1948(昭和23)年頃、焼け野原だった日暮里駅前に甘い物を扱う露店が建ち並ぶようになりました。当時は砂糖などの食料品同様、菓子も統制下にあって子供も大人も甘い物に飢えており、日暮里駅前は大変な賑わいを見せていました。1952(昭和27)年に砂糖や小麦粉の統制が撤廃され、表立って商売が成り立つようになった頃、区画整理事業によって露店街は駅の北東に移転しました。
日暮里の駄菓子問屋街としての最盛期は昭和20年代後半から30年代。かろうじて50年代までその賑わいを維持していましたが、都心部で子供が減り、バブルによって駅前の再開発が進むと、4路地あった問屋街は1つを残して駐車場やマンションになりました。現在、駅東口近くの駄菓子屋横町がわずかにその風情を残しています。
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