ROSES and SUNSHINE 15
「三蔵、カケオチしよう」
二限後の休憩時間、突如寝惚けたことを言い出した幼なじみに対して、三蔵は辞書で殴るという暴挙でもって応えた。
「――意味を調べろ」
鈍い音とともに、悟空はずるずる机の下へ沈んでいく。
が、再び頭半分だけをひょこっと出すと、上目遣いで三蔵を見上げる。
「いーじゃん別に。へるもんじゃなし」
「そういう問題じゃねえ」
悟空はむうとふくれ面をすると、低い声で呟いた。
「…………けち」
そうして、ふらりと立ち去る。
「反抗期?」
入れ替わりに、どうやら一部始終を見ていたらしい悟浄が、笑いを噛み殺しながらやって来た。
「知るか」
三蔵は舌打ちする。
幼なじみの複雑怪奇な思考回路は、長い付き合いといえどもつかめない。
そして結局、三蔵は悟空の酔狂に付き合うはめになるのだ。
なぜだか、放っておけない。
そんな、不可解で厄介な感情に、いつだって負けてしまう。
見渡せば、深く青い空の下に、濃く青い海が広がっている。
三蔵は海に来ていた。
潮を含んだ風が、髪をふわりと跳ね上げる。
防波堤から海岸を見下ろすと、真上から照りつける太陽にさらされ影一つない砂浜に、白いシャツの背中が浮いて見えた。
三蔵は無意識のうちに、一つ息をつく。
ため息か安堵か。自分でも判別は難しい。
――ここにいる、という確固たる確信はなかった。
幼い頃の、二人の冒険の終着点。
もう何年も訪れていなかった場所だ。なのに、ふと思いついたのがなぜこの場所なのか、三蔵にもわからない。
とにかく、悟空はここにいた。
階段を見つけ、三蔵は砂浜に降りる。砂を踏みしめる音に、人が近づいていることを気付かぬはずがないのに、白い背中は振り返らない。
膝を抱えて海を眺めている少年の背後で、三蔵は立ち止まった。
「…………おい」
振り返った悟空は、笑っていた。
「来てくれると思った」
目を細めて三蔵を見上げる顔には確信しかなく、それ以外の可能性などまったく信じていないにちがいない。
三蔵は息をついた。今度は憮然と。
そんなふうに、三蔵が来ることに微塵も疑いを抱かずにいて、もし、三蔵が意思とは関係なく来られなかったりしたら、どうするつもりなのか。
――つまるところ、三蔵が悟空を放っておけないのは、そういう場面を現実にしたくないからかもしれない。
傷つけたくない、と思う程度には、三蔵はこの幼なじみを大切にしているのだ。
笑う顔を見ていたら、無性に腹が立った。
そうだ。自分は怒って然るべきなのだ、と唐突に理解する。
三蔵は悟空の背中を蹴りつけた。
「イテ、何すんだよ」
「だいたいテメェは――」
抗議の言葉を遮って、悟空の隣に腰を下ろしながら、三蔵は言うべきことを言う。
「わけのわからんことを言うな。まわりくどいんだよ。――――遠出したいなら、ただそう言えばいいんだ」
そうすれば、気が向いたら付き合ってやったっていい――などと甘いことはさすがに言わないが。三蔵はただ、深くため息をつく。
「俺、遠出したかったのかな?」
「そうだろ。自分のしたいことくらい自分でわかれ」
うーんと悟空は小さくうなって、「でもさ、」と呟いた。
「三蔵がわかってるなら、俺はわかんなくても問題ないだろ?」
それはどういう理屈だ。三蔵はあきれはてるほかない。
「な、さんぞ――」
ふいに。
こちらを向いた悟空の顔が、幾分近づいた。睫毛の一本一本が見分けられる距離。
三蔵はわずかに息を呑む。
「つけられただろ?」
ささやきの意味をつかむ前に、悟空が動いた。
「――見つかった! 逃げよう!」
ぐい、と手を引かれたかと思うと、すばやく立ち上がって走り出した悟空に引きずられるようにして、三蔵も足を動かさざるをえない。
遠くで上がった耳慣れた声を振り返れば、防波堤に悟浄と八戒の姿が見えた。悟空と三蔵の行動の意味がわからず、何事か叫んでいる。
三蔵だってわからない。
どうして悟空と二人、海岸線を必死で走っているかなんて。
悟空のすることは、三蔵にはわからない。いつだって。
……ただ、わかっているふりをしているだけ。
「逃亡作法」......end.