ROSES and SUNSHINE 03
「仮病」
「…るせ」
「嫌味だよなー。毎年毎年バレンタイン休むやつって」
言いながら、悟空は三蔵の部屋の窓枠を乗り越える。いつもの最短ルート――しかし今日という日に限っては、それを使わなければならない理由があった。三蔵の家の前には、まるで何かの見せ物みたいに女性が群がっている。目的は言うまでもない。
聖バレンタイン・デー。
毎年この日、三蔵は必ず学校を休む。そして家から一歩も出ない。
理由は簡単、躍起になってチョコレートを渡そうとする女の集団から逃れるためだ。
普段であれば三蔵の剣呑な視線に怯む女性陣も、この日ばかりはパワーが違う。男の悟空としては、ただただ驚くばかりだ。
さすがの三蔵もこれには敵わないとみえて、面倒事を避けるために大人しく家の中で一日を過ごす、というわけだった。不思議なもので、女性は2月14日という日付に拘るから、その日さえ凌げば何とかなる。
義理でも何でも一個貰えれば天国、と言う多勢の男連中からすれば、三蔵の行為は腹立たしいことこの上ないと思われるようなものかもしれなかった。実際今日も学校で、三蔵と仲が良いということを知って、悟空にやっかみを言ってくるやつがいたものだ。
周囲がそんなふうだから、この日の悟空は、絶対に三蔵の味方をすると決めている。
直接は会ってもらえない。机やロッカー、家の郵便受けに忍ばせても無視される。郵送は拒否される。――数々の方法が失敗に終わった女性たちが、彼の友人に頼んで渡してもらう、という手段に出たのは必然だった。そして、確実に三蔵の元に渡るルートとして、人付き合いの悪い彼が例外的にそばに寄ってくることを許す、幼なじみでもある悟空に白羽の矢が立てられたのも、当然と言えば当然のこと。
しかし、悟空は決して三蔵へのチョコレートを受け取らない。
泣き落としの懐柔策にも落ちなかった悟空に、その人となりを知っている者は驚いていたが、それほどに決意は固かった。だが、それは罪悪感を感じていないということではなくて――
「俺が頑張って三蔵のチョコレート断ってた間も、三蔵はそうやって一人本読んでくつろいでたんだろ。ずりーよなー」
思わず口から恨み言が飛び出たのは、許されて然るべきだと悟空は思った。
本当に、毎年毎年三蔵宛のチョコレートのために苦労しているのは、三蔵自身ではなくて悟空なのだ。
三蔵は家にいるだけなので気楽なものだ。悟空の母など、「三蔵君はいつもこの時期になると風邪ひくわね」と本気で心配しているというのに。
まったく理不尽。
三蔵の味方をすると決めたのは自分だが、それはそれ、これはこれと悟空は勝手に決めつける。
「何か俺に感謝とか労りのキモチはねーの?」
「ああ?」
当然ながら、三蔵はあまり友好的とはいえない答えを悟空に返した。
しかし、こんなことで退いていては、幼なじみなどやっていられないのだ。悟空は押しの一手で三蔵に迫る。
「じゃあ、学校の前に出来たあの店、明日行こーぜ。三蔵のオゴリで」
「……奢らねぇよ」
その返事に、悟空は楽しそうに笑った。
「ってことは、行くのはいいってことだよな?」
最後には、悟空は約束を取り付けることに成功した。
多少強引ではあったが、三蔵は本当に嫌なことであれば何があっても拒否するので、構うことはない。
悟空は上機嫌で、持ち込んだ自分のチョコレートの包みを開け始めた。
交友関係の広い悟空は、毎年かなりの数を貰う。そのすべて義理ではあるが(――と、悟空は思い込んでいるだけで、三蔵が端から見ていると実は本命らしきものもちらほらあったりするのだが)。
三蔵のことがなければ、悟空にとってバレンタインはそう悪い日ではなかった。こんなにもたくさんチョコレートだけを食べられるのは、一年でこの日くらいしかない。
「――そういえばさ、チョコって媚薬らしーよ」
ふと思い出して、チョコレートを囓りながら悟空は三蔵に視線を向けた。
「そう考えるとバレンタインにチョコって、変に現実的ってゆーか、実用的だよな」
「単に菓子会社の陰謀だろ」
三蔵は興味なさげに本のページを捲る。
悟空はチョコレートを咥えたまま、ひとつ瞬いた。
「そーなの? 俺は、夢とかロマンでは腹がふくれないって話かと思ってた」
三蔵の口からひどく呆れたようなため息が零れ落ちたのは――勿論言うまでもない。
「甘味寓話」......end.