2009年
03/02 酒豪が描いた酒豪の襖絵…芦雪作 京都で確認
長沢芦雪(1754〜99)が描いた襖絵4面が、京都市内で確認されたとのこと。
「張旭揮毫図」(各縦167センチ、横91センチ)。張旭は草書の名人で、杜甫の詩「飲中八仙歌」に登場する酒豪8人の一人だったことから、絵には酒瓶を持った童子が登場する。その横に、張旭が筆を手に紙に向かう姿を描写。筆の先から書が立ちのぼり、ろうそくの炎が揺れている。
襖絵は、公立学校共済組合の保養所「花のいえ」(京都市右京区)が保管。泉万里・京都市文化財保護審議会委員(日本絵画史)が鑑定し、作品の特徴や落款から芦雪の作品と判断したとのこと。
読売新聞。襖絵は6月頃に保養所内で公開するとのことです。
共同通信より。イブ・サンローラン氏の遺産として先月競売にかけられたウサギとネズミのブロンズ像についての記事。
京都市の建仁寺で1月、本尊の十一面観音座像が盗まれた事件で、京都府警捜査三課などは2日、窃盗と建造物侵入の容疑で三重県四日市市の会社社長を逮捕したとのこと。自宅からは、この仏像を含む21体の仏像と、掛け軸3点などが見つかった。同課によると、容疑者は容疑を認めているという。
京都市内では昨年から今年にかけ、毘沙門堂(山科区)の毘沙門天立像、東寺(南区)の不動明王立像などが盗まれる事件が相次いでおり、同課は自宅で見つかった仏像の鑑定を急いでいるとのこと。
時事通信。スクラップ2009年2月1日の続報です。どう見ても余罪がありそうな自宅の様子。
共同通信より。3月6日付共同通信によりますと、建仁寺と東寺の仏像は返還されたそうです。
共同通信より。
共同通信より。
岸田劉生の油彩画「静物(砂糖壺・リーチの茶碗と湯呑・林檎)」が、21日に東京・丸の内で行われるオークションに出品されるとのこと。主催するシンワアートオークションは、落札予想価格を1億〜1億5000万円と見込んでいるとのこと。
作品は劉生の代表作のひとつ。縦45センチ、横53センチのキャンバスに林檎、砂糖壺などが描かれている。複数のコレクターが所蔵してきたが、昭和41年以来、展覧会などにも出品されていなかったといい、43年ぶりに姿を現した。
劉生作品は、平成12年に「毛糸肩掛せる麗子肖像」が、3億6000万円という国内での日本作家の最高落札価格を記録している。
産経新聞。記事中の「毛糸肩掛せる麗子肖像」はウッドワン美術館所蔵になっていますが、今回出品される作品はどこに落ち着くことになるのでしょうか。岸田劉生といえば4月25日(土)〜7月5日(日)、損保ジャパン東郷青児美術館で「没後80年 岸田劉生 -肖像画をこえて」が開催されるようです。
滋賀県立琵琶湖文化館は5日、同館で「土管」として収蔵していた信楽焼の陶器が、江戸中期の花器である可能性が高まったと発表したとのこと。複数の花器に花を生ける「寄生け」に使われたとみられる。
陶器は細長い円筒型で直径約10センチ、長さ55センチ。裏に「元文六年(1741年)酉ノ卯月吉祥日」と製作年が刻印されているとのこと。信楽焼で製造年を記すのは珍しく、江戸時代で8例目という。
同館の目録では「土管」とされていたが、ハレの日を表す「吉祥日」の刻印や下方に重心をおいた形状が建築資材として不自然だったため、昨年11月から再調査。外側を部分的にくぼませたり、らせん状にハケ目をつけ、“見せる”ことを意識した技巧も見つかり、花器と判断された。
毎日新聞。滋賀県立安土城考古博物館で開催中の「大信楽Oh!Shigaraki焼展 −出土資料を中心に−」で特別公開されているとのこと。2009年3月29日まで
世界各地で劣化や剥落の危機に直面している古い壁画の保存、修復技術や、活用方法について多角的に研究する「文化財保存修復研究拠点」を、関西大が設立したとのこと。最初の活動として、21日からエジプト・カイロ近郊にある世界遺産・サッカラの地下墓で調査を始める。研究成果は、エジプト同様、乾燥地帯にある中国や中央アジアにある壁画のほか、日本の壁画保存にも生かせる見通し。
