私事情・病気のこと(筋ジス) |
私事情・診断前 T | 2009.5.6 | 戻る | top | 次へ |
いつもは、スニーカー、ジーパン、トレーナー姿 そして、20分の徒歩出勤。。これが私の日常 秋晴れのその日は、会社が行うイベントの仕事の為 数ヶ月ぶりに、低いヒールのパンプスとスーツで、出かけた朝の事 なんだか、足が地に着かない。 男性にはわからないかも・・女性ならわかるかな?。 ヒールの高い靴を履いたときバランスを崩して足首が外に「カクッ」ってなる状態 しばらくはカクンカクンしながも何とか歩いていたのだけど 一歩も前に進めなくなってしまった。。 仕方なく、パンプスを脱ぎ、裸足で数メートル先の靴屋まで行き 開店前の店の扉をたたき、店主にお願いして運動靴を売ってもらった 店主がお店にいてくれて、幸運だった。営業所集合時間に間に合って良かった。 こんな事しか考えて無かったと思う 今なら、つま先に力が入らず体を支えるバランスが取れないから 「カク、カク」したんだと理解出来るけど。。その時の私には想像も出来ない事だった そうは言っても普通なら、ここで異変を感じるはずなのに 10日程前だったか、バイクを止めようとした時に転んで 体のあちこちに打ち身を作ってしまい、特に足が痛いというわけでも無かったけれど 足首を痛めてしまったんだと自分の中で納得してしまっていた パンプスが履けない程、足首を痛めた原因と思いこんでいた、 「バイクを止められなかった」理由が、 つま先立ちが出来ないせいだったんだと、病気がわかって初めて気づいた このころの私は、会社勤めとは別に データー入力の仕事と行きつけのスナックのママさんが都合悪いときの代理ママさん そして、殿が始めた仕事のお手伝いと忙しい日々を過ごしてたうえに 前年の、健康診断で肝機能障害の傾向があり注意するようにと言われていたので 運動不足と疲れが出たんだと思いこんでいたのね 会社での仕事は、「社内営業」という部署で、仕入れと販売業務に携わっていたのだけど 私は、営業所詰めで倉庫から品物を出しお客様に商品を渡すような事もしていたの (電材を扱う会社なので、時にはパイプやケーブル、大きな照明器具も運ばなきゃならないことが有った) 倉庫は2階建てで、階段を上る事がつらいなっと感じていたけど、手すりを使えば上り下りは出来ていた ただ、やたらと疲れるのと筋肉痛(脱力感のようなもの)に悩んでいて、 湿布が手放せないでいたのに、やっかいな病気だとは、全く思っていなかった 職場といえば、覚えることが多すぎる職種だった為か、 女性社員は長続きせず、私の仕事は増える一方 さらに他の営業所の新人教育までも押しつけられてしまい とても、私の能力と体力では消化出来ないと、退職を希望したのに 時間短縮でも良いからと快く辞めさせてくれないので、上司と、よーーくぶつかっていた(爆) (補充人員の確保が出来ないとね、辞められないよね) それからしばらくして健康診断の季節になり、 再度診断に引っかかった事が退職希望を止められない理由となって 退職願い提出から6ヶ月目に、やっと退職する準備が始まった。 健康診断の日、横断歩道を渡っていたら途中で信号が「チカチカ」しだしたので、 全力疾走するつもりが小走りでしか走れなくなっている事に気づいたが 運動不足は怖いな、走れなくなっちゃうんだと思っていた 本当・・・ここまで来ると「馬鹿」の一言に尽きるが 私の性格のなせる技、 退職したら「エアロビ」とか「ジャズダンス」とかして体を鍛えなくっちゃと真剣に思っていた 今思えば、すでに発症していた「筋ジス」の症状が6ヶ月〜1年の間に急に進行し 体が不便を感じるほど表に出てきたのだと思う これが、27歳〜28歳の私 *疲れやすくなっていた *つま先立ちが出来なくなっていた(私はそんな事に気づいてない) *階段を上るには、手すりが必要になっていた *走れなくなっていた *肝機能障害に間違われたのは、「血液検査GOT,GPT」が高かった為 よく働いた自分へのご褒美に退職後10日間ほど、大阪、神戸、京都の旅を計画 この旅行でも、階段の上り下りが大変、走れない、ヒールのある靴は履けない そんな状態のままだったけど、友達と京都の町をさんざん歩き回り楽しい数日を過ごしながら 肝機能障害は内科に行けばいいのかなっなんて友達に聞いてみたり。。 文字にしながら振り返ると・・・・・あぁ本当に私って、とぼけた奴だとよくわかる(爆) 旅行から戻ったら病院に行こうと予定してたけど 元(電材屋に勤める前の職場)の職場から、部長が不在の数日間だけという条件付き復帰依頼が入ってきて 急いでいる訳じゃ無いからと病院行きをのばし、職場に数日出勤・・ *20歳から23歳まで、勤めていた会社で、新宿まで10日間程通勤 *行きは電車、帰りは誰かが車で送ってくれてた。好待遇(笑) それから数日後、結婚8年目の妊娠に気づき、 喜んだのもつかの間、思いの外つわりが早く始まってしまい つわりは、体の不便を感じる余裕が無いほど重傷で、妊娠2ヶ月めから週1〜2の点滴に通う羽目に・・ お腹の赤ちゃんが育つにつれ、動きにくく、腰が痛い、体中がだるいという症状や バスのステップに乗れないから、バスを利用できない、こんな事が続いていたけれど 産婦人科の医師の、、適度な運動を心がけて、(屈伸運動やヨガ等々) 「出産したら良くなるよ」の言葉に励まされ10ヶ月乗り切った。。