と青春の日々



#91:Love is overfull


昼下がりの執務室は静かだ。
なのに、一向に仕事がはかどらない。
三蔵はため息をつく。
引き出しから煙草とライターを取り出した。
立ち上がり窓辺へ行って、窓を大きく開け放つ。
窓枠に背を預け、一服する。きっちり、煙草一本分。
吸い殻を灰皿に押しつけ、さらに一呼吸分。
そして、三蔵は呼んだ。
「悟空」
するとあたりまえのように、返事がある。
「なに? 三蔵」
窓の外に視線を落として、見つける。
その真下、壁に背をもたせかけて座り込み、こちらを見上げる悟空。
――視線が、合ったから。
三蔵は窓から大きく身を乗り出して、屈んで、腕を伸ばして。
悟空は立ち上がって、つま先立ちで背伸びして、腕を伸ばして。
それから、キスを。


07/01/02



#92:Love is touchy


「ただいまー!」
部屋に飛び込んできた元気な声に、八戒は振り返る。
「おかえりなさい」
どうやら出かけていたらしい。悟空は頬を赤く染めていた。
「外、寒かったんじゃないですか? 春といってもまだ寒いんですから、あまり薄着じゃ駄目ですよ。風邪をひいちゃいますからね」
ついつい世話を焼いてしまうのは、八戒の性格だ。
ただ最近、それを少しおもしろくないと思っているらしい人物がいることに、八戒は気づいていた。
とはいっても、遠慮する必要があるとは思わない。面と向かって何も言われないのだから。
「えー? だいじょーぶだよ」
「駄目ですって。――ほら、耳だってこんなに冷たい」
八戒が両手で包み込んだ悟空の耳は、氷にでも触るみたいな冷たさだ。
「八戒の手、あったかいなー」
「悟空が冷たすぎるんです」
悟空がうっとりしたように目を瞑るから、八戒はしばらく自分の手をゆたんぽ代わりに貸すことにする。
が、横槍が入ったのはそのすぐ後だった。
視線だけは寄越していたものの、沈黙をまもっていた三蔵がやおら立ち上がったかと思うと、近付いてきて。
八戒の手を、悟空の耳から引きはがした。
そして、その耳を、舐めた。
「……うぎゃっ!」
見えなかったとはいえ、何をされたのかはわかったのだろう。悟空が変な叫び声を上げ、三蔵を振り返る。
「あっためてやったんだろ?」
そんなことをいけしゃあしゃあと言う男を見て、八戒は、認識を改めた。
少しおもしろくない、どころか…………ものすごくおもしろくなかったらしい。


07/03/31



#93:Love is responsible


「――セキニンとって!」
唐突にそんな言葉を投げつけられて、かけらも動揺しない男がいるだろうか。
いかな冷静沈着な最高僧といえども、例外ではなかった。
三蔵は、咄嗟に言い返す言葉を持たない。
それは、相手――悟空がどんな意味でそう言ったのかわからないからでもあるが。
それを質そうとするより早く、別の声が割り込んだ。
「心当たりがある、って顔してますね」
「いったいナーニしたんだ三蔵サマは」
悟空の背後からひょっこり姿を現した、八戒と悟浄。
――「心当たり」だって?
そんなものないと言い切るには、三蔵には後ろ暗いことがあり過ぎた。
もちろん、おもしろがる二人の前で認めやしないが。
とりあえず外野は無視することにして、三蔵は気を取り直し悟空に尋ねる。
「その責任、てのは何のことだ」
悟空は鋭い眼差しで三蔵を見上げた。
「――誕生日にはご馳走食うもんだって黙ってただろ!」
ほら見たことか。
半ば予想していたことではあるが、真相は三蔵の「心当たり」とは175度ほどかけ離れていた。
ちらと視線を投げた先――八戒と悟浄が吹き込んだことに違いない。
ついでに三蔵を引っかけようとしたらしいが、そう簡単にはまってなどやるものか。
「でも即答できなかった時点で認めたも同然ですよねー」
「だよなー」
「さんぞーってば! セキニンとって!」
頷きあう黒赤コンビと、しつこくせがむ子供に、「うるせぇ!」と三蔵のハリセンが一閃した。


07/04/08



#94:Love is clumsy


「はらへった!」
一行の万年欠食児童は、今日も空腹のアピールに余念がない。
もうすぐ二十に歳が届くというのに、悟空のこの子供っぽさは、ついつい八戒を甘くさせる。
「仕方ないですね、」
そう言ったのと、三蔵が懐へと手をやるのに気づいたのとは同時だった。
八戒は思わず続く言葉を飲み込む。
「――八戒?」
「ああ、これで何か買ってらっしゃい」
小銭を渡すと、悟空は嬉しそうに店の一つへ駆けて行った。
三蔵を見れば、そのまま懐から煙草を取り出す。けれど。
「すみません、三蔵」
八戒は小さく謝罪した。
あの時、一瞬だけ三蔵が視線を逸らさなければ、八戒は気づかないままだっただろう。
「何がだ?」
しかし三蔵は、八戒の謝罪を受け取ってはくれない。
「……あまり、甘やかさないように気をつけますから」
だから、あなたが甘やかしてあげてください、なんて余計なことは言わず、八戒はさりげなく話題を変えた。