研究拠点は関西大のほか、大阪工業大など日本の3大学とエジプトの2研究機関から文化財保存科学、地盤工学、微生物学などの専門家15人が参加し、今年1月に発足。サッカラの地下墓では、古代エジプト壁画が劣化した原因の解明に加え、保存修復の技術などを5年がかりで研究するとのこと。
読売新聞。
共同通信より。
共同通信より。グーグルの「急上昇ワード」に奈良美智とあり、何かと思いつつ見てみたらこのニュースが載っていました。
共同通信より。仏像窃盗事件の続報です。
共同通信より。衝立は「東本願寺の至宝展」で公開されるとのこと。 [会期・会場] 2009年3月18日(水)〜3月30日(月):日本橋高島屋 / 4月8日(水)〜4月20日(月):大丸札幌店 / 4月29日(水)〜5月11日(月):高島屋大阪店 / 5月13日(水)〜5月25日(月):高島屋京都店 / 9月19日(土)〜10月25日(日):松坂屋美術館 関連・東本願寺で狩野元信発見:スクラップ2009年1月16日
源氏物語絵巻の研究などで知られる美術史家で、東大名誉教授の秋山光和(あきやま・てるかず)氏が10日、死去した。90歳。
京都市生まれ。1950〜52年、フランスに留学。エックス線などで材質や技法を分析する光学的研究法を日本に導入。実証的な姿勢と鋭い鑑識眼で、源氏物語絵巻や京都・平等院鳳凰堂壁画など平安時代の絵画研究を大きく前進させた。主著「平安時代世俗画の研究」で67年、学士院賞。
読売新聞。
第34回木村伊兵衛写真賞の受賞者は浅田政志氏に決まった。選考委員は、篠山紀信、土田ヒロミ、都築響一、藤原新也の4氏とアサヒカメラ編集長。
受賞した浅田さんのテーマは「家族」。受賞作「浅田家」は昨年夏に写真集、写真展で発表された。
朝日新聞。
共同通信より。
石清水八幡宮(京都府八幡市)で、江戸時代前期とみられる太刀「玉纏御太刀(たままきのおんたち)」が見つかり、同八幡宮が10日、発表したとのこと。赤、黄、青などガラス玉が巻き付けられた意匠が約300年ぶりに明らかになった。太刀は長さ145センチ。刀身はやや反っており、針金でまとめられたガラス玉が、鞘部分にひし形状に巻き付いている。柄の金具には唐草文様があしらわれている。
本殿は2005年から約40年ぶりに修復しており、漆塗りの木箱に入った状態で07年に見つかったとのこと。同八幡宮や文化庁などが調査し、唐草文様のデザインや箱の漆などから、江戸時代前期の作である可能性が高いという。ほかにも同時期に作られたとみられる太刀や弓矢が見つかった。
玉纏御太刀は伊勢神宮の神宝の一つとして知られ、平安時代末〜鎌倉時代前期、室町時代の2点(ともに重要文化財)などが残る。
読売新聞。
共同通信より。
野洲市の市歴史民俗博物館に市民から寄贈された「近江八景図屏風」が、円山応挙の晩年の弟子・吉村孝敬(1769〜1836)の作品であることがわかり、同館が11日、発表した。写実的な近江八景図では最初期の作品とみられるとのこと。
屏風は六曲一双で、一隻は縦118.4センチ、横245.6センチ。「瀬田夕照」など琵琶湖周辺の名所が淡い水墨で描かれているとのこと。墨書や落款から、円山派の絵師で「応門十哲」の一人に数えられる孝敬が、1799年(寛政11年)に描いた作品と判明した。
江戸時代中期までの近江八景図は、公家や武家の屋敷などに飾るために大和絵方式で描かれ、実際の地理などはデフォルメされることが多い。これに対し、今回の作品は、比叡山や瀬田唐橋東詰のたもとの町並みなどを細密に表現しており、裕福な町人向けに描かれたとみられる。写実的手法を取りいれた近江八景図としては、これまでより年代が四半世紀さかのぼるという。
