The Fairest Of The Fair
「シャア!君、ガルマ様と知り合いだったって本当か?」
シャアにそう言ってきたのは同じクラスのわりと仲の良い男だった。シャアには『わりと仲の良い』というほどの関係の者しかいなかった。わざと親しくならなかった。周りとぎくしゃくしない程度の、程よい付き合い。
「ガルマ様って、あのガルマ・ザビのことかい?」
「ほかにどのガルマ様がいるんだよ」
ガルマは常に様付きで呼ばれた。とりまきたちがそう呼ぶので自然とそうなった。教官たちでさえ授業中でない時にはガルマ様、もしくはガルマ・ザビ君、と呼ぶ。
シャアはそんな特権階級の者たちを冷たく観察していた。なにより滑稽なのは、ガルマがそのことに何の不自然さを感じていないことだった。少し離れたところから見れば、とりまきたちが尊重しているのはガルマ本人ではなく、ザビ家であることがわかるのに。
「まさか―――僕がどうやったら彼と知り合いになれるんだ?士官学校へ来るまでは、TVでしかお目にかかったことはないよ」
ちょっと呆れぎみに笑って否定すると、彼はほっとしたようだった。そういえば彼も一般市民からの入学者だったなと思い出す。人数こそ少ないが、市民からの入学者は皆成績が良く、それだけに貴族達との間にはすでに溝ができていた。
「そうか。そうだよな」
「どこからそんな話を聞いてきたんだ?」
「今まで知らなかったのは、たぶん君だけだと思うよ。何でも、入寮歓迎会の時に、ガルマ様が言ったんだって。どこかで会った事があるって」
彼の説明に、シャアはことさら顔を顰めてみせた。
「そうか…。嫌だな」
「なにが?」
「ナンパの常套句じゃないか、どこかでお会いしましたか?―――なんて」
言って、二人して吹きだした。
士官学校での生活は、シャアが想像していたよりもずっと楽しいものだった。そして、シャアはつくづく養父―――ジンバ・ラルは正しかったと見に染みて理解した。ジンバ・ラルはシャアに、権力がどういうものかを教え、それにまとわりつく種類の人間について教えてくれた。どう対処すべきかも。
「笑い事じゃないぞ。貴族たちときたら、まったく僕らを敵視しているんだ。気をつけたほうがいい」
二人の会話を聞いていたクラスメイトが深刻そうに言ってきた。彼は一応貴族だが、ガルマと親しくなれるほどの身分ではなく、なによりあのとりまき達が嫌いだと、いつも口にしていた。シャアは身分を気にしないから付き合いやすいと言われたことがある。自分のような下級貴族は、上流を気取る者たちからは軽蔑され、市民からは嫌われていたので、シャアのような人間に初めて会ったと嬉しそうに語った。
「僕よりも君のほうが気をつけたほうがいいんじゃないか?口は災いの元だぞ」
「わかってないな。目の敵にされているのは君なんだぞ、シャア」
軽口を続けるシャアに、彼は食い下がった。シャアはすっと笑いを収め、ありがとうと言った。
「わかっている。……なるべく彼らには逆らわないし、衝突しない」
「一回痛い目にあわせてやったほうが、良さそうだけどな」
もう一人がいかにも癪に障ると言いたげに、ふてくされた。
「物騒なことを言うな。まぁ、直接会わなければ暴力沙汰になったりはしないだろう。できるかぎり避けて通るよ」
シャアがそう言うと、二人は安心したような残念なような表情をうかべて、うなずいた。
忠告をありがたく受け取ったシャアだが、彼らに言われなくてもガルマにも、そのとりまきにも近づくつもりはなかった。彼らのなかに万が一『キャスバル』であった頃に出会った者が、いるかもしれない。あのころはこのサイド3の屋敷に客人が多く訪れたし、幼いキャスバルの遊び相手にと彼らは自分の子供を連れてきた。
その筆頭が、ザビ家である。
ガルマに会ったことはないが、ギレンとキシリアにならある。同年齢のガルマと会ったことがないのは不思議な気がするが、おそらくはその頃からザビ家はジオンと距離をとりはじめていたのだろう。
