大典によると、若冲は中国画の模写に専念、その数は千点にも及んだということです。
明代画家、文正による「鳴鶴図」を模写。この作品は、千点のうちの一点なのでしょうね。「鳴鶴図」は、狩野探幽も模写を行っています。
左:文正筆「鳴鶴図」(相国寺蔵) 右:若冲筆「白鶴図」 波の具合が、若冲の本領発揮。くるくるうねうね。
「猛虎図」を模写。この作品は李龍眠筆と伝えられています。→近年、朝鮮絵画説が有力とのこと(2016/05/23)
若冲は、中国画の模写から実物の写生へと移行していきます。が、実際に見ることができない虎は、どうにもなりませんでした。「虎は日本にいないので、中国画を写すのだ」(我れ物象を画くに、真に非ざれば図せず。国に猛虎なければ、毛益に倣いて模す)と、「虎図」の中に自ら記しています。そんなこんなで生まれたのが、下記の虎たちです。
左:伝李龍眠「猛虎図」 京都の正伝寺に伝わる。 中:若冲筆「虎図」
原画に忠実だけど、独特の風味は隠しきれず。原画より可愛く飄々としつつ、脚をなめています。 右:同じく若冲筆「竹虎図」
背景を少々アレンジ。虎の毛流れが、何となくロン毛に見える一品。
中国の仏画師、張思恭による作品を写したもの。若冲は「かつてこの三尊体を観て感動し、その心要を模倣し、三尊三幅を完成した」と、述べています。
現在、張思恭の三尊像は、一幅はアメリカ、残るニ福は静嘉堂文庫美術館に収蔵されているそうです。悲しいことに離れ離れ。
図版は若冲筆「釈迦像」
展示履歴:「リニューアルオープン展 第3弾 よみがえる仏の美〜修理完成披露によせて〜」
2016年4月23日(土)〜6月5日(日) 静嘉堂文庫美術館
■「伊藤若冲「釈迦三尊像」(京都・相国寺蔵)の原画としても知られる伝 張思恭「文殊・普賢菩薩像」など、仏教美術の名品も合わせて展示いたします」
動植綵絵「老松孔雀図」と、図柄が重なる作品があります。その作品とは、岡岷山(*1)の「牡丹孔雀図」。試しに両作品を並べてみました。左が若冲、右が岷山です。
これら2図の間には、共通の題材が存在すると考えられています。同じ作品に、若冲と岷山が別個に接し、倣った結果が「老松孔雀図」と「牡丹孔雀図」なのではないかという。その題材(*2)が何であるかは、今のところ明らかになっていないようです。
*1(1734〜1806) 名は煥。字は君章。通称利源太。広島藩の藩士で、江戸へ出て宋紫石に入門か(?) *2南蘋派の作品と推測されています
若冲は、自らが模写するのみではありませんでした。様々な形で、模写されてもいたのでした。
宝暦11年(1761)〜文政11年(1828)
江戸の琳派画家・酒井抱一は、「絵手鑑」のうち十一図で画帖「玄圃瑤華」の模写を行っています。
着色画が抱一です。若冲の十八番、ぐるぐるんとしたつるや虫食いの葉は何処へ。また、抱一の描く生物は、なめらかで普通っぽい感じがします。若冲は大豆、抱一は葛と、植物が変わってる箇所もありますね。抱一には、この作品をカバーした動機を聞いてみたいです。ぜひ。
玄圃瑤華:左から、向日葵(ヒマワリ)、未草(ヒツジグサ)、大豆(ダイズ)、玉蜀黍(トウモロコシ)、南瓜(カボチャ)
絵手鑑:左から、向日葵に百足、蓮池に蛙、葛に蜥蜴、玉蜀黍に甲虫
静嘉堂文庫美術館「所蔵品紹介」に画像と作品解説があります。
宝暦12年(1762)〜文化14年(1817)
洋風画家・石川大浪は、「売茶翁図メダル」(寛政9年(1797)?)を制作しています。メダルは、大浪と親しかった木村蒹葭堂旧蔵。「売茶翁の13回忌にちなんで、蒹葭堂が所蔵する若冲筆「売茶翁図」をもとに、大浪が制作したと推測」(*)されるそうです。(模写とはちょっと違う気もしますが)
*「日本絵画のひみつ」展解説より(2011年12月10日〜2012年1月22日、神戸市立博物館にて開催)
天保7年(1836)〜大正13年(1924)
