忘れられない同人誌の装丁

2025年5月27日

 同人誌にはラメ入り・特殊判型等、商業誌では見かけないような凝った装丁のものも稀ではありません。これは恐らく、同人誌は利益目的で制作されるものではなく、採算が度外視されることもあるからなのでしょう。この記事では、私がこれまでに購入してきた中でも特に驚かされた五冊の同人誌の装丁を紹介します。

本文多色刷りによって実現したストーリーの同人誌「リレイション・バレイ1」

 仲谷様による同人誌「リレイション・バレイ1」に収録されたうちの一話は、モノクロ漫画と思いきや紫色のみが彩色されており、この紫色がなければ表現が難しいストーリーとなっています。こういった装丁は本文多色刷りと呼ばれ、商業漫画でも滅多に見かけない印象的なものです。少なくともこのような白黒にワンポイントの一色を加えた形の商業漫画を私が初めて読んだのは、この同人誌の何年か後でした。

 この同人誌は「第1回本フェチ大賞」の特別賞を受賞しており、仲谷様は使いたい装丁があったのでそれに合う話を考えたとコメントされています。

紐とボタンで封ができる同人誌 「とある兵器に関する秘密記録」

 封筒には、紐とボタンが付いていて封ができるようになっている紐付き封筒と呼ばれるものがあります。抹茶様による同人誌「とある兵器に関する秘密記録」には、裏表紙に紐付き封筒と同様の紐とボタンがあり、封ができるようになっています。

 この同人誌は手紙をテーマにした作品の二次創作であるために、封筒のようなデザインにしたのでしょう。この同人誌もまた、テーマに即した印象的な装丁でした。

表紙を剥がしてシールにできる同人誌「ててせん01」

 いぬぶろ様による同人誌「ててせん01」は、表表紙・裏表紙それぞれのイラストの輪郭線に沿って切れ込みが入っており、一部を剥がしてシールとして使えるようになっています。

 この同人誌は育児を題材とした作品であり、おもちゃをイメージしたものだったかも知れません。遊び心に溢れ内容に沿った印象的な装丁でした。

伸ばして24ページを一覧して読める蛇腹同人誌「鍵をもうひとつみつけた」

 同人誌の多くが印刷所に依頼し製本されるのに対し、えぬあ様の「鍵をもうひとつみつけた」 は、印刷所では困難なほど凝った装丁だったため手作業で製本されたのかも知れない同人誌です。普通、本は背表紙部分で綴じられています。しかし、この同人誌には綴じ部がなく、表表紙と裏表紙は蛇腹状に折りたたまれた一枚紙でつながった状態となっており、伸ばすことで絵巻物のように片側の全ページを一覧して見ることができます(蛇腹状なので、普通の本のようにめくることもできます)。この本は、表表紙・裏表紙も普通の本以上にしっかりとしていて、手に取るまで蛇腹形式ということはまずわかりません。私は蛇腹形式であることを知らずに同人誌即売会で手に取ろうとして、表紙だけが持ち上がりそこから蛇腹部分がびろーんと伸びていき「壊しちゃった!?」と焦ってしまいました。

 この同人誌を購入した後で気になって調べてみたところ、蛇腹の同人誌を製本できる印刷所はありました。しかし、それらで受け付けている蛇腹は数ページ程度のものであるのに対し、この同人誌は蛇腹部分が片側24ページもありました。この同人誌の後書きには手作業で製本したとあり、印刷所に依頼できるものではなかったのかも知れません。

ひげが生えた同人誌「髭本」

 おちゃ様による同人誌「髭本」には、ひげが生えています。もう少し詳しく言うと、この同人誌の表紙は、頬ひげ・顎ひげを生やした主人公男性の顔が大きく描かれたものなのですが、この表紙の頬ひげ・顎ひげ部分には1ミリ程度の黒いひげ(糸)がみっしりと生えているのです。凄まじいインパクトです。恐らく毛の生えた本なんて、同人誌どころか商業誌ですら空前絶後なのではないでしょうか。

 そしてこの同人誌のストーリーは、インパクトある装丁にリンクしたものとなっています。この同人誌の後書きにはベルベットを使ってみたくて作ったとあり、上で紹介した「リレイション・バレイ1」と同様に装丁から内容を考えたもののようです。生涯記憶に残り続けそうな、印象的な装丁です。

