケースのようにリンク先のホームページ中の一部のGIF画像などに対してのみリンクを張り、自分のページにそのGIF画像などを組み込む場合には、ちょっと話が変わってきます。』ですよね? 宮下氏はトップページ以外のページへのリンクについては『そのような主観的な期待を、法的に保護すべき程度のものと言うべきかどうかは、かなり疑問があります。』など、画像以外へのリンクも違法だという武三様の主張をやはり否定する見解を述べられておられます。この主張からしても、武三様の主張は間違いということになります。
武三様は、宮下氏の見解を自分の都合のいいように曲解されているのではないでしょうか。

『牧野和夫 同一性保持権で違法の可能性あり』ですが……ここでは牧野氏はトップ以外のページへのリンクについて『同一性保持権の侵害ですね。実際のところ、判例があるわけでもなんでもないのですが、そういう考え方もできるということです。』と述べておられるのですから、これは武三様の主張を否定しているとは言えないものの、武三様の主張の『違法です』とはやはりかけ離れた主張です。
仮に牧野氏に、武三様の見解である『直リンクは同一性保持権の観点から違法』という主張をしたとしても、同意をしてくれるとは思えないのですが。

『ブログ著作権ガイド ディープリンクについての考察(ヤン・メイ氏) 同一性保持権で違法の可能性あり』ですが、この方は率直なところ法の専門家かどうかかなり怪しいため、ここでカウントするのは妥当ではないと思います。(ヤン・メイ氏のサイトを見る限り、著作権の本を少し読めば書いてあるような結論を述べただけの記事が大半です。)

もしかすると、武三様は「法の専門家かどうかわからない人の意見だから不採用だなんて、おかしい」と仰るかも知れません。しかし、法の専門家ではない人、法の専門家かどうか分からない人というのは無責任な法解釈を述べることがあまりにも多く、そういう意見を数え上げたらきりがない、というのが私の考えです。例えば数だけで言うなら、私の知る限り「トップ以外のページへのリンクは同一性保持権の侵害だ」と主張する人よりも、「URLはパスワードと同じなので、無断リンクは不正アクセスだ」と主張する人の方がよほど多いのですが、だからと言ってこちらの主張の方がより妥当だとは言えないでしょう。(→補遺4

----引用ここから----
これだけ見ても直リンクが明らかに合法であるとは言えないと
思いますが,その他にも弁護士が直リンクが違法となる可能性
を指摘している例はいくらでもあります

その他の人の意見が○○だから,と言う観点で考えるなら,少
なくとも合法と言い切れるほどの通説はないと思います.
いろいろなところで議論されていることが通説がないことの証
明ではないでしょうか.
----引用ここまで----
武三様は、自身の主張をご自分で理解されていないのではないでしょうか。武三様はこれまで、トップページ以外のページへのリンクは違法、と繰り返し述べておられたはずです。
今回武三様は『これだけ見ても直リンクが明らかに合法であるとは言えないと思いますが,その他にも弁護士が直リンクが違法となる可能性を指摘している例はいくらでもあります』と仰いましたが、上で紹介した5人の専門家の見解で、武三様と同様の主張(トップ以外のページへのリンクは違法)をしているものは一つもありません。唯一、牧野氏が『そういう考え方もできる』とぼやかした見解を述べられているだけです。 
また、『その他にも弁護士が直リンクが違法となる可能性を指摘している例はいくらでもあります』とのことですが、それはトップ以外のページへのリンクについての問題なのでしょうか、それとも画像へのリンクなのでしょうか? 興味深いので、是非ともいくつかご紹介頂けないでしょうか? 武三様の主張の正当性の裏づけとするには、画像へのリンクではなく、トップページ以外のページへのリンクが違法であると主張していないと駄目なのですが、それはよろしいですよね?
また、専門家が『直リンクが違法となる可能性を指摘している』だけでは「違法である」という武三様の主張の裏づけにはならないのですが、それもよろしいですよね?

