2011年
02/02 東大寺:執金剛神立像 会心のひねり、足元構造急きょ変更
東大寺法華堂の執金剛神立像(国宝、奈良時代)が、上半身のひねりを表現するために制作途中に足元の構造を急きょ変更した可能性が高いことが山崎隆之・愛知県立芸大名誉教授(仏像技法史)の研究で分かった。左肩を前方に突き出し右肩を後ろに引く姿は、仏師のこだわりから生まれたという。
像は、木材で骨組みとなる芯(心木)を作り、その上に土を盛って造る塑像。既に足元に添え木があることなどは分かっていたが、今回、奈良国立博物館の調査に伴い、新たに撮影したエックス線写真などを分析したとのこと。
その結果、添え木と心木を固定するくぎは、右脚が後方から前方へ、左脚はその逆向きで、互い違いに刺さっていた。添え木は台座に固定された支柱と判明したとのこと。
上半身をひねった仏像は高度な技術が必要で、この仏像以外では興福寺の金剛力士立像(国宝、鎌倉時代)などわずかしかない。
毎日新聞より。
奈良・薬師寺は1日、寺所蔵の大般若経47冊が、奈良時代に書写された経巻を再構成した「永恩経」の一部とわかったと発表した。元は巻物だったが、江戸時代に折り本に仕立て直されたらしく、これまで江戸時代の経本とされていた。永恩経は約40巻しか見つかっておらず、重要文化財級の発見という。
永恩(1167〜?)は鎌倉時代を生きた奈良・興福寺の僧で、奈良〜平安期の経巻を集めて大般若経全600巻の再構成に取り組んだ。永恩経の大半は散逸し、京都国立博物館の2巻が重文指定されている。
今回、永恩経とわかった経本は、1冊が縦25.6センチ、長さは折り目をならすと8〜10メートル。昨年9月、巻末の「奥書」に朱書きされた永恩の署名から「永恩経」と判明。筆跡などから、奈良時代の写経と判断された。
朝日新聞より。経本は26日〜3月6日、薬師寺東京別院で開かれる「薬師寺の文化財保護展」で公開されるとのこと。
米ネット検索最大手グーグルは1日、道路沿いの風景をネットで提供する「ストリートビュー」技術を応用し、世界の著名な17の美術館の内部を周遊できるサービス「グーグル・アート・プロジェクト」を始めた。
対象は米メトロポリタン美術館やロシア・エルミタージュ美術館、英国立美術館などにある千点以上の作品。各美術館の協力で撮影された。ストリートビューと同じ操作で、自分で歩いて見て回るような感覚で鑑賞できる。一部の作品は、通常のデジタル写真の約千倍に当たる約70億画素で記録され、拡大して詳細に見られる。
朝日新聞より。 Google アートプロジェクト
2月2日付Googleブログによりますと、若冲の「鶴図」も公開されているとのこと。フリーア美術館所蔵の作品のようです。
西武百貨店渋谷店は2日、同店の美術画廊で今月6日まで開催予定だった展覧会「SHIBUCulture〜デパートdeサブカル〜」を中止したとのこと。
同展は1月25日に開幕、国内作家25人の絵画、写真、フィギュアなど99点を展示していた。しかし、来場者から「百貨店の展覧会として、(内容が)ふさわしくないのではないか」との指摘が数件あったといい、2日から別の展覧会に切り替えた。
読売新聞より。
レオナルド・ダビンチ作「モナリザ」のモデルは男性で、そのモデルとダビンチはおそらく同性愛の関係にあった−。同国文化遺産委員会のビンチェティ委員長が2日、記者会見して新説を披露したとのこと。
同委員長によると、モデルとみられるのはダビンチの女性的な徒弟の通称サライ、本名ジャン・ジャコモ・カプロッティ。ダビンチに25年間従い、モナリザの制作に主要なインスピレーションを与えたという。
同委員長は、サライは「洗礼者ヨハネ」などダビンチの数点の絵画のモデルになっているが、それらに描かれた人物の顔とモナリザのそれを比較すると、鼻および口の特徴が極めて似ていると語ったとのこと。
