The Fairest Of The Fair



 コンコン、とノックの音がして、ガルマは目を覚ました。すでに部屋は暗くなっている。いつの間にか眠っていたらしい。覚醒しきれない頭で起き上がる。
 もう一度ノックの音がして、部屋の外の気配が去っていこうとするのがわかった。はっとしてドアに飛びつき、開ける。
 思ったとおり、そこにいたのはシャアだった。

「ガルマ、居たのか。―――眠っていたのか?」
「ああ…つい、うとうとしていたようだ」

 不在だと諦めていたガルマが急に顔をだしたので、シャアは驚いたようだ。

「それは、悪かったかな」
「いや。…何かあったのか?」

 シャアが来た、というだけで一気に目が覚めた。うたたねしている間に服装や髪が乱れてしまったのではないかと、急に気になりだす。ぱっと軽く手で触れて身なりを整えた。
 とにかく部屋に入るように促がすと、シャアは自分の部屋に来ないかとガルマを誘った。珍しい―――というよりは、初めてだ。シャアの自室に招かれるのは。何度も訪ねたことはあったが、そこでゆっくりと過ごしたことは無い。シャアがガルマの部屋に来る事もあまりないのだが。

「君はどうだった?久しぶりの一人の休日は」
「どうって…別に」
「ふうん」

 ガルマの部屋からシャアの部屋へと向かう廊下で、すれ違う生徒たちが皆ガルマに頭を下げていく。

「たいそう不機嫌だったって話だが。わざわざ訪ねることもなかったか」

 その言い方についムッとした。誰のせいで不機嫌だったと思っているのだ。

「そう言う君はどうなんだ、シャア」
「とても有意義だったよ。楽しかった」

 本当に楽しかったのだろう。上機嫌のシャアに、ほんの少し取り残されたような、淋しい気分になる。
 シャアがドアを開けて、どうぞ、とガルマを招き入れた。
 シャアの部屋は、ガルマの部屋の半分くらいの広さしかない。バスとキッチンとトイレの位置は同じ。ベッドと机は、寮の備品だった。机の上にはノートパソコン。これは、ガルマも持っている物で授業に使うものだ。
 シャアの部屋には驚くほど、生活臭がない。他人の部屋というよりはモデルルームに仮住まい、といった感じすらする。私物がほとんど無いのだ。

「適当に座っていてくれ。コーヒーでいいか?本当ならスコッチでもやりたい気分だが」
「スコッチだと?酒は禁止されているぞ」
「だから、気分だよ」

 ガルマは机とセットになっている椅子に腰掛けた。すぐ傍のベットには座る気にはなれなかった。
 ここでシャアが毎日寝起きしているということを意識してしまう。意識しないようにと考えると、どうしても意識してしまうのだ。何気無いふうにしていなくては、とガルマは前髪を指で掬い取った。
 やがてコーヒーの良い香りとともに、シャアがキッチンから戻ってきた。手にはカップがひとつ。

「どうぞ」

 またキッチンに取って返して今度は砂糖とミルクを持ってきた。
 訝しげな視線を送るガルマに、シャアはばつが悪そうに肩を竦めた。

「カップがそれ一つしかないんだ。僕一人のぶんだけで、足りていたから」

 談話室なら自動販売機がある。皆、自分の好きなものを買って飲めばいい。シャアの部屋にカップがひとつしかないというのは、今まで誰も部屋に招かなかった、もてなす相手がいないか、もてなすつもりが無かったのか。どちらにせよ、ガルマがこの部屋の初めての客だ。

「味には自信がある。―――どうぞ」

 再度勧められて、ガルマは口をつけた。シャアが嬉しそうに目を細めて見ているのを意識しながら。
 感想を言わなくてはいけないのだろうか、とガルマが口を開くより先に、シャアが言った。先程と同じ質問を、微妙に変えて。

「君は今日、何をしていた?」
「別に…何も」

 どうしていた、と訊かれたなら何もないと答えでも構わないだろう。だが、何をしていたか、ではそれは答えにはなっていない。何もしていない人間などいない。常に何かを考えて行動する。そういうふうにできているのだから。

「……午前中はずっと本を読んでいた。午後、昼食後も本を読もうとして、いつのまにか眠ってしまったらしい。そうしたら、君が来た」

 なぜこんな、言い訳のようなことを言わなくてはならないのだろう。
 きっと、コーヒーのせいだとガルマはカップに残った琥珀の液体をゆっくりと回した。ガルマは右利きだ。シャアも。右手でカップを持ち、口をつける。たったそれだけのことにひどく緊張している自分がいる。シャアの唇が触れた物に、自分が口付けている。それだけで。陶器でできたカップがひどく艶めかしく感じた。

