私事情・病気のこと(筋ジス) |
私事情・不安な日々 | 2009.6.08 | 戻る | top | 次へ |
出産後、産科医の勧めに従って、整形外科受診のため準備を始める事に、 整形外科以外に内科受診も必要だと言われていたので併せて病院探し。。。 2ヶ月満たない赤ちゃんを、病院周りに連れ歩くわけにもいかず、実家の母を呼ぼうか迷ったけれど 私から3週間遅れて出産の、妹(殿の妹で愛知県在住)の手伝いに徳之島から来ていた義母(殿の母・・そう姑ですね)を 病院探しする一週間だけと、呼び寄せ、王子1の子守をお願いした。 義母は、エレベーターが怖い(我が家はマンションの4階、一人で出かける時は階段しか使えない)、 赤ちゃんが苦手、都会が苦手、それなのに 一週間なら手伝うと、快く、妹が住む愛知から東京まで足を伸ばしてくれました そう、私はとても運が良い。妹の出産が私の3週間後だったから、子守をゲット出来た(笑) この時は通院先が決まれば、後は治療するだけだと思っていて、問題の大きさを予期することもなく やっと、このモヤモヤ感から解放される事を期待し喜んでいた。 まだ診察も受けてないのに・・・・・・・・問題が解決したかのように肩の荷を降ろしていた 行きつけのスナックのママさんが、評判が良いという地元の整形外科を3件教えてくれた。ありがたい ![]() ![]() 1件目、雑居ビルの2階にある「a整形外科」 レントゲンをとって、「うーーん 姿勢が悪いから圧迫してるんだね しばらく牽引をしてみたらどうかな?」 姿勢が悪いのは、歩きにくいからと一生懸命説明しても 姿勢が悪いから歩きにくいんだよって、やさしく説明してくれる・・・・・ 私の話を、真剣に聞いてくれないので、優しい先生だったけど「こりゃダメだ」ってね次に行くことにした ![]() ![]() 2件目、一戸建てのような感じだけど、立派な作りの「b整形外科」 整形外科は足腰不自由な人が、受診するのだろうに、スロープも手すりも無くて 路上からは4段ほどのきれいなタイルの階段が続き、やっとの思いで 玄関を入ったら、スリッパを履き替えて院内に入るのに30pは有るだろう段があって 受診自体を断念した(爆)。 病院は、もっと優しい作りにしてほしいと思ったはず。。。 このときどんな思いで受診断念したか覚えてないけれど。。 病院なのにあり得ない造りだったと殿に報告したことは覚えてる ![]() ![]() 3件目、総合病院内の整形外科 腰痛には、コルセットが決まりのコースなのか、コルセットを処方された *コルセットも処方して、購入する物なんだと初めて知った レントゲンだけではわからない事があると言われ、CTを予約 翌日CTを撮ったが、やっぱり骨自身に異常は認められないから 「腰痛」という診断・・・・原因は不明 「子どもは、前だっこせずに、格好悪いと思うかもしれないけれど おんぶひもで、背中に背負うようにすると 姿勢が良くなるからね、来週は子どもをおんぶしていらっしゃい」 という先生に 「そんな・・・無理です」と、言うしか無い私は、少し怒っていた(爆) 家でも、子どもは小脇に抱えてるのに、外出は乳母車を支えにしなきゃ歩けないって言ってるのにってね(笑) 先生は、私の言うこと少しも聞いていなかったみたい この総合病院で、内科も受診した 通院する事になるなら一ヶ所の方が良いと思えたからなんだけどね 肝機能障害があると診断されたが、授乳中ということもあり 服薬はせず、しばらく様子を見るということに・・・・ ![]() ![]() ここまでで丁度1週間 何も変わらないまま、義母の帰省の日が来てしまった 仕方無いので、後は一人でやるっきゃない。。。と言いつつ 2日だけ、帰省をのばしてもらい もう1件だけ、受診する事に ![]() ![]() 「大変なんだ私!!」