同委員長はさらに、モナリザの肖像を詳細に調べた結果、目の中に小さく書かれた「L」と「S」の文字を発見したが、これはレオナルドとサライの頭文字で、サライがモデルであることを示すものだと強調した。
時事通信より。ルーブル美術館の反論「2004年と09年、モナリザの詳細な調査を行ったが、文字や数字の書き込みは見つからなかった」「モナリザの絵は木版に描かれ、時代を経て多くの微細なひび割れが生じており、それが文字や数字に見えてたびたび「うがちすぎる見解」をもたらしてきた」 関連記事;スクラップ2010年12月18日
藤田嗣治(1886〜1968)の戦前の日記が見つかり、戦後の日記や遺品と合わせて約6千点が、母校の東京芸術大学に寄贈されることになった。2009年に亡くなった妻・君代さんの相続人の代理人を務める角田昌彦弁護士が7日、明らかにした。遺品は君代さんが保管していた。
寄贈品の中心は、1930年から亡くなる68年までの日記類。東京芸大・大学美術館の古田亮准教授によると、30〜40年の日記のほとんどは、研究者にも存在が知られていなかったという。また、日記は、戦時中を含む41〜46年が欠けていた。藤田が戦争記録画を描き、後に戦争協力を指摘された時期と重なる。
ほかに、多数の写真や映像を撮った16ミリフィルムなどを寄贈。東京芸大は、2011年度から資料の整理と分析を始める予定。
朝日新聞より。
秀吉ゆかりの古刹で国の重要文化財に指定されている宝積寺三重塔で、特定外来生物のアライグマによるとみられる被害が見つかった。町教委は8日、捕獲用のわなを設置した。宝積寺は昨春、本堂がシロアリの被害に遭ったばかり。
被害は1月下旬、寺の職員が、塔内に安置されている大日如来座像の公開準備中に気づいた。外柱には多数の引っかき傷があった。もともとの朱色が白く見えるほどで、深い爪痕も目立つ。内部では天井に施したヒノキ板が随所で抜け落ちていた。町教委はアライグマが柱を駆け上って木組みの隙間から塔内に侵入し、天井の上を駆け回ったとみている。
京都新聞より。
スペインの画家ピカソが1932年、愛人のマリーテレーズ・ワルテルを描いた絵画「ラ・レクチュール(読書)」が8日、サザビーズがロンドンで行ったオークションで、予想を大きく上回る2520万ポンド(約33億4千万円)で落札された。ロイター通信などが伝えた。
落札予想価格は1200万〜1800万ポンドだった。7人の入札者の間で競われ、6分間で競り落とされた。落札者は明らかにされていない。
ピカソは45歳だった27年、パリで当時17歳のワルテルと出会った。
共同通信より。
明治から昭和初期にかけて活躍した鳥取市の日本画家、中住道雲(1858〜1943年)の掛け軸や襖絵など約40点が9日までに、同市内の旧家から見つかったとのこと。画題は風景や人物、動植物などバラエティー豊かで道雲の画風が分かる一大コレクション。1人の画家の作品が1カ所からこれほど大量に確認されるのは珍しく、調査している県立博物館は「旧家は道雲のパトロンだったのだろう。道雲を再評価する上で貴重な発見」と評価している。
見つかった道雲の作品は掛け軸36点、屏風4点、襖絵1点、衝立1点など。ほかに鳥取藩絵師の土方稲嶺や沖一峨、「鯉の稲皐」といわれた黒田稲皐らの掛け軸と屏風、歌人・飯田年平の和歌を書いた屏風など合わせて約80点の絵や書があった。市内の旧家から県立博物館に連絡があり、存在が分かった。
道雲の掛け軸では「春山帰漁」「山林避暑」「夏山雨後」「雪中瀑布」など四季折々の風景を描いた山水画が多い。サルやウサギなど干支の動物を描いた絵もあり、道雲の幅広い作風が分かる。「郭之儀祝賀の図」は、中国の唐時代に活躍した名将・郭之儀とその一族を極彩色で精密に描き、道雲の代表作と評価できるという。
作品の制作年代は、道雲が50歳前後だった1907(明治40)年ごろと17(大正6)年ごろが多い。この頃にパトロンの旧家に頻繁に出入りしたか住んでいたことが考えられ、旧家のあるじの注文で絵を描き、作品が残ったらしい。晩年の70〜80歳代の作品もあり、旧家との強いつながりをうかがわせる。
