讃岐丸(3084t)は、残念ながら96/11/24の運航で幕を閉じました。
同船は、昭和49年国鉄宇高連絡船として就航。連絡船として13年9か月、
昭和63年の瀬戸大橋線の開業後は、観光船として8年、活躍しました。
連絡船当時には、切符を買わずに駆け込んで、乗船後にやれやれと清算していました。
(琴電からの乗り継ぎに余裕がなかったときなど、とにかく走った思い出が残っています。)
また、潮風を受けながら、デッキより瀬戸内の島々を眺めていたのも想い出です。
この写真からでは連絡船当時を思い浮かべるには無理がありますが、懐かしい思い出です。
96/12/15運行終了後の讃岐丸を撮影してきました。
12/15現在、高松港フェリー岸壁の陸上設備は、現役のまま健在でした。
旧観光船待合所は、内装設備は完全撤去していました。
97/8に高松に行く機会があり、高松港に寄りました。
待合所、地上設備すべて撤去されていました。
97/9/13 、6月より小豆島内海湾に停泊していた旧「讃岐丸」は、
インドネシアのジャワ島とスマトラ島を結ぶフェリーとして活躍することが決まり、
補給のため高松港へ最後の寄港をしました。
船名は白ペンキで消されてはいたものの、列車収納部分は連絡船当時のままの姿で第二の職場へ出発しました。
かつての宇高連絡船は、すべて海外に売却されました。
旧「阿波丸」がインドネシアへ、旧「伊予丸」が中国へ売却され、
客船に改装した旧「土佐丸」だけが、国内(広島)に残っていました。
しかし、唯一国内に残っていた、旧「土佐丸」こと「SOUND OF SETO」も、
00/10にインドネシアへ売却されたとききます。
阿波丸 | 1988/1撮影 |
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乗船桟橋から船首方向を望む |
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乗船口
船内はいってすぐ案内所があり左がグリーン船室、右が普通船室でした。 |
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案内所、(兼船内精算券売所) |
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