寄席演芸・音の博物館『極楽亭プロジェクト』

芸を記録すると言うこと

 芸事と言うものは良く一期一会のものであると申します。その日その舞台その場に居合わせたすべてのものがその芸を作り出しているのです。寄席演芸も芝居も音楽も、生身の人間が舞台で演じるものにはこの一期一会が関わって来ます。寄席演芸は口伝えで伝承され、その芸の評価もまた口伝えで伝承されて来ました。明治以降、速記が発明されてからは、口語体によって三遊亭圓朝らの話芸が記録され、その後明治末期よりSPレコードによって声の記録が可能となりました。惜しくも近代落語の祖とも言うべき圓朝は、このレコードによる声の記録に間に合わなかったのですが、以後の名人達は不完全ながらも記録が残され、口伝えや書物で伝承された評価と共にその人の芸に触れることが出来ます。それらの記録は、芸を完全に伝えるものではありませんが、たとえそれが片鱗であっても触れられるのは、生の芸に接することの出来なかった我々にとって大変有難いことなのです。

 また、ラジオ放送の普及に伴って、落語、浪曲、講談などの寄席演芸は、東京や大阪の極く限られた人達の娯楽から、全国民の娯楽へと広がりました。その中から多くの名人や人気者が輩出された昭和30年代から40年代、寄席演芸は隆盛したのです。

 その時代を共に生きた方々は、隆盛していた芸を見聞きする事が出来ました。時代を遡って芸を見聞きするなどと言うことは、遅れて生まれた世代には本来は叶えられなかった事ですが、録音機という文明の利器のおかげで残された、録音によってその名人芸に触れることが出来るようになったのです。落語で言えば、古今亭志ん生、桂文樂はもちろんの事、早くに他界した春風亭柳好、桂三木助、三遊亭金馬、三笑亭可樂、三遊亭円歌などなど、放送局が録音テープを残してくれたことで、我々は時代を越えて今でもその名人芸を楽しむことが出来るのです。 芸はその場で消え去るべきだと、記録を残す事に否定的な芸人さんもいらっしゃいます。確かに芸というものはそんな『はかない』ものなのかも知れません。しかし残された記録によって、多くの人々が過去の人の芸に触れる事が出来、喜びを感じているのも事実ではないでしょうか。私はこれらの貴重な記録をなんとか正確に残す事によって、これからも多くの人々にその喜びを伝えたいと願ってやまないのです。

残された音はもはや文化遺産である

 寄席演芸は我々にとってまず第一に娯楽なのですが、それと同時にこれは正に日本独自の文化です。伝承芸とはいうものは、多くの芸人が鬼籍へ入って行くのと同時に多くの噺が消え去って行く宿命があります。消え去るという性格上、それをなんとか記録で残したいというのも自然な発想です。過去に残された記録によって多くの人々が芸に触れる事が出来て、その芸に触れる喜びをわかち合う事が出来たのですから、芸を記録した保存音源は今や貴重な文化遺産と言えるのではないでしょうか。美術品や建造物などは早くからその文化的価値が認められて、国宝等に指定がされることによって遺産として残す努力がされています。しかしながら、音の遺産といった無形のものに関しては全くと言って良いほどきちんとした保存作業が行なわれていないのが現状です。諸外国では多くの音の記録や映像を国の関与の下に整理し保存していると聞きます。しかし、日本では国の事業として音や映像の記録を保存する機関は皆無と言って良い状態ではないでしょうか。まして、落語、講談、浪曲などの寄席演芸は、世界的にも稀な日本独自の文化、庶民に直結した文化であるにもかかわらず、それにの保存の必要性が認識されていないのはとても残念でなりません。

 放送局には資料用に残されたテープが保存されました。しかし、放送局での保存も、多くの担当者の努力により、廃棄を免れたごく一部でしかありません。

 我々演芸ファンは、これらの楽しい芸を、一度ならず繰り返して楽しみたいと願い、家庭用のテープレコーダーの普及と共に、放送で流れる寄席番組のエアチェックを開始しました。今でこそ落語のCDは沢山発売されていますが、その昔はほんの少しの限られたものしか手に入れる事が出来なかったのです。個人的に楽しむ為に録音されていたものの中には、放送局に保存されなかった音源もあり、今となっては貴重な記録となっているのです。幸いにも、現在においてこのような録音テープが、なんとか残されているのです。

テープに危機が訪れている

 音の記録は、レコードに始まり、磁気録音のテープレコーダーの出現によって、かなり容易になりました。現在は、デジタル録音が主流になりつつありますが、オープンリール方式のテープは長い間君臨し続け、多くの記録がオープンリールのテープに記録されています。古い保存テープの保管は、レコード会社や放送局に共通な悩みの種であると思われますが、個人の楽しみの為に残されていたオープンリールのテープも同じ状態です。家庭用のテープレコーダーはオープンリールからカセットに主流が移り、さらに現在はMDなどのデジタルメディアへ移りつつあります。オープンリールテープは、再生させるテープレコーダーの欠乏(もはや手に入るオープンリールのテープレコーダーは中古でしかありません)から、聞けなくなったテープは放置され、保存環境も決して良い状態にありませんし、更には保管スペースの不足から邪魔にもなり廃棄への運命を辿るものもあるのです。このような状況において、現在存在が確認されていないテープはもちろんのこと、存在が確認されているものでさえも、経年変化によるテープの劣化は避けられず、消え去る運命にさらされている、まさに危機的状況です。早急にこのようなテープに救いの手を差し伸べなくてはならないのです。