『その他の人の意見が○○だから,と言う観点で考えるなら,少なくとも合法と言い切れるほどの通説はないと思います.いろいろなところで議論されていることが通説がないことの証明ではないでしょうか.』とのことですが、私の知る限り、この問題についての議論などはありません。
直リンクが同一性保持権を侵さない、と主張している法の専門家は何人かいますが、私が見てきた限りそれらはいずれも、「直リンクを嫌がる人がいるようだ→この感情が法律で保護される可能性はあるのか?→同一性保持権だとどうだろう?→やはり無理だ」……という思考実験によるものであり、トップ以外のページへのリンクについて同一性保持権の侵害を主張する人がいたからではありません。
大体、「トップ以外のページへのリンクについて法的に述べている人が多いから、この問題には議論があると言える」のだとしたら、「無断リンクについて法的に述べている人が多いから、この問題には議論があると言える」ことになってしまうでしょう。

なお、正確には私の記憶する限り、トップ以外のページへのリンクについて同一性保持権侵害の可能性を指摘した法の専門家は2人おり(1人は上記の牧野氏)、それらへの反論はこの問題についての『議論』とも呼べるかも知れません。しかし、いずれにせよそれらは珍しいケースであり、到底『いろいろなところで議論されている』という主張を裏付けられるものではない、と考えます。

と言うか、そもそも武三様の主張は「直リンクは違法である」なのですよね。それなのに武三様がこの問題について『いろいろなところで議論されている』『通説がない』と言ってしまっては、それは自説の否定だと思うのですが。

あと、以前の私の意見について、訂正・補足をさせて頂きます。
前回、私は『武三様は価値観の主張に終始されるばかりで現状分析の説明をされていない、と私には思えます』と述べましたが、よく考えるとそうではなかったように思います。武三様の「作者は作品の利用条件を自由に設定できる。従って直リンク禁止という利用条件を守らないのは違法である」という主張は、正しいのであれば価値観の問題ではなく現状分析の問題であり、この点については武三様の主張は現状分析に基くものであったと考えます。その点については訂正させて頂きます。失礼いたしました。
また、やはり前回、私は『コンピュータソフトのように、直リンクを利用規約で禁止した上でその規約に同意しないと自サイトが表示されないようなシステムを導入しているなら、そのサイトは「改変」を許容していないと考えられるかと思います。』と述べましたが、こういう状況で直ちに『「改変」を許容していない』と言えるかどうかには、疑問の余地があるように思えました。この点については、最後の箇所を『そのサイトは「改変」を許容していないと考えられる可能性があるかと思います』と訂正させて頂きます。失礼いたしました。
また、以前のメールで、放送や通信については著作権法上の作品の利用でなくても同一性保持の侵害を問われうる、と書きましたが、これは変でした。これら以外でも、同一性保持の侵害はあり得ますね。色々と混乱してしまい、申し訳ありません。

こちらからのメール第九回「RE: 無断リンクについて」

武三様
こんばんは、宇園まことです。

これまでのやりとりでは武三様は毎回遅くとも十日程で返信をされていましたが、今回はこちらから最後にメールをお送りしてもう3週間が経過しています。前回のこちらの要望を受けてのことかは分かりませんが、直リンクについてのやりとりはこれで終了と考えてよいのでしょうか。
勝手ながら、今週中(8/25まで)にご連絡を頂けない場合、終了と考えてまとめに入らせて頂きますので、ご了承の程お願いいたします。都合でメールを書く時間が取れないのでしたら、遅れる旨だけでも今週中にご連絡頂ければお待ちしますので、よろしくお願いいたします。

武三さんからのメール第九回「RE: 無断リンクについて」

今回返事が大変遅くなりまして,まことに申し訳ありませんで
した.お盆をはさんだことや,その後身内に不幸があったこと
などでなかなか時間がとれず,お返事が遅れてしまいました.
今回まとめということで

現状分析・未来予測についての話
----------------------
同一性保持権の観点から裁判所はリンクを違法と判断する可能
性がある」かどうかについて論じるには、現時点での法の専門
家の見解を調べる(=現状分析)しかありません。我々がここ
で議論をしたところで、それで司法と同じ判断に達するとは限
らないからです。
----------------------
違法かどうかについての宇園様の考えは分かりましたが,「法
の専門家の見解を」を事実として扱うのなら,議論にはならな
いでしょう.私としては違法かどうかについて議論することも
意味があると思いますが,それに対する宇園様自身の答えはな
いようなのでしかたないです.ただ,私は今までのメールで,
「1.裁判所は同一性保持権の観点からリンクを違法と判断す
るべきか(未来予測・価値観)」ではなく,「2.裁判所は同
一性保持権の観点からリンクを違法と判断するか(現状分析)
」といった観点で話をしてきたつもりです.1.の価値観・未
来予測の観点で考えるなら,専門家達の意見や,現状分析,特
に判例などはまったく関係がないことになりますし,同一性保
持権などを持ち出して法律云々を議論する必要はないでしょう
.そもそも違法か合法かといった法律の話は現状分析にしかな
らないと思います.

