私の書店離れ

 漫画が好きな私が、個人的な話をします。

 (略)風説としても、こんなことが話題になるのは本屋が魅力的な空間だからだろう。ところが、今その本屋がピンチだ。

 米国の書店チェーン2位ボーダーズ・グループが今週、破綻した。650店以上の店舗網を誇ったが、インターネットでの書籍販売、電子書籍に浸食された。

 日本でも本屋はこの10年で3割減った。大手は健闘するも中小は苦しい。(略)

2011年2月19日読売新聞夕刊「よみうり寸評」より

 確かに書店での買い物は以前に比べ、格段に少なくなりました。 しかし私は、インターネットでの書籍販売や電子書籍を利用してはいません。 では何故書店での買い物が減ったのかと言いますと、それは漫画の立ち読みがほとんどできなくなったからです。

 本を買う際には、期待度の大きい本は別として、なるべくなら内容をある程度確認してから買いたいものです。 しかし、現状ではそれを許している書店は少数であり、そのために本を買う機会が減少しているのです。

 上の新聞記事が載った2月19日ですが、私はその日漫画雑誌「月刊ヤングキング」を買いに書店に行きました。 この雑誌には以前私がお勧めした「愛気」が載っているのですが、それ以外には読みたい作品があまりありません。 ですので毎月19日には私はその書店で同誌を立ち読みし、今月も愛気が面白いことを確認してから買っているわけです。 しかし、この日書店に行くと、同誌には先月まではなかったシュリンクがかけられていました。 ずっと私は同誌を買い続けていましたが、「愛気」を確認せずに購入するほど同誌の期待度は大きいわけではないので、今月は買うのを諦めました。 これで連載のチェックが途切れますので、恐らく今後「月刊ヤングキング」を買うことはなくなり、「愛気」は単行本のみでチェックしていくことになると思います。
 逆にこの日には、その書店で立ち読みできた、これまで買ったことのなかった同日発売の漫画雑誌「ジャンプSQ.19」に面白い作品があったため、こちらを購入しました。
 こうやって、立ち読みできない本が買われなくなっていき、近年の立ち読みできる雑誌が少なくなる傾向に合わせて、買う雑誌も減っていくわけです (ただし上でも述べたように、期待度の大きい本は立ち読みができなくても買いますが)。

 ここまでは漫画雑誌の例でしたが、漫画単行本については状況はさらに悪く、私の知る書店では立ち読みはほとんど不可能になっています。

 以前は漫画単行本の立ち読みを自由にしている書店も多数ありました。 確か90年代半ば頃にはそういう書店はほとんど見かけなくなりましたが、池袋のコミックバンクという漫画専門店では比較的遅い時期まで立ち読みが自由でした。 私は2週間ごとに電車代を払ってその書店に行っては毎回しばらく立ち読みをし、その度にそれまで知らなかった漫画を10〜20数冊程度発見し、購入していました。
 今では漫画単行本の立ち読みを認める書店はすっかり見かけなくなってしまいました。 そのため、書店で面白い漫画単行本を発見する機会はほぼゼロになり、漫画単行本を買う数も随分減ってしまいました。

 私に限って言うなら、書店離れが起きている理由は「書店側の変化」に尽きます。決してインターネット書店や電子書籍といった、書店の外部の要因ではありません。

 ところで、調べてみると立ち読みには良くない印象を持っている方もおられるようです。

立ち読みは恥ずかしいことなのではありませんか?

 立ち読みを禁止している書店もありますが、販売促進のため立ち読みを(限定的にせよ)認めている書店もあり、 それどころか椅子やテーブルを設置して立ち読みを推奨している書店も増えています。 認められていることをするのは全く恥ずかしいことではありません。

 また書店だけでなく、相当数の出版社も立ち読みを認めた方が販売促進につながると考えているようです。 小学館の漫画単行本には何度か、帯に「この本は立ち読み推奨です!」と書かれ、 書店にシュリンクをかけないよう求めていました。 また、ウェブサイト上で作品の立ち読みを可能にしている出版社もあり、 立ち読みが漫画の販売促進に繋がると考えられていることは間違いありません。

この度の震災によって、物流が滞っている。面白いことに、漫画雑誌は、ネット上に、無料で雑誌を公開し始めた。何故そんなことをするのか。(略)

この問題を考えていた私は、ある結論に至った。もし、数週間ないしは数ヶ月ほど雑誌を読まなくなると、再び読もうという気がなくなるからである。娯楽品はある種の中毒性を持っていて、頻繁に楽しまない娯楽は、忘れてしまうのだ。

私は高校生になった時から、漫画雑誌をあまり読まなくなってしまった。理由は、様々あるが、高校生に成り立ての頃、色々と忙しく、数週間ほど、漫画雑誌を読む暇がなかったのだ。何しろ、当時の私は、片道10キロメートルほどの道のりを、自転車で通学しなければならなかったのだ。私は田舎に住んでおり、都合のいい電車やバスは通っていなかったのだ。そのような田舎でさえ、毎週、発売日の前日に、漫画雑誌は店頭に並ぶのである。

数週間して、通学にも慣れたのだが、再び漫画雑誌を読む気にはならなかった。漫画雑誌を読まないと、単行本も買う気がしない。そして、私は次第に、漫画から離れていった。

いま、震災によって流通が滞り、数週間、ないしは数ヶ月、漫画雑誌を読まなかったとすると、かつての読者の大半は、漫画雑誌を読むのをやめてしまう。おそらく、出版社が恐れていることはこれだろう。

本の虫: なぜ漫画雑誌は無料で公開するのか」より

 二〇〇〇年代半ば以降、成人向けマンガを出していた版元の倒産が相次いだ。熟女ものが強みだった桃園書房、 森山塔(山本直樹)の作品で一世を風靡した司書房、ロリコンものに強かった雄出版など、死屍累々だ。 老舗出版社のなかには、一般向けに路線変更したり、事業縮小を進めたりするところも現れた。(略)

 出版社が自主的に表示する建前になっていたマーク付きのマンガ雑誌やコミックス(東京都は「表示図書」と呼称)は〇五年、 ひも掛けやビニールパックを施し、「成人コーナー」などで区分陳列することが義務づけられた。 ソフトな性描写のマンガ誌であっても、出荷時に小口にシール止めをしなければ販路を狭められかねなくなり、しかし、 立ち読みができなくなったことから、なおさら売れなくなるという悪循環に陥った。

長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」P.194より

立ち読みで本を汚すのは駄目じゃないですか?

 勿論駄目です。立ち読みをする際に本を汚してはいけません。もし立ち読みで本を汚してしまったら、その本は買いましょう。

他の人が立ち読みした本を買うのは嫌ではないですか?

 全然嫌ではありません。立ち読みを認められた本なら、手に取った一冊が汚れていても私はそれを買います。 「この本は汚れていますので他の物にお取り替えします」と言われたこともありますが、 「いえ、それでいいです」と答えています。
 ただ、シュリンクがかけられているのに傷のある本を買ってしまった場合、それはおかしいと思うので交換を求めます。

 なお、最初にも述べたようにこの記事は個人的な書店離れの理由を述べたものであり、書店は立ち読みを認めるべきだ、と主張するものではありません。 書店が立ち読みを認めるか認めないかは、経営者の自由です。

 あと、東京近辺で漫画を立ち読みできる書店があったら、是非教えてください。多少の交通費は払ってもいきますし、入店料位払ってもいいです。きっとたくさんの本を買います。 どうかよろしくお願いします。

公開:2011年2月22日 更新:2011年5月6日

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