日本海新聞より。
薬師寺(奈良市)が所蔵する江戸中期の十一面観音像(高さ約53センチ)の表面を覆っていた和紙をはがしたところ、1千年ほど前の平安中期に作られたとみられる聖観音菩薩像(同)が見つかったとのこと。同寺が14日、発表した。彩色のために仏像の表面を和紙で覆う手法は江戸時代に流行したとされるが、和紙の下から異なる古仏が見つかるのは珍しいという。
同寺によると、十一面観音像の来歴は不明で、腕や衣などがとれた状態で寺の収蔵庫に納められていたとのこと。黒っぽい彩色で、作風から江戸時代中期の作とみられる。特別公開の出展に向けて2007年2月、民間の工房に修理を依頼。表面が彩色された和紙で覆われていたことがわかり、それをはがしたところ、頭部の一部が異なる木造の仏像が出てきた。
このため、奈良国立博物館(奈良市)や財団法人美術院(京都市)が詳しく調査し、頭部の宝冠の痕跡の違いから、内部から出てきた仏像は聖観音菩薩像と判明。ヒノキの一木造りで、腰を左にひねった造形の特徴から平安中期の作と判断したという。
朝日新聞より。聖観音菩薩像は復元され、26日〜3月6日、薬師寺東京別院で開かれる「薬師寺の文化財保護展」で公開されるとのこと。2月2日記事の経本と同じ展覧会だった。
ゴッホが好んで使った黄色「クロムイエロー」(黄鉛)が、歳月とともに変色するメカニズムを、伊ペルージャ大などの共同チームが解明したとのこと。絵の具に含まれるクロムの化学組成が、紫外線で変化することが原因で、作品復元にもつながる成果だとしている。15日発行の米化学専門誌に掲載されるとのこと。
チームは当時の黄鉛の絵の具に紫外線を500時間当て、変色部分を調べたところ、六価クロムの酸素結合が崩れ、三価クロムに変化していたとのこと。さらに、ゴッホの風景画などから変色部分を試料として微量採取。フランスとドイツにある大型加速器を使い、エックス線で組成を詳しく分析した。その結果、同じ化学変化が見られたほか、ナノ(10億分の1)メートル単位の三価クロムのごく薄い膜が黄色い部分を覆っている様子も確認できたとのこと。
毎日新聞より。
国宝・鳥獣人物戯画の一部で、和紙の表と裏に描かれた原画を後世にはがして両面を台紙に貼りつけ、絵巻物に仕立て直していたことが、保存修理を進めている京都国立博物館の調査でわかった。同館と所有者の高山寺(京都市)が15日発表した。こうした絵巻物の制作技法が解明されたのは初めてという。
修理は2009年から進められている。同館によると、補修に伴う事前調査で、全巻にわたって不自然な墨の跡が100カ所以上、点在しているのが確認された。絵柄を反転させるなどした結果、絵の裏側に描かれていた別の絵の墨がにじんでできたと判明した。
丙巻では、10枚の和紙の表裏に描かれた絵をはがし、計20枚を別の台紙に貼り直して制作されていた。ほかに、丁巻が描かれた和紙の裏側をはがして、甲・乙・丙・丁各巻の少なくとも数十カ所の補修に使っていたことも確認された。甲・乙両巻は和紙をはがしていなかった。
溶かした繊維を漉いてつくられる和紙は、断面が層状になっており、平安時代末〜鎌倉時代に描かれた原画を江戸期に補修したり、絵巻物にしたりする過程で、和紙の両面を分離させる技法がとられたとみられる。
朝日新聞より。
青木繁の未公開スケッチや和歌、生活ぶりを伝えるメモなど60点を、愛知県の愛好家が所蔵していたことが分かった。青木の作品の多くを所蔵する石橋美術館が確認したとのこと。
約60点の内訳は、下絵などが6割、和歌やメモなどが4割。いずれもB5判程度のスケッチブックの用紙に鉛筆などで記されていたとのこと。創作活動をしていた1902〜10年と重なるが、「海の幸」を制作した04年に残したとみられるのが約3割で最も多いという。