一応以下気になった点と,質問の解答などを順番に記します.

■同一性保持権の条件について,
これは,同一性保持権に該当するかどうかが自由でないと言う
意味で,同一性保持権に該当する場合は,自由に条件を設定で
きると思います.
例えば複製権の場合でも,たいていは複製権の侵害にあたるか
どうかが争われ,それを判断するのは裁判所です.
今回も,同一性保持権の侵害に該当するかどうかは裁判所の判
断で,自由ではありませんが,仮に同一性保持権の侵害に該当
するならば,その著作物の利用条件は原則として作者の自由に
なります.

■CDの複製について
コピーガードのあるなしにかかわらず,CDのコピーは違法です
.例外として,私的な用途の場合のみ,複製が認められている
にすぎません.

■ページ以外へのリンクについて
フレームリンクなど,ページ以外へのリンクに関してはまた違
う考えを持っているのなら,それをおっしゃっていただかない
とこちらには分かりません.
フレームリンクなど,ページ以外のリンクもページへのリンク
も同等という考えに,宇園様が同意できないのは分かりました
が,それがなぜかは結局分からないままです.

■事実と感情について
---以下引用------------------------------------------------------------------
ただ、以前述べたように、「○○と感じる人がいるから、○○
と認められるべき
だ」
といった考え方は正しくないでしょう。以前の私のメールから
再掲します。

もしかすると、著作権法上でいう作品の利用ではなくても直リ
ンクされると作品
を利用されたと感じる人がいるので違法だ、とおっしゃるのか
も知れません。しかし
だとしても、事実に反する直感を持つ人がいるからといって、
事実が蔑ろにされてい
いはずはありません。事実に反する直感は教育によって改めら
れるべきであると考え
ます。
たとえば、以前も触れた拙稿「誤解の理解-何故リンクが自由
なのか」
http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/column/blank.htm
で私は、仲介業者や

融業者には直感的に嫌悪感を持つ人が多い、という文を引用し
ました。仲介や金
融に嫌悪感を持つ人が多いからと言ってそういった職業を禁じ
ればむしろ社会は大き
な損害をこうむりますし、こういった嫌悪感を肯定することは
人々の精神の安寧にも
逆効果であると考えます。
----引用ここまで----
たとえ経済の仕組みを知らない人のほとんどが仲介業者や金融
業者に直感的に嫌
悪感を持つとしても、「だから仲介業や金融業は認められない
」とするべきではない
でしょう。経済の仕組みを知る人々が「仲介業や金融業は社会
に有益だ」と考える
なら、その見解の方が優先されるべきではないでしょうか。
---引用終わり--------------------------------------------------
このあたりがどうもおかしいのではと思います.
私が言っているのは,<img>要素による埋め込みを嫌であると
感じる人がいる,と言うことではなく,<img>要素による埋め
込みは,本やゲームの場合なら禁止されている転載,改変に相
当すると思うが,<img>が合法/違法なのはなぜか?と言う問い
であり,感情の話をしているのではありません.また,専門家
の意見を正しいものとして扱うのならそもそも議論が成立しま
せん.「仲介業や金融業が役に立つのかどうか」という議論は
有意義だと思います.

■webの仕組みを知らない
これは要するに,サーバーがどこそこにあって,データーはこ
こで,といったようなことを知らないという意味です.極端な
例を挙げれば,webのデータはすべて目の前のパソコンに入っ
ているように見えるということです.

■質問1-6
リンクに相当するのは直接作品を収録した場合だと考えている
ためです.つまり,Web上のリンクと比較されるべきなのは,
アドレスのみを記載した本ではなく,その写真なりページなり
を直接収録した場合に相当すると考えているためです.

また,法律としてみた場合でも,リンクというシステムでなけ
れば違法とはならないだろうと思ったからです.
以前のときメモで言えば,改造データの販売は違法となりまし
た,しかし,改造方法(の文章)の販売なら(私は)合法だっ
たと思います.(もちろん人によっては違法だという人もいま
す).

■続きものの小説
1巻,2巻,3巻といった続きの小説については,単純に2巻なら2
巻で一つの作品と考えます.

■可能性
まず,「同一性保持権の観点からリンクを違法である」「作者
の許可がない直リンクは基本的に違法である」というのが私の
主張で間違いありません.しかし,最終的に違法かどうかの判
断を下すのは,裁判所であり私ではありません.よって「同一
性保持権の観点から裁判所はリンクを違法と判断する可能性が
ある」という書き方をしましたが,とくに書き間違えではあり
ません.