ガルマを避けるのは簡単だった。いつもとりまき達が、得意げにさざめいているからだ。
一人で静かに過ごせるのは、自室と図書館くらいだ。大きな本棚の片隅に隠れるようにして、ガルマは一人ごちた。
士官学校に来て以来、常に誰かが傍にいて、一人のゆっくりとした時間がもてないでいる。今までの生活もまあ似たようなものだったが、決定的に違うのは、家族がいないことだった。覚悟の上だとはいえ、誰もが自分を特別視している。気の許せるものがいないのは苦痛以外のなんでもない。とりまきは友人ではないということをガルマは思い知っていた。
コツン、と微かな足音がして、ガルマはため息を吐いた。また、誰かが探しに来たのか。深呼吸をして気を取り直し、ガルマ・ザビとしての顔を作る。弱さを見せられない。見せればそこに付け入られるからだ。
「あ……」
だが、現れたのはとりまきではなく、シャアだった。思いがけない人物にガルマがつい声を漏らすと、別の棚に行こうとしていたのだろうシャアがこちらを見て、おや、という顔をした。足を止める。
話がしたいとガルマはとっさに言葉を探したが、その間にシャアは軽く頭を下げただけで、一言も発せずに立ち去ってしまった。
はあっとガルマは息を吐き出した。シャアをこれだけ近くに見たのは入学式以来だった。別のクラスということもあるが、どうも避けられていることはガルマも気づいていた。
いつもとりまきがいるのでガルマもシャアに話し掛けることができない。だが、今なら一人だ。ガルマはシャアの後を追った。
「アズナブルか、ちょうど良かった」
後ろ姿なので顔は見えなかったが、シャアに尊大ともいえる態度で話し掛けたのはガルマのとりまきの一人だとわかった。先を越されたガルマはとっさに本棚の影に身を潜め、なりゆきを見守った。ちょっとした好奇心だ。だが、次のセリフでガルマは顔色を変えた。
「その本を寄越せ。ガルマ様がお探しだったものだ」
「これを?」
シャアが手にしている本は艦隊戦術に関する、いわゆる兵法書だった。ガルマが先ほどいた棚とはまったく別の分野である。
「そうだ。まさか、ガルマ様に―――」
「どうぞ」
シャアは最後まで言わせずに、あっさりと本を差し出した。とりまきの彼はあんまり素直にシャアが引き下がったので、続く皮肉が言えず、顰め面で本を奪い取った。
そんなとりまきに、シャアは目を細めた。彼は、自分の背後にガルマがいることに、まったく気がついていない。ガルマは自分のとりまきが自分の、というよりはザビ家の権威をカサに着て傲慢な態度をとるところを見たのは、初めてだったのだろう。なかば呆然として立ちすくんでいる。シャアと目が合うと、顔を紅潮させた。どうやら恥というものを知っているらしい。
「良い友人をお持ちですね」
ガルマが何かを言う前に、シャアは冷たく言い放った。何のことだととりまきがシャアを見て、視線を追って振り返った。怒りに震えているガルマにさすがに顔色を変える。
彼が今までガルマに見せていたのは、少し気の弱い友人、という顔だった。頼って見せることでガルマの庇護欲、末っ子のガルマの、口にこそ出さないが弟妹がいたらいいと思う願望を、上手にくすぐって、甘い汁を吸ってきた。それが、崩れた。
「ガ、ガルマ様………」
シャアは彼のそんな立場などお見通しだった。今何を考えているのかも手にとるようにわかる。どうやってごまかそう。ここでガルマとの付き合いを絶たれたら、家の者、特に父親に何と言われるか。そして彼はこう思うはずだ。シャアのせいにしよう、と。友人の自分より得体の知れないシャアを信じるはずがない。
シャアはこの二人に巻き込まれるつもりはまったくなかった。艶然とした冷笑を青褪めているガルマととりまきに向けると、さっさと立ち去った。あとは二人の問題だ。
「ガルマ様、その、」
「…貴様は自分が一体何をしたのかわかっているのか」
