01/12/02

Act.1 They are harmless as a kitten.

「三蔵のばーか!」
何もかも許してくれそうな青空に向かって、悟空は思い切り叫んだ。
思い切り大地を駆けて、思い切り緑の褥に倒れ込む。
新緑の薫りに包まれると、少しだけ気分が落ち着いた。
「ばーか……」
こんないい天気なのだ。たまには一緒に遊んでくれたっていいのに。
悟空の保護者は、今日も机に向かって仕事をする方を選んだ。
あんな紙切れに負けたと思うと、悟空は悔しくて涙も出ない。
「あーあ」
悟空はくるりと身体を反転させて、大の字になって空を見上げた。
雲一つない、晴天。
爽やかで眩しくて、何だか全部ばからしくなった。
「も、いーや」
大きくのびをして、悟空がそう呟いたとき。
「にゃー」
頭の上の方で、鳴き声がした。
無理な体勢で悟空がそちらに視線を遣ると、そこには。
――真っ白の毛並みと青い眼を持った、仔猫がいた。
「どーしたんだ、お前?」
悟空は仔猫を抱き上げると、自分の胸の上に乗せた。
この辺は人里から離れていて、飼い猫が迷い込むことはない。
と言うことは野良猫なのだろうが、それだってこんな場所にいるのはおかしかった。
人が住まない土地で生きることができるのは、完全に野生の生き物だけだ。
「ん? 何?」
仔猫は、しきりに悟空の胸の辺りを気にしていた。
小さな爪で何度も引っ掻かれ、ようやく悟空は原因に思い当たった。
「お前、鼻利くなぁ」
一旦、仔猫を胸から下ろして、悟空は服の下から包みを一つ取り出した。
おやつ代わりにこっそりと持ってきた、お供え物の饅頭だ。
「半分ずつ、な?」
悟空は饅頭をきれいに二つに分けて、一方を仔猫に与えた。
そして、残りを一度に頬ばる。
甘くて美味しい。
これを、なぜただ飾るだけなのか、悟空はよくわからない。
見れば、仔猫もまたおいしそうに饅頭を食べていた。
悟空が与えた饅頭をぺろりと平らげた仔猫は、すっかり悟空に懐いてくれた。
しきりに悟空の周りをうろちょろして、悟空の気を引こうとする。
その様子を見て、悟空は苦笑した。
まるで自分みたいだ。
三蔵にとって自分は、もしかするとこんな風に見えているのかもしれない。
仔猫は悟空があまりに構わないので、ついには悟空を引っ掻いてきた。
「痛ッ」
爪を立てられた頬を触ってみると、血が滲んでいた。
「こら」
軽く仔猫を小突く。
仔猫に悪気があったわけではないことは、悟空もちゃんとわかっていた。
まだ小さいから、力の加減がうまくできないのだろう。
そんな不器用なところも、自分みたいでいたわしい。
こっちを見てと。
一生懸命にうったえて、うったえて、うったえて。
「お前、俺とおなじだな」
悟空が仔猫の喉を撫でると、仔猫は気持ちよさそうに喉を鳴らした。
それから悟空は、腹這いになって草で仔猫をじゃらしてみたり、一緒に野を駆け回ったりして時を過ごした。
この遊び相手は全く悟空を退屈させず、気がつけば空の色が変わっていた。
「もう帰らなきゃ……」
夕食に間に合わない、と思ったら、お腹も空いてきた。
名残惜しいが仕方ない。
三蔵はあれで、門限には厳しいのだ。
それは単に過保護というわけではなく、夜に自分という『妖怪』が寺院内を彷徨くと面倒なことになるというのが理由だと、悟空は知っている。
三蔵のそばにいられなくなるのは嫌だ。
そして、もちろん罰の夕食抜きも遠慮したい。
「ごめんな」
未だ遊び足りなさそうな仔猫の背を撫でて、悟空は立ち上がった。
そして帰途に就いたのだが――――
「だめ! 付いて来んなよ!」
仔猫が悟空を追ってくる。
本気で走って振り切ろうと思えば……たぶんやれないことはないだろう。
だが、悟空はどうしてもできなかった。
仔猫の鳴き声が耳に痛い。
立ち止まって振り向いた先には、信頼に満ちた空の青があった……
――いつもはどんなに三蔵に叱られてもつい癖で大きな音をたてて開けてしまう扉を、今日に限って悟空は一切の音を封じるようにして慎重に開いた。
細い隙間から部屋の中を窺ってみると、どうやら三蔵はまだ戻ってきていないようだった。
悟空はほっと息を吐いた。
しかし、その瞬間を狙ったように、背後から声が掛けられた。
「……遅い」
「うわっ!」
思わず背筋をぴんと伸ばして、恐る恐る振り返るとはたしてそこには三蔵が立っていた。
いつの間に、と悟空は仰天する。
演出効果を狙って、わざわざ気配を消して忍び寄ってきたのだろう。
まったく意地が悪い。
「ご、ごめん三蔵」
悟空が上目遣いで見上げると、三蔵は何も言わず扉を開いて部屋に入った。
三蔵に続いて部屋に入り、悟空は内心で胸を撫で下ろす。
どうやら、肝心のものには気づかれなかったらしい。
そそくさと、自分に割り当てられた部屋に続く扉に向かったが、またもやはかったようなタイミングで三蔵が言った。
「で、その腹に隠してるものは何だ?」
冷や汗がたらりと悟空の背を伝った。
「な、何のこと?」
振り向かないで、とにかくとぼける。
目の前の扉まで、あと数歩なのだ。
「――これのことだ!」
「――あっ!!」
悟空の服の中から強引に仔猫を引きずり出した三蔵は、次の瞬間悟空にハリセンを振り下ろした。
「何でもかんでも拾ってくんじゃねぇ!」
「だって!!」
三蔵の手から仔猫を奪い返して、悟空は反論しようとした。
だって、放っておけなかったのだ。こんなに自分に縋ってくるものを。
しかしその言葉は、三蔵に睨まれて宙に消えた。
「どっか置いてこい」
ひやりとした。
まるで、自分のことを言われたみたいだった。
悟空の強張った表情に、三蔵は眉を顰める。
「おい?」
髪に触れようとした手は、悟空によって鋭い音と共に思い切り振り払われた。
三蔵は驚いたが、それは悟空も同じだった。
「あ、……ごめん」
無意識の自分の行動に、今度は戸惑った顔をする。
三蔵は、一つ大きな息を吐いた。
それにびくりと肩を震わせて、悟空はぎゅっと仔猫を抱き締める。
「三蔵……お願い」
――捨て猫が二匹、かよ。
三蔵は舌打ちしたい気分だった。
ひたむきに見上げてくる黄金の眼に、逆らえた試しがない。
「……泥だらけで飯食う気か。さっさと二匹で風呂入ってこい」
背を向けた三蔵は見ることができなかったのだが、悟空は花のような笑みを浮かべた。
Act.2
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