がしかし 陣痛が来た日、動きにくい体を産婦人科までの 分娩が楽になるようにという産科医指示の元 歩いて、やっとの思いでたどり着いたのにも関わらず・・・・ それも2往復・・・・一度帰されたから(爆) 気持ちは準備万端整っているのに・・・・・ なかなか生まれなくて、そのうち体が震えだし・・・ 30時間ほどたったとき、別の病院に運ばれた。 運ばれた先はまったく知らない個人の産婦人科だけど 帝王切開の設備が有るという理由で選んだらしい。 *大学病院等3件に引き受けを拒否されたらしいと後から聞いた。。 *何時の時代も引き受け拒否ってあるんだよね *これ、私の病気とは関係ないけど、私の転院は救急車で運ばれたんじゃ無く *看護士の自家用車の助手席に手術着のまま乗せられ、搬送されたのよ *かかりつけの産科医は、子宮破裂等の状況になることを心配して運んだらしい。 *いろんな目に遭う私だけど、人生最初で最後の「珍事件」だと思う それからさらに9時間後、運ばれた先で王子1は自然分娩で生まれた。 転院先の医師が帝王切開に踏み切らず、自然分娩にこだわってくれたおかげで、 私は、元気でいられるのかもしれない。 「筋ジス」患者の全身麻酔は、心臓が止まっちゃう可能性があって極めて危険なんだと、 病気がわかったときに教えられて、ビックリ!! 何も知らないということは、本当に怖いね 母子手帳には「希に見る難産」の言葉が書かれている(笑) ※後日病気がわかったとき、「病気が悪さして難産になったのかな?」ってお世話になった産科医が、言ってたな、 産後の回復は、人の倍かかって(爆)困った事は確かだけど 熱が出て退院出来ない(3回共に2週間から3週間退院出来なかった)事以外は普通だったと思うんだよ(笑) 出産が済んだら、良くなると言われた体の不調は 出産以前より大変な状態になっていて、1ヶ月検診(実際には出産から40日目)の時に 医師から妊娠中の事は診てないので、わからないけれど、 今の状態は妊娠のせいじゃ無いとしか思えない、とりあえず整形外科を受診するようにと勧められた 私も、やっと「ただごとじゃないかもしれない、私の体」と考えるようになっていた。 28〜29歳の妊娠中の私 妊娠中、適度な運動をするようにいわれたが、出来ることが見つけけられず 地上から4階の自宅までを、一日1回は階段を利用すると決めた *降りるときは、後ろ向きでしか降りられなかった つま先立ちが出来なかった為に、かかとで着地の方法を体が勝手に覚えたみたい *上るときは。手すりに両手をかけて、蟹歩き(横向き)で一段ずつ上っていった 足の裏全体で、体を支えていたのだと思う。これも体が勝手に覚えた方法だと思う *平坦な道を歩くより、自転車が楽だったけれど、 走っている状態からの乗り降りは頻繁に出来ないので、工夫が必要だった *停車中、自転車にまたがった状態で方足を使って支えることは出来なくて、 信号待ちなどで停まるときはガードレールや壁等に足をかけて停まっていた。 思い起こせば、なんと起用な事・・・・身重なのにとても危険だった事に改めて。。。気づく(爆) バイクを使わなくて良かった。。バイクは後輩に売ってしまい手元に無かったことが良かったのかも(笑) 29歳の出産後の私 *長目の距離を歩く時は、ベビーカー等(バギーはダメで背の高い乳母車に限る)の支えが必要になった *料理するときに鍋振り出来なくなった(フライパンは内容量が多くなければ少し振る事が出来た) *カボチャやスイカが切れなくなった。包丁を持つ力が不足したためと思う *鮭などの大型の魚がさばけなくなった *洗濯済み作業服を干すのにベランダまで手運び出来なくなって、担いで運んでた 作業員の作業服、洗濯機1回分が上下6着程度、重さで7〜8kを、肩に担いで、 壁を支えに伝い歩きしベランダに運んた。多いときは1日作業服だけでも3〜4回程度、 家族の洗濯をいれると、かなりの運動量 *子ども(1〜3ヶ月)をだっこできなくて、屋内で移動するときは、小脇に抱え、壁を支えに伝い歩きしていた 見た目は「お猿さん」のようだっただろうと想像する。子どもも鍛えられたかも(爆) *体のパーツ(手足)が、だるくて、だるくて、取り外してしまいたいと思う事がしばしば・・無理だけど *棒針で編み物は出来たけど、かぎ針編みがしにくくなっていた コタツカバーにする予定で途中断念したモチーフが、昨年出てきた(^O^) *ワープロの操作に疲れを感じるようになった事、手作業での帳簿記載が大変になったので コンピューターを入れ、仕事環境を変え始めた *缶ジュースのフタが手であけられなくなっていたが、コイン等を使って開けていた *手すりを使っても、階段の上りは1階から2階までが、限界だった そして、翌月から 評判の良い「整形外科医」を探し始めた 病院巡りの話は、次に・・・ 次回は5月中の予定ですが。。。未定(笑) |
私事情・診断前 T | 2009.5.6 | 戻る | top | 次へ |