「違うんです、これは、シャアが―――」
「言い訳など聞きたくない。二度と私の名前を使ってこんなことをするな」
見損なったと言い捨てて、ガルマはシャアを追いかけた。シャアに、あれは自分の本意ではないと言わなくてはならない。
シャアの冷笑の意味。あれは軽蔑だった。ガルマの名をカサに着ているとりまきと、そのことに気づいていなかったガルマにも、それは向けられていた。シャアがガルマのとりまきからあのような嫌がらせをうけるのは、これが始めてではないだろうとガルマは思い、そしてそれは当たっていた。
ガルマも、自分が陰ではザビ家の七光りだと囁かれているのを知っている。自分でも時々その通りだと思うことがあるから、それは仕方がない。
だが、シャアに軽蔑されるのは、耐えられない。
「シャア・アズナブル!」
シャアはすでに図書館を出て、寮へと帰るところだった。
「……何か?」
固い表情で振り返ったシャアに、一瞬ひるんだ。
「さっきは、すまなかった」
「別に。あなたが謝る事ではないでしょう」
「そうはいかない。私の名前を使われたのだ。あれは、恐喝じゃないか」
「あなたの、ではなくてザビ家のだろう」
ぐっとガルマは言葉を詰まらせた。そのとおりだからだ。
シャアはふっと表情を和らげた。
「…あなたもいろいろと大変のようだ。気にしなくていい、私はああいうことには慣れている」
それは事実だった。ジオン公国に来て、シャア・アズナブルという名前になってからというもの、見下されたり嫌がらせをうけたり、人間の悪意というものをいやというほど見てきた。慣れたからといって傷つかないというわけではないが。
「シャア…本当に、すまない。二度とあんなことはさせないから……」
「そうしてくれるとありがたい」
とりまきが奪い取った本をシャアに渡して、ガルマは誠意を込めて謝罪した。
シャアはぱらぱらと本をめくり、最終ページ、本の表装の裏側で手を止めた。そこには今までこの本を借りた人の名前と期日が記されているのだが、シャアの名前もガルマの名前も無かった。
「貸し出し手続きをしてこなかったのか?」
「えっ……あ!」
言われて気がついた。ガルマはシャアを追うことしか頭になかったので、手続きを忘れていたのだ。当然図書館の本は、貸し出しの手続きをしなければ館外に持ち出すことは禁止されている。
くすくすと笑って、シャアが言った。
「私が借りてもいいのかな?」
「もちろん…」
図書館へと踵を返しながら、シャアは嬉しそうに本を撫でた。なんとなく一緒に歩きながら、ガルマが言った。
「そういった本が好きなのか?」
「ん…。ああ、兵法書の類は士官学校に来るまで読んだことがなかったのでね。面白い」
司書はおそらくガルマが説明をしたからだろうが、無断持ち出しに怒った顔をしたものの、何も言わなかった。貸し出し期間と最終期日をつっけんどんに告げる。
「アズナブル、よかったら私の部屋に来ないか?」
「あなたの部屋に…?」
寮へと帰る道すがら、再び二人そろって歩きながら、思い切ってガルマはシャアを誘った。
ぎこちないながらも会話をしてみて、もっと彼を知りたいと思った。率直に友人になりたかったのだ。期待を込めて返事を待つ。
「敷居が高そうだ。やめておきます」
だがシャアはあっさりと断ると、一人足を速め、寮に入っていった。
ガルマは今まで誰かを誘って断られたことがなかった。断るにしても、相手は遠慮しているだけで、もう一押しするだけで誘いにのってきた。こんなにもあっさりと、未練も無く断られたのは、だからシャアが初めてだった。それだけに、ガルマにとっては衝撃だった。
立ち尽くす。
シャアはガルマを振り返ることもせずに、背筋をぴんと伸ばして去って行く。
夕陽に照らされるその後ろ姿を見つめながら、なんて美しいのだと改めて思った。
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