読売新聞。屏風は野洲市歴史民俗博物館で14日〜4月19日特別公開されるとのこと。
共同通信より。
共同通信より。
入江泰吉(1905〜92)が戦前に撮影した文楽の写真のオリジナルプリント1枚を、大阪市立大の研究グループが発見したとのこと。1940年に大阪で開かれた「世界移動写真展」での優勝作品とみられる。入江の作品は約8万点残っているが、戦前の作品は45年の大阪大空襲で焼失して30枚余りしかないという。
縦25センチ、横20センチ。30年代に現像されたとみられ、セピアに変色している。大阪市にあった文楽座で人形遣いの名手、吉田文五郎が人形を操る様子を活写しており、裏に「入江泰吉」とスタンプが押されているとのこと。同展の図録から、第2期「春の部」で1等に輝いた組み写真「春の文楽」の1枚とみられる。
読売新聞。
共同通信より。写本は今月18日から同寺で開かれる「石山寺と紫式部」展で公開する予定。とのこと。
共同通信より。
グラン・パレで18日からアンディ・ウォーホル(1928〜1987)の「肖像画」の展覧会が始まる。だが、フランスのデザイナー、イブ・サンローランの肖像画4点の展示の仕方を不満としてサンローラン公私のパートナーが展示を拒否したとのこと。
展覧会には世界の各界の有名人250人の肖像画が展示され、サンローランの肖像画はジョルジオ・アルマーニら他の著名なデザイナーの「肖像画」とともに、「グラマー(魅力ある人物)」のコーナーに展示される予定だった。ところが、サンローランの肖像画の所有者でもあるベルジェ氏が展覧会の直前になって、「ウォーホルは生前、サンローランはフランスの最も偉大な大芸術家と言っていた」と述べ、展示の仕方に不満を漏らし、展示を拒否したとのこと。
産経新聞。
東京国立博物館は17日、奈良県天理市の東大寺山古墳の出土品で、重要文化財に指定されている銅製の矢尻1つが折れたと発表したとのこと。文化庁には報告済みで、修理方法を今後検討する。
損傷したのは211点ある矢尻の1つ。長さ6センチ強で、図面と照合していた12日午前、付け根の先端部で折れているのが見つかったとのこと。前日の写真撮影では異常はなかった。
時事通信。
文化審議会(西原鈴子会長)は19日、与謝蕪村の紙本墨画淡彩夜色楼台図(兵庫県・個人蔵)と、「合掌土偶」として知られる青森県八戸市風張1遺跡出土土偶(同市蔵)を国宝に、計38件の美術工芸品を重要文化財に指定するよう、塩谷文科相に答申した。登録有形文化財は美術工芸品が1件、建造物は学習院南一号館(東京都豊島区)など105件が登録されるとのこと。
【重要文化財】
《絵画》紙本白描東大寺戒壇院扉絵図(奈良国立博物館)▽紙本墨画淡彩弄玉仙図 岩佐勝以筆(千葉県柏市・摘水軒記念文化振興財団)▽紙本墨画淡彩山水図 藝愛筆(文化庁)▽紙本白描時代不同歌合絵(東京国立博物館)▽絹本著色菜蟲譜 伊藤若冲筆(栃木県佐野市・市立吉澤記念美術館)▽紙本著色白衣観音図(京都市・東福寺)  《彫刻》銅造阿弥陀如来及脇侍像 康勝作(奈良県斑鳩町・法隆寺)▽銅造観音菩薩立像(盛岡市・源勝寺)▽金春宗家伝来能面(東京国立博物館)▽木造無学祖元坐像(栃木県大田原市・雲巌寺)▽木造高峰顕日坐像(同寺)▽木造天海坐像 康音作(栃木県日光市・輪王寺)▽銅造釈迦如来坐像 康知作(同寺)▽木造大日如来坐像(東京都立川市・真如苑)▽銅造菩薩立像(新潟県妙高市・関山神社)▽木造毘沙門天坐像(京都市・清凉寺)▽木造性空坐像(兵庫県姫路市・円教寺)  《工芸品》濃茶麻地菊棕櫚文様帷子(京都国立博物館)▽菊蒔絵手箱(九州国立博物館)▽赤楽茶碗〈乙御前〉 光悦作(東京都・個人)▽二彩獅子 長次郎作(京都市・樂美術館)  《書跡・典籍》顕季集(東京都世田谷区・大東急記念文庫)▽春日懐紙〈紙背春日本万葉集〉(石川県立歴史博物館)▽平家重筆懐紙〈ふねのうち〉(金沢市立中村記念美術館)▽藤原重輔筆懐紙〈たちいつる〉(同館)▽新修本草 