長野電鉄
2012.3.19
行こう行こうと思いつつ、結局屋代線廃止の直前になってしまった長野訪問。
名古屋での仕事帰りに無理やり長野へ向かった。屋代に宿を取り2日間で乗車と撮影をおこなった。
屋代
連休の中日、意外に喧噪は少なかった。須坂行きはのんびりと発車待ちしていた。
屋代
駅の施設で唯一近代的なのがこの駅名標でした。
信濃川田
同じ元営団3000だが対向は赤帯を消して日比谷線当時を彷彿させる。ずっとここで構えていたのにおっさん、前に立っちまった。ま、こう言う時期だから文句は言うまい。
須坂
廃止になるのはこの須坂までの線路。長野−湯田中間は残るが、全線完乗を目指す。
須坂
側線に、在籍があるのかどうか、今はもう使われなくなった車両が並んでいる。長野電鉄は、結構古い車を保存するのか残している。
須坂
まず、湯田中方面へ。普通列車の直通は少なく、ほとんどが信州中野で乗り換えとなる。車両はまた営団だ。
信州中野
昔はここも分岐駅。ここから木島線が走っていた。この駅からもまだ線路跡の痕跡が見て取れた。
信州中野
また3000だが、信州中野から湯田中までの各駅停車はいまのところこの3000しか入れないとのこと。ホームの有効長の関係らしい。
湯田中
晴れているのに粉雪の舞う寒い日だった。
湯田中
ここは昔、スキーで来た事がある(但し車で)。その頃は線路配置が変わっており、この写真手前に線路は延びていた。一旦写真手前に入ってからスイッチバックでホームに入っていたが、スイッチバックも踏切も無くなった。
湯田中
スキーシーズンは賑わうのと、志賀高原などの玄関口としての役割もあり、立派な駅になっている。しかし、直通バスなどの攻勢は凄いのだろうね。
車内
特急と各駅停車のみの設定だ。
上条付近
さすがに車内には山男やスキー帰りの人が乗っていた。
須坂
現在の看板車両、元小田急ロマンスカー。2000系の引退で、長野電鉄の車両は中古車ばかりになった。営団日比谷線の3000、東急の8500、小田急LSE、JR253系旧成田エキスプレスと、みんな見慣れた車両になっている。
須坂
信州中野で8500に乗り換え、須坂へ戻り、長野へ向かうのにまた乗り換え。これがまた3000だった。
長野
長野は地下駅。その昔の地上時代に長野駅を通った際に撮影している。ベットタウン化で通勤路線となって、複線化、地下化と観光路線でありながら通勤路線として長野線は頑張っている。
長野駅
すっかり近代化されたビル街に入口がある。
長野
エントランスから地下ホームを見る。櫛形3線の線路配置。
長野
こいつにはやはり地下が似合うね。
権堂
須坂へ戻っても屋代線の乗継ぎは無いので、町の中心権堂で降りて散策してみた。
権堂
商店街モール、飲み屋街など、それなりの町でした。夜は賑やかでしょう。
小布施
時間があるので一度小布施へ行く。この駅も昔の典型的な木造駅舎が残るいい駅です。
特急がやって来ます。柱に「木島方面」が残っている。
須坂
須坂に戻り、それでも待ち時間があり、外へ出て見ます。駅は立派な作りです。
松代
屋代への戻り道、松代で途中下車。
松代
ここも近代的なのはこれだけ。
松代
子供の頃にはどこでみ見ることのできた駅。
鉄道全盛時代の面影を残す駅で、昔の思いに耽るのでした。
松代
これ、文化財として残しておきたいですね。
松代
屋代行きがやって来ました。もっと古い電車だったらいいのですがね。
屋代
日が傾いた屋代駅。夕日にステンレスが輝いていました。
長野新幹線の開業、信越本線の分断で、湯田中への近道と言う存在価値が失われた屋代線。
全盛期のまま止まっていた設備など貴重な存在でした。
模型にでもしたい、そんな情景の沢山残る路線でした。
今回もフリーきっぷのお世話になりました。
乗車記録と車輌
3522 屋代→須坂
3507 須坂→信州中野
3505 信州中野→湯田中
3515 湯田中→信州中野
8512
信州中野→須坂
3516 須坂→長野
3506 長野→権堂
8505 権堂→小布施
3516 小布施→須坂
3526
須坂→松代
3532
松代→屋代
長野線
33.2km
屋代線 24.4km
計
57.6km