----------------------------------------------------------------
以下は未来予測(?)というか,「どうあるべきか」といった
価値観の観点からの私の考えで,法律は抜きの話です.

基本は2つで,「著作権者に自分の著作物をコントロールでき
るようにするべきだ」というものと,「リンクをした人という
のは,その結果に対して一定の責任を負うべきだ」というもの
で,その裏には,「リンクするという行為には大きな価値や,
影響力を生み出す力がある」という考えがあります.

○「著作権者に自分の著作物をコントロールできるようにする
べきだ」
まず,webのようにデータの状態では非常に容易に著作物の改
変ができ,まったく作者が意図しない,または望まないような
使われ方をされた場合,作者は実際に大きな影響を受けること
があります.一旦webへアップロードした以上ありとあらゆる
使われ方を許容すべきだと言うのは作者にとって不都合が大き
いので,それを制限できるようにしたいという考えです.

私の考えとしては,リンクというのは「データを取得する(位
置を指し示す)」+「実行する」という2つの機能がセットに
なっていると思います.webサーバー上のデータそのものは変
更しなくてもこの”実行”の仕方によってほとんど自由にデー
タを利用できます.
例えばYahooの株価のページから自動的にデータを収集して自
動的に整形,統計を出すようなソフトも,広い意味ではリンク
の一種だと思います.ほかにも自動的にリンクを書き換えるブ
ラウザのプラグインや,(例えばトヨタへのリンクを自動的に
日産に差し替えたりするようなものなど),xxx://abc.htmの
ように,http以外の方法でリンクするようなこともできます.

狭義のリンクを考えた場合,要するにhtmlページへの無断リン
クを禁止する権利を与えるかどうかという点ですが,私が宇園
様の意見で矛盾していると思ったのは,無断リンクを禁止する
と表現の自由が侵害され危険だと主張しているのに,.htaccess
などによるアクセス規制は認めている点です.無断リンク禁止
が表現の自由を侵害するなら,リンクの自由を侵害するアクセ
ス規制も,当然禁止を主張するべきなのではないでしょうか?
無断リンクを禁止する権利を著作者に与えても,すべての人が
その権利を行使するわけではありませんし,実際にアクセス規
制をしているwebを見てみれば,リンク禁止権が表現の自由を
侵害したり,反論や批判を封じ込めるという主張も明らかに間
違いであると分かります.

○「リンクをした人は,その結果に対して一定の責任を負うべ
きだ」
例えば,どこにもリンクされていないコンテンツがアップロー
ドされていた場合.そのコンテンツにリンクすることで,一定
の価値が生まれます.
世界の花と言う題でリンク集を作ったり,日本の昔話といった
題でリンク集を作ってみたり,ほかにも違法コンテンツへのリ
ンクがあったり,リンクの使用法にはいろいろありますが,「
リンクをすることによって新たな価値(影響)を生み出すこと
ができる」と思います.
その新たに生まれた価値(影響)に対して,良い面はリンクし
た人が積極的に享受するけれど,悪い面はすべてアップロード
した人に押し付けると言うのは不公平だと考えます.

例えば違法コンテンツにリンクを張って自分のサイトの集客率
を上げた場合,非公開にするべき個人情報のページを設定ミス
で外部からリンクできてしまった場合など,そのデータをアッ
プロードした人だけではなく,ページへリンクした人は結果に
対して責任の一部をとるべきだと思います.

---------------------------------------------------------------------------------------------
まとめ.

●現状分析(法的な観点では)
 △同一性保持権の観点で違法
 →web全体で一つの著作物と考えるから
 →リンクは本の場合なら直接写真や文を収録した場合に相当
する

●未来予測,価値観
 △「著作権者に自分の著作物をコントロールできるようにす
るべきだ」
 →webデータは視聴時(実行時)に容易に改変できる.すべ
ての状況を許容しなければならないのは作者に不利益.
 →無断リンク禁止が表現の自由を侵害するなら,それを強制
するアクセス規制も表現の自由を侵害する
 △「リンクをした人は,その結果に対して責任の一部を負う
べきだ」
 →リンクをする,という行為に大きな影響力があるから.

