「ガルマに恋人だと?」
「兄貴、来たのか」

 早かったな、とドズルは笑った。ギレンが顔を出すことはわかっていたが、弟の噂を聞きつけてそそくさとやってくるなど、総帥といえどもやはり弟には甘い。人のことを言えないな、そういう意味でのドズルの笑みだった。だからドズルは、あっさりと噂の真相を、ギレンに教えた。

「恋人じゃない。あの女は、シャアだ」
「…………なに?」

 総帥のおでましに、場が一気に緊張した。ずらりとギレンの周りを人々が取り囲む。企業を蔑ろにするわけにはいかない総帥として、ギレンはいちいち彼らの言い分を聞いていたが、視線でガルマとシャアを探した。二人はすぐに見つかった。確かに恋人同士のように―――実際二人は恋人同士なのだが、この場で知っているのはギレンだけだ―――仲睦まじく、微笑みあいながら、寄り添い見つめあい話をしている。見ているだけなら実に微笑ましいカップルだ。ただし、男女の。シャアはどう見ても完璧な美女だった。ギレンには決して見せない顔をして、笑っている。

「…兄上が来た」
「行ったほうがいいんじゃないのか?たまには報道陣に3兄弟揃っているところを見せてやれよ」
「そんなの……」
「私は少し、休んでまいります。大佐」

 わざとらしく言って離れたシャアの手を捕まえる。

「逃げる気か」
「総帥は苦手だ。勘弁してくれ」

 それはシャアの本音だった。ドズルがギレンに嘘を言うとは思えないから、あれは誰だと訊かれたら素直にシャアだと答えただろう。まとわりつくような、ギレンの視線がその証拠だ。逃げ出したかった。
 するりとガルマの手を解き、後ろに下がる。ガルマがあきらめたようにためいきを漏らした。

「…じゃあ、またあとで」

 ガルマが兄二人と合流すると、たちまちカメラのフラッシュがたかれた。それを横目で眺めながらシャアはワインを手にとった。人目を避けるためにテラスへ出る。一応護衛役なのだが、ギレンの親衛隊が囲んでいることだし、大丈夫だろう。

「ふぅ…」

 ひと口ずつゆっくりとワインを飲んでいくと、体のどこかが緩んでいく気がした。自覚はしていなかったが、緊張していたのだろう。手すりに背を預けて部屋の中を見やると、3兄弟がにこやかに笑いあいながらマスコミにサービスしていた。

「!?」

 突然、パッと目の前でフラッシュがたかれ、咄嗟に手で遮った。プレスの腕章をつけているから報道陣の一人なのだろう男は、カメラを構えて矢継ぎ早に質問をくりだす。お名前は、年齢は、職業は。ガルマ様とのご関係は。恋人ですかという不躾な問いかけに答えてやる義務などない。シャアはわざと見下したような冷笑を浮かべた。なにより迂闊に喋って、声で男だとバレてしまったら、とんでもない事態になる。赤い彗星の女装姿、なんて写真がゴシップ誌に載るだろう。そんな事になればシャアが率いている部隊にもそのとばっちりがいくだろうし、軍人として相応しくないなどと難癖つけられて懲戒になりかねない。たとえそれを命じたのがドズルであったとしても、シャアを失脚させたい人物にはスキャンダルの種には違いない。
 一人がシャアに取材を、一方的ではあったが始めたことで、2,3人のカメラマンが集まってきてしまった。シャアは今度は不快をあからさまにした。受け答えをするつもりはないのを示すように、ワイングラスで口元を隠す。扇子でも持ってくればよかったと、内心でためいきを吐く。何を命令されるかわからなかったため、手が塞がってしまうような物は持ってこなかったのだ。うっとおしくなって、彼らから逃れるように、テラスから部屋へ戻ろうとした時だった。ふっと誰かが背後に回りこんだ。
 ざわりと鳥肌がたつような感覚がして、咄嗟に振り返る。それが誰なのかを確認する前に、その手に握られていた小さな刃物が目に入った。

「!」

 かちゃん、とナイフの刃とワイングラスが噛み合う音。避けきれなかったドレスの背が切り裂かれてしまったが、痛みは無かった。刃は体にまで達していないようだった。
 まさか避けられるとは思っていなかったのか、相手が一瞬怯む。男だった。シャアはその隙を見逃さなかった。袖口に仕込んでおいたダガーを男の首筋にあて、もう片方の手で男の腕を捻り上げる。手から離れたワイングラスがことんと落ちた。

「シ…、ドルシネア!」

 一瞬の出来事をようやく理解した周囲からざわめきと悲鳴が上がる。人々の間をぬってガルマが駆け込んできた。

「大丈夫です」

 すぐさま憲兵がやってきて、男を引っ立てて行く。シャアはダガーをポケットにしまうとさっき落としてしまったワイングラスを拾った。グラスは割れていなかった。重厚なカーペットがそれを守ったのだろう。ワイングラスをテーブルに戻して、シャアは笑った。

「不届き者がひとり、紛れ込んでいたにすぎません。大佐」
「ドレスが……」
「怪我をしているな」

 ガルマの言葉を遮ったのは、ギレンだった。
 報道陣の見守る中シャアの手を取り、腰に手を回す。
 ドレスは腰から背中にかけて、下から上へ掬い上げるように切り裂かれていた。怪我をしたのはその少し上。唯一剥き出しになっている肩だった。怪我といっても痛みを感じないほどうすく、血が滲んでいるだけだ。

「このようなもの、怪我とは言えません」

 シャアは身を縮ませて、ギレンの手から逃れようとした。まずい男に捕まったと、冷や汗が吹き出す思いだった。まさかとは思うが、こんな大勢の見ている前で、ガルマの横から攫うようなことをするつもりだろうか。

「護衛とはいえ女の身に傷をつけたのだ。手当てくらいしてやろう」

 周囲の人間はそういうことかとためいきとともに納得した。ガルマと仲睦まじげにしていながら、あの身のこなし。とてもガルマの恋人になれるようなご令嬢には思えないが、護衛となれば軍人なのであろうし、ドズルと顔見知りなのもうなずけた。さらに言うならギレンの思いがけない言葉にも周囲は和やかな雰囲気になった。ギレンの言葉の意味を、この場で正しく理解していたのは言った本人であるギレンと、言われたシャアだけだった。
 ギレンは手当てをしてやろう、と言ったのだ。させよう、ではなく。つまりギレンが直々に、ということだ。
 結局、シャアは諦めの境地で、

「恐れ入ります……」

 と言うほかなかった。ギレンに引きづられるように去っていく背中に、信じられないと言わんばかりのガルマの視線が追いかけてくるのが、辛かった。


姫君は常に攫われる運命にあるものです。
ギレンはよっぽど腹をたてていたのでしょう。
シャアの運命やいかに?(笑)



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