と思い知った日 「M整形外科」は、家から徒歩15分の所にある、あまり目立たない病院 私の話を遮ることなく、最後まで聞いてくれた 初めての事だった 私の話を一通り聞き終わってから、「まっすぐ歩いてみて」と私を、診察室の端から端までを歩かせ 初老の先生は静かに 「ゆうこさん、これは整形外科の分野じゃ無いよ『神経内科』へ紹介状を書くからね 今日、私に言ったことをそのまま担当の医師に話してね。 ○○大学病院の僕より腕の良い先生を名指しで書くから それと、診断には検査入院が必要になるかもしれないから 準備出来るところは、下準備しておいた方が良いよ」 初めて、病名を軽々しく言えない病気なんだと思った 初めて、とても大変なんだ私と思った 初めて、誰かに相談しなくちゃっと思った 私は、随分若い頃から親や友人に「相談」するという事をしなくなっていたから 相談の仕方がわからない(爆) それに、私が「相談」なんて言うだけでビックリされる。。でも誰かに相談しなくちゃ 書いてもらった紹介状を手に、いつものように危なっかしい運転の自転車で家路に 家に着くなり、神経内科に関わる病気を調べた あっという間に、いくつかの病名を調べることができ 私は、このやっかいな病気の中の一つを患っているのかと唖然とした事を今でも思い出す でも、筋ジストロフィーの病名は、私が選んだ病名の中からは外されていた そう、血縁者にその病気の人が一人もいなかったから ![]() ![]() 義母の帰省時期は、もう伸ばせないので、 この日から、暫くは子どもを連れて、行動することに ![]() ![]() 大学病院の神経内科受診の日 紹介状に名指しされていたのは、神経内科の助教授だったけど 初診の担当医師は、少し若い青年だった。。。とても無口で 何を質問するわけでもなく、黙々とカルテになにやら書き込んでる 沈黙の時間が、耐えられなくて 「質問しても、いいですか?」 「どうぞ」 「少し調べてみたんです。多発性筋炎とか硬化症とか、 可能性のある病名を検査前に教えていただけるのでしょうか?」 しばし沈黙 「あの」 「私は、聖徳太子じゃ無いんですから、二つの事は一緒に出来ません」 私って気が短いの 「それならば、どうぞと言わないでください。この時間は問診じゃないのですか?」 「すみません。書くことが多くて、次回は助教授の予約を入れますので。。。」 可哀想な事をしてしまった。きっと紹介状に多くの事が書かれていて 問診する必要が無く、書き写すのに15分枠いっぱいだったんだろうと、後で思ったけど ダメダメ、お医者さんは愛想良くないと、患者の不安がよけいに大きくなるよね ![]() ![]() 助教授の診察・1990年5月中旬 そして、次の受診の時、王子1を連れながら助教授との話が始まった 私より一回りほど上(40歳前半)かなと思う、若い助教授 「色々心配だと思いますが、まず検査しましょう。入院出来ますか?」 3ヶ月は、母乳で育てたかった私は、1ヶ月先(1990年6月後半)に 入院出来るよう準備を勧めることに 入院までの1ヶ月、通いで出来る検査をしながら、母乳を粉ミルクに切り替える準備や 実家の母に入院中の王子1の子守の為に、徳之島から上京を依頼し あっという間に、入院の日に 予定は6日間(検査日数が6日間で入院は8日間でした)、筋生検(きんせいけん)を含む さまざまな検査が、私を待っていたけど。 1日1度、おっぱいを飲ませるために、母が連れてくる王子1が私を癒してくれるだろう 漠然とそんなことを思いながら入院手続きをし 病棟の私の場所へと荷物を運んだ。。4人部屋のお仲間は 家族に付き添われ、検査の為の入院で みんな、私と同じように不安な人たちだった・・・・ 1週間後の、良くも悪くも結果を待ち望む仲間たち、重いオーラが漂っていて 1週間ここで、過ごすのかと思うだけで、ため息がでた ![]() ![]() 検査の種類と入院中の日々は次に |
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