若き天才美形ピアニスト(笑うところです)×調律師パラレル・本田視点>イヴァン視点
あのパラレル露様が日のこと意識しすぎてて、露→日だけじゃ不公平だと思ったので(?)露←日バージョン










 菊は暮れなずむ構内を急ぎ足で歩いていた。汗だくになって夢中でピアノに向かっていたら、予想外に時間が経っていた。早く行かなければ仕事場に遅刻してしまう。何故か菊に割り当てられるピアノ室にはいつも不具合がある。調律されていないピアノが置いてある部屋を割り当てられて(しかも部屋自体も床が抜けそうだった)調律から始めなければならなかったり、突き指するほど固い鍵盤のすべりをよくするために分解して蝋を塗り続けて時間が終わったこともあった。(おかげですっかりピアノの構造に詳しくなってしまった!)足早に歩を進める菊の耳に美しいピアノの音が聞こえてきた。頭上から妙なる音楽。演奏者はすぐに分かった。同級生のイヴァンだ。彼は冷房の効いた二階の最上級のピアノ室で思う存分練習することができる。菊が生活という泥の中で這いずり回っている間も。彼の奏でるピアノはまるで天上の音楽のようだった。少しの間、ほんの少しの間だけ、足を止めてその音に耳を傾けた。ああ、今日も彼のピアノは美しい。
 音楽の女神に愛される人間がいるとすれば、それはイヴァンだろうと菊は思っていた。音楽の女神に愛されているイヴァンのもとにはすべてが集まる。金も、環境も。彼を素晴らしい音楽家にするために世界が回っているような気すらする。以前高名なピアニストの出張授業を抽選で受けられることになったときも、イヴァンは抽選に漏れたにもかかわらず、周囲の取り巻きに「譲ってくれるよね?」と強請ってしっかり世界的ピアニストの技術と接触していた。(ちなみにそのとき、菊は激怒して抗議しようとして、イヴァンの周囲の取り巻きに必死で止められた。以来目をつけられて何かと嫌がらせをされている。本当に嫌な男だ!)
 けれど菊がイヴァンと同じ立場になってもきっと同じ行動はできない。貧しい人をいっぱい見て育った菊は、自分だけが優遇されることに罪悪感を抱いてしまうから。最高の環境が自分に与えられることが当然だと思っていて、周囲がそれに貢献することに何の疑問も抱かない、そんな傲慢さは持てない。満月のように欠けるところのない美しい音。自分の幸福に何の疑問も持っていない完璧な音。満月を見れば欠けることを考える菊とは違う。傲慢だ、けれど彼の経歴に一片の曇りもないからこそ天上の音楽を奏でられるのだろう。
 菊はイヴァンを嫌っていたが、その音楽は素晴らしいと認めていた。







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 妹が病気になったと連絡が来たとき、あの子の一番の味方は私だから帰らなければと思った、同時にピアノの才能に見切りをつけた。最後の演奏会でよく分かった。菊の音楽は、人を幸せにはできないのだ。顔をしかめて演奏を聴く審査員の面々…菊の音楽は聴く人の心の中の嫌なものをこじ開けるのだそうだ。菊は、イヴァンみたいな天上の音楽を奏でることはできない。自分の心の中のドロドロした黒いものから逃れることはできない。どんなに練習を重ねても、この弾き方しかできなかった。最後になるイヴァンの演奏を聴きながら菊は少し泣いた。音楽の女神に祝福された、彼の栄光へ到る架け橋が見える、私は生活という泥の中を這いずり回る運命なのに。
 帰国すれば菊とピアノを結びつけるものは何もない。今まで家族に苦労をかけた分、菊は懸命に働いた。そうして何年も経った頃、ふと入った楽器店でイヴァンのCDを見かけた。デビューしたんですね。すると思っていたから驚きはしなかった。最低な人でしたけど、音楽だけは本当に素晴らしかったですから。生活に余裕はないのに何故かCDを買ってしまった。この売り上げも彼の懐を潤すのかと思うと癪だったが。
 イヴァンの演奏は素晴らしかった。学生時代より、さらに音に深みが増している気がする。気付けば菊は涙を流していた。やがて流れてきたやわらかい音に勝手に指が動く。この曲は、学生時代の私の十八番です、でもなんて綺麗な曲なんだろう…私は持てる技術をすべて叩きつけるようにしか弾くことができなかったのに。ああ、美しい、ですね…。

 どうして忘れていたんだろう。
 ずっとピアノが好きだった。愛してるといってもいい。
 菊はそのまま辞表を書いて会社を辞め、調律師として生きることを決めた。











今度こそ続きません
本田君はイヴァンさんを嫌ってますが、互いに強烈に意識してたらたまらんです…!
イヴァンさんは本田君を過大評価するけど本田君は自分の才能に見切りをつけてるこのギャップ。
本田君は自分の不遇を怒ったりはしません。現状と戦うことはするけど。
変なところで鈍感というか前向きなので現状を怒るパワーはすべて努力に変換します。
ずっと冷房の効いた部屋でピアノばかり弾いていたせいで汗腺が退化して、音楽の先生になったあと
学校で熱中症で倒れた人がいるって話を小耳に挟んだことがあるんですが
このイヴァンさんも汗腺が退化してそうですね。