The Fairest Of The Fair







 夏期休暇は残り半分。
 期間限定の蜜月。











 眠れるはずがない、と思っていたが、体はずいぶんと疲労していたらしい。目が覚めたら朝だった。記憶にあるどの朝よりも静かな朝。
 ガルマは隣りのぬくもりに目をやった。金糸が枕に散らばって、朝日を反射している。涙の痕の残る、疲労の影の濃い顔。うすく唇を開いて、ぐっすりと眠っている。表情は穏やかだった。

「………シャア…」

 そっと、手を伸ばして頬に触れてみる。隣りで眠っているのが夢ではないかと確認せずにはいられなかった。今も、こうしているのが信じられない。彼が、受け入れてくれたことが。少しかさついた肌の感触がガルマに現実であることを教えてくれる。
 じわじわと、体の奥から歓喜が込み上げてきた。


 同時に、醜い嫉妬心も。



 取り引きだ、とシャアは言っていた。取り引きで、ギレンに―――総帥に、抱かれた。そこには何の感情もないのだろう。少なくとも、シャアには、ない。あったらあのような言い方をするはずがない。

「……………」

 いったい、何と引きかえに、彼はあの男に抱かれたのだろう。
 ガルマは頭を振ってその考えを追い払う。知りたいと思うし、問いただしたいとも思う。けれども、シャアを責めたいわけではないのだ。
 今、彼は隣りで眠っている。それでいいじゃないか。
 ガルマはシャアを起こさないようにそっとベッドから体を起こした。彼が目覚めた時の為に、なにか用意しておこう。
 床に散らばった皺だらけの制服を、眉を顰めつつ着て、部屋を出た。人々のざわめきの無い寮内は朝だというのに静まり返っていた。もっとも今のガルマにとって誰もいないのは好都合だった。シャアの部屋から朝帰り、などという現場を目撃されたら、どんな噂が広がることか。
























 まったく唐突に、シャアは覚醒した。見たことの無い船内で突っ立ったままの自分という状態は現実味が無く、けれども感覚は鮮明だった。
 窓から見える景色は赤茶けた地上で、だからここは飛行戦艦なのだろうとわかるのだが、こんなタイプの船はシャアは知らない。船と一言で言ってしまうには大きすぎて、まるで空母のようだ。
 それももう、堕ちるらしい。
 船内に響く爆発音と警報。なのにシャアには危機感というものをまるで感じ取れなかった。危機感がないから逃げなくてはという気も起こらず、シャアは落ち着き払ったまま、船内を歩いた。
 時々出くわす人々はシャアのことなどまったく眼中にないらしく、とにかくどうにかしようと慌ただしい。どうしたものかと思って、シャアはふとおかしなことに気がついた。
 周囲の音は聞こえるのに、人の声がしないのだ。目の前を兵士が駆け抜けていく慌ただしい足音はするものの、切羽詰った表情から絞りだされているはずの叫び声は聞こえなかった。どうしてだろうと思い、聞こえないものは仕方がないとさっさと諦めて、シャアはブリッジに辿りついた。

「…ガルマ!?」

 そこにいたのは、ガルマだった。
 ジオンの軍服を纏ったガルマは、今まで見たことのない鬼気迫る表情で、髪を振り乱し、操縦桿を握りしめている。
 ズシン、とまた爆発が起こり、船が揺れた。

「ガルマ、何してる!早く逃げないと―――」

 彼の肩を掴んで揺さぶっても、他の者と同じようにガルマの応えはない。

「ガルマ!」

 次に爆発が起きたら、もう終りだろう。ブリッジは激しく揺れ続け、時折船の破片が降ってくる。
 焦れたシャアはガルマの腕を掴んで無理にでも脱出させようとした。とにかくこのままでは、死ぬのだ。自分が死ぬ、という感覚はない。だがガルマは、死ぬだろう。
 それなのにガルマの体はびくともしなかった。こちらを見もしない。シャアは彼の腕を掴んでいるが、それすらガルマにはわかっていないようだ。

「ガルマ!!」

 叫んだ瞬間。目の前に何かが迫ってきた。あっという間にシャアの体はガルマから引き離され、空中へと投げ出された。爆発炎上する船が見えた。奇妙な浮遊感。落ちているのかと地上へと目を向けると、人の形をした巨大なロボットのようなものが見えた。MSだ、とわかったのは、それが生物の頂点に立つものの姿、つまり人間の形を模したものであると、前知識があったからだろう。赤く塗られたMSの、今は閉ざされて見えないコックピット内部が、透けて見えた。MSと同じく赤いジオン軍服を着た、白いマスクで顔面の上部を覆った男が高らかに哄笑している。

 ―――あれは………

 だれか、なんて、考えるまでもない。あれは、 わ  た  し   だ。
 MSから目を転じて、かつて船だったものに再び視線を戻す。もし、たとえ爆発で死ななかったとしても、あの高さから地上へ落ちては、ガルマは助からないだろう。状況は同じはずなのに、シャアは自分が死ぬということは考えなかった。私はあそこにいる。ガルマを殺したのは、わたしだ………
 後悔も罪悪感も、浮かんではこなかった。静かな安堵感がゆっくりとシャアを浸していった。これで、もう、ガルマを騙さなくてよいのだ。もう嘘を吐き続けなくてもいい。もうこれ以上、耐えなくていいのだ。頑なだった心がゆっくりと解かれていく。指先から細胞へと分解されていくようだ。消えていく自分をシャアは感じた。
 違う、消えていくのではなく、自分というものを構築していたものに戻るのだと思った。











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