08/08/31〜08/09/29
DailyLife
11



「傘がないからって雨に濡れて帰ったりするから、自業自得」
 悟空の言葉は、正論なだけに容赦ない。
 三蔵はベッドの中で、発熱した身体をもてあましながら、神妙に聞いた。
 ついさっき、三蔵が熱を出したことに気付いた時の悟空は、三蔵の方が心配になるほど取り乱していたので、こうやって諫めてくれるのは落ち着いた証拠だと思うと、むしろ安心する。
 三蔵の熱はそれほど高くなく、体調もまあ身体がだるい程度のものだ。
 だから余計に、悟空を心配させてしまったことには罪悪感を覚えた。
「悪い」
 三蔵が素直に謝ると、悟空は何かの感情を堪えるような顔をして、つぶやくように言う。
「ほんとだよ」
「悪い」
 こんな時は、本当はキスで慰めたいのだけれど、起き上がるとまた悟空を心配させてしまいそうなので、三蔵は手で悟空の頬を撫でてもう一度謝罪するに留めた。
 だが、悟空はその手に自分の手を重ね、不安そうな声で問う。
「……三蔵、手、熱い。つらくない?」
「大丈夫だ」
「氷もっと……。あ、水飲む? 薬も持ってくる」
「いいから、落ち着け」
 部屋を飛び出しそうな勢いの悟空を、三蔵は慌てて制した。
 ちょっと前まで、やれ氷枕だ、お粥だとかいがいしく世話を焼いてくれていたのだ、どれも十分足りている。
「でも……」
 悟空はまだ、三蔵が手を離すとすぐさま行ってしまいそうな様子だ。
 少し触れただけで、こんなふうに不安を煽ってしまうなんて、まったく失敗した。
「一晩ぐっすり眠れば、すぐに治る」
 三蔵は悟空に言い聞かせるように、しっかりと視線を合わせて言う。
「……ほんとに?」
 それでも不安げに聞き返す悟空の頼りない風情を、どう受け止めればいいのか。
 二度目は我慢できなかった。
「、さん……」
 おそらくは三蔵を押し止めようとする、その言葉ごと呑み込んで。
 怯えたように隠れている舌を、見つけ出して絡め取って。
 熱に融かして。
「――だめだよ」
 さらに深く貪ろうと、ベッドに引き込もうとした時、悟空の小さな声が三蔵の理性を取り戻した。
 悟空はほとんど泣き出しそうな顔で、三蔵を見ていた。
「……わかってる」
 一瞬前までは全然「わかって」などいなかったが、平常心のふりをして、三蔵は悟空から離れた。
「早く治してな?」
「ああ」
 枕元でささやく悟空に、三蔵は強く頷いた。
 もちろんそのつもりだ。悟空のためにも。――自分のためにも。


【風邪(1日目)】




 三蔵が回復した途端、今度は悟空が倒れた。
 三蔵の風邪がうつってしまったのか、あるいは看病疲れか、――それとも、昨夜無理をさせてしまったせいなのか。
 どれが理由にしても三蔵は罪悪感を感じずにはいられないが、三番目の理由だとすると余計に悪い。
 悟空が昨日一日つきっきりで看病をしてくれたことで、三蔵の熱は夜にはすっかりひいたから、その時には我慢する理由はなかったのだが。
 ……たぶん、三蔵は我慢すべきだったのだろう。
 そもそも悟空は自分のことに無頓着過ぎるのだ。
 三蔵の時にはいち早く風邪に気付いたくせに、自分のことは三蔵が指摘するまで気付いていなかった。
 今朝のことだ。キスした舌がとんでもなく熱いのに、悟空は普通に起き出して朝の支度をしようとしていた。もちろん、三蔵はその前に引き留めて、悟空をベッドに寝かしつけたのだけれど。
 今度は三蔵が大慌てで悟空の看病をする番だった。
 責任とか後悔とか反省とかいろいろ考えるべきことはあったが、それらはひとまず後回しにしておくことにして。
 看病の経験はないが、手本はあるから、三蔵は昨日の悟空を見習って、朝から慣れない労働にいそしんだ。
 しかし問題は、悟空の方だった。
 看病する側の資質はあるようだが、看病される側になってみたら、とても模範的な態度とは言えなかった。
 というのも、三蔵が目を離すと、すぐにベッドを抜け出してしまうのだ。
 そしてどうするかというと、三蔵のそばに来るのである。
 悟空のお粥を作ったり、汗を吸ったパジャマを洗濯したりして、三蔵が悟空の眠るベッドを離れるたびに、それは繰り返された。
 三度目にして三蔵は学習して、悟空の枕元を動かないことにした。
 ――それが、ついさっきのことだ。
 そうすると、ようやく悟空は安心したように、ベッドの中に落ち着いてくれた。
 三蔵にそばにいてほしいならそう言えばいいものを、言わないからややこしいことになるのだ。
 そう思うが、病床の悟空に面と向かってそんなことを言うほど、三蔵は非情ではない。
 悟空はベッドにおとなしく収まっているものの、眠る気配はなかった。
「さんぞ……、手」
 差し出された熱い手を、三蔵はしっかりと握り返す。
 だが悟空はもどかしそうな顔をして、ベッドから身体を起こそうとするので、三蔵は慌てて制す。
 すると悟空は三蔵の首に腕を回し引き寄せ、ベッドに寝たまましがみついた。
「ぎゅって、して」
 言われるまま、三蔵は悟空をやわらかく抱きしめる。悟空を押し潰さないように注意しながら。
 だが悟空はそれでも満足せず、ますます強く三蔵にしがみつこうとする。
「さんぞう……、もっと……」
 熱い吐息が三蔵の耳にかかった。身体の下には熱い体温がある。
 三蔵は悟空の言う意味を取り違えることはなかった。
 そう、――だから。
 熱のせいで弱気になって、ただ人恋しさで人肌を求めているのだとはわかっている。
 いくら悟空自身が望んでいても、こんな体調の時に無理をさせるべきではないということも。
 しかも三蔵には、前科があるのだから。
 ――けれど。
 いったいどれほどの精神力をもってすれば、この縋りつく身体を振り払えるのだろう。
 ……結局、どれだけ正論を並べ立てても、敵わないのだ。

 翌朝、悟空の熱が下がっているのを知って、三蔵が心底安堵したのは言うまでもない。


【風邪(2日目)】


back