こちらからのメール第十回「RE: 無断リンクについて」

武三様
ご意見ありがとうございました。宇園まことです。
こちらも今回返信が遅くなってしまい、申し訳ありません。

ご意見のまとめをありがとうございました。
最後ですので、今回はこちらからの意見は控え、単純な事実の指摘と、個別・全体の感想をまとめるに留めたいと思います。

まずは、個別の感想です。

----引用ここから----
■同一性保持権の条件について,
これは,同一性保持権に該当するかどうかが自由でないと言う
意味で,同一性保持権に該当する場合は,自由に条件を設定で
きると思います.
----引用ここまで----
ここは意味がよく分かりませんでした。
同一性保持権を侵害することが明白でない行為については条件の設定は自由にできないが、直リンクが同一性保持権を侵害することは社会通念上明白なので条件を設定できる、ということなのでしょうか。しかし、だとすると明示的に直リンクを許可しているサイト以外への直リンクは違法ということになり、武三様の『作者が「何も言わなければ(記載してなければ)」』直リンクは合法、という主張と矛盾しそうです。

----引用ここから----
■CDの複製について
コピーガードのあるなしにかかわらず,CDのコピーは違法です
.例外として,私的な用途の場合のみ,複製が認められている
にすぎません.
----引用ここまで----
この比喩で武三様で仰りたかったことはわかりました。そして、その主張の間違いは以前のメールで既に指摘済みです。(※無論私は、私的複製以外の複製が合法だと言っているのではありません。)

----引用ここから----
■ページ以外へのリンクについて
フレームリンクなど,ページ以外へのリンクに関してはまた違
う考えを持っているのなら,それをおっしゃっていただかない
とこちらには分かりません.
フレームリンクなど,ページ以外のリンクもページへのリンク
も同等という考えに,宇園様が同意できないのは分かりました
が,それがなぜかは結局分からないままです.
----引用ここまで----
武三様は、私(宇園まこと)が間違った説明(直リンクは基本的に合法)をしていると考え、それを指摘しようとされていたのですよね。なのに、私が述べていない点(ページ以外へのリンク)についてどうして武三様が説明する必要があるのか、理解できませんでした。もしも武三様が「直リンクについて説明にするには直リンク以外の行為についても説明する必要がある」とお考えだったのなら、まず武三様がその必要性を説明されれば良かったのではないでしょうか。今回ご意見を下さったことには感謝しますが、今回のやりとりは武三様が望み、開始されたものであることをご理解頂きたく思います。
なお、武三様はトップページ以外のページへのハイパーリンクと、ページ以外の画像などへのハイパーリンクと、<img>要素による埋め込み、またフレーム内リンクを全て同一と主張されていますが、これは大変珍しい認識です。私はリンクの自由に関する主張や議論をこれまで多数見てきましたが、こういった認識を見たのは今回が初めてでした。同様の認識を持つ人が世の中に絶無であるとは言いませんが、かなり稀であることは間違いないでしょう。そういう認識を主張するのに、それが当然の前提であるかのように主張されても困るのですが。稀な認識だから間違いだと言うつもりはありませんが、稀な認識を相手に理解させるには、それなりの説明は必要です。

----引用ここから----
■事実と感情について
(略)
このあたりがどうもおかしいのではと思います.
私が言っているのは,<img>要素による埋め込みを嫌であると
感じる人がいる,と言うことではなく,<img>要素による埋め
込みは,本やゲームの場合なら禁止されている転載,改変に相
当すると思うが,<img>が合法/違法なのはなぜか?と言う問い
であり,感情の話をしているのではありません.
----引用ここまで----
『<img>要素による埋め込み』についての話をされたいのでしたら、私がそれにお付き合いする理由はないと思います。ただ文脈上、武三様はこの部分は「トップ以外のページへのリンク」について述べたかったのかと思えますので、ここではそう読み替えて感想を述べます。
一般的には、同一性保持権は著作人格権に属する、作者の人格的・感情的側面を保護するための権利です。同一性保持権の侵害の判断において人格的・感情的側面は重要な点であり、同一性保持権の話をしながら今になって『感情の話をしているのではありません』と仰る武三様の姿勢は奇妙に思えます。また、感情を無視して財産権的な話をされていたのだとしても、その主張にも既に反論済みです。
また、金融業が嫌悪感を与える話も法律と関係しています。金融業は多くの人に嫌悪感を与えるため、現実に長い間多くの国で禁止されてきました。(旧約聖書にも利子禁止の記述はあります。)

