The Fairest Of The Fair








 幾度かの叩扉にも応えはない。シンと静まり返った寮内は、普段と全く違い不気味なほどだった。最低限にしか点けられていない天井のライト。廊下にはただ一つ自分の影だけが伸びている。
 誰にも会いたくないのかもしれない。それとも…―――まさかの事態を想像して、ガルマは震え上がった。焦燥に駆られてノブを回すと、それは簡単に開いた。音を立てないようにそっと部屋に滑り込む。暗い部屋。廊下から漏れてくる光も扉を閉ざしてしまえば届かない。目が慣れてくるとベッドの上に丸くなっているシャアが見えた。何かを恐れているかのようだ。自分の体を抱きしめている。
 生きているのだろうか。
 僅かな呼気も感じさせないシャアに、再びそんな不安が湧きあがってくる。まるで固まっていたかのような足をぎこちなく動かすと、人の気配に気がついたのかシャアが目を開けた。

「…誰だ」

 鋭い誰何の声が、ガルマの胸に突き刺さった。














 疲れているのは自覚していた。ベッドの中に潜り込んだ途端、意識が途切れたのは覚えている。自分の部屋にいることに安心したのかもしれないが、誰かが侵入したのにも気づかず起きなかったとは、自分でも驚いた。
 こちらを見下ろしている影を認識した途端、体が強張った。緊張が、まったく弛緩していた肉体を一瞬にして臨戦態勢にさせる。全裸である事を忘れて身構えると、相手が困惑したのが伝わってきた。

「……シャア、…僕だ」
「ガルマ…?」

 返答があったことにひとまず安心して、シャアは体の力を抜いた。ゆっくりと近づいてきた相手は確かにガルマだった。
 だが、いつものガルマらしくない。こんなふうに、絶望したかのような、表情のまるでないガルマを見るのは、シャアは初めてだった。思わずどうしたんだと問い掛けてしまいそうになって、それではあまりにもガルマを見損なっているような気がして、止めた。どうしたも何も、彼はこの事態に気づいたからこそ、ここでこんな顔をして突っ立っているのだろう。そうでなければこの行儀の良いガルマが、いくら仲が良いとはいえ眠っている友人の部屋に無断で入り込んだりするはずがない。
 ガルマに好かれている自覚はあった。いくら親友といえども、自分の兄と親密な、それも肉体の関係を結ばれてしまっては、ショックだろう。嫌われてしまっても仕方がないなと、シャアは諦めた。髪をかきあげて、ため息混じりに笑って見せると、ガルマは瞳を揺らめかせた。泣き出しそうに顔を歪ませて俯き、次に顔を上げた時には本当に泣いていた。

「………っ、すまない、シャア…………」

 搾り出された謝罪の言葉に、困惑する。なぜ、ガルマが謝るのだろう。
 ブランケットからはみだした肩と足が冷えて、シャアは今の自分の状態を思い出した。唐突に、羞恥心が湧きあがる。

「何のことだ?」

 ここでとるべき選択肢は二つだ。とぼけるか、認めるか。そろりとブランケットの中に足を戻し、シャアはまずシラを切った。ここでガルマが乗ってくれれば、何事もなかったようにまた今までの友人関係でいられる。もし認めるのなら、きっぱりと離れるか、認めた上で新たな関係を築いていくか、ガルマしだいで決まる。

「兄上が…君に、酷いことを………っ」

 息を詰まらせて言うガルマは、どうやら認めるほうを選んだらしい。それも仕方がない。事実なのだから。事実は取り消せない。これは、真理だ。

「総帥がしたことと、君は関係ないだろう」

 まあ、ここでこんなおともだちごっこを止めるのも、いい機会だろう。自嘲ぎみに笑って、自分でも無理をしていることに、シャアは気づいていた。無くしてしまうには惜しい友人だと、思っている。自分だって何の努力もせずにこの頭の良い男の一つ上をいっているわけではない。何も―――自分の真実を何ひとつ知らない彼に対する後ろめたさも確かにあったが、ガルマとは対等でいたかった。
 だが、それも、もう。
 ガルマが頭を振って、言い募る。

「私のせい…なんだ…。私が兄上に、君のことを話したりしたから………」

 終りだ。
 シャアはわざと酷薄に映るよう、蒼い瞳を眇めた。蒼い眼は時折どうしようもなく冷たい印象を与えることを、シャアは知っていた。

「自惚れるな、ガルマ。君が総帥に何を言ったのかは知らないが、私が一方的に陵辱されたような言い方はやめてくれ」

 残酷な言葉に、弾かれたようにガルマが顔を上げる。信じられない、と言いたげに目を見開いて、

「合意の上だったというのか…?」
「もちろん望んだことではないがね。私もそれなりのものを得た。……取り引きだよ」
「取り引き…」

 呆然と呟いて、ガルマはシャアを見つめた。たった今酷い言葉を紡いだ唇は笑みを刻んでいたが、瞳はガルマから逸らされていた。冷たいブルーアイズはいつか見たように蒼い雫に濡らされて、ひどく不安定だった。
 終りにしようとしている。
 ガルマが予定通りに帰宅していれば、こんなことにはならなかった。総帥とシャアに何があったかなど誰も知ることはなく、休みが明ければ何事もなかったように、シャアは振舞っただろう。そうさせなかったのは、ガルマ自身のせいだ。執着が、彼の傍にいたいと叫び、帰させなかった。
 そして今もまた執着が、二人の間で起こったことを二人の間で終わらせるものかと、声高に叫んでいる。執着は嫉妬と独占欲に繋がっている。暗い部屋の中で青白く浮かび上がるしなやかな肩のライン。そこに総帥が、あの男が触れたのだと思うだけで眩暈がしそうだった。それも、この自分の恋心を差し置いて、『取り引き』などで。

「…………っ」

 そこで、ガルマは気が付いた。差し置いても何も、自分はまだ、シャアに何も言ってはいないのだ。変化を望まなかったのは自分。いつか、と期待だけはしながらも、何もしていなかったのは、自分なのだ。
 シャアは黙ったまま、ガルマの反応を見ている。怒って、罵倒して、出て行くだろうと思っている。心というものは言葉にしなければ相手に伝わらないのだと、この時になってガルマは理解した。
 欲しいものがあるのなら、自分から手を伸ばさなくてはいけない。それが誰かのものだとしたら、力ずくでも奪い取らなければ、手に入らない。たとえその誰かに譲られたとしても、そのことが頭にちらついて、とても自分のものだとは思えないだろう。

「……シャア………」

 言わなければならない。

「私のことを嫌いになっても、軽蔑してもいい」

 だからどうか、嘲わずに聞いてくれ―――。
 ガルマが思いつめた深刻さで切り出すと、シャアは不思議そうに見つめてきた。
 聞こえるのは自分の心臓の音と、荒い息遣い。

 告白をするのは、勇気がいる。

「君が、好きだ」

こんな時にでてくるのは、極めて陳腐で使い古された言葉でしかない。それが、全てだ。


 









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Novel-2








ようやくここまで来ました。長かったなぁ…。
思えばこの告白をガルマにさせたくて始めた話です。