鶯の声くらべを「鶯の啼き合わせ」と言います。 鶯の里と言われた根岸あたりでは、江戸時代の後半頃から「鶯の会」と称して毎年4月に鶯の啼き合わせをしていました。
愛鶯家が美しい篭に入れて自慢の鶯を持ち寄り、笹の雪あたりから音無川沿いの家を借りて軒端に吊るします。 人々は立ち寄ってはその声を品評し、最も美しい声で啼く鶯に投票するのです。
盛んに開かれていたのは明治中頃まで。 鶯谷アパートの地所の元の持ち主だった日本鉄道株式会社(JRの前身)の創始者・白杉政愛氏も大の愛鶯家でした。
この家には広々とした庭があったので鶯の会のときには4、5羽預かったと言います。 また地方からやってくる参加者が泊まれるように、3〜4部屋空けたと言いますから、根岸の里の鶯が全国に名を馳せていたことが窺い知れます。
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