----引用ここから----
■webの仕組みを知らない
これは要するに,サーバーがどこそこにあって,データーはこ
こで,といったようなことを知らないという意味です.
----引用ここまで----
私は2000年に「インターネットというのをやってみたい」と思い立ってパソコンを購入し、配線も初期設定も友人にほとんどやってもらって何の知識もないままウェブに接続して、それでも適当にいくつかのサイトを見る内に数十分か数時間程度で「リンクは自由にしていいものなんだ」と感じることができました。Webについて事実上何の知識もなく、無論『サーバー』などという言葉を知らなくても、です。
私がリンクの自由を感覚ではなく、知識として理解できたのはその後何ヶ月もして「リンクについて「リンクは自由!」」(http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/webpolicy.html)や、「リンク禁止・無断リンク禁止はナンセンスですよ!」(http://www.ii-park.net/~yumika/link.html)を見てからでした。

----引用ここから----
■質問1-6
リンクに相当するのは直接作品を収録した場合だと考えている
ためです.つまり,Web上のリンクと比較されるべきなのは,
アドレスのみを記載した本ではなく,その写真なりページなり
を直接収録した場合に相当すると考えているためです.
----引用ここまで----
それではやはり、以前の『どのような手段で・技術で・媒体では問題になりません.』という主張と矛盾しています。

----引用ここから----
■続きものの小説
1巻,2巻,3巻といった続きの小説については,単純に2巻なら2
巻で一つの作品と考えます.
----引用ここまで----
『2巻なら2巻で一つの作品と考え』る主体は読者(あるいは世間一般)ということかと思います。しかし、読者がそのような判断をしてよいのなら、「作者がそう主張するなら各ウェブページ全体で一つの作品だ」という武三様の主張と矛盾します。

----引用ここから----
■可能性
まず,「同一性保持権の観点からリンクを違法である」「作者
の許可がない直リンクは基本的に違法である」というのが私の
主張で間違いありません.
----引用ここまで----
わかりました。前回私は、「可能性がある」という言葉から「可能性は低い(高くない)」というニュアンスを感じたのですが、誤解だったということですね。失礼しました。

----引用ここから----
私が宇園
様の意見で矛盾していると思ったのは,無断リンクを禁止する
と表現の自由が侵害され危険だと主張しているのに,.htaccess
などによるアクセス規制は認めている点です.無断リンク禁止
が表現の自由を侵害するなら,リンクの自由を侵害するアクセ
ス規制も,当然禁止を主張するべきなのではないでしょうか?
----引用ここまで----
『無断リンクを禁止する』のは他者のサイト作成への干渉であり、表現の自由の否定です。『.htaccessなどによるアクセス規制』は自分のサイト作成の一部であり、他人のサイト作成には干渉しません。むしろアクセス制限を施す行為は、表現の自由によって保護されるでしょう。「無断リンク禁止」に法的な強制力が認められないことと「アクセス規制」を法的に自由に行えることに矛盾はありません。

----引用ここから----
無断リンクを禁止する権利を著作者に与えても,すべての人が
その権利を行使するわけではありませんし,実際にアクセス規
制をしているwebを見てみれば,リンク禁止権が表現の自由を
侵害したり,反論や批判を封じ込めるという主張も明らかに間
違いであると分かります.
----引用ここまで----
『リンク禁止権』と『アクセス規制』は全く違うものです。
アクセス制限をしても、批判を封じることはできません。上で触れたように、アクセス制限では他者のサイト作成に干渉することはできないからです。一方、リンク禁止権では他者のサイト作成に干渉でき、批判を封じることができます。
ただ、武三様はハイパーリンクを特別視し、ハイパーリンクにせずに単にURLを書くことなどとは区別されているようなので、そういう見解に基く『リンク禁止権』だけなら確かに批判を封じることはできないかも知れません。直リンクを禁止されても、ハイパーリンク以外の方法で特定のコンテンツを指し示せばよい可能性がありますので。しかし、直リンクを否定する人の大半はハイパーリンクを特別視せずにあらゆる手段でコンテンツの場所を示すことを禁止しようとしています。つまり、一般的な意味での「直リンク禁止」が法的に権利として認められれば、多くの場合、批判は完全に不可能になってしまいます。

----引用ここから----
例えば違法コンテンツにリンクを張って自分のサイトの集客率
を上げた場合,非公開にするべき個人情報のページを設定ミス
で外部からリンクできてしまった場合など,そのデータをアッ
プロードした人だけではなく,ページへリンクした人は結果に
対して責任の一部をとるべきだと思います.
----引用ここまで----
違法コンテンツや個人情報へのリンクは、無断リンクや直リンクの問題ではありません。
例えば、違法コンテンツの作者に許可を取ればリンクしても問題ないことになるのか、と考えてみればご理解頂けるかと思います。

