2010年
04/01 世界の美術展来場者数、日本開催が上位独占=英誌
ロイターより。
サザビーズは6月、パリで開催されるアジア美術オークションに、東洲斎写楽の「市川鰕蔵 竹村定之進」(1794−95)を出品するとのこと。同社によると、同作品は、初刷りが判明しているだけ20点近く。東京国立博物館や大英博物館にも所蔵されている。サザビーズジャパンでは「下部も色もきれいに残っている。個人コレクションとして大切に保管され、状態が特別にいい」としており、予想落札価格は「約3千万−4千万円超」とみている。
来歴は、19世紀末にパリで浮世絵売買を通じてジャポニズム普及に寄与した美術商、林忠正からフランス人日本美術収集家アンリ・ヴェヴェールに渡り、1974年のサザビーズオークションで売買。同社は現在の所有者を明らかにしていないが、日本で保管されているという。
産経新聞より。
ロイターより。
共同通信より。関連記事:スクラップ2008年8月15日「性空上人坐像頭部に遺骨 書写山円教寺の開祖」
共同通信より。
共同通信より。
ロイターより。
京都市左京区の慈照寺(銀閣寺)で12日、観音殿(銀閣、国宝)の修復がほぼ終了し、同寺で落慶法要が営まれた。調査の結果、創建時には、観音殿2階の潮音閣にカラフルな彩色が施されていたことが判明した。
屋根の劣化などに伴い京都府教委が2007年秋から調査、修理を行い、こけらぶきの屋根を約30年ぶりにふき替えたほか、柱の一部など傷んだ部材を取り換えた。
彩色は、2階外壁の上部と屋根の軒下部分に赤と緑、青の顔料がわずかに残っていたことが確認された。府教委によると、漆の上に帯状の花模様などを施していたとみられる。
また一階部分の間取りが変更されていたことが分かった。階段の位置が異なり、現在でいう床の間「仏間構え」が創建当時にあったと考えられるという。現在2階に安置されている阿弥陀像は1階に置かれていたらしい。
京都新聞より。
共同通信より。
全国的に特定外来生物のアライグマによる文化財の被害が目立つなかで、宇治市でも国宝の平等院鳳凰堂や万福寺の重要文化財などの外側の柱で傷が見つかった。
傷が確認されたのは平等院は鳳凰堂のほか重文の観音堂、万福寺の三門や威徳殿、三室戸寺の本堂(府指定文化財)など。昨年3月に関西野生生物研究所(京都市東山区)の調査で分かった。柱にアライグマの特徴である長さ10センチ前後、深さ1〜2ミリの5本指の傷跡が多数残っており、柱を登り、建物の屋根裏に出入りしていたとみられるという。
文化庁によると、アライグマの傷跡は修復方法がなく、捕獲以外の対策はないという。
京都新聞より。関連記事:スクラップ2008年11月7日2009年12月18日
共同通信より。
共同通信より。
北國新聞より。
文化審議会(西原鈴子会長)は16日、京都市の杉本家住宅と、熊本県玉名市の旧玉名干拓施設、三重県伊勢市の旧賓日館(ひんじつかん)など8件の建造物を重要文化財に指定するよう、川端達夫文部科学相に答申した。また、重要伝統的建造物群保存地区として、茨城県桜川市の真壁地区を選定するよう答申した。
ほかの答申  【重要文化財】旧木下家住宅(福井県勝山市)▽清流亭(京都市)▽名草神社(兵庫県養父市)▽琴ノ浦温山荘(和歌山県海南市)▽旧西村家住宅(和歌山県新宮市)
朝日新聞より。
共同通信より。
共同通信より。
共同通信より。
千葉日報より。掛軸は千葉市美術館で開催される「田中一村 新たなる全貌」にて公開予定とのこと。会期は2010年8月21日(土)〜9月26日(日)
長崎県美術館:日本初、エル・グレコ「聖母戴冠」の展示を延期 火山噴火の影響で
4月20日付毎日新聞より。4月25日毎日新聞によりますと、24日から展示が始まったとのこと。
火山噴火で美術品も足止め、特別展に間に合わず/神奈川・箱根ガラスの森美術館
4月22日付神奈川新聞より。美術館公式ブログによりますと、こちらも展示は始まっているようです。
アイスランド:火山噴火 金沢21世紀美術館の企画展にも影響 絵画2点の到着遅れる /石川
4月23日付毎日新聞より。
モディリアーニ(1884〜1920年)の彫刻「カリアティッドの頭部」が、パリで6月に競売に付される。23日付の仏紙フィガロによれば、最高600万ユーロ(約7億6000万円)での落札が見込まれているとのこと。
競売に掛けられるのは、1912年に発表された高さ65センチの彫刻で、台座部分に作者のサインがある。仏大手スーパーチェーン「モノプリ」創業者で、美術品収集家としても知られるガストン・レビ氏が出品した。
時事通信より。
共同通信より。
4世紀に朝鮮半島の百済王が日本の王のために造ったことが金の文字で記された、石上神宮(奈良県天理市)の「国宝・七支刀」について、製作技法がこれまで定説とされた鍛冶による「鍛造」ではなく、鉄を鋳型に流し込んで作る「鋳造」との新説を、古代刀剣復元の第一人者で刀匠、河内國平さんが復元をもとに打ち出した。
七支刀(長さ75センチ)は、左右に3本ずつ枝分かれした小さな刃が備わった特異な形。刀の表と裏面には、金線を溝に埋め込む「金象眼」という技法で計61文字の銘文が刻まれる。銘文の「百練」の文字から、歴史研究者の多くは「百回も鍛えて造った刀」と解釈し、通常の日本刀と同様に鍛造で製作されたと考えられてきた。
河内さんは昭和56年に鍛造で復元したものの、枝分かれした刃を造る際に鉄を加熱すると、別の場所が熱でひずむなどし、当時から定説となっていた鍛造に疑問をもった。その後、実物を詳細に調べた結果、刀の表面がわずかにふくらんでいることを確認。鉄をたたく鍛造では表面が平坦になることから、平成18年に鋳造で造ったところ、実物と同じように表面をふくらむように仕上げることができたという。
産経新聞より。






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