儒者、書家、画家。最後の文人と称される。「糸瓜群虫図」の摸写を行っています。(「若冲と琳派」展図録より)
「糸瓜群虫図」には鉄斎による箱書、書簡が付いています。書簡は、売買にあたり鉄斎が今井専堂にあてたもの。「糸瓜群虫図」と池大雅筆「淡彩山水図」の売買取次を計ったもので、若冲は200円(180円にまけてくれるだろうと鉄斎は書いている)、大雅は120円と記されているとのこと。
また、売茶翁図の写しもあるそうです。
売茶翁高遊外。その清廉な生き方に深く傾倒した鉄斎は、翁を題材に多くの作品を遺しました。伊藤若冲や三熊思孝の図に拠って肖像を描き、賛には翁の詩偈を好んで用いています。(2012年、鉄斎美術館で開催「鉄斎の器玩 ―売茶翁没後250年によせて―」より)
売茶翁と交遊のあった伊藤若冲が描き、翁の詩偈集「売茶翁偈語」の中に掲載されている肖像画を鉄斎が写した図もありました。(創作生花 阪上泰子さんと観る 「鉄斎の器玩」 ―売茶翁没後250年によせて― ウィズたからづかより)
慶応2年(1866)〜大正14年〜(1925〜)
画家。「若冲画模本」という作品を残しています。「伏見人形図」を模した「伏見人形布袋図」は、若冲の作品に比べて色がぼってりついてる感じ。似せた印章を使用してる所が、遊び心(?)があって面白いです。この方は模本制作がお好きだったようで、長澤蘆雪版もあるそうです。
明治23年(1890)〜昭和38年(1963)
画家。竹内栖鳳に師事。榊原紫峰、始更とともに三兄弟のひとり。動植綵絵 貝甲図の模本があります。(京都市立芸術大学芸術資料館 平成15年度陳列室展示記録 秋季展(10月7日〜11月3日)より)
「動植綵絵」を、原寸大の綴織で再現。30枚のうち15枚は、1904年に開催されたセントルイス博覧会で公開されました。なんでも、「若冲の間」があったとか。とても華やかそうな部屋であります。
大正11年(1922)〜昭和46年(1971)
「放浪の画家」と呼ばれる山下清。彼は「群鶏図」を陶器の絵付け、貼り絵で模しています。貼り絵、陶器共に鶏の配置、重なり具合を忠実に再現。一方、羽の表現などには、山下清の色がいい意味で出ているように思います。ところで、山下清は「群鶏図」のどの辺りに惹かれたのでしょうか。細密に描き込まれた羽の模様や、鮮やかな色彩かな。
追記:「群鶏図」は山下自ら選んだのではなく、八幡学園の園長が与えた図版がたまたまその作品であったとのこと。(「平凡社ギャラリー11 若冲」より。「八幡学園」とは、入園していた千葉県の養護施設)
動植綵絵「群鶏図」
嘉永4年(1852)〜大正7年(1918)
明治、大正の画家。「雪中鴛鴦之図」(明治42年(1909)・東京国立近代美術館蔵)という作品を描いてます。推測ですが、動植綵絵の「雪中鴛鴦図」を見たことがあるのでは。 画像(独立行政法人国立美術館 所蔵作品総合目録検索システムより)
『渡辺省亭─花鳥画の孤高なる輝き』(岡部昌幸:監修 東京美術)に図版解説あり
明治30年(1897)〜昭和60年(1985)
『國華』のコロタイプ木版による複製図版の模写制作を行う。 画像・紹介(企画展「菊川京三の仕事―『國華』に綴られた日本美術史」より 2019年11月2日(土)〜12月22日(日)
栃木県立美術館で開催。画像:「葡萄双鶏図」(『國華』859号(1963年)掲載→辻惟雄「伊藤若冲筆葡萄鶏図解説」)
若冲の作品を元にした映像作品「若冲幻想」を制作しています。
「動植綵絵」に触発され、ネオ動植綵絵シリーズを制作。全10幅。作品はTENMYOUYA HISASHI Official Websiteで。
「モネの池に若冲の鳥が」という作品があります。睡蓮と花びらで埋まる池の上を、動植綵絵「秋塘群雀図」から抜け出たような鳥が2羽飛んでいます。
「果蔬涅槃図」を元にした作品があります。