The Fairest Of The Fair




「ガルマ様、アズナブルに肩入れなさるのは、やめたほうがいいですよ」

 眉を顰めて心配そうに言ってきたのは、例によってとりまきの一人だ。
 ガルマはまたかとつぶやくと、うんざりとした表情になった。
 どこをどう伝わったのか、ガルマはいつの間にかシャアに肩入れしていることになっていた。現実はどうかというと、肩入れもなにもシャアとはあれっきりで、あいかわらず避けられているし、話もできない。そんな状況を生み出す原因であるとりまきに、偉そうに口出しされたくない。

「君までそんなことを言うのか―――いったい、彼が君らに何かをしたのか?いいかげん、その手の話は聞き飽きたよ」
「いろいろと良くない噂のある男です。ガルマ様にはふさわしくありません」
「地球生まれだとか、孤児だとか、そんな噂だろう。そんなの関係ない。士官学校を卒業すれば、皆少尉クラスからのスタートだ」
「その話ではありません。…アズナブルが、どういう手段を使って士官学校に入学したのか、ご存知ですか?」
「彼は市民奨学金を受けているという話だから、ハイスクールからの推薦をうけて、一般試験と面接を受けたのだろう」
「やはりご存知ないのですね。あくまでも噂なのですが…その際、体を使って試験資格を手に入れた、という話です」
「な………!?」

 さすがに驚いたガルマに、してやったりと、とりまきはほくそえんだ。
 士官学校の入学基準は極めて厳しい。スパイ防止も含めてだが、素性を一切調べ上げられる。そのうえで、まず入学試験をうけるための試験に合格しなくてはならなかった。面接を含めた、様々な教科の試験をクリアして、はじめて入学試験の資格を得ることができる。最初からそれらの試験を免除されているものもいるが、大抵軍人や貴族の子弟で、ガルマももちろんその一人だった。

「……の際に、面接官の一人と取り引きをしたというもっぱらの噂です。なにせあの美貌ですから、あながち嘘ではないかと―――」
「…恥ずかしいとは思わないのか?」
「ですから、恥を恥とも思わぬ生き方をしてきた男です。ガルマ様には、」
「違う。君のことだ」

 ふさわしくありませんと続けようとした彼は、突然遮られてたじろいた。ガルマの顔色を見て、一歩後ずさる。あきらかに、ガルマは怒っているのだ。

「他人のそんな評判を鵜呑みにして言いふらすなんて、仮にも貴族のすることか」

 あくまでも噂、などとよくもぬけぬけと言えたものだ。言っているのは、彼をはじめとする者たちであることくらい、ガルマは承知していた。互いに悪口を言い合っているうちに、これくらいはやっていそうだと誰かが言ったのだろう。そんな、自分たちの妄想を言いふらすこと事態、情けない。
 シャアがもし、そんな手段で入学したとしても、士官学校はそう甘くはない。すぐにボロが出るに決まっている。七光りにすがるしかない彼らのように。シャアが何をさせても優秀なのは、すでに皆が知っていることだ。彼はいつも、周りに実力を示してきた。
 シャアは誇り高い。だから何も言わず、静観を保っているのだ。

「陰でこそこそ悪くいうくらいなら、一つくらい彼に勝ってからにしたらどうだ。少しくらい努力したまえ」

 ガルマにしては珍しい、キツイ言い方だった。もはや怒っているのではない。怒りを通り越して呆れているのだ。
 とりまきは青褪め、唇を引き結び、それ以上の言葉もなくすごすごと引き下がっていった。


























 シャア・アズナブルという名前はもちろん本名ではない。地球で手に入れた名前だった。孤児院のコンピューターが、ランダムに選び出した。孤児院のデータには、シャアの名前が記録されている。しかし、そこで働く職員たちは知らない。もっとも、出所していった子供のことまで、いちいち覚えていないだろう。そういう所を選んだのだ。
 ジオン公国に限らず、スペースコロニーで生まれ育ったいわゆる生粋のスペースノイドの多くは、アースノイドに対してある種の劣等感から生まれる差別的感情を抱いている。そんなことは覚悟のうえで、シャア・アズナブルになった。キャスバルにその名を与えた人は、もっと有利な名を、たとえばジオンの下級なりとも貴族の養子になったほうがいいのではと薦めたが、これで良いと断った。余計な詮索をされて困るようなことは、避けたほうがいい。なにより相手はザビ家だ。何も持たないシャア・アズナブルのほうが動きやすい。立場が悪いからといって何もできないのならば、自分はそこまでの人間なのだ。決意を告げると父の側近であった男はご立派ですと感激した。何が立派なものかとシャアは―――キャスバルは思ったが、彼の感動に水を差すような真似はしなかった。これは、私怨なのだ。ただの復讐にすぎない。
 そう、覚悟の上だ。誰が何といおうが今のシャア・アズナブルは自分の力で築き上げてきたのだ。面と向かって敵意をぶつけてきた者は、実力で捩じ伏せた。陰で悪口を叩くくらいしか、彼らにはもう鬱憤を晴らす方法が残されていない。まったく煩わしいが、それらをいちいち潰していくのも面倒だ。
 だから、放っておいたのだが。
 シャアは自分をとりかこむ顔ぶれに内心でため息を吐いた。彼らには見覚えがある。ガルマのとりまき達だ。ガルマはもう二度とこんなことはさせないと言ってくれたのだが、どうも、懲りていなかったらしい。
 どうして小物というのは群れでしか行動しないのだろう。寄り集まって不満を言い合うことしかできない者たちがほんの少しの勇気を、それも、お互いがお互いの勇気を試しているので、逃げ出すことができない状況を作り上げてしまっている、どうしようもない少しの勇気をだしての行動。しかしそれは一対一の話し合い、もしくは決闘をするほどの勇気ではない。馬鹿げている。