「ずっと一人だったのか?珍しいな」

 音も立てずにシャアはベッドに座った。足を組んで肘を乗せ指を組み、そこに顎を乗せる。ガルマを見上げる形になった。

「ずっと部屋にいたから」
「正しい休日といったことか」
「……退屈だった」

 シャアがいなくて、とは言わなかった。ちょっとした意地だ。
 ガルマが飲み終わるのを待って、シャアは立ち上がった。机の引出しから古びた本を取り出す。

「実は、これを君に見せたかったんだ」

 悪戯を企んだ子供のような、楽しさを隠し切れないというようにその本をガルマにかざして見せた。
 小さな文庫版サイズのその本は、ずいぶんと古く、表装は補正がされていた。中身も日焼けして、角が磨り減っている。見るからに前世紀の本だ。それだけでも珍しいが、ガルマが驚いたのはそこではない。

「<フォマルハウトの三つの燭台>…!?本当にあったのか…!」

 その本は、様々な本にその文章を引用されているが、そういう本があるというだけで実在はしていないのではないか、と言われる謎の本だった。まさしく幻の本。

「どこで手に入れたんだ!?」
「マイクロフトがよく行くと言っていた古書店だ。そこはこういう、紙の本の専門で、どの本も古かったけど、特にこれは一番だな。なんせ、特価品の中にあった」
「特価品だって?」
「そうなんだ」

 紙の本じたいはそう珍しい物ではないが、今では主流ではない。分厚く、重く、持ち運びには不便で、多くの人は電子本を選んだ。士官学校の教科書―――といえるのかどうか、授業に使う教材も電子本にインストールされている。ネットワークに繋ぐだけでレポートの提出などの手間が無くなるのだから便利だった。電子本ならハードウエアと中身になるソフトを購入すれば良く、容量の許す限り重さは変わらずに本を何冊も持ち歩ける。
 紙の本はどちらかというと嗜好品になりつつある。こだわりのある人が買っていく。だからこそ、かえって値が張ったりもする。

「そこの本屋は、というか店員だな。店自体は別に社長がいるという話だったから…。あまり紙の本には興味がないらしい。ただ単純に一番汚かったから特価品にしたと言っていた。どういう経緯でここまで来たのか知りたかったんだが……」

 シャアはその店員にずいぶんと腹を立てているようだ。その気持ちはガルマにもわかった。貴重だと思っていた幻の本、手に入れるのは無理だろうと諦めていたそれが粗末に扱われていたのだから業っ腹だろう。たとえ、その無関心さのおかげで手に入れられたとしても、だ。

「あげく、僕がこの本について説明したら、オークションにかければ高値がつく、と言うんだ」
「そんなことを言って、ふっかけられたんじゃないか?」
「購入は先に済ませておいた」
「それでこそ、シャアだな」

 きっと自分なら興奮が先に立ってしまい、結局高値で売りつけられてしまいそうな気がする。ガルマは羨ましそうに本をめくったが、吹っ切るように閉じた。

「読み終わったら貸してくれないか?」
「もちろん」

 快諾して、シャアは本を受け取ると、急に嬉しそうに笑った。

「ふふ。ガルマならわかってくれると思ったよ」
「そういえば……僕はこの本の話を君としたことがあったか?」

 ガルマがこの本について知っている、ということを、どうしてシャアは知っていたのか。不思議だった。

「ない。でも、君ならわかってくれると思ったんだ。だから、帰ってきてすぐ君の部屋に行った」

 君なら、という言葉にガルマはどきりとした。
 シャアはいつも、ガルマと他の友人たちを区別しない。少し冷たいくらい、平等で公平だ。
 だが、君なら、というのは一人限定だ。特別を感じさせる。シャアは時々、こうやって特別を見せてくれるようになった。人懐っこい笑みに、甘やかさを感じさせる蒼い瞳でガルマを見る。それは、至福の瞬間だった。 
 誰にも渡したくない。

「…今日はつまらなかった。シャアがいないと、退屈でしょうがない」

 意地を張って言えずにいた本音を告げると、シャアは目を見開いた。

「今度の休み、どこに行くか決めたかい?」
「いや、まだだが?」

 突然の話題の転換にガルマは少しがっかりした。シャアが何と言ってくれるのかと期待したのに。

「じゃあ、君のカップを買いに行こう」

 シャアは照れたようにそう提案した。

「この部屋で君が使うものを、二人で決めよう」






NEXT


BACK


Novel-2


ちょっと番外編。
趣味丸出し第二弾…。
<フォマルハウトの三つの燭台>は、
某SF小説に出てくる本です。