1904.12旅順攻防 ブーツがざり、と土を踏みしめた。土というより砂に近いか、この地は水分を含まない。雪がちらつくこともあったが、積もるほど降ることはなかった。冷たく乾燥した空気に、はあ…と吐き出した息が白くたなびいた。 日本は激しい戦闘が終わった小休止の間、あたりを見て回っていた。 昨夜のうちに少し片付けたのだが、まだ、ロシア兵服の青色と、日本兵服のカーキ色が散らばっている。そこここに倒れている遺体を全て回収する余裕はなかったが、まだ生きている自力で動けない兵士は回収しなければ凍死してしまう。零下になる厳しい寒さは骨身にこたえた。 今まで何度か遺体や傷病兵を回収するために休戦していたが、今はもう敵味方関係なく回収していた。この付近は日本が制圧しているし、もはやロシアにそんな余裕はない(むしろ余裕があってもらっては困るが)こちらで回収しなければ死んでしまう。 内陸と海からロシアが侵入した港町を挟んで封鎖して5ヶ月、物資は圧倒的に不足しているはずだ。傷病兵に使う薬や包帯、食べ物だって十分ではないだろう。交替の人員もなく、物資も十分でない(おそらく)弾も包帯も食べ物も、彼が生命の水だといっていたウォトカも尽きた穴ぐらの中で、ロシアはぼやいているに違いない。あるいは日本がそうであるように、穴ぐらの中で歯を鳴らしながら寒さに震えているだろうか。 初めは確かに憎かった。日本が中国からもぎ取った果実を手放させておいて、その2年半後に自分が占領するなんて…その上、韓国にまで手を伸ばすロシアは、脅威であり憎悪の対象だった。 しかし、半年もの間向かい合って戦闘を繰り返し、同じように苦しい生活を共にする(?)うちに、日本とロシアの間には奇妙な連帯感のようなものが生まれていた。 日本はもう半年を攻めあぐねている。初めに突撃が失敗し多数の戦死者を出した日本は、結局ロシアと同じように塹壕に立てこもってにらみ合いを続けていた。 正直、大雑把なロシアが守る側になったらこんなにも粘り強いとは!決して侮っていたわけではない、また侮れる相手でもないが、堡塁に立てこもって、こんなに粘るとは思っていなかった。 立てこもられた以上、相手が負けを認めるまで勝利はない。消耗戦は日本の好むところではなかった。あまりの犠牲の多さにもうやめてしまいたいと思ったことも一度や二度ではない。それを口に出すわけにはいかない。そしてそれはロシアも同じだろう。 穴ぐらの中で硝煙と血にまみれて不眠不休であろうロシアを思った。 (もう立てこもるのはよして、早く出てきてください…!) なぜか泣きたくなって、日本はぎゅうと目をつぶった。 |