ROSES and SUNSHINE 17
「夏風邪ってさ、」
その先を悟空が口にする前に、三蔵は凶悪な目つきで睨んでやった。
病人の枕元にやって来て、第一声がそれか。
別段、見舞いの言葉を期待していたわけではないが、こんな調子の時に喧嘩を売るような言葉を投げられては、嫌がらせかと勘繰りたくなる。
だが、言い争うのも億劫で、三蔵はただ簡潔に告げた。
「帰れ」
対する悟空の返事もまた、簡潔だ。
「やだ」
悟空はベッドサイドの三蔵の枕元に座り込む。
「俺は馬鹿じゃねぇからうつらねーもん」
誰が風邪がうつる心配をしているのか。
そんな心配、するだけ無駄だと三蔵は知っている。
長い付き合いだが、悟空が寝込んでいるのを三蔵は見たことがない。真冬に水浴びしても風邪をひかない頑丈さは、逆に不安を覚えるほどだ。
そんな悟空の無茶に毎度付き合わされ続け耐性ができたのか、はたまた用心深くなったのか、三蔵もまた、もう何年も風邪で寝つくことなんてなかったのだが。
……この有り様だ。
まったく忌々しい。
「馬鹿は風邪ひかねぇからだろ」
やつあたりじみた感情で言って、三蔵は悟空に背を向ける。
「邪魔だから帰れ」
やけにおとなしく部屋を出て行ったと思っていたら、やはり帰ったわけではなかったらしい。
少しして、悟空は小さな土鍋の乗ったお盆を抱えて戻ってきた。
枕元の定位置に、何事もなかったようにまた腰を下ろし、季節外れの土鍋の中身をれんげですくい、フーフーしている。
こんな場所で腹ごしらえか、と横目で眺めた三蔵があきれていると、悟空は持ったれんげを三蔵に向かって差し出した。
「はい、あーん」
……予期せぬ状況に、三蔵は硬直した。
だが悟空はそんな三蔵を見て、不思議そうに首をかしげる。
「お粥、食わねーの三蔵?」
ようやく我に返った三蔵は、乱暴にれんげを悟空から取り上げた。
「自分で食う! だからお前はもう帰れ」
「でも俺、三蔵がちゃんと食べるの見張ってて、って頼まれたし」
誰に、なんて明白だ、三蔵の母親だろう。
口実を手に入れ、得意気な悟空の顔が憎たらしい。
「三蔵、早く食わねーと冷めるよ。まだこんなにあるんだから」
そう言って土鍋を指す悟空に、三蔵は熱のせいでなく、眩暈がした。
まさかそれを全部三蔵に食べさせる気か。
病人の食欲を理解してほしい――そう考えかけ、三蔵は自分の誤りに気付く。
病気知らずの悟空に、病人の気持ちなどわかるはずがなかった。
しかも悟空のことだ、『食欲がない』という状態さえ理解の範疇を超えているに違いない。
とはいえ、しつこく二膳目を勧める悟空をどうにか納得させないわけにはいかない。
「おい、もう食えねぇぞ」
「だめ、食わねーと風邪治らねーんだからな!」
「――てめぇも一度風邪ひいてみやがれ!」
もっとも、悟空のことだから、病気をしてもあの異常な食欲は変わらないのかもしれないが。
いい加減に帰れ。
何度そう言っても、三蔵が実力行使に移れないのをいいことに、口実がなくなってしまっても悟空は三蔵の部屋に居座った。
最初はただ鬱陶しいだけだったが、こうもかたくなに帰りたがらないのは何か理由でもあるのだろうか――そう、三蔵が疑問に思い始めた時だった。
「三蔵、風邪ひいたのって……」
悟空が、小さな声で呟いた。
「俺のせい?」
やけにかいがいしく看病の真似事をしていると思ったら……そういうわけか。
悟空は三蔵の風邪の原因に責任を感じているらしかった。
上目遣いに、おそるおそると三蔵の表情を窺う様子が、けなげに見えてしまうのは熱のせいだろうか。
「別にお前のせいじゃねえ」
そう言ってやると、悟空の表情は安堵で緩んだ。
悟空はそうやって笑っていればいい。
三蔵のそばで笑っていればいい……
――そんなことをぼんやりと考えながら、三蔵は悟空を見ていた。
見ていたから、悟空の顔がだんだんと近付いてきたのにも気付いていたはずだった。
しかし三蔵の脳は何の反応もせず、ようやく情報が伝わったのは、悟空の唇が額に軽く触れて、離れてしまってからだった。
「……何しやがる!」
一気に熱が上がった気がした。
だが悟空はというと、なぜ怒鳴られたのかわからないというふうに、顔をきょとんとさせて――
「何って――熱が下がるおまじないじゃん」
なるほど悟空の家ではそれが常識かもしれないが、はっきり言って、そんな話は聞いたことがない。
「暑熱上昇」......end.