「聞いているのか、アズナブル!」
「聞こえている。私に関して、実に正確な情報だ」

 キャスバルであるということがばれなければ、シャアには怖いものはない。

「確かに私は天涯孤独の身の上で、君等のようにご立派な親類が後ろ盾になってくれているわけではない。だが、それがなんだと言うんだ?」
「分をわきまえろと言っている。本来なら我々は貴様が口を利くことなどできないのだぞ」
「分をわきまえて欲しいのなら、士官学校ではなくそういうところへ行ったらどうだ?さぞ、優遇されるだろう」

 こちらの皮肉に至極真面目な答えを返してきたのがおかしくて、シャアは笑い出したくなった。まったく基本的に人の良いお坊ちゃんたちなのだ。これなら、ジオンのハイスクールにいた頃のほうがよっぽど張り合える相手がいたものだ。身分や家柄や、守っていくものがない者が上へと這い上がろうとする力は凄まじい。そんなことも、このとりまきたちは知らないのだ。知らないからこそ、出し抜かれてしまうのだ、この自分に。

「我々は、ガルマ様をお守りするために、入ったのだ」
「将来ザビ家を背負って立つ軍人となられるガルマ様の、側近になるためだ」

 結局、ザビ家か。ガルマ様のと口では言うが、それはザビ家のためであり、ひいては自分の家のためであり、とどのつまり自分のためだ。

「だったら、『ガルマ様』に優遇してもらえばいい。私は関係ない」

 そこまで言ってやると、ようやく馬鹿にされているということがわかったらしい。むっとして顔を怒らせ、しかし次ににやりといやらしい笑いを浮かべた。

「さすがにアズナブルだな。ガルマ様もそうやって落としたのか?」
「…………?」

 シャア自身はその噂をまったく知らなかった。自分に対する他人の評判などに、興味がなかったからである。

「ザビ家に媚びを売って、可愛がられればこの先何かと有利だからな。その綺麗な顔で、何と言ってガルマ様に近づいたんだ?」
「――――――」

 シャアはぽかんと口をあけた。面食らう、というのはこういうことかと頭の片隅で納得する。何をどう解釈すれば、ガルマとそんな関係になっていることになるのだ。
 ついにシャアは、声をあげて笑い出してしまった。お坊ちゃんなんて、とんでもない。こういうことだけはしっかり大人だ。

「な…なにがおかしい!!」
「いや、失礼……それにしても―――そうか―――」

 シャアはなんとか笑いを収め、笑いすぎて目尻に溜まった涙を拭った。とりまきたちは顔を紅潮して肩を震わせている。他人からこれほど笑われたことが、屈辱なのだろう。

「ザビ家に媚びを売って、は傑作だな」
「まったくだな」

 御大登場か―――。実にいいタイミングで現われたガルマに、シャアは覚悟を決めた。
 シャアとしては、ガルマと親しくなるつもりはなく、むしろ遠慮したいと思っていた。できれば関わり合いになりたくない。彼はいずれ殺すつもりの男だ。今は黙って観察をしていればいい。もちろん近くにいたほうがいろいろと弱点を探りやすいが、親しくなって殺意が揺らぐことを、シャアは懼れていた。
 だが、どうも周りは自分たちをくっつけようとしているとしか思えない。こちらが避ければ避けるほど、近づけようとする力が作用するようだ。
 ならば、その力に逆らわずにいてやろう―――。シャアは腹を決めた。どのみち無関係でいられても、無関心ではいられない。近くにいても親しくなれるかどうかはわからないし、親しくなったからといって殺せなくなるとも限らない。運命という言葉は好きではないし、信じてもいないが、おそらくそうなのだ。

「いつからそこにいたんだ?」

 硬直してしまったとりまきに代わって、シャアが訊いた。

「最初からだ。良くも悪くも、君は目立つからね。今ごろ学校中の噂になっているだろう」
「君も案外意地が悪いな。助けてくれれば良かったのに」
「君がどうするか、興味があったんだ」
「ふふ。それで?」