『極楽亭』の発想

 『極楽亭』(仮称)という名の、寄席演芸の記録を集中保管する施設を作り、これら文化遺産ともいえる音の記録を次世代へ継承しようと、現在我々は『極楽亭プロジェクト』を掲げ、多くの協力者を得てこれらの音を確実に保存する活動を開始しております。世の中に存在している音の所在を確認しつつ、散乱している音を一堂に集め、保存のための適切な処理をして、新しいメディアに記録して残そうというものです。古いレコードを初めとして最近のCDに至るまでの市販流通した音源や、放送録音(エアチェック)の復刻を中心に現在進行中です。私は本来レコーディングエンジニアを職業としているので、音質の処理や、テープに入っている情報を最大限に引き出す術を得ておりましたので、これまで行って来た復刻作業に、そのノウハウを十分に生かすことが出来ました。

 現在私の所へ集められた音は、おそらく15000以上はあるものと思われます。既に調査済みの音が、11000、更にメディア変換されたものが、5300になりました。すでに、多くの方々の協力の申し出があり、おそらく20000件以上の音が残されるかと思います。落語中心に集められてはおりますが、講談、浪曲、漫才といった寄席演芸全般へ対象を広げつつあります。

『極楽亭』の徹底的な鑑定作業

 この『極楽亭』は、音源の収集に際して、オリジナル音源と言うものの重要性を重んじています。番組の時間枠の制限によるカット、近年見受けられる差別用語のカットなど、様々な形でオリジナルが損なわれています。一つの音源から様々な形で作成された音が残された場合、『極楽亭』では徹底的な調査の上、カットの無い音源を残す確実な鑑定作業を行っております。既に調査済みの音源に関しては、重複が一つも無く、録音状態がもっとも優れているものが残されるのです。ただ単に、やみくもに音を集めてしまうだけでなく、資料である以上そこへデータを付加するための調査を行ない、その裏付けをしっかり取っています。おそらく放送局にも残されていないと思われる番組調査記録の資料、各落語会の出演記録などを元に、録音日や放送日を徹底的に調査しています。この音とデータが一体になったライブラリー作りが『極楽亭』の基本方針なのです。

音の博物館へ

 『極楽亭プロジェクト』は、寄席演芸を愛するコレクターの呼び掛けで始まりました。しかし、これはコレクターの単なる音の収集活動に留まるつもりはありません。寄席演芸の『音の博物館』を設立する為の準備活動です。現在でも国立演芸場に資料室があり、多くの音が集められているようです。しかしこれとて、文化財としての価値を認められたものに限定される上に、資料の内容すら明らかでなく、死蔵されていると言っても過言ではありません。そのような閉ざされたライブラリーではなく、演芸ファンや研究者、芸人さんの勉強の為に、博物館、図書館のようにいつでもそれらに接することが可能な状態であってこそ有意義なものなのではないでしょうか。『極楽亭』はその様な開かれたライブラリーを目指しています。

実現へ向けて

 この様な構想の『極楽亭プロジェクト』ではありますが、現在のところは賛同者を募り、各方面へ呼びかけて音源を収集し、資料を元に収録日や収録場所等の調査を行い、データを伴ったライブラリーとして整理しつつあります。やがて、これらの音の重要性が認められ、実際に『音の博物館』が建てられて、そこへ保存されるのが本来の目標です。現在存在が確認されているものはもちろんのこと、放送局の倉庫等に眠っているであろう音源も早急に保護をして、文化遺産として遺すべきであると考えます。これは単に演芸ファン、寄席ファンの為だけではなく、芸能を研究する人、そして、現在芸を伝承されている芸人さんの為にも絶対に必要なものなのではないでしょうか。そのためには、寄席演芸を愛するコレクターの集まりだけでは力不足です。『極楽亭プロジェクト』は、個人レベルで行なわれていますが、個人には財力にも継続性にも限界があります。今後安定した財源の確保や、継続的な保管のための施設の確保が大きな問題となるのは必至です。この構想を実現する為には、広く一般の方々に御賛同をいただき、多くの関係者の方々の協力が必要なのです。

 そこで改めて呼び掛けます。

 コレクターの皆さん、まだまだどこかに眠っているテープが残っているかも知れません。草の根運動で一つでも多くの音源を探し出して、後世に確実に残して行きましょう。

 放送局の皆さん、放送局の所有するアーカイヴ音源の保存は十分になされているでしょうか。一元に音源を集める事によって不明なデータが解析されるかも知れませんし、エアチェック音源の共有も可能になるのではないでしょうか。

 落語協会、落語芸術協会をはじめとする現役の芸人の方々も、先輩方の遺されたこれらの口演記録を勉強のための材料に利用することが出来るはずです。脈々と受け継がれて来た芸を後世に確実に残して伝えて行くためにもこれらの記録の保存は重要なのではないでしょうか。

 極楽亭は、放送局に残る音源(エアチェック音源を含めて)、落語会等の公演の記録として遺された音源、埋蔵されている音源を発掘し、世に残る全ての音源を一同に集めて信頼出来るデータと共に保存し、そして必要な時に聞くことの出来る解放された環境をもつ、公共的な機関であるのが相応しいと思っております。

 大阪では、「ワッハ上方」に上方演芸資料館が併設され、すでにかなりの量の資料が集められ、放送局や一般からも多くの音源が提供されていると聞きます。何故、どうして、東京にはそのような施設が作られないのでしょう。

 色々な意味で意義のあるプロジェクトである、寄席演芸・音の博物館『極楽亭』の実現に向けてご賛同とご協力、皆様のお知恵を拝借したいと存じます。

 

極楽亭プロジェクト・発起人 草柳俊一

2000/07/14