次へ…
わたしが、なぜこれだけ彼らに傾倒してしまったのか…、 自分でもうまく説明する事は難しいんですが…、 良かったら暇つぶしにどうぞ〜♪って言う感じです。
まず、かれこれ8年前にさかのぼり…
ハショッテ言うと、夫婦の絆が壊れ、
そして、母が亡くなって… 離婚してくれないって事は、母親と子供たちが、
けれど、高校に入った娘が、新しい友人も出来て、
「イエローモンキーの吉井さんって人、とってもカッコいいんだよ…」ってポツリと話してくれたんで
す。
それまで、約3年間、家に引きこもってて、何かしたい事ないの?とか、好きな芸能人とか居ない
?って聞いても、 「今テレビに出てるよ。」とか、「一緒にCD聴こうよ…。」って娘に言われても上の空でした。
ようやく、腰を据えてじっくりテレビで彼らを見た時の印象は、 それにしても個性的な
グループだなって思って、
そのうちに、仙台で野外ライブが有ると聞いて、
そしたら、急に下の娘が学校の行事で行けなくなって、
手紙などめったな事では書く事も無かったのに…
ラジオにリクエストして、
毎週の様に葉書を送るようになったり、
1人で新幹線に乗った事もホテルに泊まったりすることもなかったのに、
彼らに会う為に、どこにでも行けるようになったり、
パソコン始めたり…
ましてや今や自分のHPを作ろうなんて事考えて…
どこにこんな情熱が潜んでいたのかと自分でもビックリしてるんだけど、
何故だったのか…
とりあえず私にどういう事があったかと言う話です。
取りたてて特別でもないよくある話なのですが…
かなり長い話になるのです。
(そんなにさかのぼるんかぃ〜!ですが…)
時がたつのは早いね…(苦笑)
娘は登校拒否になり、自閉症にもなって、
そ
の上、私の母の介護も必要でした。
その間、ダンナは私を責める言葉しか言わず、
娘や
母の目の前で暴力を振るったり、ののしったり。
ほとんど毎晩…、悪夢を見るような…。
生活費も入れないで、そのくせ威張り散らして…
最悪の生活でした。
別れ話にも応じてくれなかった。
それから娘がどうにか高校に入学。
ダンナとは完全に家庭内別居状態。
でも離婚をしてくれなくて…、
いくら生活に困っていても何の公共の援助も受けられない訳で…
かなり厳しい辛い生活でした。
少しみんなとも普通に話せるようになった
頃…、
「別に…。」としか答えなかった娘だったので、
ようやく好きなもの
を見つけたんだなあって…、
本人より私のほうが嬉しくて、CDを買ってあげたりして
て、
でも私自身は仕事の事や、ダンナの事、生活の事とかで頭がいっぱいで、
「お母さんは、せっかく人がこれからイエモンが出るって教えてるのに、直ぐ台所に立っ
て行っちゃうんだから〜」と
しょっちゅう言われてました。
真っ赤なサングラスをかけた
挑戦的な吉井さんの時で…、
でもドラムの人がカッコよくって…(笑)
「へ〜、うちの子はこう言うのが好きなんだ〜」って言う
感じだったんです。
その時点の私には、音楽を楽しむ心のゆとりが無かったんだと思います。
(娘達は一度もそう言う所に行った
事がなかったので…)
盛岡駅からのバスツアーで申し込んだんです。
娘二人の分として
ね…。
色々友人達にも声をかけたけど、急な話で誰も都合がつかなくて、
無駄にするのは勿体無いし…、
この際だから、すごく場違いだろうけど、ハハの私が一緒に行こう。って事になったんです。