インタービュー
片岡鶴太郎さん(俳優・タレント・画家)
片岡鶴太郎 写真
本名、荻野繁雄。1954(昭和29)年、西日暮里生まれ。都立竹台高校卒。小学校時代からものまね芸を志し高校卒業と同時に片岡鶴八に弟子入り。3年後ひとりだち。23歳頃からTVのバラエティー番組を中心に活躍する一方、俳優としての世界も開拓。40歳で絵を描き始め、画家としてもその地位を確立する。日本アカデミー賞助演男優賞(「異人たちの夏」)を始め俳優としての受賞歴多数。「片岡鶴太郎美術館」が草津と江ノ島にあるほか、パリで個展を開催するなど画家としての活躍も著しい。
 僕は都立竹台高校出てまして、鶯谷アパートの前を通って毎日学校に通ってました。演劇部の練習終わってから学校の近くの甘味屋さんやお好み焼き屋さんで仲間としゃべっているのが楽しくてね。南公園もよく覚えています。
 子供の頃はずっとアパート住まいでしたから、いろんな家庭のいろんな人との触れ合いがありましたですね。うちの場合親が共稼ぎだったので、風邪ひいていると「お昼食べたの?」って来てたり、よくしてもらいました。当時の子供は何だって家の中にいないですもん。外が好きというより、家にいられるスペースがないっていうのが、まずありましたよね。外のほうがよっぽど楽しかった。とにかくよく遊んでましたよ。空地もいっぱいあったし。遊べるところもたくさんありましたよね。今、空地なんてないですもん。
片岡鶴太郎 写真 片岡鶴太郎 写真
 昔は、近所に駄菓子屋がたくさんあって、そこでお菓子買うのが楽しみでした。くじ引きのお菓子があったんですね。くじ引いて当たれば大きいのがもらえるし、スカだと小さい。そういえば日暮里の駅前に駄菓子の問屋がありましたですね。あるときそこへ行って駄菓子屋で売ってるお菓子を箱ごと買って、どういう確率で当たるのか“研究” して、駄菓子屋へ挑戦しに行ったりね(笑)。いくら安いからっていっても箱ごとお菓子を買うなんて、子供にとってそんな贅沢ないんですけど。
 今、芸能界と絵の世界の仕事していますが、どっちも僕の好きなもの。芸能界の仕事はたくさんの人と関われて楽しいし、一人になれる絵の世界も楽しい。日暮里は紛れもなく僕の生まれ育ったところですから、その環境というか影響から生まれてきたものも多いと思うんですよね。決して自然に恵まれたところじゃないけど、子供時代に捕まえたとんぼや蝉なんかのことを鮮明に覚えているんですね。絵を描きたいと思うと、その辺の原風景みたいなものが出てくるんです。
 下町にはいいところと悪いところがありますね。いいところは人のいいところで、逆に言えば土足で踏み込んでくるというか。子供心に疲れるなって感じることもあったんですが、そこから離れて距離感をもって見るとすごくいいんですよね。たまに帰るからいいんでしょうね(笑)。
 今回、街が新しくなったそうですが、これまであった古くて良いものは残し続けてほしいと思います。そうして現代的になった空間の中から改めて下町を見つめるというのも、いい光景なんじゃないでしょうか。