ROSES and SUNSHINE 07
好きなもの。
三蔵が制服のネクタイをゆるめる仕草。
悟空と三蔵が通っている高校の夏服は、白のシャツにグレイのズボン、そしてネクタイだ。ネクタイの色はワインレッド、モスグリーン、ダークブルーの三色があり、学年ごとに違う。
しかし、学校案内のパンフレットの如くきっちりとした着方をしている生徒は、せいぜい半数くらいだろう。特にネクタイは、多くの人が家の押入や学校の引き出しなどに常駐させている。
学校側も、そんな服装違反をいちいち取り締まったりはしない。
が、新学期の初めだけは別だ。俄に風紀のチェックが厳しくなり、生徒は皆慌てて身なりを整える。
三蔵も普段はネクタイを自室のクローゼットに放り込んでおくタイプだが、この時期だけは億劫そうにしながらもきちんと締めている。
悟空は思う。
もともと三蔵は、モデルでもできそうな顔立ちと体型だ。いつものラフな制服の着方も良いが、きっちりと着こなせば、大したことのないデザインも見違えるように映えて、尚良い。
けれど一番格好良いのは、それを少しだけ着崩した時だ。
少し骨張った長い指がネクタイの結び目に隙間を作り、整ったフォルムを解いてゆく。
ただそれだけのことなのに。例えば悟空の父親がする動作と何ら変わりはないのに――不思議だ。三蔵だと違うふうに見える。
苦手なもの。
ネクタイを締めること。
そもそも一介の高校生がネクタイをした経験なんて、そうあるものではない。悟空も高校に入るまでは、ネクタイなど土星くらい自分と関係のないものだった。
だから、巧くできなくて当たり前――と悟空は自分に言い聞かせているのだが、同じ様な境遇の三蔵とかその他大勢の周囲が難なくこなしているのを見るに付け、その言い訳もだんだんと効果が薄まりつつある。
端的に言って、悟空は不器用だった。
家から一番近い、という理由で選んだ高校は、校風も自由でなかなか気に入っていたけれど、ネクタイのことだけは失敗したとため息が出る。
三蔵は面倒だという理由でネクタイをしないが、悟空の場合はもっと切実で、できないからしないのだ。
しかしそれが、今朝に限って鏡の前で格闘しているのは、新学期だからというだけではない。
ここ何日かの三蔵を見ていたら、ネクタイをしたくなった。
「えーっと、これがこうで、こうして……?」
記憶にある通りにやってみる――が、何度試しても変な形になってしまうのがわからない。
ダメだ、とまたやり直し。そうしている内に、時間はどんどん過ぎてゆく。
「悟空、遅刻するわよー!?」
「わかってる!」
結局悟空は、思い通りにならない細い布を、くしゃくしゃに丸めてポケットに突っ込んだ。
好きなものと苦手なもの。
「――だからさ、三蔵俺にネクタイの結び方教えて?」
昼休み、人気のない校舎裏で一緒にご飯を食べて、三蔵が食後の煙草を一本吸い終わったところで徐に悟空は切り出した。
「んなモン他の奴に頼め」
三蔵はあっさりと悟空の願いを切り捨ててくれた。
だが悟空にも、色々と事情というものがあるのだ。
「ヤだよ! …………恥ずかしいじゃん」
それに、一人どうしてもネクタイを結べないなんてことを知られたくない相手がいた。ばれたら最後、鬼の首でも取ったみたいに悟空を馬鹿にするに決まっている。
そんなのは断じてご免だ。
三蔵はその辺のことも見当がついたのか、ため息をつくと、自分の襟元に手を遣った。
あ、と思っている間に、悟空の好きな仕草で無造作にネクタイを解いてゆく。
「見てろよ?」
三蔵はそう言って一度悟空に視線を向けると、淀みない動作でネクタイを締め直した。
「簡単だろうが」
そしてこれで十分だろうとばかり、二本目の煙草を取り出そうとするから――悟空は言わなければならなかった。
「……ごめん、わかんなかった。もう一回……」
三蔵の手ってキレイな形だな、と思っている内に全部終わってしまっていたなどとはとても告げられない。
紫暗の瞳が剣呑な光を宿すのを見て取って、慌てて言い足す。
「俺のネクタイで! もう一回だけ……ダメ?」
三蔵は変わらず不機嫌な顔つきだったが、無言で手を差し出してきたので、悟空は急いでポケットから自分のネクタイを取り出して渡した。
するりとそれは悟空の首に掛けられる。
「一度だけだぞ」
念を押されて、またも三蔵の手に見蕩れそうだった悟空は、はっと意識を集中させる。
今度も三蔵は流れるような動きで悟空のネクタイを結んだ。だがそれは、あまりに自然過ぎる所作で。
「もっとゆっくりしてくれよ!」
悟空が途方もなく情けない顔をしていたからだろうか。三蔵は舌打ちしただけで、同じことを、わざわざ解説まで付けて繰り返してくれた。
「こうして、こっちにやって、くぐらせて――こうだ。わかったな?」
最後はほとんど確認というよりも脅しだ。悟空は覚束ないながらも肯かざるを得ない。
「だからこうやって――こうやって――…………あれ?」
締め直してみたネクタイは、何故か解く前の手本とは全く違う形になってしまっている。
へら、と笑いかけてみたら、三蔵はもう呆れ顔しか返してくれなかった。
「てめーは一生ネクタイするな」
「待ってくれよ三蔵、なあ見捨てるなよー」
縋ること二十秒、三蔵は「これで最後だ」と前置きして、もう一度悟空にネクタイの結び方を教授してくれることになった。
二人して真剣にネクタイを見つめて――
そのせいで、背後の校舎の窓に一つの影が通りかかったことに気付かなかった。
「――ナニ新婚夫婦みたいなことやってんだお前ら?」
「もういい、てめーのネクタイは俺が一生締めてやる!」……三蔵はわざわざ墓穴を掘った。
「領帯憧憬」......end.