その他にも最後にご意見をいくつか頂きましたが、多くはこれまでに間違いを指摘済みのものでしたので、改めて指摘する必要はないかと思います。
後は、全体の感想です。

1、武三様は『どのような手段で・技術で・媒体では問題になりません.』と言いながら、『リンクに相当するのは直接作品を収録した場合』とも述べ、リンクという手段を特別扱いされています。この矛盾が解消されない限り、武三様の主張には説得力を感じられないと思えます。

2、武三様は最終的に、トップページ以外のページへのリンクは合法だという法の専門家達の主張を支持しながら、トップページ以外のページへのリンクは違法だというご自身の主張を変更されませんでした。「専門家達の主張の正しい部分と間違っている部分にはどういう違いがあるのか?」を説明頂ければ私も納得できたのかも知れませんが、その説明はありませんでした。この矛盾が解消されない限り、武三様の主張には説得力を感じられないと思えます。

3、「直リンクは作品の改変と同じであり、同一性保持権の侵害である(要約)」という主張は、武三様の主張の特に重要な部分かと思えるのですが、結局この主張の根拠を説明頂くことはできませんでした。正確には、その根拠と思しき説明はないわけではなかったのですが、私がその説明について間違いを指摘しても武三様は再反論をされることはほとんどなく、同じ説明を繰り返されるばかりでした。ですので私には、武三様の「作品の改変と同じ」という主張の根拠が何なのかよく分かりませんでした。
「直リンクは作品の改変と同じであり、同一性保持権の侵害である」というのは、大変珍しい主張です。私はリンクの自由に関する主張や議論をこれまで多数見てきましたが、こういった主張を見たのは今回が初めてでした。正確には、「同一性保持権の侵害となる可能性がないとは言えない」というような主張をする弁護士はこれまでに2人は見ましたし、他の多くの専門家も特殊なケースでは違法となる可能性があることは恐らく否定しないかと思います。しかし、武三様のような「基本的に同一性保持権の侵害だ」という主張は今回初めて見ました。同様の主張をする人が世の中に絶無であるとは言いませんが、かなり稀であることは間違いないでしょう。稀な主張だから間違いだと言うつもりはありませんが、稀な主張を相手に理解させるには、それなりの説明は必要です。

4、武三様は直リンクは同一性保持権を侵すため違法であると断定的に主張しながら、この問題について『いろいろなところで議論されている』『通説がない』とも主張されています。この矛盾が解消されない限り、武三様の主張には説得力を感じられないと思えます。また、私はそのような議論はこれまで見たことがありませんし、結局武三様もそういった議論を提示されませんでした。ですので私には、この問題が『いろいろなところで議論されている』『通説がない』ものだという主張の根拠が何なのかよく分かりませんでした。

以上です。
いろいろなご意見を頂き、ありがとうございました。

補遺

補遺1-作者の意思の尊重

 私が二回目のメールで述べた内容について。

武三様は作者の意思が大切だと述べておられますが、にも関わらずワールドワイドウェブのHTTP(Hypertext Transfer Protocol)やHTML(Hypertext Markup Language)の作者の意思を『拘束』などと呼び、軽視しておられます。これは整合性を欠く姿勢のように私には思えます。

こちらからの第二回目のメールより

 話の流れとして、武三さんには詳しい説明は不要と判断して要約した説明をしましたが、 多くの方にはこれだけだと説明不足かもしれないのでここではより詳しい説明をしたいと思います。

 上記メールで述べた、ワールドワイドウェブのHTTPやHTMLの作者というのは、ティム・バーナーズ=リー博士のことです。 氏はまさしく現在のワールドワイドウェブの作者(の一人)と言ってよいであろう方なのですが、氏は「リンクの神話」という文章でこう述べています。 (下記翻訳は、いずれも「『リンクと神話』について」より引用させて頂きました。)

「言論の自由」を根底からひっくり返さない限り、「参照されない権利」などはまったく認めることはできない

Webの根ざしているリンクというモノについて、いくつかの基本的な原則が存在する。それらは世界中に広まったハイパーテキストの世界(=World Wide Web)が機能するために必要な原則である。法律家も利用者も、技術や情報の提供者も、提示されているこれらの原則を尊重することに同意しなければならない