巻第十五(大阪市・武田科学振興財団)▽興風集(大阪府箕面市・大阪青山歴史文学博物館)  《古文書》越中国射水郡鳴戸村墾田図(奈良国立博物館)▽慈円自筆書状(津市・専修寺)▽東寺文書(滋賀県立琵琶湖博物館)▽忽那家文書(愛媛県・個人)  《考古資料》秋田県胡桃館遺跡出土品(同県北秋田市)▽福島県法正尻遺跡出土品(同県立埋蔵文化センター)▽三重県斎宮跡出土品(同県立斎宮歴史博物館)▽鹿児島県広田遺跡出土品(同県南種子町)  《歴史資料》映画フィルム「紅葉狩」(東京国立近代美術館フィルムセンター)▽埼玉県行政文書(同県立文書館)▽近代教科書関係資料(東京都北区・東京書籍)
朝日新聞。「昨春ニューヨークのオークションで約14億円で落札された運慶作とみられる木造大日如来坐像」も重文に。
日本芸術院(三浦朱門院長)は20日、08年度の日本芸術院賞を9人に授与し、うち井上さんとピアニストの中村紘子さん、書道家の小山やす子さんには恩賜賞も贈ると発表したとのこと。受賞者と分野、対象の業績。(敬称略)  【恩賜賞・日本芸術院賞】小山やす子(84)=書、「更級日記抄」(08年日展出品作)▽井上ひさし(本名井上廈、74)=小説、戯曲を中心とする広い領域における長年の業績▽中村紘子(本名福田紘子、64)=洋楽、ピアノ演奏家としての世界的評価を確立した業績  【日本芸術院賞】藪野健(65)=洋画、「ある日アッシジの丘で」(08年二紀展出品作)▽宮瀬富之(本名宮瀬富夫、67)=彫塑、「源氏物語絵巻に想(おも)う」(08年日展出品作)▽観世銕之丞(てつのじょう)(本名観世暁夫、52)=能楽、「安宅」のシテ(07年国立能楽堂特別公演)並びに近年の優れた演能成果▽豊竹咲大夫(本名生田陽三、64)=文楽、文楽大夫としての近年の卓越した演技▽杵屋巳太郎(本名宮沢雅之、71)=邦楽、長唄、特に歌舞伎音楽の確実な伝承と優れた演奏技術▽豊(ぶんの)英秋(64)=邦楽、長年にわたる雅楽演奏家としての業績
朝日新聞。
岸田劉生の油彩画が21日、東京都内のオークションに出品され、1億3500万円で落札されたとのこと。「静物(砂糖壺・リーチの茶碗と湯呑・林檎)」(1919年)で、縦45.3センチ、横52.8センチ。多くの画集に収録されている静物画だが、66年以降は公の場に出ていなかった。
出品者、落札者については、当事者の意向で明らかにされていないとのこと。主催したシンワアートオークションのオークションで世界同時不況以後、1億円を超える落札額は初めて。
毎日新聞。スクラップ2009年3月4日の続報です。
薬師寺(奈良市)にバラバラの状態で伝わっていた仏像の断片が、奈良国立博物館の文化財保存修理所で修理され、同寺に2体だけ伝わっていた「二天王立像」(重要文化財)の仲間の四天王像だったことが確認された。昨年7月には重要文化財に追加指定され、名称も「四天王立像」となったとのこと。
仏像はヒノキ製で、平安時代の作。持国天(高さ約110センチ)と多聞天(約113センチ)の2体は形が整っており、四天王のうち2体を対でまつる二天王の形態として重文指定されていた。しかし、同寺の収蔵庫に収められていたいくつかの部材を組み合わせ、この2体と仲間となる四天王像の胸から下の部分(約91センチ)と確認された。
部材断片の中には、明治時代の修理の際に持国天、多聞天の2体に新たに補われた部分の、オリジナルの部材もあったとのこと。四天王の残りの一体は、右腕だけが残っているだけで残りの部材は不明という。
毎日新聞。
共同通信より。
共同通信より。
共同通信より。
共同通信より。
共同通信より。
共同通信より。スクラップ2008年11月22日の続報です。






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