「海の幸」誕生につながったとみられる漁師や魚を連想させるスケッチは約10点あり、制作の場となった千葉県館山市布良で主に描かれた。釣りざおや絵の具を買うための借用書のような書き込み、館山市のある房総半島の地図も確認されたとのこと。
「わだつみのいろこの宮」(07年)につながった下絵も2点あった。栃木県芳賀町で描いたとみられるこの下絵の所在が確認されたのは、同美術館によると約40年ぶりという。
このほか、東京美術学校に通った青木が習作に励んだことをうかがわせる上野動物園のツルを描いた作品も確認。時期は特定されていないが、「京」「大津」などを題材にした直筆の和歌五首もあったとのこと。青木は関西での活動の記録がなく、これらの和歌も存在を知られていなかった。
愛好家は東京の画廊関係者から約20年前に購入して私蔵してきたが、今年が青木の没後百年にあたることから、同美術館の特別展への協力を申し出たという。
東京新聞より。「没後100年 青木繁展−よみがえる神話と芸術」で一部が公開されるとのこと。会場:石橋美術館(3月25日〜5月15日)、京都国立近代美術館(5月27日〜7月10日)、ブリヂストン美術館(7月17日〜9月4日)
阿修羅像などの国宝仏を地震から守るため、興福寺(奈良市)は16日、免震装置を導入すると発表した。展示台の下に薄い特殊な鋼板とステンレス板を組み込むことで地震の揺れを少なくし、震度5〜7でも転倒を防ぐという。
多数の国宝・重要文化財を展示する同寺国宝館は1959年に建築され、免震設備はなかったとのこと。免震装置が施されるのは、上半身だけが残る五部浄像を除く八部衆・十大弟子像13体(734年、脱活乾漆造)など17体。18日から3日間、閉館後に施工する。
朝日新聞より。
共同通信より。「生命の樹」のデッサンとともに、2月23日から6月26日まで岡本太郎記念館で公開されるとのこと。
竹内栖鳳(1864〜1942年)が描いた屏風で、これまで所在が分からなかった「雨霽(うせい)」が確認されたことが、24日までに分かった。制作した記録だけが残っていた“幻の大作”で、栖鳳の研究を進める上で貴重な作品といえそうだ。
屏風は、栖鳳の代表作の一つで東京国立近代美術館が所蔵する作品(07年)と同タイトル。六曲一双で、それぞれ縦171センチ、横366センチ。
足立美術館によると、同作品は一昨年末に東京の画廊から連絡を受けて購入。署名と落款、作風から真作と鑑定された。実業家渋沢栄一が友人の資産家宅(東京)の大広間を飾るために栖鳳に依頼したもので、栖鳳の年譜などと照合し、28年制作の「雨霽」と確認された。この資産家一族が所有し続け、展覧会などへの出品は一度もなかったという。
共同通信より。屏風は足立美術館で3月1日から初公開されるとのこと。
奈良県桜井市の茅原大墓古墳(国史跡、全長86メートル)で、古墳時代中期初め(4世紀末)に作られたとみられる武人の埴輪1体が見つかったとのこと。市教委が24日発表した。人を表現した人物埴輪の出土例は、これまで5世紀初め〜前半が最古とされてきた。
同古墳東側のくびれ部で数百の埴輪片が見つかった。つなぎ合わせたところ、高さ67センチ、幅50センチの武人と判明したとのこと。盾を構え、頭にはかぶとをかぶっている。目と口は穴が開いた形で表現され、目やほおの周りに赤い顔料が残っていた。あごには入れ墨を示す線刻模様があった。
市教委によると、今回の発掘で一緒に見つかった円筒埴輪が4世紀末のものとされることから、この人物埴輪も同時期に作られたとみられるという。古墳上部から滑り落ちた形跡があり、本来は古墳の上に立っていたらしい。
埴輪は、古墳時代に円筒や水鳥、家などの形で現れたといわれる。しばらく人の形は作られず、大和王権の中枢があった畿内に現れたあと、全国へ広まったと考えられている。人物の最古の出土例は、5世紀初め〜前半の拝塚古墳(福岡市)や墓山古墳(大阪府羽曳野市)だった。
朝日新聞より。
