06/11/29
DailyLife
06



 玄関の鍵は開いていた。
 部屋の明かりはついている。
 でも、悟空がいない。
 三蔵は無人の部屋をぐるりと見回して、眉間に皺を寄せた。
 つい先程までは、ここに悟空はいたし、三蔵もいた。
 しかし、三蔵が家を空けた十分かそこらのあいだに、悟空の姿は見えなくなってしまった――。
 ベランダも、バスルームも、トイレも見て回ったが、やはり悟空はいない。
 眉間の皺はさらに深くなる。
 玄関の鍵をかけず、外に出ているということはないだろう。
 と、すると。
 今度は、扉という扉をすべて開けて回る。明らかに悟空が入れないであろう、小さな戸棚や、床下の収納まで、とにかく手当たり次第だ。
 ――はたして、悟空を見つけた。
 ベッドルームのクローゼットの中、悟空は眠っていた。
 三蔵は安堵の息を吐き出して、屈み込む。
 やわらかな髪を手ですくと、途端、悟空がぱちりと目を開けた。――あどけない顔が一瞬で消え、ふくれ面になる。
「……そろそろ機嫌、直せ」
 悟空は何も言わない。
 ただ、むうっとした顔で、大きな金の瞳が三蔵を睨んでいる。
 三蔵は軽くため息をついた。
 ……まあ、要するに、世間で言うところの、これが夫婦喧嘩というものである。
 といっても、三蔵は悟空と争いたいとは思っていないのだが。
 ただ、喧嘩の原因が三蔵にあるのは、違えようのない事実だった。
 ――たとえそれが、勝手にプリンを食べてしまった、というものだったとしても。
 食い物の恨みは恐ろしい。
 特に相手が悟空の場合は、なおさらだ。
「俺は怒ってるんだからな!」
 悟空が主張する。
「知ってる」
 三蔵はうなずく。
「――なら、何で笑ってんだよっ!」
 ああ、と三蔵は口許に手をやる。
 意識してそうしたわけではないが、確かに三蔵は笑っていたかもしれない。……なぜなら。
「怒った顔も可愛い」
「……か、可愛くなんかない!」
 悟空は真っ赤になって叫んだ。
 そんなところも可愛いと考えながら、なおも三蔵が見つめていると、悟空は視線を逸らすようにぷいと横を見る。
 その、耳までも赤いから、三蔵は思わず目の前の無防備な耳朶を、ぺろりと舐めた。
「――っ!」
 悟空は耳を手で庇い、慌てて振り向く。
「何して……っ!」
 抗議する悟空を見ながら、三蔵は冷静に考えた。
 どうしようか。悟空はいちいち反応が可愛くてしかたない。
 可愛くて虐めたい。
 可愛くて甘やかしたい。
「……えっ、何……?」
 三蔵はクローゼットの隅に悟空を追いつめて、囲い込むように悟空の顔の両側に手をついた。
「選ばせてやる。虐められたいか? それとも甘やかされたいか?」
「何わけわかんないこと言って……」
「――虐められたいんだな?」
 悟空は口をつぐんだ。
 そして、三蔵の声音に何を感じたのか、ぶんぶんと首を横に振った。
 怯えた表情がますます嗜虐心を煽ったが、三蔵は素直に退いた。
 そばに放り出していたコンビニの袋から、中身を取り出す。
「……それ……」
 目を見開く悟空をちらりと見て、取り出した容器のふたを開けて。
「口開けろ」
 差し出したスプーンに乗っているのは、悟空が食べそこねたプリン。
「…………怒って出てったんだと思ってた」
 悟空がつぶやいた。
「そんなワケねぇだろ」
 三蔵は、自分が食べてしまったのと同じものをコンビニまで買いに行っていただけだ。
 家を出るときに何も言わなかったかもしれないが、それは悟空がとりつく島もなかったからだ。
 けっして不安にさせるつもりはなかったのだが。
「だからこんなところに隠れてたのか?」
 悟空はうつむいてしまった。
 もしかして、眠っていたのも、泣いたからなのだろうか。
 けれどそれを訊くと、甘やかすという言葉に反して虐めてしまいそうだったので、三蔵はただ、「ほら」と手にしたスプーンを突き出した。
 悟空は素直にプリンを口にした。
 さらに一口、二口、と口に運ばれるまま、それを食べる。
「機嫌、直ったか?」
 最後の一口を放り込んで尋ねると、悟空はしばし考えて。
「まだ、足りない」
 金の瞳がじっと三蔵を見つめる。
 プリンの容器は空だ。
 足りないものは――――

「…………甘い、な」
 紅く濡れた唇を、指でぬぐう。
 その唇が三蔵に残していった感触は、離れた後も鮮やかだ。
 分け合った熱が名残惜しくて悟空を見つめると、同じように悟空も三蔵を見つめた。
「する?」
「する」
「ここで?」
「ここで」


【クローゼット】


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