The Fairest Of The Fair



 ―――シャア

 名前を呼ぶと、彼は振り返る。
 金の髪を煌めかせて。僕の姿を見つけると瞳が柔らかく微笑する。彼が僕の名を呼ぶ、声は聞こえないけれど、唇が僕の名を形作る。
 髪に触れたいという欲望が湧きあがり、衝動のまま手を伸ばす。シャアは驚いた表情をしたものの、嫌がらなかった。金の髪。さらさらと光に透ける。太陽の光を集めたよう。祝福を受けて生まれたという形容はまさしくぴったりだ。綺麗なひと、という感想は初めて出あった時から変わっていない。

 ―――はずだ。

 なのに、これはなんだろう。どす黒い、重い、そして痛みを伴った、この感情は。
 髪を撫でていた手が、シャアの頬に移る。包み込むように触れる。シャアは戸惑ったように僕の手に手を重ねて外そうとした。何をされようとしたのかがわかったのだろう。抗って離れようとする。抵抗を、力ずくで抑え込んだ。そして。







 声は聞こえなかった。聞こえるのは自分の心臓の音と、荒い息遣いだけ。













「…………なんて、夢だ…………っ」

 ベッドの上で、ガルマは頭を抱え込んだ。もう一度、なんて夢だと呟く。
 心臓の音も荒い呼吸も、確かに自分のものだ。見るまでもなく、自分の体がどういう反応をしているのかわかる。別に、恥ずべきものではない。この年頃の男だったら、誰だってこういうことは経験している。
 問題は、相手だ。
 シャアのことが好きだと自覚して以来、ガルマはよくこんな夢を見るようになった。その度に飛び起きて、シャアの顔を見る度に罪悪感に悩まされなければならなかった。
 好き、と一口に言っても種類は様々だ。それこそ相手によって好きの意味は違ってくる。友人や家族、まして恋人とは、全く別の感情でありながら言葉にするなら『好き』以外はないだろう。そのくらいのこと、わかっている。
 シャアの態度は何ひとつ変わらない。親しい友人としての、それ。自分だってそうだ。彼は親友だと、そうやって自分の中の嵐のような欲望を押さえつけた。
 いっそのこと、離れてみたらいいかもしれないと思い、思っただけでガルマは青褪めた。シャアが目の前からいなくなる。もう、自分を見向きもせず、他の人の隣りに立ち、ガルマにそうしたように笑いかける。その光景を想像しただけでとてつもない絶望感が襲ってきた。もし、本当にそんな日がやってきたら、自分はどうなってしまうのだろうか。決してありえない想像ではないことがガルマを恐怖させた。自分がシャアに抱く感情を彼が知れば、間違いなく去って行くだろう。いつか、この想いが消えて、笑いとばせる日がくるか、あるいはシャアが自分と同じ感情を抱いてくれるまでは、隠しとおさなければならない。絶対に絶対に絶対に。
 いつか。そう思いながら希望を捨てきれずにいる自分に、少しだけ哀しくなった。














 教科書にはジオン・ダイクンの名がでてくる。0052年、ジオン・ダイクンサイド3に暫定自治組織を発足。
 0058年、サイド3独立宣言。ジオン共和国樹立。
 0059年、連邦政府による経済制裁。
 そして0068年。ジオン・ダイクン死亡。次期首相にデギン・ソド・ザビ。
 0069年サイド3はジオン公国を宣言。デギン・ソド・ザビ公王に就任。
 こうやって名前が出てきても、自分でも意外なほど冷静でいられた。もっと、戸惑うだろうと思っていたのに。
 文字だけのジオン・ダイクンと、記憶の中の父とは繋がらないのか、それとももうシャア・アズナブルとなった自分には関係ないと、割り切ってしまっているのだろうか。
 思い返してみると、ジオン・ダイクンの記した本を読んだ事がなかった。本などに頼らなくてもジオンを一番理解しているのは自分だと、思い込んでいたのかもしれない。

「シャア・どこへ行くんだ?」
「ガルマ」

 できれば会いたくなかったな。シャアは内心の苛立ちを押し隠した。あのデギン・ザビが溺愛している子。私はこれから君の父上が殺した私の父の本を読みに行くところなのだよ。
 当然のように隣りで歩くガルマに、少し困ったような笑みをシャアは見せた。ガルマに対して憎しみは全くない。ただ、殺意だけは未だに消えないでいる。いつ殺そうか。その時を考えるだけで愉悦が湧きあがる。君は何も知らないけれど、少しぐらい疑ったらどうだとまで思ってしまう。ゲームは相手がいなければつまらないものだ。

「図書館へ行くところだ」

 殺意を億尾にもださずにシャアが言った。

「またか。君はレポートを書くのは苦手なくせに、本を読むのは好きなんだな」
「それとこれとは全然別だろ」
「この間の実習のレポート書いてるのかい?」
「まあ…少しは」

 そうだった。それがあったなと、シャアは思い出してうんざりする。本を読んでいる場合ではなかったと呟いてみても、足は止まらなかった。隣りでガルマが笑う。

「それでも君の書くレポートは評価が高いんだものな。僕なんか毎日書いては気にいらなくて書き直してるのに」
「人を丸め込むのは得意なんだ」
「はははっ」

 笑いながら図書館に入る。さすがに軽口は止め、周囲の静けさに溶け込む。自分の図書カードを探し出す。士官学校の生徒・職員を含めた全員のカードが収められているので結構手間がかかる。こういう手間暇は、コンピューターで管理をすればなくなる手間だ。だが、ジオンではわざわざ手間をなくさない。図書館の蔵書も紙の本だ。スペースノイドのほうが、地球でできたものを大切にする。そんな些細な習慣がシャアは気にいっていた。

