現在の日暮里地区には、江戸時代から明治初めまで金杉村、新堀村、谷中本村がありました。東日暮里5丁目あたりは金杉村杉崎でした。金杉村の中でも音無川の北側はほとんどが田圃。はるか遠くに三河島の大六天社がぽつんと見えていたと言います。
田畑の北側の三河島境には沼地があり、この付近で将軍の鷹狩りのために鶴の餌付けをしていました。『東海道五十三次』で有名な浮世絵師歌川広重は、この鶴の風景を『江戸名所百景』の一つとして描いています。同じ頃の地図には、音無川の北の田圃のうちに「ひばり」「ためつる」「家々に梅多し」「雪見よし」という書き込みがあり、静かな田園のようすが偲ばれます。
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