寛政2年(1790)頃 絹本着色 一巻 佐野市立吉澤記念美術館蔵
昭和2年(1927)10月、恩賜京都博物館で開催された『特別展観 若冲画選』に出品後、所在不明に。作品は、同展図録「特別展観 斗米庵若冲画選」で部分的に確認できるのみとなっていました。
平成11年(1999)、美術館建設に伴う所蔵品調査により、栃木県佐野市(旧葛生町)の旧家にて発見。発見後、73年ぶりの公開は「没後200年 若冲」(平成12年(2000) 10/24-11/26 京都国立博物館にて開催)。平成21年(2009)、重要文化財に指定。
宝暦年間(1751〜1764)後期 絹本着色掛軸 個人蔵
「月夜白梅図」は、昭和43年(1968)「國華」に初めて紹介された後、数年をして行方知れずとなっていた。そんな折、千葉市美術館に所蔵者から「絵を見てほしい」と声がかかる。見に行ったところ、「月夜白梅図」だった。(千葉日報・2001/11/14付「忙人寸語」より)
梅に月を配した若冲画は、バーク・コレクションの「月梅図」と動植綵絵の中の「梅花皓月図」が有名。千葉市美術館学芸員・伊藤紫織さんによると、「月夜白梅図」は、この二点と同期の作。月、梅、水流の三点セットは、他の二点にない特異な図柄だそうだ(千葉日報より)
平成13年(2001)、千葉市美術館で開催された「江戸の異国趣味−南蘋風大流行−」(10/30-12/09)で初展示。
三幅 京都・禅居庵
京都国立博物館が3年前から実施している建仁寺とその塔頭の文化財調査で見出され、初めて公開される作品もあった。「拾得および鶏図」もそのひとつ。塔頭の禅居庵から見つかった。(下記の「京都最古の禅寺 建仁寺」展に関する記事より。出典元不明。すみません)
平成14年(2002)開催「京都最古の禅寺 建仁寺」(京都国立博物館、サントリー美術館、福岡市博物館)で初めて公開。
絹本着色 宝暦14年(1764)以前 京都・鹿苑寺蔵
京都市にある鹿苑寺(金閣寺)の蔵で見つかった絵が江戸中期の鬼才、伊藤若冲の作品「厖児戯帚図(ぼうじぎほうず)」であることが17日までに分かった。ほうきにまとわりながら遊ぶ子犬を描いたもので、署名などの特徴から30代後半の作とみられ、若冲初期の作品として希少性が高い。縦約102センチ、横約40センチで、絹の生地に着色し掛け軸に飾られている。画題は子犬にも仏となるべき性質があるかどうかを問う禅宗の故事に基づく。 (2007年2月17日付日経新聞)
作品は古い台帳に残っていた記録を頼りに、相国寺承天閣美術館学芸員が探し出した。(日経新聞本紙 Yuさんからの情報)
平成19年(2007)「若冲展 釈迦三尊像と動植綵絵120年ぶりの再会」にて公開。(05/13-06/03 相國寺承天閣美術館)
寛政7年(1795) 紙本墨画 六曲一双 MIHO MUSEUM蔵
伊藤若冲(1716〜1800)が晩年に描いたとみられる屏風が北陸地方の旧家で見つかった。今年8月に美術関係者が発見した。 鑑定した滋賀県甲賀市のMIHO MUSEUMによると、屏風は縦159センチ、横354センチの六曲一双(左右一対)。落款のそばに「米斗翁八十二才画」という書き込みがある。「米斗翁」は若冲の戒名になっており、80代前半の作とみられる。(2008年12月20日付朝日新聞)
平成21年(2009)「若冲ワンダーランド」にて初公開(9月1日〜12月13日 MIHO MUSEUM)
江戸時代中期(18世紀中頃) 絹本着色 各140.8cm×82.6cm 岡田美術館蔵
「孔雀鳳凰図」についての記載あり:伊藤若冲「孔雀鳳凰図」について(岡田美術館公式サイトより)
「孔雀鳳凰図」が83年ぶりに発見されたことが14日分かった。「動植綵絵」30幅の直前に制作したとみられ、今後の研究に影響を与えそうだ。所蔵する岡田美術館によると、作品は一対の掛け軸の形で各縦140.8センチ、横82.6センチ。1926年、美術誌「国華」に白黒図版で紹介され、33年に国の重要美術品となったが、その後所在不明に。昨夏、同美術館が東京都内で発見し、小林館長や若冲研究の第一人者、辻惟雄東大名誉教授が真筆と鑑定した。(2016年1月14日付時事通信)
平成28年(2016)「生誕300年記念 若冲展」で初公開。(4月22日〜5月24日 東京都美術館)
絹本着色 縦85.8センチ 横43.1センチ 個人蔵
30歳代の初期作と思われるとのこと。真宗大谷派(本山・東本願寺)の大谷家が所蔵していたが1927年、売り立てに出した際の目録に掲載後所在不明に。2017年、90年ぶりに確認。
若冲82歳の作品。「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」に向けた調査で新たに発見。個人蔵
同展で、上記「梔子雄鶏図」と共に初公開予定(2019年2月9日〜4月7日 東京都美術館)
※「梔子雄鶏図」「鶏図押絵貼屏風」発見に関する記事まとめ http://toriri0108.blog.fc2.com/blog-entry-375.html
紙本着色 軸装一幅 縦111センチ 横約69センチ 福田美術館蔵
景和と名乗っていた30代前半の作品。2019年4月、福田美術館が関西地方の旧家に残された同作品の鑑定を依頼され、5月初旬に購入。若冲特有の表現が見られることなどから真筆と判断。同美術館によると、これまで存在が知られておらず、現在確認されている若冲作品の中でも最初期に制作されたと考えられるとのこと。
絹本着色 寛政3年(1791) 縦30.5cm×横277.5cm(跋文部分(54.5cm)を加えると332.2cmとのこと) 福田美術館蔵
新発見。巻末に大典禅師直筆の跋文。
約40種類の野菜や果物が淡い色彩で描かれている。署名に年齢があり、若冲が数えで76歳の1791年に描いたものだという。これまで存在は知られておらず、オークション会社を経て、欧州の個人から、福田美術館が昨年8月に購入した。署名や印から真筆と判断し、「果蔬図巻」と名付けた。(2024年3月5日付朝日新聞デジタル)
二曲一双 「竹鶏図屏風」寛政2(1790)年以前 「梅鯉図屏風」天明7(1787)年
新発見。円山応挙との合作。合作が見つかるのも初めて。2025年6月に大阪中之島美術館で開幕する「日本美術の鉱脈展 未来の国宝を探せ!」で一般公開。
2024年10月2日朝日新聞デジタル 産経ニュース
こちら(「伊藤若冲大全」に収録、「没後200年 若冲」展図録に未収録の作品)でも発見作品数点を記載しています
宝暦2年(1752)
年記のあるもので最も早い作品。款記「壬申春正月旦呵凍筆於平安独楽窩 若冲居士」。
『國華129号』(明治33年 1900)、京都美術倶楽部主催『江州 浅見家所蔵品目録』(昭和3年
1928)に画像掲載後所在不明。國華には「鶏図解説」も掲載。
八曲一隻 枡目画 府立大阪博物場旧蔵
「名家秘蔵品展覧会図録 臨幸記念」(昭和8年 1933)に掲載あり。現在行方不明。
米斗翁八十歳画
1928年(昭和3)、川崎男爵家から大阪美術倶楽部のオークションに出品。目録掲載後に行方不明。MIHO MUSEUM所蔵の「象と鯨図屏風」とは別作品。