 ガルマはそこで、はにかみを見せた。しばらく視線を彷徨わせ、言葉を選んで、言った。

「私は…もうわかってしまっているとは思うが、君と友人になれたらと思っている」

 今までなら、ガルマがそんなつもりはなくても、周りがガルマを放っておかなかった。望むと望まざるとに関わらず、いつの間にか人に取り囲まれていた。友人になりたいなどと言えば、相手はつけあがるだけで、望むような友人関係になれたことは一度もない。
 だが、シャアとなら―――。何故シャアとならと思えるのか自分でも不思議なのだが、大丈夫だと感じた。
 返事を待つガルマに、シャアが言った。

「私は顔で選ばれたいとは思わないし、友人くらいは自分で選ぶ」

 きっぱりと斬り捨てると、青褪めて立ちすくんでしまったガルマと息を飲んだとりまきを残して、シャアはその場を後にした。
 友人になる決心はしたが、欲しいからといってただ与えてやるつもりはない。欲しければ手を伸ばせ。縋りつき、懇願しろ。君からだ、ガルマ―――後を追う口実は与えてやった。さて、どうする?

「シャア!」

 思惑通り、ガルマはシャアを追ってきた。立ち止まり、振り返ると、ガルマは腕をつかんできた。さすがにとりまきはついては来ない。

「誤解だ、シャア。彼らの言ったことは本気にしないでくれ。君のことは綺麗だとは思うが、顔が好きだから友人になりたいわけじゃない」
「………ほぉ」

 なんだそれは。あいつらの言ったことはあながち嘘ではないのかとシャアは内心眉を顰めたが、深く追求はしなかった。

「私の周りには、ああいうのしかいなかったから…」
「ああいうの、とは酷いな。彼らだって必死だろうに」
「だが、友人とは呼べない」

 ひどい嫌がらせをされたのに、庇うのか。ガルマは意外な面持ちでシャアを見た。シャアは肩を竦め、

「まあ、許してやりたまえ。それに、悪いことばかりではなかっただろう。少なくともきっかけにはなった」

 腰に手を当てて、もう片方の手でガルマを指さした。

「正直に言うが、僕は君がザビ家をカサに着た、我儘で傲慢で嫌なやつだと思っていた」

 真面目な表情のシャアに、かえってそれが冗談だと伝わった。ガルマはほっとして顔をほころばせた。今までの緊張がすうっと解けていく。

「そうだな…感謝すべきか?」
「そこまではしなくてもいいだろう。少しずつ君好みにしていけばいい。いずれは君の側近になるそうだから。―――ガルマ」
「え…っ」

 突然名前を呼ばれて、ガルマは戸惑った。士官学校へ入学して初めて、「様」を付けずに呼ばれた。そういえば、自分はいつの間にか彼をファーストネームで呼んでいた。いつも想像のなかの彼に呼びかけるように。シャア、と。

「ガルマ。僕は友人を様付きで呼ぶほど悪趣味ではないのでね。嫌なら改めるが?」
「いや、かまわない」

 かまわないどころか、嬉しかった。きっと、そう言ってくれるシャアだからこそ友人になりたいと思ったのだ。ガルマがシャアをファーストネームで呼んだ意味を、それに込めていた想いを、シャアが受け止めてくれたことが、嬉しかった。

「これからよろしく。シャア」

 ガルマが伸ばした手に、シャアの手が重なる。温かいシャアの手が触れた途端、歓喜が湧き上がった。やっと、シャアを手に入れた。

「こちらこそ。君がいいやつで良かったよ。ガルマ」

 軽口を返して、シャアは微笑んだ。それは、ガルマが、シャアを初めてみたときに望んだ微笑そのものだった。

「あ………」

 ああ、やっぱり綺麗だな。うっとりと見蕩れながら、ガルマはようやく思い出した。どこかで見たことがある、あの既視感。そうだ、あれは―――

「ガルマ、どうした?」
「いや、なんでもない」

 自分の発想に、ガルマは顔を赤らめた。なんて子供っぽいのだ。染まった顔をごまかすように、ガルマは前髪を指で掬った。






「そういえば、以前聞いたのだが。僕とどこかで会ったことがあると言っていたのは本当か?」
「ああ、あれは―――。君に似てる人…人っていうのかな…を見たことがあったんだ」
「なんだ、その曖昧さは。で、誰に似てるんだ?」
「それは―――…秘密だ」
「なぜ?まさか、初恋の人とか言うんじゃないだろうね」
「ち、違うよっ。初恋なんて…!」

 ぱあっとガルマの顔が染まった。初恋だなんて。そんなこと、考えもしなかった。考えもしなかったのに、言い当てられてしまったと感じている自分もいて、ガルマは戸惑った。

「まあ、君が言いたくないのなら言わなくていいさ。そのかわり、勝手に想像することにするから」
「シャア!」






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どんどん長くなっていく…。
ついてこれてますか皆さん……。