2025年6月21日最終更新

新たなパラゴーネ「アクスタかフィギュアか」

2025年8月30日

 中世ルネサンス期に、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロは絵画と彫刻のどちらが優れた芸術か、熾烈な議論を繰り広げました。 このような異なる芸術分野の優劣論争はパラゴーネと言われ、現在も様々な分野で行われています。 正直なところ、パラゴーネというのは不毛にも思えます。 芸術分野の優劣など決められないでしょうし、例えば、絵画は彫刻よりも優れていると結論が出ても、彫刻家が画家に転向するとは思えません。 ただ、こういった優劣議論は昔から楽しいものではあったのでしょう。

 そして近年、しばしばウェブで目にするようになったパラゴーネが「アクスタとフィギュアのどちらが優れているか論争」です。 この論争ではフィギュア派が圧倒的多数で、アクスタはフィギュアの下位互換だなどといった主張がまかり通っており、アクスタを評価する人々ですら「フィギュアよりも場所を取らない、安い」といった消極的な理由を挙げてばかりいます。

 私は決してアクスタの方がフィギュアよりも優れていると思っているわけではありませんが、アクスタにはフィギュアにはない魅力があると思っています。 このパラゴーネでアクスタを評価する声が全く出てこない現状に異を唱えたいため、ここでフィギュアにはないアクスタの魅力をいくつか紹介していきます。

1.フィギュアでは困難な「奇蹟の一枚」がアクスタでは可能
 写真には、被写体のポーズ・表情、構図、天候等が完璧にかみ合って被写体の魅力を極限まで引き出し、「奇跡の一枚」と呼ばれるものがあります。写真家は常に、奇跡の一枚を撮ろうとしているはずです。
 そしてイラストも、この奇跡の一枚を目指し、対象が極限まで美しくなるポーズ・構図等を考えて描かれるものでしょう(究極の一枚ばかりを狙いすぎると、所謂「ハンコ絵」になるリスクもありますが)。アクスタでなら、そういう究極の一枚を常に見ることができますが、フィギュアは様々な角度から見えてしまうため、大半は究極の一枚とはならないでしょう。このように、常に究極の一枚が見られるのは、フィギュアにはないアクスタの魅力です。

 また、そもそも漫画等には、奇跡の一枚を目指し特定の方向から見てこそ魅力が引き出されるデザインとなっているキャラクターもいます。そういうキャラクターについては、なおさらフィギュアよりもアクスタの方が魅力的となるでしょう。

2.フィギュアでは困難なライティングがアクスタでは可能

 イラストにはライティング(光の当て方)がしっかりと考えられ、印象的な陰影が描かれたものが多く、この陰影もアクスタなら容易に見ることができます。 それに対して、飾られたフィギュアがどうライティングされるかはフィギュア制作者には知りようがなく、フィギュアにそういう陰影を描くのは困難です。 フィギュアへのライティングで元イラストの陰表現影を再現できる場合もあるかも知れませんが、光量的に再現困難なイラストも多いかと思います(これはもはやジオラマの領域かも知れません)。

左様の天使女性イラスト1  例として、左様によるイラストを「インテリアアート12『INTER MISSION』展」から引用します。

 このイラストではライティングが効果的に使われており、特に、(1)強い光で左翼の小翼羽部に白飛びと呼ばれるぼやけが生じていること、(2)強い光で左翼が全体的に透けていること、の二点は印象的です。
  (1)については、フィギュアにこれほど強い光を当てたり、ぼやけた形のフィギュアを作ったりすることは難しいでしょう。 (2)については、この左翼は特定の方向から見たときだけに透けて見えなければならないわけで、やはりフィギュアでの再現は困難でしょう。
 私はこのイラストのアクスタ、タペストリー、複製画を持っていますが、フィギュア化されてもまず買わないと思います。

 なお正確に言うと、フィギュアでも「脳がバグる"アニメ塗り"フィギュアがすごい! 驚異のビフォーアフターを刮目せよ」のように大胆に陰影を塗ることも不可能ではありません。 しかしはっきりと陰影を塗ると、前述した様々な角度から見えてしまうというフィギュアの弱点が悪化するようで、この彩色をしたリぺラボ様は『フィギュアは飾る角度を正面と決めてます。正面から見た時に最も絵に、二次元に見えるように塗っているんです。』と語られています。