「それで、何の本を借りるか決まってるのか?」
「ああ…」

 ガルマに付いてこられると借り難いが、シャアは迷わずに手にとった。ガルマがどんな反応をするのか興味もあった。

「ジオン・ダイクンの本か。僕も読んだよ」

 タイトルを確かめて、ガルマが言った。なんの屈託もない口調に、少しだけ本を持った手が震えた。

「……どうだった?」
「どうって聞かれても…。難しかったな。…うん、でも、彼の理想は理解できる」
「…ほぉ」

 ガルマの顔を見なくてすむように本をめくる。表紙の見返しに著者近影と簡単なプロフィールが載っていた。
 ジオン・ダイクン。

「凄い人だよね。ジオンはまさしくスペースノイドの理想を代弁してくれたんだ。その名を冠した国にいることが誇らしくなる」
「べた誉めだな」
「父の影響もあるかもしれない。父上は時々ジオンについて話をするから」
「……。公王とジオンは親しかったんだっけ。君は、ジオンに会った事があるのか?」
「残念ながらないんだ」
「そうか………」

 会話を続けながら、シャアは考えていた。四角く切り取られた著者近影に、見覚えがある。
 記憶に残っているジオンよりも幾分若い。いつの頃だろう。ジオンから目を転じて、背景を見てみる。ジオンの座っている椅子の向こう側には出窓があり、植木鉢の花が飾られている。カーテンによりそうように、やけに可愛らしいぬいぐるみがひとつ、置かれていた。
 ふっと、記憶が蘇った。シャアは目を見開いた。

 ―――ああ。

 見覚えがあるはずだ。これは、自宅で撮られた写真。切り取られた側、この本に省かれたジオンの隣りには、彼の妻が写っているはずだ。産まれたばかりの長男を抱いて。
 誇らしそうに二人、写っている写真を見たことがあった。

 ―――お父様。

 バン!
 音を立てて本を閉じる。驚いた顔のガルマを置いて、足早にその場を去った。ガルマが追ってくるのがわかったが、シャアは振り返らなかった。貸し出しの手続きを済ませ、図書館を出る。

「シャア!」

 突然のシャアの変化に、どうしたのかとガルマが呼びかけた。今さっきまで普通に話をしていたのに、何が起こったのだろう。何に怒ったのだろう。シャアの背中はガルマを拒絶していた。

「シャア!どうしたんだ!?」
「なんでもない」
「なんでもないわけないだろう。一体―――」
「説明……できない……っ」

 手を掴んで振り返らせると、金の髪が煌めいた。

「シャア…?」

 蒼い瞳がガルマを見つめ、切なげに濡れていた。ふわりと浮き上がった雫は瞳の色を吸い取ったようだ。蒼い雫。零れ落ちた雫は手のひらで受け止めてみると透明だった。涙。

「あ………」

 泣いている事に今さら気づいたのか、シャアが戸惑った声を漏らした。

「……シャア………」

 手を伸ばす。いつか見た夢のように。髪に触れるとシャアは目を閉じた。睫毛を濡らして、またひと雫、涙が滑り落ちていった。
 どうしたんだとガルマはもう訊かなかった。ただ慰めるように髪を梳いている。ガルマの気づかいを、この時ばかりはとてもありがたく思った。訊かれても、答えようがない。シャア自身、なぜ涙がでてくるのかわからなかった。泣いて縋るたった一人の妹を振り払った時でさえ、涙など出なかったというのに。ただ………

 ―――お父様。

 心の中で呼びかけて、シャアは目を開けた。シャアが目を開けてもガルマの手は優しく髪を梳いている。とても愛しそうに。
 ただ、あなたが生きていてくださったなら、私はこの目の前の人の良い友人を殺そうなどと考えなくてもすんだのに。純粋に友人でいられたのに。それはもう不可能なことだけれど。
 恨み言を言っても応えはない。死者は、残された者のことを想い考え気づかうことなど決してないのだから。
 シャアは一歩、後ろに下がった。ガルマの手が髪から離れる。これ以上、優しくされたくなくて、隣りにいたくなくて、シャアはそうした。
 去って行くシャアの背中を立ち尽くして見つめていたガルマは、ゆっくりと手に目をやった。今までこの手があの髪に触れていたのだと思うと不思議だった。柔らかな金糸の感触を思い出すように、指同士を擦り合わせる。









 ガルマは部屋に戻ると、ベッドに突っ伏した。今ごろになって鼓動が激しくなっている。

「……あんな………」

 あんな泣き方をされるなんて。男が泣くのはみっともないと教えられてきたのに、でも、シャアは違う。とても綺麗だと思った。潤んだ瞳と戦慄く唇を見て、自分は何を想像した?誤魔化すために髪を撫でていたけれど、震える指先にシャアは気づかなかっただろうか。

「シャア………」

 抱きたい、と。はっきり思った。抱きたい、手に入れたい、あの綺麗な人が、欲しい。




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Novel-2





ベタな話。
そういえばWEB拍手のメッセージに「ジオンがいてくれれば」
と書いてくれた人がいたのですが、今回の話がまさにそんな
内容なのでとてもびっくりしました。
お父様、とシャアは言っていますが、そのころはそうやって
呼んでいたんじゃないかな、と。