07/04/30



#95:Love is rainy


「…………何してんだ」
「昼寝?」
アホか。すげなく返された。
高くから見下ろしてくる紫暗には、だけど呆れよりも痛みの色を帯びているようで、ことさら笑い話にしてしまいたい。
「俺、バカだし」
笑うと、三蔵は否定もせず繰り返す。
「確かに馬鹿だな」
「三蔵は、何でここに?」
こんな日は、三蔵はいつも部屋に閉じこもってしまう。
それは身体だけではない。心も、悟空の覗けない場所に籠もってしまう。
なのに、外に出てくるなんて。考えられない。
「散歩だ」
「ふーん」
「煙草が切れた」
「あ、なーんだ」
納得して、悟空は自嘲する。
もしかして探しに来てくれたのでは?――と、うぬぼれた期待をしたことを。
そんなはずなかった。
「いつまでそうやってる気だ」
……三蔵が、と悟空は呟く。
「キスしてくれたら起きる」
「……ばーか」
三蔵が少しだけ笑ってくれたから。
悟空も笑って、雨でぬかるむ大地から起き上がった。


07/06/24



#96:Love is invisible


悟浄が「それ」を見つけたのは偶然だ。
彼は変な顔をした――と思う。
悟空に「そんなもの」を発見したせいではない。実のところ相手には心当たりがある。
直接言われたことはないし、訊いたこともない。しかし、なんとなく知っていた。
――三蔵と悟空が「そういう」関係だと。
四六時中いっしょにいれば、どうしたってそういうことは伝わる。八戒も悟浄と同様、気付いているだろう。
だから悟浄はここで、ああやっぱり、と思ってやり過ごせばいい。あるいは、遊ぶネタができたとほくそ笑むか。
しかし悟浄は、そのどちらの気分にもなれなかった。
誰にも見られることを想定されていない――悟空にすらも――その、痕は。
三蔵の執着だ。
悟浄は後ろめたい気分で視線をそらした。
知らずかいま見てしまった他人の秘密をどうすればいいか――対処は一つしかない。
忘れることだ。
秘密は秘密のままに。


07/07/16



#97:Love is iced


夏という季節の暑さは暴力的だ。
額に浮かぶ汗が、つ、と一筋こめかみを伝って流れていく。
耳鳴りのような蝉の声にまぎれ、ぱたぱたと近付いてくる足音は悟空のものだ。
やがてそばで、シャリ、シャリ、という涼しげな音が聞こえてきた。
「……ナンだ、それ」
「かき氷。さんぞーも、食う?」
差し出された氷の食べ物は、透明な色でひんやりと三蔵を誘って、とても誘惑的。
けれどもっと誘惑的なのは。
イチゴシロップで赤く染まった、彼の。
抗いがたい引力で、三蔵を引き寄せる。
「食う?」
沸き上がる、衝動は。
「……ああ」
見つめる先は。
「食わせろ」
――ぜんぶ夏の暑さのせいにしてしまえばいい。


07/08/05



#98:Love is peachy


悟空の顔は、いわゆるふくれ面、というものだ。
原因は、三蔵にあった。
自覚はあるが、責任は感じていない三蔵は、のんきに呟く。
「……桃みてぇだな」
一呼吸分の間を置いて、それが怒りで紅潮した自分の頬のことだと悟空は気づく。
「誰のせいだよ!」
「美味そうだな」
何だソレ。
三蔵は悟空の話などまったく聞いていない。
そしていきなり顔を近づけてきたかと思うと――――噛み付いた。
「ぎゃ!」
「甘くはねぇな」
「あたりまえだろ! 俺は桃じゃねーよ!」
「そうか? ナカは甘いだろ」
さらりと言って、三蔵は意味ありげに悟空のくちびるを指先でなぞる。
「……せ、セクハラー!」
しかし悟空が突き飛ばすより早く、三蔵の手は悟空の顎をとらえ、その甘さをじっくりと確かめていった。


07/08/31



#99:Love is insensible


「……何の用だ」
「え? 別に用はないけど?」
「ならこれは何の真似だ」
「え? あれ?」
悟空は不思議そうに、三蔵の法衣の袂を握る自分の手を見つめる。まるでたった今、気付いたかのように。
三蔵はすっと目を眇める。
それをどう勘違いしたのかは容易くわかる――悟空は慌てて手を離し、ごまかすように曖昧に笑う。
「ワリィ」
三蔵はため息をついて――また悟空は勘違いしたかもしれない――前に向き直り、歩き出す。
しかし、すぐに再び立ち止まることになった。
「だから、何だ」
視線の先は、三蔵の法衣の袂を握りしめている手。
「わ、ごめん」
悟空は焦った顔で袂を離し、しきりに自分の手を見つめる。そこに、他意は感じられない。
「悟空」
呼ぶと、びくりと肩を震わせる。三蔵を見上げた目は、どこか怯えを孕んでいて、羊のようだ。
三蔵は、手触りのいいその髪をくしゃりと撫でた。
ぱちぱちと、驚いたように瞬きする二つの瞳。
「行くぞ」
三蔵は、一方的に言って、また歩き出す。
悟空が慌てて後を追ってくる。そして。
――三度目は気付かないふりをした。


07/10/20



#100:Love is close


じっと三蔵を見つめる。
悟空の視線に気付いた三蔵が、振り返る。
見つめ返される視線。
スタートの合図もなく始まった、二人のにらめっこ。
目をそらした方が、負け。
ちり、とぶつかる視線が火花を散らす。
三蔵の視線は、真っ直ぐに悟空を射抜く。
それが、嬉しくて。
少し、どきどきして。
やがて……落ち着かなくなって。
不意に悟空は、閃く。
三蔵の、悟空を見るあの眼差しは。
(――キスするときの眼だ)
気付いてしまったら、もう駄目だった。
一瞬ひるんだ悟空の気配を感じたのか、三蔵がずいっと接近する。
紫暗の瞳が、迫って。
(ぶつかる)
思わず悟空はまぶたを閉ざした。
ちゅっ、と小さく音をたてて、唇と唇が触れた。
悟空が目を開けると、間近には少し笑った三蔵の瞳。
「――俺の勝ちだ」


07/12/31

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