3.フィギュアでは困難なデフォルメがアクスタでは可能

 イラストでは、様々なデフォルメが用いられますが、それらにはフィギュアでは再現困難なものもあります。 例えば、イラストには意図的に極端なパース(遠近法表現)で描かれたものがあります。 こういうパースはフィギュアでは再現困難であり、極端なパースのイラストを再現したフィギュアは特定の角度以外から見られれば破綻して見え、邪神像と呼ばれかねません。

 またイラストでは、鼻が低いキャラクターでなくても、前から見たときには鼻は控え目に描かれることが珍しくありません。 このデフォルメに慣れ、前から見た顔に鼻が見えるのを嫌う人も多いでしょう。 フィギュアではこの造形を再現することは難しいようで、前からの見た目が元イラストに合うように鼻を低くし、そのキャラクターの美しさを損なっているものが多いと思っています。 ただ、前からは鼻が目立たないもののちゃんとした鼻のあるフィギュアもあり、この点は原形師の腕や好みにもよるのかも知れません。

 これらのように、デフォルメ表現に融通が利く点でもアクスタにはフィギュアに対して優位と言えるでしょう。

4.フィギュアでは困難な遠景の描写がアクスタでは可能

左様の天使女性イラスト2 イラストには遠くまで描写された背景がなければ成立しないものもあり、アクスタではこの再現も容易ですが、フィギュアでは遠景の描写は困難です。この点も、アクスタがフィギュアに優位と言えるでしょう。 左様の別のイラストを「pixiv WAEN GALLERYクリアポスターB」から引用します。

 このような、描かれている部分以外にも空間の広がりを感じさせるイラストは「抜け感がある」と言われ、イラストの魅力を増す要素となります。このような遠景描写を必要とする魅力は、フィギュアでは表現困難です。

 またこのイラストは、前述したフィギュアでの陰影表現の難しさを改めて考えさせてくれます。 このイラストのように日陰にいるキャラクターを表現することは、フィギュアでは困難でしょう。私はこのイラストのアクスタを持っていますが、フィギュア化されたとしてもまず買わないと思います。

 さらにこのアクスタは、キャラクターと近くの岩以外は向こうが透けて見えるようになっていて抜け感が強化されており、こういう表現もフィギュアでは再現困難です。 このような背景イラストが透けて見えるアクスタは他にも時々あり、この表現はイラストでもフィギュアでも困難な、アクスタならではの強みと言えるでしょう。

5.フィギュアでは困難な細かい描き込みがアクスタでは可能

 イラストには非常に細かく表情や衣服・髪等が描き込まれ、拡大して見たくなるようなものも少なくありません。 実際にPCやスマホでイラストを拡大して見たことのある人は多いでしょう。 この細かい描き込みもアクスタでなら再現可能ですが、フィギュアでは困難です。 なお、フィギュアではなくドールなら本物の衣服・髪を使えますが、このパラゴーネでフィギュア派がドールに言及しているのは見たことがありません。

 昔から「人形は顔がいのち」と言われますが、細かい描き込みが可能なことと前述したデフォルメが可能なことから、優れたイラストを用いたアクスタの顔は、フィギュアの顔よりも美しく見えることが多いと考えています。 ただ、これについては好みによるのかも知れません。

 私は決してアクスタの方がフィギュアよるも優れていると言いたいわけではなく、フィギュアにはフィギュアの良さがあると思っています。 ただ、このパラゴーネの場ですらアクスタに肯定的な声はほぼ皆無で、『アクスタをフィギュアの下位互換、フィギュアが買えないからアクスタを買って我慢しているなどという見方から入る人も少なくない』(「中国オタク「私はアクスタって買う価値のある、コスパの良いグッズだと思うんだけど皆はどう思う?フィギュアと比べて価値がない、下位互換みたいな話もよく聞くんだけど……」」より)現状には、首をかしげてしまいます。 アクスタにはアクスタの良さがあり、決して我慢して買われているわけではないと考えています。

 このパラゴーネを見ていると、アクスタに否定的な人は「このキャラクターがアクスタかフィギュアになるならどちらが良いか」ばかりを考え、「このイラストがアクスタかフィギュアになるならどちらが良いか」を考えていない場合があるように思えます。 確かに、キャラクターありきで考えればフィギュアを望む人も多そうですが、イラストありきならアクスタを好む人は増えるのではないでしょうか。