福井県教委は24日、県文化財に指定されている個人所有の「南蛮屏風世界図・日本図」を6800万円で購入することを明らかにした。安土桃山時代に描かれたもので、世界と日本の地図が一組になった屏風は国内で3例しか確認されていないという。
8曲の屏風(縦132センチ、横389センチ)それぞれに世界地図と日本地図が描かれている。16世紀後半の作とされ、作者は不明。世界地図は画面中央の楕円形の中に描かれ、ポルトガルから世界各地への航路が示されている。日本地図は海岸線が正確に描かれている。
江戸時代に入り、小浜の豪商の手に渡り、現在も小浜市内の子孫が所有している。1997年に県文化財に指定され、98年に同市の若狭歴史民俗資料館に寄託された。
国内ではこのほか、福井市の浄得寺と東京の個人が同様の屏風を所有しており、いずれも重文に指定されている。
福井新聞より。屏風は若狭歴史民俗資料館で4月9日から5月8日まで開かれるテーマ展「戦国三姉妹 初」で公開されるとのこと。
宇治市の平等院から明治時代に流出した国宝・鳳凰堂創建期の彩色天井板の一部が京都市内で発見され、25日までに寺側に返還されたとのこと。天井板から菩薩の試し描きも見つり、仏画を専門とする「絵仏師」が彩色を手がけたことも分かった。
天井板は長さ約2・5メートル、幅約30センチ。鳳凰堂の天井と一致する赤、緑、青の3系統色で描かれた宝相華の彩色をわずかにとどめているとのこと。奈良教育大の大山明彦准教授が、2008年に京都市内の古美術商で板を目にし、紋様や室町期以前の工具「槍鉋」の加工痕から、鳳凰堂の天井と判断した。自費で購入して調査し、平等院に寄贈した。
鳳凰堂の堂内は創建時、天井もきらびやかな宝相華の紋様で彩られていたとみられる。現在の天井は、9割が創建当時のものという。
調査では、板の表面に高さ約6センチ、幅約4センチの菩薩の顔と足先の試し描きも見つかった。天井にはめると格子状の縁で隠れる部分に当たる。絵仏師が使う朱線で描かれていたことから、天井彩色を担当したのは絵仏師であることも判明した。
京都新聞より。天井材や試し描きの復元図は2月26日から7月10日まで平等院ミュージアム鳳翔館で公開されるとのこと。
福島県立美術館が収蔵する速水御舟の代表作「女二題」に黒い染みが出ていることが25日までに関係者の話で分かった。描かれている女性の顔や腕など広範囲に見られるとのこと。10年ほど前から指摘され始め、徐々に目立つようになったという。原因は不明だが、同美術館関係者は「予算が限られ、原因調査や補修に踏み切れない」としている。
開館直後の昭和60〜61年に1億8千万円で購入した作品で、「其一」「其二」の二点で構成される。染みが出ているのは「其二」。「其一」にも肌色の部分はあるが、異常は出ていないという。
関係者によると、染みは購入時にも一部に見られた。その後、色が濃くなり、範囲も広がってきたとみられる。県立美術館は約10年前、専門の研究所や大学に相談したが、保管方法に問題はなかったという。
福島民報より。
共同通信より。
法隆寺で、創建時の若草伽藍の堂塔にあったとみられる7世紀前半の壁画片が新たに約800点見つかったとのこと。同寺境内では2004年、焼けた壁画の破片が大量に出土。日本書紀で670年に焼失したと記される若草伽藍にあった国内最古の壁画の一部とみられている。
今回見つかった壁画片は町教委が、現場から持ち帰って調べていた土に交ざっていたとのこと。大きさは数ミリ〜5センチで、絵柄は不明だが、白土の上に塗った朱色や青緑色の顔料跡などが残っていたとのこと。出土した壁画片はこれまでの分と合わせて計約1300点。
読売新聞より。関連記事:スクラップ2004年12月1日
「新しく発見された壁画片のうち、約350点を2月24日から3月29日まで、斑鳩文化財センターで公開する」とのこと。






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