 つまり、ワールドワイドウェブの作者は、リンクは自由であると明白に主張しているわけです。

 武三さんは、作者の意思が優先されるべきだと述べましたが、であるならばワールドワイドウェブの作者である バーナーズ=リー博士の意思が尊重され、「リンクは自由」ということになります。
「作者の意思が大切だ、だから各サイトのリンクに関する注意書きには従わなければならない」という主張は矛盾しています。

 尚、上記メールをご覧頂ければわかるように、武三さんはこの点については一切同意も反論もされませんでした。 なので、この点を武三さんがどう考えているかは分かりません。 (→その他のありがちな誤解・矛盾に戻る) (→こちらからのメール第二回に戻る)

補遺2-私の手抜き説明

 私が二回目のメールで詫びた手抜き説明について。

 武三さんの最初のメールから私は、武三さんは「裁判所は直リンクを違法と判断するかどうか」について論じたいのだ、 と考えました。裁判所の判断を推測するのなら私の個人的な見解はあまり意味がありませんので、 私は直リンクについて述べた法の専門家数人の文章を引用しました。 しかし武三さんは、私の引用した見解一つ一つについて、ご自身の意見を述べてこられました。 「裁判所は直リンクを違法と判断するかどうか」について論じたいのなら、これは意味のない行為です。 なので私は、武三さんは「裁判所は直リンクを違法と判断するかどうか」ではなく、 「裁判所は直リンクを違法と判断すべきかどうか」について論じたかったのだ、と判断しました。 この問題について論じるのなら、他人の主張をそのまま引用するのは手抜きであり、 私は自らの見解を語らなければなりません。私が二回目のメールで武三さんにお詫びをしたのは、 そういう意味でした。
 ……もっとも、後の武三さんの主張を見る限り、この辺の私の思考は考え過ぎだったようですが。 (→こちらからのメール第二回に戻る)

補遺3-表現の自由の重要性

 私が五回目のメールで述べた内容について。

 ここは私が余りにも当たり前過ぎると考えて説明を省いたところだったのですが、武三さんに本当に 『なぜそういう結論になるのか理由が示されていないのでよくわかりません』と質問されて 驚きました。メールでは無難と思われる回答をしたのですが、むしろここでは、

民主主義にあっては、政治上の意思決定は終局的には市民によってなされることとなるが、適切な意思決定をなすには、その前提として十分な情報とそれに基づく議論が必要となる。情報を得、また議論をなすためには表現の自由は必要不可欠な権利である。いわば、表現の自由は、民主主義の根幹をなしているのである。

表現の自由 - Wikipedia」より

といった辺りの説明からした方が良かったのかも知れません。(→こちらからのメール第五回に戻る)

補遺4-リンクと不正アクセス

 私が八回目のメールで述べた内容について。

 以前拙稿リンクについての雑多な記事-比喩ありき?結論ありき?で紹介したように、「URLはパスワードなので無断リンクは不正アクセスだ」 という主張は、無断リンクを嫌う人々がしばしばする主張です。最近はさっぱり見かけなくなりましたが。

 「リンクについての雑多な記事-比喩ありき?結論ありき?」を書いた時には失念していましたが、こういった主張を紹介した記事は、 高木浩光さんのブログにもありました。一部引用します。

Webにおいて、無断リンク禁止厨たちが、無断リンクした人に対して「不正アクセスだ」と抗議することがある。不正アクセス禁止法3条ないし4条に違反しているというのである。彼らの主張では、「隠しページ」のURLが「識別符号」だという。隠しページのURLを第三者にばらすことが、不正アクセス禁止法4条

第四条 何人も、アクセス制御機能に係る他人の識別符号を、その識別符号がどの特定電子計算機の特定利用に係るものであるかを明らかにして、又はこれを知っている者の求めに応じて、当該アクセス制御機能に係るアクセス管理者及び当該識別符号に係る利用権者以外の者に提供してはならない。ただし(略)

に抵触するという主張だ。このような主張は一般には通用していない。

高木浩光@自宅の日記 - Winnyの可視化と無断リンク禁止厨の共通関係に見る問題の本質」より

 こういった主張(「URLはパスワードだ」)を私がここしばらくほとんど目にしていないのは、 多くの方々が根気良く無断リンク/直リンクを嫌う方々にリンクの自由を説き続けてきたから……であるなら嬉しいのですが。 (→こちらからのメール第八回に戻る)

公開:2008年1月14日

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