てなわけで、ラーメンである。断じて天一のこってりラーメンにんにく入りなどという豪勢なものではない。
ところは高速道路のサービスエリア。ときは……真冬の真夜中がよろしい。なまぬるい車内から駐車場に出た瞬間に眠気が吹っ飛ぶあの季節だ。工場のようにピカピカしたキッチンで、バイトのあんちゃんがうざったそうにつくる、あの、サービスエリアのラーメンである。
サービスエリアなどというものは全国無数に存在するだろうが、そのラーメンにはいくつかの共通点が見受けられる。
ありていに言って、まずい。なんら特筆すべき点のない、刺激に乏しいシケたラーメンだ。
だが、このラーメンを受け取り、しこたまコショウを振りかけ、テーブルで立ち食いするとき(もしあなたがバス旅行中であれば、出発時刻も気にしつつ焦りながら!)、われわれは形容しがたい幸福感を味わってはいないだろうか?
にわかには賛成しがたいという諸君、考えてもみたまえ。にぎやかなサービスエリア、プラスチックの食券を握りしめ、あなたはラーメンのカウンターに並ぶ。そこで出てくるのはまず目にもあざやかな磁器の器。麺の上にはエビやチャーシューが盛り上がり、スープはサービスエリア秘蔵のダシを使った本格派の……おお!
もし、自分がラーメンを注文してそんな究極のメニューが出てきたら……断言しよう。責任者を呼びつける。あのうすっぺらい味わいのラーメンを出せとだだをこねる。おおいに暴れる。病院にいる花京院の魂をかけてもいいぐらいだ。
実は、サービスエリア以外にもこのラーメンは存在する。東京は池袋駅地下の某スタンドのラーメンが、実にまずくて哀しい味わいぶかい逸品である。なまぬるく変な味のするお冷やと、カウンター下のベルトコンベヤと併せて愛すべきスタンドである。
あと、スーパーのなかにあるようなスタンドや一部の学食でも類似したラーメンを食べることができるという事実を挙げておこう。余談だが、往々にしてスーパーの軽食コーナーはラーメン以外にも大脳食法の宝庫であることをつけ加えておく。
なぜ、大脳新皮質はこのようなラーメンをうまいと感じるのだろうか? 考えられる結論として、「まずいラーメンは向上心を刺激する」ということが挙げられる。このようなラーメンを食べることのできる場所は先ほども書いたようにサービスエリアや駅、スーパーのスタンド等である。いずれも余裕、とか社会的地位、とかいう単語とは縁遠いものと言えるだろう。
人生の成功者はサービスエリアや駅でなく自家用機の特別メニューで、スーパーでなく高級デパートの最高級中華料理店でラーメンを食べるのである。
わびしいラーメンをすするとき、われわれはこう思うのだ。「ああ、いまの俺にはこれがお似合いさ。だがな、俺はいつかもっとゆっくりと、味わい深いラーメンを食べてやるのだ。それまではこの塩辛いだけのラーメンよ。お前だけが戦友だ……」と。
現代はあらゆる時代と比較しても豊かな時代である。あまり努力せずともそれなりに楽な生活環境は手に入る。だが、われわれは要所要所でのラーメンがまずいことで自らの地位を思い知り、明日への活力を養うことができるのだ。
最近、駅のスタンドなどでも本格派をうたってそれなりにまともな味のラーメンを出すところが増えている。だが、そのような行為はわれわれの闘争心を鈍らせ、麻痺させようとする試みとして断固許すことはできないのだ。
サービスエリアのわびしいラーメンの旨味。それは己の闘争心の味なのだ。
天一のこってりラーメンにんにく入り……チェーンのラーメン店「天下一品」のラーメンのこと。京都では速水の定番のひとつだったが、東京の天一にはまだ行っていない。興味津々。
味付け海苔……ほかほかご飯&生卵の取り合わせでは素直に美味しくなってしまう、大脳食法として取り扱いが微妙な食材のひとつ。
立ち食い……座ってはいけない。
池袋駅地下の某スタンド……「おたくのラーメンはまずくていいねえ、大好きだよ」と言われて喜ぶ人はさすがにいないと思うので、実名は出しません。
人生の成功者は……そもそもラーメンなんぞ食べない、などという意見は反革命的である。